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短編集

夜の騎士

 満月が輝く夜。

 とある国では戦勝の式典が催され、真夜中であるというのにまだまだパレードのラッパは鳴りやまず、城の城下町は活気に満ち溢れていた。その中でも注目を集めているのは、人通りの多い道をかき分けて四つん這いで歩く敵国の第一王女であった。服を着用することすら許されず、己の裸体を民衆に晒して男達から喝采を浴び、女達から侮蔑の視線を送られる。わがままで好き勝手に振る舞った彼女は戦時中、そもそもの原因が自分である戦争の不利を悟ると近隣国に亡命をしたのだった。しかし亡国の近隣国へ根回しをしていたために亡命先で捕縛され、現在に至る。この後第一王女は男達の欲望の吐け口となり、人としての存在を許されないだろう。

 第二王女もまた、式典の壇上近くでその姿を眺めていた。彼女は第一王女と違って衣類の着用を許可されているが、それは町の裏路地で春を売る売女の服に他ならない。彼女は捕えられた後、国王に必死の命乞いをした。足を舐め、許しを請い、国王に己の純潔すらも捧げたという。そのかいあってか、国王のお気に入りとして生き長らえる事を許された。国王が飽きる、その瞬間まで。

 そしてまた、式典の来賓席で座る第二王子がいやらしい笑みを浮かべてその二人の姿を見比べていた。一族の裏切り者である彼は敵国と内通し、城内への侵入を手助けした。それにより国を統べる第一王子は討ち取られ、敗北を悟った第三王子は自害に至った。

 国は熱気に包まれ、しかしそれは前夜祭に他ならない。なぜなら明日、第三王女が処刑されるというのだ。

 それこそが今回の式典のメインイベントである。



 満月が煌めく夜。

 唯一、王族としての待遇を得られている亡国の姫は無気力なまま空を見上げていた。彼女は何年も前に故人となった前国王と、その王妃の実の娘では無い。そのために兄姉から蔑まれ、ずっと城の中へ監禁されていた。王族であったが為に外出すら禁じられていた彼女は、突然押し入って来た兵隊に拘束された時は、この城から出られると信じて疑わなかった。

「……私は何の為に生まれてきたのでしょうか」

 ソファーの上で膝を抱え、小さく呟いた。彼女の淡い期待は裏切られ、突き付けられたのは残酷な現実である。大国であった姫として生まれながらも狭い独房のような場所で何年も何年も過ごした彼女は、国が無くなっても肩書に縛られ、こうやって敵国であった城で軟禁状態にある。そのせいか同年代の娘に比べて触れれば折れてしまいそうな程に華奢で、満足に太陽の光を浴びれていなかった為かその肌は病的に白かった。

 敗戦し、捕えられた彼女には二つの選択肢があった。第一王女や第二王女のように醜くも卑しくも生き長らえるか、第一王子や第三王子のように死を選ぶか。国王にとって、彼女が後者を選んだのは意外であっただろう。しかし、彼女にとっては当然の選択であった。

 彼女には生きている理由も意味も無かった。長年、牢屋のような狭く暗い部屋で彼女はずっとそんな事を考えていた。結局答えは見つからず、死ぬ事となった。自分自身がこの世から消える事すら何とも思わず、処刑を受け入れ、それは公の場に知らされることになった。

 コンコン、と扉が控えめにノックされる。無機質な声で「はい」と返すと「失礼します」と一人の騎士が入って来た。その騎士の姿に彼女は僅かばかりに目を細めた。城内だと言うのに重苦しい銀色の鎧に身を包み、甲冑をも装着し、帯剣すらしていた。

「姫様をお連れしたい場所があります。来て頂けますか?」

 彼女はまた、眉を潜める。やや焦りを帯びた口調に、ではなくて連れていかれる場所である。彼女は明日の昼に断頭台での処刑が決まっている。この後に及んで、どこへ連れていかれるのだろうか。

「きっと、私に拒否権は無いのでしょうね」

 彼女は自傷気味に呟いて、高級なソファーから立ち上がった。騎士は否定も肯定もせず、騎士の下へと歩いていく姫を待った。

「外は冷えます。どうぞ、これで暖をお取り下さい」

 手渡された毛布に、また彼女は眉を潜める事になった。顔も見えぬ騎士が手渡してきた毛布は、貧民が使っていそうな薄く汚れた麻布であったからだ。懐疑的な視線を送るも、甲冑のせいで騎士の真意は測れない。

「さ、早く。道は私が案内致します」

 今度は明らかに焦りを孕んだ声で催促してくる。彼女は頷いて気配を潜める事に努めて騎士の背中を追った。銀色の重そうな鎧で器用に物音を立てず城の廊下を進んでいく。その道中、彼女は『夜の騎士』という物語を思い出した。城の中ですら自由に歩く事が出来なかった彼女の心の拠り所は、常に本の中にあった。悪竜を倒す英雄や試練に立ち向かう勇者の話にはどれも心が躍ったが、その中でも最もお気に入りであったのが『夜の騎士』であった。

「もう、大丈夫ですよ」

 立ち止まった騎士は後ろを歩く彼女にそうやって声をかけた。大きな鎧のせいで見えない前方を見ようと体を横へずらした時、思わず感嘆の言葉が漏れた。

「外、ですか?」

「えぇ」

 小さく答えた騎士は少し笑っていた気がした。

 まだ目的地には着いていないようで、騎士は振り返って彼女の前で跪いた。差し出された手を見て、聡明な彼女はその意図を理解して、その手を取る。

「では」

 立ち上がった騎士はその手を引いて、未知の世界――外の世界をエスコートする。そこは未だ熱気に包まれる城の城下町とは正反対の、城の裏側にある森であった。城の、狭い部屋以外の世界を知らない彼女にとって外の世界は新鮮以外に他ならない。

「空に輝く丸いあれは何かしら?」

「えぇ、あれは『月』と申します」

「へぇ、あれが月なのですね。目の前に沢山いるあれは?」

「『木』でございます。庶民の家は、あれを用いて作られております」

「そうなのですか。もしかして、この床を『土』と言うのでしょうか?」

「そうでございますが、土を『床』とは申しません。『地面』と言うのです」

「それでは、あちらの――きゃっ!!」

 暗闇と呼ぶには程遠い、月明かりに照らされた森が不意に暗くなり彼女は身を小さく震わせた。

「月が消えました……!」

 空を見上げた彼女に騎士は優しく答える。心細い彼女の手を少し強く握って。

「いえ、雲に隠れただけですよ。少しすればまた、顔を覗かせます。さ、参りましょう」

 騎士に手を引かれ、前へ前へと進む。その先には湖畔があった。

 薄く半透明な水はこの上も無く透き通っており、あちこちに点在する蓮の葉と睡蓮が見て取れた。紅色の花々の隙間から、水中を泳ぐ魚の姿が垣間見える。空中は七色に点滅する淡き輝きで埋め尽くされていた。右へ、左へ、上へ、下へ、不規則に飛び回る点は水面にもその姿を映す。光の粒子で満ち溢れたこの世界は、ある所では銀河を形成し、ある所では流星群を生み出していた。

 彼女がその光景に魅入られていると、薄暗かった世界が突如として光を持った。

 爛々と輝く月が再び現れ、月光を下す。その光に呼応するように、光の粒子たちもまた各々の色を強く発光する。空は、水面は。偶発的に表れた小宇宙の中で、水面に新たな円を描く。それは魚が生み出した波紋によって形を歪め、不定形なもう一つの月を描いた。

「凄い……」

 言葉を失う彼女に、今度こそ笑った声で騎士は言った。

「そうでしょう。満月の晩、ここは神秘的な場所になります」

「あの、輝いているのは何でしょう?」

「あれは『夜光虫』と申します」

 彼女が手を伸ばすと空一面で七色に輝く点の一つがふよふよと近付き、彼女の手に留まった。淡く発光する虫を見て彼女は驚いた。

「こんなに小さな命が、あんなに綺麗な空を創り出しているの?」

「そうです。光り輝く点の一つ一つに魂が宿っているのです」

 その言葉に彼女はその夜光虫を優しく握りしめ、目を閉じながら手を胸の前においた。

「……」

「……」

「……」

「……騎士様」

 しばし、沈黙があった。

 開いた手から黄色に光る夜光虫が飛び立つのを見送りながら、彼女は騎士に呼びかける。呼ばれた騎士は彼女の方へ、そして彼女もまた騎士の方を見た。

「貴方はまるで、『夜の騎士』だわ」

 真面目な顔でそれを言った彼女に騎士は笑った。その笑い声は、酷く悲しそうだった。

「そんな大層な人間ではありません。あれは、おとぎ話でしょう。私には――」

 言葉はそこで途切れた。騎士は、それ以上のことを口にするのを躊躇っている様子であった。しかし、彼女は構わない。なぜなら、騎士の右手が固く、強く握りしめられている事に気付いていたからだ。

 騎士はそれ以上、何も言わない。そしてまた、彼女もまた聞かない。この先どうなるかなど、今は関係ないのだ。

「私は、姫様に残酷な事をしたのでしょうか」

 やがて。

 絞り出すような懺悔にも似た言葉に彼女は笑って「いいえ」と答えた。そして、騎士が何かを言う前に湖に向かって走り出す。ばちゃばちゃと水が跳ね、楽しげな笑い声が湖へ、夜へ、奏でる。服が濡れるのも気にせず、生まれて初めてするのだろう水遊びに興じる彼女に向けて。

「『私は何の為に生まれてきたのでしょうか』」

 捕縛され、城の中で彼女が呟いた言葉。それは騎士の胸へと突き刺さった。

「姫様。答えは見つかりましたか?」

 彼は英雄では無かった。彼は勇者では無かった。竜を殺す槍を持っておらず、一振りで百人を殺せる剣を持っているわけでも無かった。ただ彼は、死を運命付けられた彼女に「生きていて良かった」と言って欲しかった。その為に払った代償は、おとぎ話と現実の越えられない差は、騎士団の長であった彼は良く理解している。

 遠くで、ガサリと草木を踏みつぶす足音が聞こえた。

 騎士は立ち上がり、まるで可憐な少女のように笑う彼女を背に音のした方へ足を向ける。腰に下げる剣を抜いて少しずつ近付いていく。遭遇したのは、自分の部下であった。部下の騎士は困惑したような手取りで剣を構える。

 湖畔より聞こえる美しい笑い声が、少しでも長く、少しでも絶えず、この満月の夜に響き渡るように。

 そのために。

 彼は。

 己の剣を――。




 ****



 翌日の昼。

 第二王子の処刑が終わり、次は第三王女の番であった。階段を登り、断頭台で膝をつく。傍らの執行人が両手首と首を拘束し、身動きを取れなくする。断頭台からは何千、何万といった群衆が見えた。誰もが第三王女の最後を観に来たのだろう。彼女は傍らに控える処刑人に昨日の騎士の所在を問うた。

「斬首しました」

 執行人はそれだけ答えた。

「そう、ですか」

 第三王女の小さな呟きは無視され、いよいよ死刑の執行が命じられた。ギロチンの刃がゆっくりと上昇していくが、やはり第三王女の『死んでも良い』という気持ちには変わりは無い。だが、確かに彼女に変化はあったのだ。

 そう。彼が取った行動は無駄ではなかった。

 第三王女は笑っていた。己の運命を前にしても。

「騎士様。今より、夜の礼に参ります」

 ゆっくりと目を閉じて深呼吸をする。瞼には、あの湖畔で見たあの美しい情景が焼き付いていた。紅色の花。七色に輝く夜光虫。水面に映る月。どれも騎士が、彼が教えてくれたものばかりだ。

 あの一夜の出来事には意味があった。そして彼女は救われた。あの、『夜の騎士』物語のお姫様のように。




 そして。

 そして。

 その日、その時。

 第三王女は処刑された。

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