いらっしゃいませ、凡庸
輪をはめて願いを口にする。すると片割れの輪から異世界の人間を召喚する。召喚によって強引に契約がなされ、願いが達成されるまで帰ることはない。
その一文を読んだ時、冗談だと思った。手順と目的と手段がまったく噛み合わない。ビフレスト大橋の市場で買った腕輪についてきた説明書きに溜息を吐く。
「酒のイキオイってコワイネェ…」
昨晩の失態を思い出す。酒で気分が大きくなって、ついこんな怪しげなものを買ってしまった。
だが転んでもただでは起きないのが信条。使ってみようではないか。どうせそれらしい玩具だろうが。
まさか、本物だったなんて。
軽率に試してみようなどと考えていた少し前の自分を呪う。転んだ顔面に追い打ちをかけられた気分だ。
魔法陣の中心にうずくまる少年の姿に目頭を押さえる。その左手には銀の輪。どうしよう、これ。ともかくやってしまったことは仕方ない。彼を起こすことにした。状況を説明し、謝罪し、そしてこれからどうするか考えよう。
「もしもーし?」
う、と小さな呻き声。ややあって、閉じていた目が開く。やや茶色がかった黒の目が開いた。ゆっくり瞬いた目は自分の存在を認めた途端、驚きに彩られた。
猟矢が夢から覚めると、目の前には銀髪の女の子がいた。背中の中ほどまで届く白に似た銀髪の女性だ。青と緑のオッドアイがこちらを見つめていた。年は猟矢より少し上くらい。だが小首をかしげている様子がいくらか幼く見えて、足し引きすれば猟矢と同じか僅かに上くらいに見えた。
まわりは草原で、剥き出しの土を枝で引っ掻いて複雑な図形が描かれている。その中心に猟矢は寝ていた。
「えーと……」
困ったように彼女は頬を掻いた。とりあえず、怪我はないか、と聞かれ、猟矢は自分の姿を検めた。剥き出しの地面に寝転がっていたせいで土に汚れている部分はあるが、目立つ怪我はしていない。体調にも異変は見受けられない。
「たぶん…」
「ヨカッタ!」
安堵したふうを見せる彼女が手を差し伸べる。それを支えに起き上がった。左手首にはまっていた銀の輪が日光を受けてきらめいた。
「これって」
「あぁ、うん…アノネ…長くなるから、ゆっくり聞いてネ」
妙な片言を操る彼女が隣に座った。まずは自己紹介からダネ、と続ける。
「ボクはヴィト。アッシュヴィト・ビルスキールニル・リーズベルト」
変な名前だと猟矢は思った。銀髪だからきっと外国人なのだろう。そう思い直して、猟矢は自分の名を地面に書いた。猟、矢、と。
「サツヤ? それでサツヤって読むの? …キミのセカイの字は変わってるんダネ」
世界の、と彼女は言った。その言葉に引っかかりを覚える。外国人が漢字のことを言いたいなら、国の、だとか言うはずだ。外国人だから日本語がおぼつかないのだろうか。それにしては普通に会話ができている。
混乱し始める猟矢をよそに、アッシュヴィトと名乗った彼女は話を続ける。
「あのネ、キミはボクに召喚されちゃったんだ。オモチャかジョーダンだと思ってた、コレでね」
かちん、と指の爪で猟矢の左手の銀輪を指した。
ということはあれは夢ではなく。まさか。まさか。猟矢の理解が現実にようやく追いついた。
「え、ええええええ!?」
「ホンモノだと思わなくてネ…ゴメンネ」
心底申し訳なさそうにアッシュヴィトは頭を下げた。ふざけた口調で茶化した説明書きがついた銀の輪なんてただの玩具だと思っていたのだ。それがどうだ。立派に本物。しかも召喚までなしてしまった。
しかしながら呼び出したのは猟矢というただの少年。何の特別な力もない凡庸そうな人間。年の功で培われた知識もなさそうな。何処にでもありふれたような。
こんな少年を自分の願いの成就に付き合わせるわけにはいかない。過酷な道中にこの凡庸な少年が耐えられるわけがない。
首を振る。が、あの茶化した文章の説明書きが正しいなら、この凡庸な少年を付き合わせなければいけない。成就するその日まで連れ回さなければならない。
「せめてものお詫び。このセカイにいる間はボクがキミの面倒を見るし、守るヨ。ゼッタイに」
「絶対に、って…」
面倒を見てもらうのはともかく、守るというのは。何から。どうやって。それに女の子に守ってもらうなどとは男の沽券に関わる。
そう言おうとした猟矢の耳に野卑た声が割り込んできた。
「おうおう、おふたりさん逢引かねぇ?」
「この辺りに魔力反応があってなぁ。ちょいと変わった気配だったんで様子を見に来たんだが」
「術者だよな。ちょっとウチまで来てもらおうか?」
「来ないなら痛めつけるし死んでもらうだけ!」
4人の男がにやにやと笑いながらこちらに歩いてくる。一見丸腰だ。だがそれぞれが同じ銀の指輪をしていた。皆一様に、剥き出しの肩に鳥を模した紋章の入れ墨をしていた。
「…パンデモニウム…!」
アッシュヴィトが呟いた。その単語を忌々しそうに。
ぎり、と睨みつけるアッシュヴィトの様子にどうやら友好的な相手ではないということを察し、猟矢は身構える。喧嘩などしたことがないし相手は4人もいる大柄な男だが、女の子ひとりくらい逃すことはできるかもしれない。俺が囮になるから逃げてと言いさした猟矢をアッシュヴィトが制する。
「言ったデショ。ボクが守るっテ」
下がってて、と言ったアッシュヴィトは右手の人差し指から銀の指輪を抜いた。
「防御あたわぬ衝撃の刺突剣……"グピティー・アガ"」
指輪がレイピアに変じた。