第22話 憂鬱じゃない月曜日 奈緒
深山奈緒は、ウキウキした気分で身支度をしていた。
いつもの月曜日なら、登校することに少しの気怠さを感じながら支度をしていたところだ。しかし、今日は違う。学校に行くのが楽しみだ。
理由は、隣のクラスの立木勇気くん。今までも、彼の姿を見かけると胸が高鳴ったものだ。しかし前までの彼は女子生徒に対してかなり冷たい態度を取っていたため、挨拶すらできなかった。
だけど、最近の彼はとても柔和になったように見える。クラスメイトの橘、美穂子の両名が挨拶を返してもらえるという僥倖にあったので、私も便乗してみようというわけだ。
美穂子が挨拶をしているところは隠れて見ていた。その時の立木くんはとても優しく相手をしていたので、挨拶しても邪険にはされないだろう。それに、自慢ではないけど私は見た目には少々自信がある。もしかしたら仲良くなれるかも・・・。もしかしたら、付き合えるかも・・・。などと考えるだけでドキドキしてくる。何事も高望みは禁物だけれど、夢は見たっていいはずだ。
軽やかな足取りで学校へ向かう。早い時間ということもあり、登校している生徒はまばらだ。
立木くんはこの時間はまだ登校して来ないはず。
学校の玄関口で待っているのが最善の方法だ。
玄関口に併設されているベンチに腰を下ろし、登校してくる生徒をさりげなく観察する。立木くんが登校してきたら、いかにも下足棚で顔を合わせた、という風に挨拶をしよう。ここで待ち伏せしていたなどと思われると引かれるだろう。
イメージトレーニングをしていると、数人の生徒の不審げな視線を受けた。いけないいけない、眉間に皺でも寄っていたかもしれない。
再び登校してくる生徒たちに集中する。どんどん人数が増えてくるし、立木くんは小柄だから見失わないようにしなければ。まあ、立木くんが来ればすぐに分かる。遠くからでも分かるぐらいにみんなの視線が一点に集まるからだ。
待つこと10分、ついにその瞬間が訪れた。
立木くんが登校してきたのだ。立木くんの周りにいる生徒たちは、チラチラと立木くんを見たり、無遠慮に眺めたりしている。そこかしこから、「朝からラッキー」「同じ学校で良かった」「あんた声かけてみなよ」「いや無理、恥ずかしい」などと声が聞こえてくる。
全員見とけよー!これから私が挨拶するんだからね!
私は立木くんが下足棚の前で、日課のラブレター処理をするのを見届けると、今登校してきましたよ!という風に彼の隣に移動した。
そして、「おはよう、立木くん」と、にこやかに挨拶をした。
無視されませんように!美穂子と橘には挨拶してくれたんだし、私も大丈夫だよね!?ねっ?と、内心冷や汗をかきながら返事を待つ。
立木くんはすぐに挨拶に気がつくと、私を見上げて「おはよう」と笑顔を見せてくれた。
可愛い・・・天使の如し。立木くんの顔を正面から見るのは初めてだ。睫毛が長いし、目もぱっちり。薄桃色の唇は、いったいどんな味がするのだろう。
私としたことが、彼の顔を凝視してしまったらしい。
少し戸惑ったように、「あの、大丈夫?」と立木くんが聞いてきた。
いかんいかん、変なやつだと思われてしまう。私は、「いや、なんでもないですよ?」と笑顔を崩さずに切り返す。
そして、「私は深山奈緒、C組です。よろしくね!」と、やや無理矢理自己紹介した。
立木くんは特に引いた様子もなく、「深山さん、うん、よろしくね!」と笑顔で答えてくれた。
私は、多幸感で顔を紅潮させながら、「それじゃ、また」と言うと、フワフワした足取りで教室に向かった。教室に着くと、様子を覗き見していたらしいクラスメイトに、「奈緒でもあんなに挙動不審になるのね」などと少しからかわれた。
私は、「あの笑顔はヤバいよ。脳味噌溶けたかと思ったわ」と、ニヤけ面で答える。頬が緩みっぱなしだ。
帰り際にも、チャンスがあったら挨拶してみよう。もしかしたら、一緒に帰れるかもしれない。などと考えていると、美穂子に声をかけられる。
「奈緒、立木くんと挨拶したの?」美穂子の表情には、期待が滲んでいる。私がうまく立木くんと話ができるようになれば、さりげなく自分も会話に参加できるかも、と思っているのだろう。私としても味方は一人でも多い方が、「今は」いい。この先、恋愛関係という話になればライバルになるだろう。でも、今は立木くんと少しでも仲良くなる方が先決だ。
美穂子は奥手なので、今のところはさほど警戒しなくても大丈夫だろう。
私は、美穂子に「挨拶したよ!優しかった」と答える。ついでに、「いい匂いもした」と報告しておく。美穂子は、「私は匂いまでは・・・」と少し悔しそうにしている。変態じみた会話だけど、立木くん相手なのだ、仕方がない。
美穂子に、「今日の放課後、立木くんに二人で挨拶してみる?」と持ちかける。さらに、「挨拶ついでに、何か会話してみようよ」と言う。
美穂子は、慌てた様子で「いやいや、無理だよ!私、何話していいか分かんないよ!」と首を振っている。
「大丈夫だって。私が頑張って話題を振るから、美穂子もそれに乗ってくれればいいから」と誘導する。美穂子だって、立木くんと会話してみたいはずだ。二人なら、私もそんなに緊張せずに会話へと持っていけそうな気がする。
立木くんとおしゃべりする。甘美な響きに、陶然となる。
その日の授業はほとんど集中できなかった。授業時間の大半を、どうやって立木くんに挨拶から会話へと自然に持っていくかの策を考えていたからだ。
今朝の立木くんの所作を見ていると、やや無理矢理会話に持っていっても付き合ってくれる気はするけど、やはり自分には好印象を持ってもらいたい。
ここはひとつ、何かいい案を考えて株を上げておきたい。
そして放課後。あまりいい作戦は思いつかなかった。ここはとりあえず話しかけてみて、あとは出たとこ勝負ってやつだ。
立木くんは最近、放課後になると職員室に行くことが多いようだ。何か頼まれごとがあるのだろうか。
美穂子に、部活の時間は大丈夫かと聞くと、遅れると伝えてある、という。部活より優先したい気持ちはすごく分かる。
待つこと20分、ついに立木くんが玄関に現れた。
私と美穂子はお互いを見て頷くと、立木くんに近づいていく。
あとは声をかけるだけだ。セリフは全く考えつかなかった。自分の女子力を信じよう。
「あの、立木くん!」少し大声になってしまった。
立木くんはびくりと身体を震わせると、こちらに振り向いた。私と美穂子だとすぐに分かってくれたようで、にこりと笑みを浮かべ、「深山さんに、小山さん。どうかした?」と言う。
私は、自分の名前を覚えてくれていたことに舞い上がってしまった。美穂子も同様で、顔を真っ赤にさせて硬直してしまっていた。
無言の時間が続く。このままではマズイのだが、言葉が出てこない。美穂子の助力も見込めない。何かないか、何かないか・・・と必死に脳をフル回転させる。
すると、立木くんの方から会話を振ってくれた。
「二人とも、今から帰りなの?」
その一言で、私の硬直がなんとか解ける。
「わ、私は、帰りなの。美穂子は部活。」不恰好だが、なんとか会話になった。
立木くんは、「小山さん、部活やってるんだね。何部なの?」と聞いてきた。
美穂子はというと、真っ赤な顔で口をパクパクさせるだけで言葉を出せない。
私が、「美穂子はバスケ部だよ!ねっ、美穂子?」とフォローする。美穂子は、首をガクガクと縦に動かして、そうだ、という回答を表現している。
立木くんは、「へえ、バスケ部なんだ。ポジションはどこなの?」と、さらに突っ込んだ質問をしてくる。
美穂子は、ここでようやく言葉を発することができるようになった。
「ポイントガード・・・です」
立木くんは、「ぽいんとがーど?」と呟き、美穂子に「ごめん、詳しく分からなくて。どんなことするポジションなのか教えてくれると嬉しいな」と、すまなそうに、でも笑顔で話す。
美穂子は、「うぇ?あの、ポイントガードというのは、その、主にボール運びと、試合の状況を見てパス、とか、する役割です」と、辞書のような答えを返した。
そんな答えでは愛想がないと思われるぞと危惧した私は、「司令塔って言われるんだよね!試合の勝敗に大きく影響するんだよ!」とフォローを入れる。
美穂子は、私のフォローに感謝の眼差しを向けてくる。愛想がない返答だという自覚はあったようだ。
立木くんは、「すごい!カッコいいね!」と言ってくれる。美穂子はもはや顔から蒸気が出ているのでは?というほど真っ赤になっている。
今回は美穂子がいい思いをしているな、と思うけど、私も立木くんとの会話でとても幸福感を得られたのでまあ良しとしよう。今度は私が一人で話しかけてみようかな。
立木くんとの短い会話が終わり、別れる。美穂子は、まだ顔が真っ赤なままだ。
私は、「部活、怪我しないようにね」と声をかけてから帰路についた。




