帰還、帰郷、帰宅
「よく帰ってきた。…大変だったようだの」
大まかな経緯はアルフから先んじて聞いている。ユグギルは目を細めた。
アブマイリの儀式の最中にパンデモニウムが、しかもアークウィッチが乱入して巫女を誘拐した。前代未聞の事態だ。
ラピス諸島はその特殊性から今までパンデモニウムは手を出してこなかった。下手に手を出せば武具を制作する秘伝が失われる。だからパンデモニウムは今までラピス諸島に対し何もしてこなかった。パンデモニウムの拠点があるシャロー大陸からほど近い位置にある場所にあってもだ。
目の前に御馳走がぶら下がっていてもパンデモニウムは手を出さなかった。出せなかった。だから絶対に安全だと思っていた。その過信が悲劇を招いた。安全などではなかった。パンデモニウムは虎視眈々と機会を窺っていただけだったのだ。
「詳しく話を聞いてもいいかの」
質問のような命令でユグギルは猟矢たちに椅子をすすめる。全員が座ったところで机に手鏡を立てかけた。銀の装飾が美しい鏡だ。聞けばこれは武具で、声と姿を遠くに届ける。この通信の先は反パンデモニウム組織の母体組織に繋がっているらしい。
「見てきたことを、見てきたままに教えてくれ。頼むぞ」
「タダイマ!」
猟矢たちより一足遅れてアッシュヴィトが帰還した。無事に知人に武具を届けることができたらしい。知人よりも詳しい人に預けることになったようで、受け渡しも含めて鑑定には数日かかるとのことだ。
「"魔淫の女王"サマにかかればイッパツダヨ」
どんなものであっても、ちょろまかしたりはしないだろう。預けた彼女は武具というものにそれほど興味がない。武具を武具たらしめるもの、根本にある魔術式そのものを理解している。直接魔術を行使できるのだから武具は必要ない。
「…で、ユグギル、ちょっとオネガイなんだケド」
その鑑定が終わる数日間、自分たちに自由な時間がほしい。最低1日、アッシュヴィト1人だけでもいい。どうしてもやらなければいけないことがある。アッシュヴィトがそう訴える。
「もちろん。こうなったとはいえアブマイリの祭りを見てくる任務も果たしたしの。休暇を与えようと思ったところじゃ」
ドラヴァキア山脈のパンデモニウム砦の強襲、そしてアブマイリの祭りの観察。合間にはエルジュの街の地理を覚えてもらうための配達業務。仕事続きだ。
ここらへんで休みらしい休みを与えようと思っていたところにアッシュヴィトの申し出。拒否する理由がない。アッシュヴィトだけとは言わず、5人全員休みを与えようではないか。
「して、休みをもらって何をすると?」
ユグギルの問いに、一瞬目を閉じたアッシュヴィトはしっかりとユグギルを見つめて答えた。その表情は何かを覚悟したものだった。
「……ボクの故郷…ビルスキールニルへ」
「ようこそ、ラピス諸島の巫女、ヴェイン・ラピス・サイトよ」
闇に浮かぶ"それ"を見た瞬間、全身から血の気が引いた。どくん、どくん。と。震える心臓の音がうるさい。
目の前の存在に恐怖する。思わず一歩足を引いた。その背中を闇の色をした魔女がそっと受け止めた。逃さないと言うように。この闇に絡め取るように。
「…恐ろしいか?」
肩に手を置いた魔女が静かに問うた。無理もない。このおぞましさは筆舌に尽くしがたい。
パンデモニウムの拠点に連れ去り、そのままヴェインを"それ"と対面させた。培養器の中で静かに生を刻む"それ"。世界に存在するいかなる神をも圧倒する"破壊神"となる生体兵器だ。
まだ未完成で、現在は培養器を出ることすらかなわないただの肉塊だ。無数の眼球が無感情に虚空を見つめている。
「"これ"を制御する武具を…魔術式を開発し、武具を作る。それが貴殿の役目だ」
それに必要なものは何でも提供しよう。何を犠牲にしてもだ。そのためなら国一つ滅ぼしてみせよう。
「素直に言うことを聞くと思うの」
きっと気丈に魔女を睨みつける。深淵の闇を体現したかのような魔女は何の感慨もなくその視線を受け止めて答える。
断れば手荒な手段をもって命令をきかせる。ラピス諸島を海に沈めてもいい。世界の誰もの首がヴェインの態度にかかっている。それでも拒否できるのか、と。
「貴殿が正気のうちに協力を得たいところだな」
カーディナルの1人に、精神に干渉し記憶を歪める武具を使える人間がいる。それを用いてヴェインの記憶を歪め、パンデモニウムに忠誠を誓うようにしてもいい。そうなる前にできれば自主的に協力してもらいたい。
「落道の騎士のようになりたくなければ、な」
哀れな男だ。記憶を歪められてしまったビルスキールニルの男を指す。落道の騎士は曲がった認識で主に剣を向ける。本来向けるべき切っ先はこちらだというのに。
そうなるようにヴェインの認知を歪めてもいい。まだ猶予があるからしないだけで、あの培養器で育つ"それ"が完成してもなお協力が得られなければその手段を取る。今は世界を人質にとって脅すだけで十分だ。
「よく考えるように」




