貿易都市エルジュ
「オハヨー。…ってサツヤ、スゴイ顔。寝てナイノ?」
「まぁ……ちょっとな…」
あの後、弓に変化した"歩み始める者"をどう元の形状に戻すのか四苦八苦していたらだいぶ時間が経ってしまった。
猟矢の想像力から作り上げられた弓は金細工が美しい銀色の弓だった。矢筒はない。だが、魔力を矢に変換して打ち出すのだと猟矢は知っている。弓を具現化した時、そんな情報がふと頭に浮かんだのだ。まるで紙にペンを走らせるように知識が書き込まれた。
成程、はっきりと説明しがたいがこれが武具というものか。よくよく注意してみれば、自分の周りに薄いベールがかぶせられている気がする。人肌よりもほんの少しだけ温かい薄い布が身体を覆っている気がする。これが魔力というものなのだろうか。それならば自分は魔力をしっかり持っていたということだ。そしてそれでもって武具を発現した。
これは面白い、と夢中になり、そのまま"歩み始める者"の能力を考えていたら夜明けだった。想像に熱中するあまり寝るという行為を忘れていた。それでも朝の鍛錬は怠らない。
「倒れないでよ」
じろりとバルセナが猟矢を見る。心配というより忠告だ。役に立ちそうもない凡庸のくせに、ここで倒れてさらなる足手まといになるなと言いたいのだろう。
随伴している鷹はそんなバルセナを宥めるように頬に擦り寄っている。もし言葉を話すことができるのなら、落ち着け、と言い出しそうだ。
「ハイハイ、バルセナ。そんなキビしくしナイデ?」
あまりつらく当たるような真似はやめてほしい。仮にもこれからしばし行動を共にするというのに。仲裁するアッシュヴィトはそっと声を潜めてバルセナに囁く。
「キミも昨晩感じたデショ。サツヤの魔力」
「……あれはあなたじゃないの?」
昨晩、鼓動に似た強い衝動を感じた。壁一枚程度の距離だ。だからあれはアッシュヴィトが何かしたのかと思っていたのだが。まさか、あの凡庸極まりない少年からのものだというのか。
信じられないとバルセナは驚きに満ちた表情をする。凡庸な少年が発するにはあまりにも強い魔力だった。長年戦いに身を置いているバルセナを凌ぐかもしれないほどの。
「…どうやら、凡庸と決めつけるには早いみたいダヨ?」
悪戯っぽくアッシュヴィトが笑う。どうやら近いうちに評価を改める必要がありそうだ。
召喚した者の責任として、猟矢が元の世界に帰るまで守ると言ってみせたが、その必要もないかもしれない。"ソール・オリエンス"は意外と良いものを喚び出してくれたようだ。
もしかしたら、この世界の救世主になりえるかもしれない。そんな淡い希望さえした。
「何を話してるんだ?」
「んーん、チョットネ!」
ナイショ、とごまかしたアッシュヴィトはそっとピアスに触れる。"ラド"を起動する。
「このメンバーを…貿易都市エルジュへ!」
やっぱり慣れない。足元の消失感も何回か回数をこなせば慣れるのだろうか。展開した転移魔法の閃光に閉じてしまった目を開ける。
まず目に入ったのは青い海だった。黒塗りの木材で桟橋が組まれた港。そこに停泊する船は色とりどりの帆を張っている。民家などの建物は総じて白い壁と茶色の瓦屋根だ。日光を反射する白い壁には青い塗料で様々な模様が書かれている。装飾だろうか。
「サテ…エルジュに着いたワケダケド」
どうやってバハムクランに接触するのか。どうするの、と問うアッシュヴィトの質問にバルセナが頷く。
「ハーブロークに任せるわ」
これが渡りをつけてくれる。肩に止まった鷹を撫でた。くるる、と喉を鳴らした鷹はバルセナの肩を蹴って飛び立った。
ここは港町だ。空を飛ぶのは海鳥だけ。そこに鷹が飛んでいれば目立つ。それがつまり、バハムクランへの合図になる。バルセナがエルジュに到着したぞ、と暗に告げるものだ。
時間にして5分くらいだろうか。しばらく大空を旋回した鷹は真っ直ぐバルセナの元に戻ってくる。よしよし、とバルセナがその頭を撫でて労った。
これで合図は送ったことになる。あとはあちらがこちらを見つけるだけ。少し待っていれば来るだろう。それまでこのあたりで待っていればいい。
「…もし、お兄さんがた」
不意に老婆が猟矢に声をかけた。腰が曲がっているせいで猟矢の身長よりずっと低い。その手には赤い果実が盛られた籠が提げられていた。
「アズラの実はいらんかえ? 瑞々しくて甘いぞな。ふたつで1ルーギでどうじゃい?」
「え、あの…」
果実売りか。人当たりの良い笑みを浮かべて果実を差し出す老婆に対応しかね、困り果てる猟矢にバルセナが割り込む。
「ごめんなさい。私たち喉が乾いてるの。…水売りは何処にいる?」




