むかしむかしのおはなし
昔々、世界の東の果てにビルスキールニルという島がありました。
神々に愛されたこの島は、神の加護を受けていました。また島の人々も神を敬い、人と神の絆は永遠のものでした。
民と神をつなぐのは王でした。王は民の声を神に届け、神の声を民に伝えたといいます。その王と妃の間に美しい娘が生まれました。神に愛された島に生まれた神に祝福された皇女です。
「なんと強い魔力を持った娘だろう。まるで伝承に伝わる賢者のようだ」
王は伝承になぞらえ、赤ん坊に灰色の賢者と名付けました。
「皇女殿下がお生まれになったそうだ」
少年はその言葉を聞き、幼いながらも自分の役割を理解しました。騎士として側に仕え護衛すること。そのために力を磨かなければならないということを。
また別の家では、少女が無邪気に笑って言いました。
「おうじょでんかがおうまれになったのですって? じゃぁ、わたしはおねえさんね」
それから十数年。魔力によって成長が停滞した身体にもようやく性徴が芽生えてきた頃。
娘は皇女になり少年は騎士となり少女は文官となりました。騎士は皇女に跪き、忠誠を誓ったといいます。文官の少女もまた、知識で皇女を支えていこうと約束しました。
「ねぇファス?」
「はい、なんでしょうか?」
ヴィト様、と柔らかく微笑む彼女に、悪戯っぽく笑いながら問いかけます。想い人がいるでしょ、と。
「スキなヒト、いるんデショ?」
「なっ…、どうしてそんな」
「だっていつも見てるじゃナイ?」
皇女が気付くのも無理はありません。あの慈愛に満ちた柔らかい瞳が、とある騎士に注がれていることに。
その逆も然りでした。鋭く射抜くような騎士の目が緩むのは、いつだって彼女の前だったのですから。
「俺はファスにそんな…」
「あれ? ボクはファスだって言ってナイヨ?」
「あっ…」
想い合っているのなら早く遂げてしまえばいいのに。そう思う皇女でしたが、ふたりの仲は遅々として進展を見せません。自然に任せていたら時間がいくらあっても足りないと判断した皇女はとある策を実行に移すことにしたのでした。
皇女の画策もあって結ばれたふたり。周囲もそれを祝福しました。
「で、ラクドウ。結婚はいつだよ?」
「バッシュ殿!」
にやにやと問い詰める彼に騎士は珍しく声を荒げて抗議します。しかしその抗議もあまり意味のないものでした。観念した騎士は両手を上げて降参を示します。
「それは追々」
「ほー、追々ねぇ。ってことはする気はあるんだな」
「ファス」
「はい?」
「ケッコンしナイノ?」
「……はい?」
いつ結婚するのかと、周囲は気が気ではありませんでした。結ばれるのにも相当の年月を要したふたりなのですから、結婚に至るまでにはまたどれだけの年月がかかるのでしょう。
「神職の私と違って婚姻は自由なのですから気兼ねせずに」
「イルート殿まで何をおっしゃいますか」
邪魔をするものなど何一つないのにこの遅々とした睦まじさ。焦れた周囲が二人を焚き付けることも多々ありました。
「あの奥手がいつ結婚するか! 皇女殿下の女王即位の方が早いに30ルーギ!」
「じゃぁ俺は"次の休暇明け"に来週の昼飯を賭けよう」
「ほほう、なんで次の休暇だよ?」
「休暇があれば指輪買いにいけるだろ!」
いつだろうかとひっそり賭けをする者もいました。騎士にはやや頭の痛い光景だったようですが、それほど周囲の期待が注がれていたのです。
そんなある日のことでした。
「あれ、ファス? ソノ指輪…」
文官の彼女の指に見慣れない金の指輪がはまっていることに皇女は気付きました。
武具ではありません。武具は総じて銀で作られているのですから。武具ではない、ただの装飾品の指輪です。それをはめていた指は左の薬指。それが意味することを知って皇女は破顔しました。
「えぇ、この前の休暇の時に…」
恥ずかしそうに照れながらも指輪を撫でるその光景は幸せの絶頂を体現したかのようでした。
「あの奥手がやっと根性見せたネェ…で、ダンナサマは?」
「まだ未婚です! ……ラクドウなら、先程演習場でバッシュ殿に絡まれてましたよ」
「呼んでおいでヨ。お祝いしてアゲルから」
新郎新婦まとめて祝いの言葉をかけてあげよう。そう皇女が言い、それに従って新婦となる彼女が踵を返したその時でした。
すべてが無に帰したのです。
空を覆ったのは闇でした。否、闇ではありません。深淵の闇を体現したかのような、おびただしい数の人間がいました。手にはそれぞれ武具を持っていました。
「我らが名はパンデモニウム。降伏せよ。さもなくば殺す」
深淵の万魔が現れたのです。軍勢を前に、ビルスキールニル王は降伏勧告を突っぱねました。数で負けていようとも、ビルスキールニルは神に愛された地。一騎当千の兵の集まりです。負けるはずなどありませんでした。ですが……。
何もかもなくなってしまったのです。




