カップやきそば戦争
※突発性短編小説。特にオチはない。
とある夜。帰宅した私は流しの下の戸を開けた。
お腹がすいた。ぺこぺこである。だけれど今から夕飯つくるのめんどくさい。
なので、お手軽にインスタント麺で済ませることにした。
こればかりだと栄養バランスがよくないのは分かってる。野菜ジュースの貯蔵は十分だ。
さっそく半分フタをあけ、ソースとかやく、ふりかけを取り出す。かやくだけはすぐさま開封し、カップに入った乾麺の上に散らす。できれば麺の下に入れたいところだが、今日のところはめんどくさいからパス。
かやくに次いで、ポットに蓄えていたお湯を入れる。半開きにしていたフタを閉め、勝手に開かないようその上にソースを乗せる。
待つ時間は三分間。
準備をすませて手を洗い、あとは待つだけとなった私は手持無沙汰であった。
三分は普通に料理することを考えたら短い時間だ。けれど何もしないでただ待つだけだと結構長い。
スマホをいじって時間つぶしするつもりにもなれなかった私は、ふとお湯を入れたばかりのカップを見る。
すると、不思議な郷愁が湧きあがってきた。
それはまだ小学生くらいのころのこと。
カップやきそばが、ラグジュアルなぜいたく品だったころのことだ。
―――
我が家において、カップやきそばとは特別な食べ物だった。
いや、『我が家』と言ってしまうのは誇張が過ぎる。正確には『私たちきょうだい』にとってである。
我が家はありふれた両親共働きの家庭であった。私たちきょうだいが小学生になり、家にほったらかしても問題ないと判断されると、土日でも両親が家にいないことがあった。夏休みなどはなおさらで、平日も休みの私たちきょうだいだけが家にいることも多かった。
母は料理が上手で、また料理が好きな人であった。忙しい中でも簡単に私たちの昼食を用意し、ダイニングのテーブルか冷蔵庫の中においてくれていた。
時には皮目がパリッとした、しょうゆの香ばしさを漂わせ噛むたびに肉の旨味が溢れる鶏の照り焼き。
ある時はたっぷりチーズをまぶした、レンジで温めるだけで出来上がるグラタン。
レパートリーは豊富で、どれもおいしく、お昼ごはんは毎日楽しみにしたものだった。
だが、本当に仕事が忙しい時や、母に疲れが溜まっている時には用意されていないこともあった。
そんな時に母は「ごめんね」と前おいてから、決まってこう言った。
「台所の戸だなにカップ麺があるから、お昼はそれで済ませてね」
母はインスタント麺を常にストックしていた。忙しかった日、夜遅くに帰ってきて自分の夕食にすることもあるからである。
食事を用意することも自分の役割であると自負していた母は昼食をインスタント麺で済ませるように言う時、いつも謝っていた。ごはんもきちんと作れないお母さんでごめんね、と言われたことすらあった。
だから私たちはこう答えた。
「ううん、カップ麺もたまに食べるとおいしいから!」
偽らざる本音であった。
母の料理は好きだった。何なら今でも大好きだ。実家に里帰りする時の大きな楽しみである。なにせ物心ついた時から母の料理を食べていたのだ。一番口に馴染む味は母の料理に間違いない。それでなくても母は料理が上手かったからなおさらである。
しかし、インスタント麺はインスタント麺で好きなのだ。どちらが上とか下とかではない。これはこれ、それはそれだ。グランメゾンで食べるフランス料理の美味しさと、こたつでごろ寝しながら食べるポテチのうまさを比べるだけ野暮である。
さて、たまのインスタント麺の日、私たちきょうだいはいつも殺気立っていた。
母が仕事に出かけた直後、二人して何の合図もなく戸棚に向かう。そして扉を開き、ストックしてあるインスタント麺の種類を確認する。
この時にカップやきそばがなければ緊張がほどける。あるいはカップやきそばが複数あった時も同様だ。争う理由がなければ戦う必要もない。実際、ほとんどの場合はカップやきそばがなく、私たちは平和な休日を過ごしていた。
しかし、カップやきそばがひとつだけあるとなれば話は変わる。
「「……………ッ!」」
お互いをまったく同じタイミングでひと睨みし、牽制。一秒ほどで目を逸らし、そっと戸棚を閉める。そのまま振り返らずダイニングを後にする。
正午が近付く午前11時57分。私たちきょうだいはどちらともなく立ち上がり、ダイニングに向かう。
私がビニールをはがし、きょうだいがフタを開ける。私がソースとかやくとふりかけを取り出し、かやくを麺の上にあける。きょうだいがそこにお湯を注ぐ。私がフタを閉じ、きょうだいがフタにソースを乗せる。
そして、私ときょうだいは一瞬で床に伏せ、腕相撲を始めた。
「うおぉぉぉぉぉ!」
「ああぁぁぁぁぁ!」
どちらも退かないデッドヒート。しかしだいたい調子がいい方がすぐに勝つので、試合時間は十秒程度。
次には階段早登り競争。算数の問題早解き。縄跳び。季節の競技。
事前に決めたいくつもの種目を三分間でこなし、三分間の勝利数が多い方が勝ち。カップやきそばにありつける。負けた方はおとなしく他のインスタント麺を食べる。
最初は一戦だけだったが、それでは公平性に欠けると複数の試合を順繰りに行うようになった。すると先に勝った方が次の試合開始を遅くするようにしてタイムオーバーを狙っていたりしたが、それでは負けた方に禍根が残る。自然と交互に試合を指定し、試合に参加しなかった場合は不戦敗となるというルールができあがった。ちなみに先に試合を指定できるのは前回の争奪戦に負けた方である。
とはいえ似た者きょうだいで性能はトントン。常に一進一退の攻防を繰り広げていた。
時に勝負に熱くなりすぎてカップやきそばのことを忘れてグダグダに伸びてしまうこともあった。時に負けた側が諦めきれずに「ひとくちちょうだいー」とお湯切りする勝者を揺さぶることもあった。
……揺すられた時に手を滑らせ、麺を全て流しにぶちまけてしまうという悲劇もあった。流しのゴミが流れ出さないようにするためのネットに麺が入ってしまい、さすがにそれを食べる勇気はなく、水であらった。
「……めんがつめたいと、おいしくないよね?」
「……うん。ぜったいおいしくない」
「……もっかいお湯につければあったまるよね?」
「それだ!」
こんな馬鹿なやりとりをして、洗った麺をカップに戻して再びお湯を注ぎ、温まるまで待ったこともある。
「……のびてるね」
「……ぐだぐだだね」
「……おいしくないね」
「……うん」
と、切ないやりとりをすることになったけれど。
インスタント麺を食べる機会が少ないウチで、さらに滅多においていないカップやきそばは特別な食べ物だった。小学生の頃は小遣いも少なく、インスタント麺を買う余裕もなかったのである。
故に争奪戦が起きた。早いもの勝ちとかにしなかったのは抜け駆けを防ぐため。どちらも一度だってしなかったが、カップやきそばを盗み食いなんてしたら試合が殺し合いに発展していただろうことは想像に難くない。
まあ、それも過去の話。今は自分で多少なりと稼いでいるし、カップやきそばくらい好きに買える。もはや珍しくも何ともないのだ。
進学を機に実家を出てからはなかなか帰る機会もなく、きょうだいと顔を合わせることもほとんどなくなった。カップやきそば戦争は遠い遠い昔のことだ。
なんて考えているうちに三分が過ぎていた。
危ない危ない、ブヨブヨの悲劇を繰り返すところだった。
フタをちらりと開けて中を確認。しっかり麺がほぐれていることを確認し、流しへ。フタを抑えて容器を傾けお湯を出す。その後、フタを抑えたまま容器をひっくり返すような具合で執拗にお湯を切る。十分に水気を抜いたらフタを全て開け、フタにこびりついたキャベツなどをとって容器に戻す。
いよいよここでソースを投入する。袋の隅をそっと破り、麺全体に万遍なくかける。麺がちぎれないようゆっくりと、しかし手早くかき混ぜ全体にソースを行き渡らせる。
最後にぱらりとふりかけをまぶす。
今日はどっしりした味のものが食べたい気分だったので冷蔵庫からマヨネーズを取り出し、椅子に腰かけ、箸を手に取りいただきます。
ひとくちめから豪快にガッといく。チープなソースの味わいが口の中を蹂躙する。家で作るやきそば、店で食べるちゃんとしたやきそば、祭りの屋台で売ってるやきそばと、それぞれ違った味わいがある。その中でもカップやきそばはチープゆえに荒っぽく食べるのが似合う。祭り屋台と違って家の中なので誰の目もはばかることなく豪快に食べられる。
味の濃い、しょっぱめのソースの味と香りが口いっぱいに広がる。時にキャベツのほんのりシャキッとした食感と甘みがアクセントに加わり、ソースの塩っ辛さを引き立てる。
うん、安い味。だがこれでこそ。
半分ほどかきこんだ後に、私はおもむろにマヨネーズを手に取った。
そして、投入。
量は少しでいい。マヨネーズは主張が強いので、入れすぎると「マヨネーズ風味のやきそば」ではなく「やきそば入りマヨネーズ」になってしまう。加えて冷蔵保存する必要があるマヨネーズをあまり入れてしまうとやきそばが冷めてぎとぎとに油っこくなってしまう。それは正直好みじゃない。
にゅるにゅるっと少量かけてマヨネーズにフタをする。さっと混ぜて、麺をふたたびすする。
……うん、旨い。
塩っ辛かったソースの味がマヨネーズと混ざることでマイルドになる。よく言えばどっしりふくよかな、悪く言えばもったりデブ上等な味わいだ。
だが、あえてここはもったりと言いたい。デブ上等である。カロリーなんぞ気にするくらいなら草だけ食ってろ。調味料なしでレタスだけ食べてれば太る方が難しいだろう。デブるリスクも夜のハイカロリーの危険性も承知の上でカップやきそばを、それもイン・ザ・マヨネーズで食っているのだ。気取る必要も太る心配も必要ない。そういったもろもろはお腹が膨れた明日の自分がしてくれる。
流し込むように麺をすするばかりではもったいない。じっくりゆっくり噛みしめてもみる。きちんと麺そのものに味がついてるから、ソース部分だけ味わって飲みこんでしまっては勿体ない。ソースにコーティングされた内側にも価値がある。
カップやきそばは他のやきそばにはない独特な味わいがある。このジャンクで安い味だからこそ、食べたくなる。ソース味のスナック菓子を炭水化物にしたような、ヘルシーとか低カロリーだのに真っ向ケンカを売ったような存在だから愛おしいのだ。
マヨにコーティングされてもったりとした最後の麺をすすり、手を合わせる。ごちそうさま。
お腹が膨れると食べ物に拘っていた小さい頃があほらしくなる。
よくよく考えてみればそこまでカップやきそばに拘る必要があったのか、という話。
そもそも、滅多に食べられないというレア感がなくなれば、そんなにカップやきそばが好きというわけでも――
ぴりりり、と私の思考を裂くように電話がなった。
おなかがくちくなった今、誰かと口をきくの億劫だけれど無視するわけにもいかない人もいる。とりあえずスマホを引き寄せ、画面をみる。着信はきょうだいからだった。
『あ、もしもし? お前も来月実家に帰ってくるよな?』
「……いきなり何さ。まあ、帰るけど」
『そしたらそっちの御当地カップやきそば買ってきてくれない? こっちも買ってくからさー』
「なめんな。里帰りに備えてこのあたり一帯のカップやきそばは確保してある。帰りの道中の御当地ものもチェック済み。各ふたつ買ってくよ」
『そうでなくちゃ! それにしても、ふたつ、ね』
受話器の向こうでくつくつと笑う気配。
向こうも同じ気配を感じているに違いない。
「ああ、ふたつ、だよ」
言いながら私は、あえてひとつしか買っていかなくても面白いかも、と思っていた。
ひとつしか買って帰らなかった場合、幼い日の争奪戦をさらに過酷にした戦争がはじまります。




