篝火を束ねよ
被害はゼロとはいかなかった。犠牲は多かった。だが勝利といえる。
「犠牲となった者たちに祈りを……」
ラピス島の領主、アルクス・ラピス・サイトはそっと祈りを捧げた。
よもやパンデモニウムの侵略を受けるとは。今まではアブマイリの祭りを始めとしたその特殊性から侵略を受けずにいられた。ここが滅びれば神に通じるという神秘極まる技術が失われる。他の地域は人の努力により神から下賜された技術だが、ビルスキールニル及びラピス諸島のそれは神が神の意志でもたらしたものだ。すべての武具、そして魔術の元祖である。
それ故に今まで侵略を免れてきた。パンデモニウムは技術の喪失を恐れてラピス諸島に手を出してこなかったし、ラピス諸島は侵略を恐れて反旗を翻さなかった。つかず離れずの微妙な距離関係でやってきた。
それが侵された。理由はラピス諸島の巫女が逆らった見せしめだ。故にラピス諸島は戦火に身を投げ込むしかなくなってしまった。
「反パンデモニウム組織"アトルシャン"への加入の打診を」
パンデモニウムが踏み込んでくるのなら自衛を。そのための力をつけなければならない。
「ラピス諸島が"アトルシャン"に?」
「あぁ、今は通信武具越しにユグギルと対話してるそうだ」
まだユグギルはキロ島にいるらしい。東方大陸同盟のことについて"アトルシャン"のトップであるクロエ・キロ・エンシェントもといカガリと打ち合わせることがあるのだろう。なのでまだキロ島にいる。
もしかしたらキロ島領主とラピス諸島領主との対談も行われているかもしれない。まさかあなたが率いているとは、とラピス諸島領主は面食らっているかもしれない。その様子を想像して猟矢は自然と笑みがこぼれた。成程、アッシュヴィトが皇女であることを隠すあの悪戯を仕掛けた気持ちがわかる。
「しかしまぁ、これでフィントリランド、ゴルグ、エルジュ、ミーニンガルドにクロークヘイズ、そこにラピス諸島かぁ」
大規模になったものだ。それほどパンデモニウムに不満を持つ国が多いということだが。
古来よりディーテ大陸は自己意識が高い気風だ。移民と先住民が衝突し時には和解し混じり合って形成された。縄張り意識が強く血の気が多い気風ゆえに自らの領土を侵すパンデモニウムに抵抗しようとするのは当然だった。
ディーテ大陸が"動"なら西のベルミア大陸は"静"の気質だ。身内だけで内にこもる気風で、現状維持に固執し、良い変化も悪い変化も厭う。平和で豊かな"いま"さえ維持できればそれでいい。現在だって平穏のためにパンデモニウムに恭順を示している。反発すれば略奪と破壊が行われ、"いま"が崩れてしまうからだ。
そんなベルミア大陸ではなし得なかった同盟だろう。これはディーテ大陸だからこそ成し得たものだ。
「サツヤは今回もデジャビュか?」
静動それぞれの気風の大陸の存在。そう聞いて猟矢の身にはいつもの既視感が襲っていた。答えの出ないそれがやってくることはもはや慣れつつある。
アルフやアッシュヴィトやユグギル、他がこの世界の構造や地理を説明しようとした時、必ず猟矢はデジャビュを感じている。それがどうしてなのか、猟矢はいつもわからないのだ。わからないから答えを見送るしかない。今回もだ。猟矢は溜息を吐いて考えを放棄した。
「そういえばヴィトは?」
「あぁ、まだ部屋にいるんじゃないか?」
すべてが終わった頃、ラクドウは目を覚ました。
ぼんやりと数度瞬きした後、思惟がようやく状況を理解して跳ね起きる。くらりと目眩がしたがそれに構う余裕はない。主を探さなければ。
自分はなんてことをしたのだろう。主を仇と混乱させられ、操られるままに剣を向けてしまった。操られてやったこと、自分の意思ではない。だが近衛騎士としてあるまじき行動だ。
だから、会って、探して。それでどうなる。謝罪すればそれで終わりか。裏切りの報いに首を吊れば終わりか。会って、それでどうなる。どうする。だが。
ばくばくと心臓が騒がしく鼓動を刻む。平衡感覚を失ったように視界が揺れる。立つことも動くこともできないラクドウの耳に聞き慣れた声が飛び込んできた。
「オハヨ、ラクドウ」
「……アッシュ、ヴィト…様…」
自分でも驚くほど情けない声が出た。震える声を聞き、アッシュヴィトはくすりと笑う。常に先に立ち主を守るラクドウらしくもない。
ラクドウをくすくす笑うアッシュヴィトの様子はまるで普段通りと変わりない。主として親友として共に歩んだビルスキールニルの昔日のように。そこにはパンデモニウムに操られていた事実などなかったかのように。
「俺、は…」
何か言葉を紡がなくては。だが何を。謝罪か弁明か言い訳か贖罪か。何を言うつもりだ。喉に声を詰まらせ言いよどむラクドウにアッシュヴィトは首を振る。
「イイヨ。謝らなくても。ボクは気にしてナイ」
操られてやったこと。お互いに何も失ってはない。この程度で裏切り者と罵るつもりもない。
むしろ謝らなければいけないのは自分の方だとアッシュヴィトは言う。皇女である自分が不甲斐ないばかりにビルスキールニルは滅び、そしてラクドウの婚約者ファイノレート・ビレイスは死んだ。
これは力が足りなかった自分への罰だ。たとえ操られ本心でなかったとしても、お前のせいで、という罵りは当然だ。甘んじて受けよう。
「それにキミが生きているダケで十分。……以下この事は不問とする」
誰もこの件に関しては口出しさせない。責めもしないし責めさせもしない。皇女として厳かに言い放った。
王族の命令だ。逆らえはしない。頭を垂れるラクドウにふと微笑む。
「まだ目が覚めたばかりでしょ。寝ててイイヨ」