第42話 寄り道は注意深く その1
放課後、なんとなく気が向いたので中心街へ行くことにした。
母さんが残業でなければ、迎えに行くのもいいなと思う。母さんにラインをすると、すぐに返信が来た。一秒たりとも残業なんかしないから、中心街の安全な場所にいてね!とのことだった。
変なナンパ女には気をつけてね!という文も添えられている。
安全な場所・・・。本屋かな?大きいしすぐ隣にはカフェもある。そこで探し物をしながら母さんを待とう。
本屋に着くと、早速漫画コーナーを物色してみることにした。表紙買いするのもいいな、と思ったのだ。色々と見ていると、書き込みが丁寧で二頭身のキャラが可愛い漫画を見つけた。
他に良さそうなのがなければこれにしよう、と目をつけておいた。漫画の棚を次々に物色していくと、ふと背後に気配を感じた。
振り向いてみると、他のお客さんたちがいて漫画の物色をしていた。どうやらずっと後ろにいたようだ。なんだか自分の趣味嗜好を見られたようで気恥ずかしくなってしまった。漫画を買ってカフェでゆっくりしよう、とレジへと漫画を持っていく。
会計を済ませ本屋を後にしようと振り向くと、レジには軽い行列ができていた。並んでいる人は全員同じ漫画を持っている。人気の漫画ってわけではなさそうなのに・・・。
カフェに入るとコーヒーを注文して受け取り、カウンター席に座る。ここで漫画を読みながら母さんを待とう。
コーヒーを飲みながら漫画のビニールを開くと、周囲で一斉にビニールが破られる音がした。カウンター席に座っていたから気づかなかったけど、さっき本屋で漫画を買っていた人たちがカウンター席の後ろ側の席に陣取っている。
僕と目があった大学生ぐらいの女性はそのまま目を逸らさずに、ニヤリと笑った。少し怖い。
母さんに「カフェに入ったんだけど、まわりを囲まれてて少し怖い」とラインで報告しておいた。すぐに母さんから「すぐにカフェを出て、母さんの会社に来て!会社なら安全だから!」という返信が来た。
指示に従ってカフェを出ると、カフェの中にいた客たちは一様に残念そうな顔をしながら僕を見送っている。さすがにすぐに追いかけるのはまずいと思ってくれたみたいだ。
そのままビジネス街に入り、念のため振り返ると誰もいない。少しだけホッとして母さんが働いている会社を探した。
道行く女性たちはさすがに大人の慎み、という感じで僕をジロジロと見たりしない。チラリ、という視線はたまにあるけど。
ようやく母さんの働いている会社のビルを発見した。母さんにラインで到着した旨を伝えると、受付に言えば通してくれるとのこと。受付のお姉さんに名前を言うと、しばしポカンと見つめられる。
「あの・・・」と言うと、ようやくお姉さんは我に返ったように「あっ、ああ!あの、立木さんのご子息様ですね!話は聞いておりますです!」と立ち上がった。
背が高い・・・!小山さんよりもずっと・・・。
はるかに見下ろされている気分だった。そして、お姉さんは「申し遅れました!わたくし、キヌガサ製薬で受付をさせていただいております、大村と申しますっ!」と直立不動の大声で自己紹介を始めた。
僕は「ご丁寧にありがとうございます。立木勇気です。母がいつもお世話になっております」と大村さんににっこり笑って言うと、大村さんは驚いたような表情になって、「ああ、その、あ、はい・・・」と、今度は顔を真っ赤にしてしまった。
きっと真面目な人なんだろうと思って、大村さんの次の言葉を待つ。赤面したままの大村さんは軽いパニック状態にあるようだった。
「ああ、あの、立木さんは、その、五階の営業部におられます、です!業務終了後、定時にこちらに来るとのことでしたので、どうぞ、そちらの待ち合い場所をお使いください!」と、エントランスにあるソファのようなテーブル付きのベンチを手で示す。直後、「あの、個室の方がよろしかったでしょうか?」と、少し心配そうに言う。
僕が「いえいえ、お気遣いありがとうございます」と言うと、大村さんはホッとしたようだ。
ソファーベンチに腰掛け、母さんにラインでエントランスにいると報告しておいた。母さんが来るまで何をしようか、と思案していると「失礼しますっ!」という声とともに大村さんが目の前のテーブルにティーカップとソーサーを置く。
そして「現在、私が所有している飲み物は一番いいもので紅茶です!ダージリンとニルギリがあります!コーヒーがお好みであれば、申し訳ないのですが簡易ドリップ方式のブルーマウンテンになります!紅茶でよろしければ、最高の一杯を入れてさしあげられるかと思います!」と背筋を伸ばしたまま言い、ダージリンとニルギリ、どちらがいいか?ストレートならダージリン、ミルクティならニルギリ、と言われた。
僕は「えっ!?いやあの、大村さんの個人的な所有物なんですか!?そもそも、待たせてもらっているんですし、飲み物は大丈夫ですよ!」と慌てて言うと、大村さんが分かりやすく落ち込んだ表情をしてしまった。
「そう、ですよね。いきなり面識のない女の入れたお茶はダメですよね・・・すみません。男性の方にお茶をお出しするのが夢だったもので・・・」と項垂れてしまう。
「いえ、嫌とかじゃなくて、大村さんが個人的に持っているものを頂くわけにはいかないというか」と言うと、大村さんは「嫌でなければ、紅茶を飲んでいただきたいです。なんの取り柄もない私が唯一誇れるものが紅茶なのです・・・」と懇願するように言う。
そこまで言われてしまうと、もう飲むしかない。僕が「ほんとうに、ありがとうございます。それでは、紅茶を入れて頂けますか?」と言うと、大村さんはパァっと表情を明るくして「かしこまりました!あっ!ダージリンとニルギリ、どちらにしましょうか?」とニコニコと笑いながら聞いてきた。
ニルギリ、というのは聞いたことがないので興味はあったけど、ストレートならダージリンがいいと言う。僕は紅茶はストレートの方が好きだし、ダージリンをお願いした。
大村さんは「すぐにお持ちいたします!」と受付の後ろの方に消えていった。
待つこと三分、大村さんがティーポットを持ってやってきた。「お待たせいたしました!わたくし、慌ててしまいましてカップを温めるのを忘れてしまいました。新しいのをお持ちしましたのでこちらで」と、新しいティーカップを僕の前に置くとティーポットから紅茶をゆっくりと注いだ。カップの持ち手を触ってみると、確かに温かい。
紅茶のいい香りが漂う。僕が「ありがとうございます。美味しそうですね」と笑顔で言うと、大村さんはまた顔を真っ赤にしてしまう。そして、僕が紅茶を飲むのを待っているようだ。若干緊張しながら紅茶に口をつける。本当に美味しい。ペットボトルの紅茶は名前だけ紅茶なだけなんだな、と思った。
それを伝えると大村さんはこれ以上ないぐらいのいい笑顔で「お気に召していただけたら幸いです!」と言ってくれた。
そしてようやく、受付に誰もいない状態がしばらく続いたことに気がついたようで「お代わりはすぐにお持ちしますので、ご用命ください!」と言い残して受付に戻っていった。
しばらく紅茶を楽しんでいると、「あれっ!?勇気くん?」という声が聞こえた。そちらに顔を向けると、美香さんがいた。驚いた顔をしている。
僕がここに来た顛末を話すと、美香さんは本当に心配そうに「勇気くんみたいな可愛い子が半分繁華街みたいなとこに行っちゃダメだよ!すぐに狙われちゃう!そうだ、今日は私が家まで送るよ!うん、名案名案!ということで、さあいこう!今すぐ行こ・・・」と言ったところで背後から母さんのチョップが美香さんの後頭部に入った。
美香さんは「んがっ!」と呻き声を上げて後頭部を押さえる。
母さんは「手加減してやった。次は本気だ」と言いながら二発目のチョップの体勢に入った。美香さんは慌てて「冗談だよっ!ホンの茶目っ気だったんだよぉ」と頭を防御しながら言った。
母さんは「まったく、油断も隙もあったもんじゃない」と、僕を美香さんから遠ざけるように自分の背後に隠す。美香さんは「勇気くん、また遊びに行っていい〜?」と右に左に、僕を見ようと母さんの周りを軽やかにステップしている。
母さんは巧みに僕を隠しながら「まずは家主に聞けよ!おいっ!」と美香さんを威嚇する。どちらもじゃれているように見えるので、二人とも本当に仲がいいんだなと思う。
そこで、母さんがテーブルの上にあるティーカップに気がついたようだ。「勇気くん、お茶もらったの?」と聞いてきた。受付の大村さんに入れてもらったことを言うと、母さんは受付に向かって「大村さーん、ありがとうね!」と手を振った。大村さんは立ち上がって深々と頭を下げる。
僕が「紅茶のお礼言ってくるよ」と言うと、母さんは「ええ!?勇気くんが直接!?それはちょっと・・・」難色を示した。なんで?と聞くと、あの受付の子は一本気なところがあるから、勇気くんに夢中になっちゃうかも・・・、と言う。
僕が「母さんが働いてる会社だし、私物のお茶まで貰ったんだからキチンとお礼したいんだけど」と言うと、不承不承ながら頷いてくれた。
受付に行き、大村さんに「今日はありがとうございました。紅茶、とても美味しかったです。お気遣い、本当に嬉しかったです」と笑顔でお礼を言うと、大村さんは今日一番の赤面をしながら、「こっ、こちらこそ!夢が叶いました!ありがとうございました!」と大きな体を折り曲げて頭を下げた。
大村さんに別れを告げて、母さんのところへ戻る。母さんは「何か変なこと言われなかった?大丈夫?」と心配そうに言うので、何もないよと笑って「大村さん、とってもいい人だね!」と言うと母さんは微妙な表情で笑った。そして、「勇気くん、もう少し警戒心を持った方がいいと思うな」と割と真剣に言う。
美香さんと大村さんに見送られながら僕と母さんは会社を後にした。




