狂信者と忠義の騎士
なんだあれは。ラクドウはそう思った。ネツァーラグの持つそれは初めて見るものだが、見覚えがある気がする。"偽りの銀"と言っていた。偽りとはなんだ。
憎悪の中に疑念が沸き起こる。思考してはいけないと呪いのような声が聞こえる。思考を放棄しろ、憎悪に染まれ。ほら、そこに愛しい彼女の仇がいると蝕む悪意がアッシュヴィトを指す。
あれは初めて見るものではない。思惟が記憶を引っ張り出す。思い出せ。パンデモニウムの砦でアッシュヴィトを仕留め損なったことを。すさまじい頭痛に苛まれて撤退せざるをえなかったことを。あの後の記憶ははっきりしていない。シャオリーが言うには激痛で気を失ったと聞く。
その気絶の瞬間に見た気がする。あの毒々しい赤の鉱石を。高慢に見下ろす白衣を。偽りの銀。偽りとは。自分がここに立っていることが偽りか。まさか。
だが。どうして。ビルスキールニルが滅んだのは誰のせいだ。神に仕える役目を厭うた皇女が同胞を皆殺しにしたのだと。そう聞いている。パンデモニウムはその混乱をおさめようと不可侵の不滅の島に兵を投入したものの間に合わなかったと。各地で頻発する略奪や破壊は皇女によるものだと聞いている。パンデモニウムは正義だと。そう聞いている。
自分はそう認識している。シャオリーに何度も確認を取った。合っているはずだ。違和感を覚えたことなどない。
だが。それらが全て、偽りだったとしたら?
「やめなさい!」
叫んだのはシャオリーだった。あれを砕けばラクドウはアッシュヴィトの元に戻る。主と仇を取り違えさせた今までのお返しとばかりに復讐されるのが怖いわけではない。正された認識と今までの所業を自覚し自責に苛まれ絶望するところを阻止したいわけではない。手中にした道具に愛着がわき手放したくないわけではない。
パンデモニウムが持つ手札が一枚欠ける。そのことがシャオリーにとって重要なことだった。パンデモニウムに忠誠を誓うシャオリーにはそれが耐えられない。
「ボクから奪い取ったモノ、返してもらうヨ!」
がつり、とレイピアが"偽りの銀"を打ち砕いた。ただの銀と鉱石の破片になって砕け散っていく。それはまるで、真実の上にかぶせられた偽りが剥がされたようだった。
「撤退だ。シャオリー・アルフェンド」
「……えぇ」
蔦に戒められたまま、ネツァーラグはそう口を開いた。苦々しくシャオリーもそれに同意する。
ビルスキールニルの騎士。そのブランドと実力を備えた手札を失うのは手痛いが仕方ない。こうして砕かれてしまった以上、再度奪うのは不可能。砕かれた反動で気を失ったラクドウと、手元に帰ってきたことにアッシュヴィトが安堵しているこの隙にさっさと尻尾を巻いて帰ってしまうに限る。
「……逃がすと思うの」
ぱきん、と。氷の大剣を構えてダルシーが絶対零度の視線を送る。パンデモニウムの幹部級ふたりの動きを縛って捕らえたというこの絶好の機会に。逃がすと思うのか。
このまま首を断ち切ってやる。ダルシーが大剣を振り上げた。
「蔦の拘束? あぁ、そんなものもあったねぇ…」
あまりにも瑣末すぎてすっかり存在を忘れていた。そんな雰囲気で呟いたネツァーラグは首から提げていたペンダントに魔力を込める。
「"生命転化"」
呟きと同時、首飾りの銀が光る。その途端、ぼろぼろと蔦が崩れ落ちていく。刃を通さないほど丈夫だった蔦がまるで砂のように朽ちていく。
拘束から抜け出したネツァーラグは変わらず縛られたままのシャオリーに手を伸ばす。
「"ディメンションゲート"」
後で再教育だ。そう付け足したネツァーラグは黒い球体でシャオリーを包む。
ラピス島で巫女をさらった時に用いられたものと同じものだ。闇を体現したかのような黒い球体はばくりと大口を開けてシャオリーを飲み込んだ。それに巻き込まれるようにネツァーラグも闇に踏み出す。ふたりを飲み込んだ球体はその場で収束し、ふつりと消えた。
「なぜ捨てたのよ」
手札を捨てることはなかっただろうに。パンデモニウムの本拠地まで転送されたシャオリーは口を尖らせた。不満を示すシャオリーにネツァーラグは平然と言い返す。
「あのまま持っていても変わらなかったさ」
取り上げられるか自ら放棄するかの差だ。どちらにしろ奪還されるという結末は避けられなかった。それよりも。
「この後始末、結構大変じゃないかい?」
パンデモニウムの騎士の意識を書き換えこちらに引き込み利用するという案はシャオリーの発案だ。本来ならビルスキールニルを滅ぼしたあの日に皆殺しにする予定だった。それを歪めて発案した作戦は皇女の捕縛にまで発展し、しかし捕らえることはなく結局このざまだ。手札にした騎士さえも奪還された。
だから素直に皆殺しにしておけばよかったものを。余計な気を回すからこうなるのだ。ビルスキールニル人がパンデモニウムに従うという行為は世界に衝撃を与えるだろうとの言い分の結果がこれだ。
皆殺しという命令を違反した。その時にすでに処断されるべきだった。利用すれば成果が出せると訴えたから見逃したしこうしてある程度協力してやったものを。やはり命令違反で即行処断するべきだった。
「えぇ、そうね。甘かったわ」
自らの甘さを恥じる。良かれと思ってやったことが空回りしてしまった。もっとパンデモニウムの益になることをしなければと焦って誤ってしまった。
「そんなに功を焦らなくてもいいのに」
「でも私にはパンデモニウムしかないの」
末席とはいえどカーディナルに叙せられた実力があるのだからこんな小細工で点数稼ぎをしなくとも。十分やっていける。咎めるようなネツァーラグの言葉にシャオリーは言い返した。
「パンデモニウムは私の居場所なの。居場所を確保するために必死になるのも仕方ないでしょう?」
結果が空回りだといえどそこは尊重してほしい。故郷を奪われたシャオリーにとっての寄る辺はパンデモニウムなのだから。必要性を証明しなければ置いてもらえない。親の気を引くためにあれこれ画策する子供のようだ。
だが命令違反をしてまで策を巡らせるあまり誤ってしまった。その処罰は甘んじて受けよう。秩序の筆頭ネツァーラグ・グラダフィルトを前にシャオリーは頭を垂れた。




