はじまりのはなし
「えーと、使い方は…?」
――"行きの輪"を装着し、"帰りの輪"を魔法陣に置く。
――そして願いを口にし、魔力を注ぐ。
「ネガイゴト…ネェ…そんなの決まってるヨ」
復讐を。
――そうすれば異世界より現れる人間が
――望みを叶えてくれる、かもねぇ?
「……叶えてくれナイノ?」
それはどうだろうか――
「やっば……不良品、掴まされたカモ」
********
「猟矢、あんたまた稽古さぼって」
はぁ、と溜息を吐かれながら俺は母親の小言を無視した。この古い弓術道場の跡を継げって言い含められて育てられること16年。俺はそんな気などさっぱりなく。
俺なんかよりよっぽど才能ある奴なんかごまんといる。たとえばユズなんか。一応うちの土地らしい雑木林を挟んで隣の家に住んでる弓束って名前の幼馴染の女の子。あいつは俺よりよっぽど才能がある。血統がどうっていうよりただ弓術っていう伝統を後世に伝えるのが重要なんだから、ユズが継げばいい。ユズ以外にも道場に通ってる奴もいるんだし、そいつらのどれかだっていい。
師範の息子のくせに的の中心にも満足に当てられない俺なんかより、的の中心にばかすか当てていけるやつの方がいい。俺はずっと親にも祖母にもそう言ってるのに、向こうは欠片も聞き入れやしない。
「猟矢、あんたが継ぎたくないのは理解してるの」
だけど跡継ぎなんてものを跳ね除けたいほどの夢があるの。やりたいことがあるの。それが本物なら跡継ぎは別の誰かにするから、夢があるなら言ってごらん。そう聞かれて口をつぐむ。
たかが16歳の男子高校生に夢なんかあるわけない。今までなんとなく生きてきたし、これからもきっとなんとなく生きていく。
やりたいことなんてない。趣味があるにはあるけど、それで飯を食っていけるなんて思えない。だから夢なんてない。やりたいことなんてない。
でも跡も継ぎたくない。俺なんて凡庸な奴より優秀なのは他にいくらだっている。才能あるやつに混じる凡庸な俺がいたって惨めなだけだ。
「猟矢!」
追及する母親の声を適当に流して部屋に引っ込む。今日、学校の帰り道でいいネタを思いついたんだ。早速書かなければ。
そう、俺の趣味は小説書き。といっても今まで完成させたことなんかない。設定とあらすじ、あとは出だしの部分だけ書いて終わり。試験だったりなんだったりで忙しくて数日空くともう飽きている。それかまったく別の面白そうな設定を思いついて最初から書き直す。そんな繰り返しだ。
でも今回考えた設定は我ながら今まで最高に面白いと思う。だから完成させるんだ。昨日メモしたあの設定のあそこの部分を書き換えれば…。
「……ん?」
不意に頬を風が撫でた。窓でも開いていたかな。でも窓はきちんと閉めて鍵がかかってるはず。雑木林に面した窓なんか虫がしょっちゅう飛び込んでくるからずっと閉めっぱなしだ。網戸ですら開けない。だからこんなところが開いてるなんてありえない。
泥棒、という言葉がよぎった。人の目につきにくい雑木林、に面した俺の部屋。忍び込むならここが格好の場所なんじゃないか。
おそるおそる窓のカーテンを開ける。ガラスがあった。よかった、鍵もかかってる。泥棒が細工した様子もない。たぶん。
じゃぁさっきの風は何だったんだろう。気のせいにしてはやけにはっきり感じた。なんだろう。
「ん」
窓の外から見える雑木林になにかある。光る輪みたいなものだ。祭りやコンサートで使われるようなサイリウムの光るブレスレットのように思えた。黄色、金、銀。何色だろう。何色にも例えられそうな曖昧な色だ。
一体なんだろう。やけに気になって、俺は夜中だというのに雑木林に出かけることにした。
「なにしてんの」
雑木林に踏み込もうとする俺を呼び止めたのはユズだった。曰く、ユズも窓から光る何かが見えたので気になってここに来たらしい。
「サツヤが物書きのネタに何か実験してるのかと思ったんだけど、違ったみたいだね」
ユズは俺の趣味を知っている。そして参考資料になりそうなものならどんな些細なものも一見関係なさそうなものも調べるという性格なのも知っている。だから今回もそうなんだと思って、どんな話を思いついたのか聞きに来たのだという。
「んー、いや、これは俺じゃないけど…」
雑木林の光る物体は俺の仕業じゃない。じゃぁ誰がこんなことを。興味本位で見てみようということになった。今夜が満月のおかげで懐中電灯なしでも雑木林の中の様子がよく分かる。
木の根に足を取られないように気をつけながらそこに向かう。雑談をしながら。今日は帰るのがやけに早かったね、何か思いついたの。そうなんだ。思いついたネタを早く形にしたくて。そんな雑談をしながら。
「で、今回はどんな話を思いついたの?」
「ううん、まだ内緒」
頭の中のぼんやりとしたイメージはまだ形になっていない。こんなのまだ未調理の食材だ。食材に付いた泥さえ落としてない。泥を落として下拵えをして調理して煮込んで味をつけて皿に盛って、そこで初めて完成する。だからまだ畑から引っこ抜いただけの人参をキャロットグラッセだと言って提供するわけにはいかない。
「じゃぁ、完成したら読ませてね。私、あんたが物書き始めてからひとつも読んだことないんだから」
「お、おう…善処する…」
光る輪はそこにあった。ただ、窓から見た印象とはだいぶ違う。
ブレスレットにしてはやけに大きい。だけど首を通すには小さい。変な大きさの輪だ。そんな輪がこんな雑木林で光っている。誰かがサイリウムを発光させてここに投げ捨てたとは思えない。
「なんだろう、ねぇ、手に取ってみたら?」
「ん」
落ち葉の上で光るそれを拾う。サイリウムのプラスチックとは違う感触がした。これは金属の感触だ。
「光る金属なんていったいどういう……」
言いかけて、俺の記憶はそこで途切れた。
気が付けば、暗闇の中だった。何処が地上とも空ともつかない真っ暗な空間。あぁ、これはきっと夢を見ている。だってほら、暗闇の中だというのに自分の身体だけはライトを浴びているかのように明るい。
その俺の左手に銀色の輪があった。金網フェンスに使う太い針金を曲げただけのような、飾りも何もない銀の金属輪。なんだこれ。
「いらっしゃいませ、ここは片道限りの接ぎ木の間。どうか坊っちゃん、その場でお聞きくださいますよう…」
ピエロが喋りかけている、と直感した。なんとなくそんな雰囲気がした。道化師がすました顔で真面目な口上を述べている時のような、滑稽さと真剣さが交わったちぐはぐな気配。
「それではこれより、日の出の輪、ソール・オリエンスに選ばれし主人公を異世界にお連れします。そこで待ち受けるは天国か地獄か。この道化めには判じれませぬが、お気をつけくださいませ…」
「ルールその1!」
フェードアウトしていく道化の声に割り込んで、突如、甲高い声が響いた。
「"帰りの輪"は復路の切符! 紛失、破損、盗難! 気をつけて!」
どうやらその"帰りの輪"とやらはこれを指すらしい。現実にはなかった、夢の中で唐突に装着していた左手の銀の輪を見た。これが復路の道標になるのだという。
ずいぶん手の込んだ夢だ。しかしこれはこれで面白い。目が覚めたらこの夢をメモしておこうと決めた。
こういう形で始まる物語も面白い。主人公が自発的に物語を始めるのではなく、他者によって強引に引き起こされる。その恐怖と混乱を描写してから、と頭のなかで構成を組み立てる。
「ルールその2! 選ばれた主人公は召喚者の望みが叶うまで帰れません!」
その望みとやらは当人に聞いてくれ。ここで答えは教えてやらない。成程、最初に何でもかんでも提示するのはよくないということか。公開する情報をあえて区切って後に置く。参考になるな、と記憶の片隅にとどめておく。
その3、と続く。その補償として何か能力を差し上げましょう。早口な高い声に目を瞬かせる。
それならば、と答える。今日の学校の帰り道に思いついた主人公の能力だ。その内容を告げると、受諾、と返事が来た。
「代償が釣り合わないので法則に手を加えます! 法則の変更に注意!」
「え、ちょ、どう変わったのかは…」
「以上! 手続き終了です!」
「選ばれた主人公よ、どうぞ世界に羽ばたき給え!」




