竜の殻を破る時
どうにか寸前で狙いを逸らすことができた。脇腹にかすり傷を負ったシルヴィールは僅かに冷や汗をかいた。
ただの弓かと思えば形を変え防壁になり、かと思えば狙いを定めるマーキングの役割も果たす。予測不可能な武具だ。あれは確か聞いたことがある。ドラヴァキアの地より遠く離れた島で作られる武具だ。火を信仰する民が作ったそれは一風変わった能力を持つという。
それに、発動の瞬間に感じた魔力。どれほど隠すのが上手い術者でも、武具の発現の瞬間だけはその身に宿す魔力がありのまま他者に見える。発現の瞬間に感じる魔力で互いの実力を知る。
少年の魔力は計り知れない。その魔力を感じ取り、思わずドラヴァキアが小さく震えたほど。往古より存在する堅牢なる大地が反応するほどの。
それに、その他の誰もからも強者の気配がする。単体ではシルヴィールに負けるものの、連携されたら対抗は難しいだろう。
これはもしかしたら、という可能性がシルヴィールの脳裏によぎる。パンデモニウムに対抗する力があるというのは妄言ではないようだ。この屈辱的な不可侵条約を放棄し同盟に力を貸してもよいのでは。
「…わかった、もういい」
実力を見るための手合わせはこのくらいでいいだろう。殺し合いでもあるまいし。軽傷を負ってしまった時点で勝負はついた。降参を示すようにシルヴィールは両手を挙げた。
「やったぁ! ボクらの勝ちダネ!」
子供のように喜んだアッシュヴィトは隣にいたダルシーにハイタッチしようと手を掲げる。しかし虚しくも空振りする。アッシュヴィトを黙殺したダルシーは青い目を向ける。
降参を示したということは自分たちの勝ちなのか、勝てば同盟に加わるというのか。そんな約束はしていないが、話の流れからそうなってしまうのか。シルヴィールがどういう決断を下すのか待っている。
「…あぁ、そうだな。同盟については……」
もしかしたら、という期待がシルヴィールの意思を揺るがす。パンデモニウムに割譲した大地を奪還し神聖なるドラヴァキアを取り戻す。そんな淡い夢さえ抱いてしまう。否。夢ではない。実現可能だ。シルヴィールが首を縦に振りさえすれば。
「竜族も同盟に加わ………」
「っ、後ろ!」
シルヴィールの背後に何者かの気配が降り立った。転移魔法で今まさに出現した。アルフが素早く警告する。キィ、と頭上で鷹が鳴いた。その警告を聞いてシルヴィールが身構えるより先に、その胸から刃が生えた。
生えたのではない。刺されたのだ。直刃の剣がシルヴィールの心臓を後ろから貫いている。ぐらりと傾ぐ身体。その後ろにいたのは。
「約定の反故は許さないって言ったでしょう?」
貫いたのは"呪殺"の名を持つカーディナル。シャオリー。と、いうことは。
「ヴィト!」
アルフの警告。それより先にアッシュヴィトが身を翻した。今しがたアッシュヴィトがいた位置を大剣が叩き切った。振り下ろした剣は地面をがつりと噛む。小さく舌打ちが聞こえた。
黒い外套をまとうのは落道の騎士。空振った剣を忌々しげに持ち上げ、担ぐ。その目には憎悪と嫌悪が滲んでいる。
それは本来、逆なのだ。その背中はアッシュヴィトを庇うべきで、その剣はパンデモニウムに向けるもの。しかし歪んだ認知が認識を取り違えさせる。
だって、それは。ビルスキールニルが滅んだあの日、迫る凶刃からアッシュヴィトを庇ったファイノレート・ビレイスを刺し貫いたのは。崩れ落ちるファイノレートを踏みつけた直刃の双剣の使い手は。
「……キミか、シャオリー!」
「ようやく思い出してくれた?」
激高するアッシュヴィトに平然とシャオリーは言い返す。そうだ。ビルスキールニルが滅んだあの日。ラクドウの婚約者を殺したのは自分だ。死体を踏みつけ、今度こそ皇女を殺さんと剣を振り上げた。その手を阻んだ騎士を返り討ちにし、そして偽りの記憶を植え付けた。記憶操作自体は別の人間の手によるものだが。
だがアッシュヴィトが気付いたところでもう遅い。ラクドウはこの通り手中にある。この会話もきちんと聞こえているのやら。歪んだ認知を維持するために聞こえないようになっている。
「さぁ、無駄は話はこれくらいでいいでしょう?」
約定の反故を宣言した竜族は葬った。目的は達成したが、ついでだ。ビルスキールニルの皇女も捕らえて記憶を改竄して手中に納めてしまおう。そうすればパンデモニウムの支配はより盤石となる。
そのためにはまず邪魔な者たちを片付けるべし。直刃の双剣を持ちシャオリーは構える。
「させナイ! ……"インフェルノ"!」
構えたシャオリーが飛びかかるより早く、アッシュヴィトは左手の人差し指に装備していた武具を発現させる。アッシュヴィトがその名を呼ぶと同時に、彼女の背後の中空に巨大な石門が浮かび上がった。
「地を這う生命の大樹、我が声に目覚めん」
魔力が跳ね上がる。風が巻き上がる。精霊がそれに連動していくのがダルシーの感覚に伝わった。神々に愛されたビルスキールニルの皇女の要請に応えて世界が、魔力が、精霊が蠢く。
緑の紋章が石門に浮かび上がる。ギダル村で召喚した時とは違う紋章だ。門扉の隙間から草木が覗いた。
「邪気縛り付ける緑樹の母神、眠れる力を地上にもたらせ、"緑樹の母神"ラウフェ…」
「…待って!」
物静かなダルシーにしては珍しく、大声でアッシュヴィトを制止する。大気に散る精霊の様子がおかしい。アレイヴ族特有の感覚が告げている。何かがおかしい。それは、神の召喚によるあたりの雰囲気の一変とは異なる。
精霊は魔力に応え、武具を通じて力をもたらす。だがこの場にいる精霊たちはアッシュヴィトに反応していない。神を喚ぶ石門に匹敵する存在に恐れをなしているようだ。
ラウフェイ、と呼びかけたアッシュヴィトもそれに気が付いた。あと一言、名前を呼ぶだけで完成していた詠唱を中断する。
「…あれ…!」
その異変は、事切れたはずのシルヴィールから発せられていた。




