ハート・ハート・ハード ――Diving into myself――
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今日も。一日を振り返る。
こうして、寝る前に今日を反省するのは子供の頃からの習慣なのだ。
あの時、ああしておけば良かった、だとか、こうしなければ良かった、だとか、そういった負が、心から染み出してくる。
一人ぼっちで昼食を摂る孤独や、楽しげな人混みをかき分ける痛みも。
こうして何度反省しても、実際のコミュニケーションで間違えてしまうから、いつまで経っても進歩がないのだろう。いつまでも独りのままだ。
これは魂の瀉血。
明日になれば、また綺麗な自分でいられるだろう。
自棄になって、手元の杯を飲み干す。
喉元に灯が点いたようだ。導火線は燃えていく。
熱は胃までたどり着き、視界が鈍る。
食卓に突っ伏す。
早く忘れてしまいたいのか、反省したいのか。
私の意識は、途切れないまま。
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行方知れずのハイハット
あなた無しでは立ち行かない
あまり嘆くなソクラテス
毒を飲んでもお前は死なぬ
一人が二人で、二人で一人
お前の地獄は何処にある?
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さようなら、と呼ぶ声を聞いた。あなたの笑う顔も。思い出せるから、まだ、夢ではない。もしくは全て、醒めるべき今。
頭を振って起きる。寝ていたわけではないけれど。
夢を見るのだ。どこに居たって、何をしていたって。何もしていなくとも。
私の歩く道は、きっと哲学の路ではない。
その思想に論理はなく、その思考に価値はない。
私が私である限り。
しかし、私が私である保証はない。私って何? 私は私だ。それなのに私が私であることは、証明できない。私って誰?
だって誰も、私が私であることを知らない!
私を縁取るガラス細工も、私を流し込む抜き型も、どれもこれも私ではないじゃないか!
私という私があるのなら、私の中には私でない私だってあるでしょう?
私と私が分離する。それは元から其処にあったように。分裂したのではない。気付かなかっただけなのだ。ずっと有った。あなたは……私は。だって、私が夢を見ているのに、私はずっと立っている。私が空を飛んでるのに、私は地面を歩いてる。
はろー。私。元気にしてる? これから行くのは空の果て。
私は私の中に潜って、お宝探してそれ進め!
こうして、私の意識は内へと閉じてしまう。青い螺旋を描いて、見える部分が鋭く尖っていく。緑の網に封じ込められて、明かりが途切れて、鑑賞会。でも残念。見られるのは私だけなのさ。だから、私は足を動かして?
こうして、私はいつのまにかいなくなる。この世界から居なくなる。孤立だ。私はあなたたちが見えないからね。
絶海、閉じ込められた砂の内。
絶壁、塞ぎ込んでいる胸の裡。
波間にたゆたう泡の国。いつか弾けて消えてしまうの?
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鳥落ちて、夢ばかり残る大嵐
ひとひらの、羽根を拾えど、もう終わり
ハイデルベルクと誉れ高き死
熱のない今、救えない過去
今は地を馳せ、礫に沈む
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右も左もわからないまま、目を開けてみては知らぬ国。
あちらに行こうか、そちらに飛ぼうか。俺は自由だ。誰にも妨げられぬ。
俺は果てをこそ想う者。散りゆく花びらは、地に落ちるまで永遠を行く。時の均衡は破れ、落ちれば踏まれる路上の女。愛でられ、詰られ、褒められ、嬲られる。
食いつぶすは男の性。
手綱を俺の首に巻け。戦禍の跡に飲み込まれるまで。
思いが伝わる。コンクリートの穴。冷たい遺志が、染み込んで来る。
月光の陰は冷たき冬。はじけ飛んだ痕の残る、黒く焼けたワイン。焦げたパンは噛み千切られて、黒点を追う狼の喉へ。太陽は追われ、傾き、落ちる。傾国の美女は何処か。夢ばかり追えば、果ては土。
払拭出来ぬ朝が来た。獣どもは血に飢えて東へ。後光射す城は、逆光に染まる。
目が痛い。目が痛い。
それよりも、痛かったのだろうか。
大砲の熱波も、毒矢の閃光も、想像することでしか感じられない。あなたの傷も、俺の心も、何もかも。
鉄塔見上げれば、見えるだろう。白煙が。
雲ひとつない綺麗な空に重なる記憶。
戦場は末代まで残る。大地裂く惨状は、現在の都市を形作り歴史となる。
歪んだ街並み、見渡せば赤に染まる。
音と温度。劇的。刺激的。兵どもの夢なのだ。
荒野しかない。何もない。
だから俺/私はもっともっと潜るのです。
▽
杯に浮いた逆月は、一体何処へ
干されて消えて陽炎
恋して消えて蜉蝣
下郎は、月を肴に酒を飲む
耽溺しろ
明ける夜に怯えながら
▽
深い海の底だ。
遠い夜の空だ。
星達の瞬き。
海月の踊り。
そんなの、どちらでも同じこと。
だって最期には消えてしまう。いつだって死ねる。
気付かないフリをして、傷付かないようにする。
黒い昏迷だ。もう既に囚われている。
彼女が柘榴を食べた日に、彼らが林檎を食べた日に。
この運命は定まってしまったのだ。
時の矢を遡ることは出来ない。
『紡がれたタペストリーを愛でるのだ』
だから。
ヤリイカの流星に三度願えど、ウミホタルの星雲に思いを掛けれど、決して天には届かない。
空を模しても所詮はこの世。
足踏み出せば、溺れ死ぬのみ。
昔の自分に、昔の記憶に。
大事な物を大事に抱えて、盗られないよう嘘吐いて、見つからないようひた隠し、いつか自分でもなくしてしまった。
分からなくなってしまったのかもしれない。
漂う光は怨念か、彷徨う灯は亡霊か。
真黒の海は何も映さぬ。ただ己の過去だけを。
波は攫って洗うだけ。つらい戦の記憶だって、連れ去ってあげる。
貴方の砦は波間へ沈めて。
わたしの戦禍が薄れて消える。
そうして無かったことになる。
こうして全て無くしていく。
ヒトの生きる道。ヒトの死ぬ路。
無くなった先に残るものを探して。
▽
善は何かと人は説く
良い事を、良い事と
誰も彼もが知っている
誰も彼もが意識しない
要するにすべて自己満足
富国強者の戯れ言だ
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深い海の底を抜けると、そこは暖かな花園だった。
なだらかな丘、一面に枯れた花。
泣いた。
確か、わたしは泣いていた。
あの日、苦しいと、助けてと。
救済は無い。
決して許されない。
天が許しても、人が許さない。
降り注ぐ悪意に、無垢な小鳥は翼を失った。
晴天を謳歌する青い鳥は、いつしか溝を這う烏になっていた。
戦乱の前は緑の国だった。戦争の前は光に満ちていた。戦禍の前は何も知らなかった。
知る由もなかった筈だろ?黎明の世界で。
私達はただ、大地に抱かれていただけ、海に背負われていただけ。
だったのに、だけだったのに、いつの間にか、近づかれていたのだ。この世に蔓延る悪に。
それから俺は一度も赦されない。
発した言葉、書いた文字、起こした行動、それら一つ一つが、全て他人を傷つける。
無自覚に人を斬り殺す悪魔だ。
故に、どんな災禍だって、耐えねばならない。だって彼らは、僕なのだから。
彼を赦し、我を赦せ。
弱者の救済、此処にあり。
▽
まだ沈む
まだまだ沈む
心の奥には何がある
一番奥には何がある
触れても正気を保てるか
▽
汚泥、だろうか。
ソレを表現するに、最も適切な単語を***はまだ知らない。
奥底に溜まりきって、溢れ出しそうなほどの醜悪が、ズブズブと音を立てて沸き立っている。
***はこの正体を知っている。
治した傷の全てが、融解して、一つの塊になっているのだ。
これは、傷跡。決して消えることのない、自傷の記録。
搔き毟りたい。こんなものであることが、許せない。
冷静になれない。事実や論理を飛び越えて、感情が、どうしても、わかってはいるのに。理解は出来ても納得できない。諦めるしかないことを知ってしまった。それすらも綺麗事だったのだと突き付けられる。
沼の前では、今までの全ての表層は噓になる。ホンモノは、すり切れた撥条の惰性だけで動く、壊れかけの玩具ただ一つ。
生き物の臭いがしない。
こんなモノに触れ続けて、生きていけるわけがないのだ。
それでも、ここに身を投げねばならない。
足が竦む。震える。
いままで蓋をして、隠して、噓を吐いていたコレに向き合わねばならない。なんという苦行だろうか。
だが、目を背けていては、前に進めない。
何のために、此処まで潜ってきたのか。
毒を食らわば皿まで。自傷痕を殺さない為に、ひと思いに、終着まで死にきってしまおう。
明けぬ夜も、止まぬ雨もないのだから。
例えそこが、終わらぬ地獄だったとしても……。
▽
天上の歌が響く
楽園を示す喇叭が唸る
懐かしい母胎の歌だ
純粋無垢に濁った魂
真夏に溶けた飴細工
蟻に喰われた蝉の亡骸
包み隠さず奏でるから……
▽
最奥部に存在するのは、透き通ったガラスの結晶だった。
そのねじ曲がった歪は、すべて上層に昇華されているのか、アンバランスな不格好の割に、透明なオブジェ。
純粋な結晶が叫んでいる。
渇望だけを、延々と叫び続けるその声は、どこまでも澄んでいる。
こんなにも汚い叫びが、存在しうるのか。
かくも醜い、あまりにも疎ましい。痛いほど愚かで、浅ましくも無惨。
自己と、利己とが、うねりをあげて、心臓を打つ。
硬質の高音は、痛みに悶える金切り声だ。
心臓を打つ重低音は、恨みに逆巻く怨嗟の吐息。
伸びのある中音域は……あぁ、自己顕示欲に他ならない。
そんな、そんな社会にとって少しの役にも立たないような、無価値な肉塊の我欲が、綺麗な歌になって、この空間を満たしているのだ。
キラキラと舞う光の粒も、軽やかに飛ぶ旋律も。
美しい、とすら錯覚するほど、純正の悪。
これが本質。これだけが本当。これこそが本物。
そうして悟った。
このオブジェが摸している物は、沼地に咲く水仙なのだ、と。
ならば、愛されるはずはない。
花弁は泥を啜って腐臭を放ち、結実しては憎悪を撒き散らす。
そんなモノ……
い ま す ぐ 叩 き 割 っ て し ま え 。
大きく振りかぶって、制裁の鉄槌を。
ガラスは割れて、歌が乱れる。
痛みがノイズとして、空間自体を崩していく。
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うるさいのに、うるさくない。
鼓膜を引き千切るような雑音が轟くけれど、複雑で無秩序な痛みは、心地良い音色だった。
毒々しい美しさは消えて、さっきすら噓だったと気付くのだ。
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一つ、夢が終わる
諦観に達した仙人も、浮き世を離れる事は出来ない
肉体は精神の楔である
人間らしい妄執を、肯定して
人間らしい自分を、肯定して
人間を、肯定して
そうすれば少し、楽になるだろう
楔の抜ける、落陽まで
▽
ガラスを/泥沼を/楽園を/海を/戦場を/泡を/一足飛びに俯瞰して、表層へと帰還する。
結局何も変わっていなかった。
だけど、それはそれで“あり”なんじゃないだろうか。
それが自分の、アイデンティティー。
眩しさに耐えかねて目を開けると、もう朝だ。
小鳥も鳴いている。
どうやら、テーブルに突っ伏して寝ていたようだ。酒の空き缶がそこらに転がっていた。
せっかくの爽やかな朝だ、遅刻なんてしたくない。
僕は急いで支度をして、一限の授業へと走る。
快晴、微風、碧天は麗らかに。
了