夜が明けた
朝。夜明けとともに猟矢は目を覚ました。
寝癖を手櫛で整えてそのままそっと部屋を出た。朝の冷気に冷える廊下をそっと進んでいく。アッシュヴィトが泊まっている客室を通過して階段を降りる。さすがにまだ寝ているのか、カウンターで店番をしているはずの宿屋の女将の姿も見えない。
辺境の田舎だからか、個室の客室はともかく宿屋の玄関に鍵などない。鍵がかかっていない木の扉をそっと開ける。外ヘとまろび出るが誰もいない。
柵に囲まれた牧草地では家畜が数匹固まって丸まって寝ていた。頭頂から尻尾のあたりまで、背中をなぞるように2本の長い角が伸びていることを除けば山羊のような見た目をしている。しかし山羊とは違う。薄茶色のふわふわとした毛が胴を覆っているさまは羊に似ているが羊でもない。脚は鶏のそれが4本。鶏とは違って太くたくましい。
角が長い羊の前脚と後ろ脚をもぎ取って鶏の脚をつけたようなこれがノンナなのだろう。猟矢が近付いても、気配に気付いて目を開けただけで取り立てて騒ぎ出したりもしない。撫でるならばどうぞと言わんばかりに鶏の脚をした前脚におとがいを乗せた姿勢で丸まっているだけである。
勝手に触るのはためらわれたので、そこからそっと離れる。またね、と言いたげにノンナが鳴いた。鳴き声は山羊のようだった。
牧草地の柵から少し離れた先にある開けた場所まで歩き出る。適当に短く切った丸太が積んであった。真ん中には作業台代わりの切り株がある。薪割り場だ。
この場所を借りることにしよう。決めた猟矢はぐっと背筋を伸ばす。汗をかかない程度に柔軟運動をして体をほぐしたあと、ふぅ、と一息吐く。
足は肩幅に程度に開く。その開いた足の上に胴体を置くように重心を保つ。腹のあたりで緩く握った両手を頭の上まで持ち上げ、下ろす動作で左手を前に伸ばす。肩の高さでまっすぐ。右手は同じ高さで後ろへ肘を引く。引く際には肩の力で。腕の力ではなく肩の力で標準を合わせてから、右手を離す。
弓を射る動作だ。見えない1射目が終われば2射目へ。これを5射まで続ける。ただ習慣だからやっているだけの日課。これをしないとなんだか落ち着かないのだ。
「オハヨウ。早いネ?」
ちょうど5射目を終えたところで背後からアッシュヴィトが声をかけてきた。おはよう、と返す。
「ナニしてたノ?」
「弓術の練習」
家が弓術の道場なのだということを話す。弓道ではない。弓術だ。武道ではなく祈祷や神事を重視するそれは、身長よりも長い大弓を引く。スポーツではなく古武術だとか伝統だとかの部類に入る。
そんな説明をしながら話を続ける。弓術の師範の息子なのだが、才能はからっきしだということ。他に才能がある輩など道場にたくさんいるということ。その筆頭が弓束という幼馴染であること。
才能がある輩に引き継がせればいいものを、師範の息子だということで道場を継げと言われていること。凡才の手には余ると思っていること。継ぎたくはないが、だからといって他にやりたいことがあるわけでもなく日々を持て余していたこと。
そうしていたらアッシュヴィトによって異世界に呼ばれたこと。驚きはしたが開き直って異世界での暮らしを楽しむことにしたということ。
「ついでに小説のネタになればいいかなって」
「小説?」
「趣味で書いてるんだ」
今まで完結したことはないのだけれど。ここで見聞きしたことを題材にして何かひとつくらいは書き起こせると思う。そう猟矢が言うと、アッシュヴィトは目を輝かせた。
「イイネェ。カンセイしたら読ませてネ」
完成したら読ませてね。私、あんたが物書き始めてからひとつも読んだことないんだから。
そう言っていた幼馴染の声を不意に思い出した。
朝食を終え、宿を出る。また来てね、と宿屋の看板娘が手を振った。
「よーし、じゃ、ゴルグに行くヨ!」
ラド、とアッシュヴィトが片方しかないピアスに手を添える。
「ボクとサツヤ…このメンバーを機工都市ゴルグへ!」




