千軍万馬
貿易都市エルジュに戻った猟矢たちは、水売りが塞いでいる路地の奥へ通された。
布を張り屋根にし、路地全体を覆って上空から見えないよう目隠しされた区画からさらに横道へ入った先。いくつか地下通路と地上を通り、複雑に入り組んだ道を行くと、やがて一つの木扉の前にたどり着いた。
「フクザツ…」
道が覚えられるだろうか。ぼやくアッシュヴィトに彼は肩を竦める。もしリーダーが加入を断った場合、放り出すための処置だ。入り組んだ道を歩かせ方向感覚を失わせれば、拠点の位置などわからなくなる。そうすれば第三者によって拠点の位置が曝露されることはない。なのでわざと都市中を回るように遠回りさせたのだ。ちなみに正規の入り口は都市で最も栄える酒場だ。符丁の合言葉を言えば奥に通してもらえる。この情報はもし猟矢たちが正式にバハムクランの一員として認められた場合に教えるつもりだ。
「リーダー、連れてきたぞ」
すでに果実売りの老婆から連絡はしてある。すんなり通してもらえるだろう。ぎぃ、と軋んで扉が開いた。
一部屋しかない狭い部屋だ。奥には階段がある。部屋の中心には大机が据えてあり、壁には都市内の地図が貼り出してあった。
その大机の奥に堂々と座る人物。木の背もたれに身を預け、腕を組んでふんぞり返っているそれがクランリーダーと呼ばれる地位にある人物であるのだが。
「…幼児?」
「誰が幼児じゃ馬鹿者が」
思わず呟いた猟矢に、子供がびしりと言い放つ。猟矢の腰ほどしかない身丈が眉を吊り上げている。
座っている位置からしてこれがバハムクランのリーダーとやらなのだろうが、どう見ても就学前の子供にしか見えない。ひとつのクランを率いるリーダーというからどれほど屈強で厳かな人物かと思えば。
「スルタン族を見たことないのか、この田舎者」
むぅ、と唸る姿はどう見ても子供にしか見えないが、こう見えても成人だ。ついでにいうなら初老に達している。
スルタン族は知識と寿命に優れる亜人だ。身長と頭の回転が反比例するといわれる種族は、小柄であることを最も尊ぶ。大男、総身に知恵がなんとやら、である。武具や薬、あるいはその他の手段によって身体を大きくするのはどうとでもなるが、小さくなることは難しいからだ。
平たくいえば、小さければ小さいほど尊敬される。それがスルタン族だ。
「まぁいい、本題に入ろう」
といってもほとんどの内容は報告されているので今更聞くこともあまりない。名前くらいだ。
志は同じ、戦う者としての力も十分。文句などあろうはずもない。部外者を通すなという掟を破った若造の狩人にけじめとして拳骨をくれてやるくらいだ。
「バルセナ・ベルヴェルグ。こっちは相棒のハーブローク」
キィ、とバルセナの肩に止まった鷹が鳴く。まるでお辞儀のように首を下げた。
「猟矢です」
「サツヤ? 変わった名前をしておるの」
何処の民族の名付けにも当てはまらない。スルタン族を知らないくらいだ。よっぽど辺境に住む民族なのだろう。そう彼は結論づけてアッシュヴィトを見る。
「ボクは"灰色の賢者"、アッシュヴィト・ビルスキールニル・リーズベルト」
「ビル…っ!?」
その名を聞いた瞬間、彼の顔色が変わった。同様に周囲もざわめき出す。
"灰色の賢者"の名は知っているが、その名は今まで知らなかった。特にその姓、出身に関しては。
「まさか…"不滅の島"の…」
ざわざわと周囲が動揺にざわめき始めた。バルセナも目を瞠って固まっている。
「ヴィト、なんで騒いでるんだ?」
小声で猟矢が問う。名前を聞いたくらいでこんなに騒ぎ立てるなどよっぽどのことなのだろうが、その重要度が猟矢にはわからない。
「チョットダケ、トクベツなトコロの出身ナノ」
その島は、伝説だとか伝承だとかにしか存在しないと言われている。それほど隔絶された東方の絶島。
そこに住まう者たちは魔法というものを非常に敬愛する。魔法、その大元となる魔術、それを銀に封じ込めた武具を。それから呼び出される神々を。神々が振るう力を。
伝説では、魔術を扱いやすいように銀に封じ込めて武具となしたのもその島の民が始まりと言われている。それほど魔に優れた部族だ。
「だとすれば報告にあった魔力も納得できるな…」
おそらく騙りの類ではないだろう。安易な気持ちで騙っていい出身ではない。報告にあった強大な魔力を含めて考えれば本物に違いない。
あの"不滅の島"の民というのならば断る理由もない。むしろこちらから頭を下げて頼みたいくらいだ。
「わかった。歓迎しよう。バハムクランにようこそ!」




