千軍万馬の端
「水売りは何処にいるかしら?」
「おぉ、おぉ。水売りか。それなら赤茶の屋根の野菜売りの側よ。緑の布屋根が目印ぞな」
つい、と老婆が皺だらけの手で横道を指す。この先に野菜を売る店があり、水売りの息子がいると言う。緑の布を張って屋根にした露店が目印だと案内する老婆に微笑んだバルセナは手を振った。
「あぁそうだ、ついでに果実をもらえる?」
「あいあい。ひとつおまけしてやろうぞ」
「ありがとう」
果実を受け取ったバルセナはそのまま老婆の指す方向へ歩き出した。
「…イマのは?」
「符丁よ」
平たく言えば合言葉だ。そう答えたバルセナはアッシュヴィトと、ついでに猟矢に果実を渡す。生食で食べられるものなのでそのまま丸かじりしてしまえばいいと説明をつけながら。
砂浜に自生するアズラという低木がある。この木がつける実はとても甘くて美味しいのだ。生食でも干してもジュースにしてもジャムにしても美味しい果実は貿易都市エルジュの名産品でもある。それを売る果実売りがエルジュのいたるところにいる。その果実売りたちは貿易に来た船乗りや旅の冒険者たちに案内をするガイドの役も兼ねる。
「…同時に」
バハムクランの団員でもある。果実売りやガイドに扮して街中を監視しているのだ。エルジュに住む者の暗黙の了解でもある。
表向きはただの売り子や案内人だが、とある合言葉を口にすることでバハムクランの拠点に案内してくれる。その符丁が水売りの単語というわけだ。
「どうしてそんなコト知ってるノ?」
「彼らを助けたことがあって、そのお礼」
その成り行きは偶然のものだったが、パンデモニウムに襲われているバハムクランの者たちをバルセナが助けたことがある。その礼にと教えてもらったのだ。もしエルジュに来ることがあれば、水売りを訪ねてほしい、と。
その時はまだバハムクランがパンデモニウムに対抗する組織の末端と知らなかったので、困った時に利用してやろうくらいに思っていた。それがこう役に立つとは。
「お、かわいいお姉ちゃんたち! いらっしゃい!」
老婆の指した路地を抜けると、正面に赤茶の屋根の店があった。野菜売りの男性が人懐っこい笑顔で売り文句を述べる。
その軒先から緑の布を張った屋根の下、大きな樽を幾つも並べて路地を塞ぐ青年の方にバルセナは歩き出した。
「お、水か?」
「えぇ。喉が渇いたの。…水売りがここにいると果実売りに聞いたから」
水売り。符丁を舌に載せた途端、水売りの青年の表情が変わった。心なしか隣の野菜売りの男性の顔つきも変化したように見える。
検めるようにバルセナを見やった水売りの青年は、じろりと彼女の背後にいるアッシュヴィトと猟矢を見る。
「…鷹を連れたベルベニ族ってのは聞いてるが…後ろの2人は聞いてないな」
鷹を連れたベルベニ族の女に助けられた恩があるので通せという連絡は受けている。だがそれ以外の同行者については聞いていない。部外者を入れるわけにはいかない。
「ボクが"灰色の賢者"っていってもダメ?」
"灰色の賢者"。聞いたことはあるだろう。行く先々でパンデモニウムと交戦しているという旅の女のことを。パンデモニウムに対抗する組織であるならなおさら。
志は同じなのだ。通してもらいたい。進み出るアッシュヴィトに水売りの青年は首を振る。
「お前さんが本物っていう保証がないんでな」
果実売りと水売りのことについて知ってしまったのなら放っておくわけにも行かないが。だからといって、はいそうですか、と通すわけにもいかない。
「まぁいいじゃねーか」
渋る水売りの青年に突如として割り込む声。振り向けば、茶髪の青年がいた。年は水売りよりも低く、猟矢よりも高い。すっぽりと頭を覆うフードが外れないよう、額に押し上げたゴーグルで止めている。小さなポケットがいくつもついたジャケットを羽織るその出で立ちはまるで猟師かなにかのようだ。
「仮に本物だとしたら同志だ。同志にその態度はねーだろーよ」
本物であればの話だが。ここで本物だ偽物だと議論しても埒が明かない。手っ取り早く証明する方法がある。
「おめーら、ちょっとついてこい」
猟師の青年が手招きする。フードの中に隠れた耳のピアスが一瞬きらめいた。
「このメンバーを、ギダル村へ」




