黒の攻略対象者
木の上で音楽を聴きながら、コンビニで買ったパンをかじる。味気ないと言われればその通りだが、まあ家での食事に比べたら何倍もマシだし、木の上は好きだ。
アイツらに言われてから、授業をサボるのは大分控えるようにしたがそれでも時々面倒くさくなり、ここに来てしまう。
アイツらは怒るかもしれないが、別に俺の意識が変わろうと家での邪魔者扱いは変わらないし、急に真面目になりすぎて変なことを邪推されても困る。
パンを食べ終わった所で、自分の座っている木が不自然にゆれた。
咄嗟に物が落ちないようにバランスをとり、原因はと下を見て半目になった。
これと言った特徴の無い平凡な顔、強いて挙げるなら真面目そうなのだが、悪戯げな顔で笑ってる今はその限りでは無い。そして、決して平凡な真面目君では無いことを最近身をもって知った。
呆れを隠さずにため息をついて声を掛ける。
「なんか用な訳? 危ないだろうが、篠山」
「いや、授業終わったばっかなのに実にくつろぎきった感じでそこにいたから思わず。まあ、サボりに対する鉄槌ってことでいいだろ。お前、運動神経良いから落ちねえだろうし。それにしても、授業出なくても大丈夫な頭の良さむかつくわー」
そんな風に言って笑っているが、コイツに言われてもと言った感じである。
一応俺は中学までは跡取りとして徹底的なスパルタで教育がなされていて、高校までの勉強は一応終わっている。と言うか、この学園は一応上流階級の家ばかりでそれなりの高等教育がなされた奴らが多い。
そんな中で外部入学で普通の家で育ったコイツが常にテストの上位をキープしているし、体育祭の時やケンカの時も思ったが運動神経もなかなかのものである。しかも、俺と違って友達も多く、先生達からの評判もいいとどう考えてもかなりのハイスペックなのだがあまり自覚は無いらしい。
・・・まあ、コイツの幼なじみだと言う赤羽は俺にも噂が届くくらいの完璧超人らしいからそれの影響かもしれないが。
「ま、いいや、黒瀬暇だろ。ちょっと来い。そんで、黄原の姉ちゃんの作ったお菓子一緒に食おうぜ」
「・・・何でだ?」
桜宮曰く超の付くお人好しだと言うコイツが色々ちょっかいを掛けてくるのはもう慣れてきたが、コイツの友達だという奴らとは仲良くなった覚えは無い。
むしろ、赤羽なんかには警戒した目で見られていたし、仲良く一緒にご飯と言う感じでは全くない。
本気で意味が分からないと言った視線に耐えきれなくなったのか、篠山はちょっと目を逸らして呟いた。
「・・・黄原の姉ちゃんの本気の悪戯再び。魔のロシアンルーレットなお菓子なんだけど、外れがヤバすぎて挑戦者がウチのノリのいいクラスでも居なくなった。残して帰る選択肢は黄原的に残されてないらしいから、消費付き合え」
「その説明で俺が行くと思ってる訳?」
「いや、無理矢理連れてく! つーか、お前のせいで俺生徒会役員なんだけど! 責任取れ、責任!」
「知らねーよ。・・・と言うか、クソジジイが言ってたヤツお前になったのか」
「そうなんだよ! と言うか、やっぱお前も親から言われてる組だったんじゃん!」
「なんであのクソジジイの言うこと聞かなきゃいけねーんだよ」
「・・・ああ、お前はそう言うな! そうだな、そうなんだけど!」
何故か頭を抱えて、悩み出してしまった篠山を呆れた顔で見る。
・・・まあ、コイツらが居なかったらもしかしたら受けたかもしれないのは秘密である。
あのクソジジイが俺にもう何の期待もしていないのは分かっていたが、あのクソみたいな家で少しでも前みたいにまともに過ごせるかもしれないなら、以前の俺ならその可能性にすがってしまっていたかもしれない。
・・・だけど、まあ。下で頭を抱えるコイツと内申点とか言いながらもずっと声を掛けてくるあの女のおかげでちょっとだけ心が軽くなったから。世界はあの家で終わってる訳じゃないと思えるようになったのである。
絶対にコイツらに言うつもりは無いが。まあ、感謝していなくも無い。
「だー、もういいや、来い!」
「行かねえよ」
「いいから、来いや。お前はなんだかんだ言ってツンデレだから、粘れば来るってバレてんだよ。時間掛けさせんな!」
「・・・おい、そのうざい言いぐさ止めろって言ったよな」
イラッとして睨むがムカつく顔で笑い返される。
この顔になったコイツはかなりしつこいのは、あまり長くは無い付き合いでも既に読めている。
諦めるしかないかと木から下りるとまたニヤッと笑い、
「ツーンデレ」
と言ってきたので思わず殴った。
篠山に連れて行かれ教室に入った所で思わず顔が歪んだ。
「あ、黒瀬、またサボったでしょ! ちゃんと受けなさいよー」
入った瞬間、俺に気付いた染谷が俺の所にやって来て、小言を言う。
思わず篠山の方を振り返るが素知らぬ顔でお菓子を囲んで騒いでいる集団の方に行ってしまった。
確実に確信犯である。
「別にお前に関係無いだろ」
「あるわよ。内申点の面で割と当てにしてる。先生、前に頑張ってるな、助かるって言ってくれたもの。と言うわけで、ちゃんと出なさいよ。最近、ちょっとマシになったんだから。勿体ないわよ、色々と」
そう言ってため息を吐く染谷から顔を逸らす。
一応、感謝はしているのだ、篠山にも染谷にも。だが、染谷のことはずっと前から苦手だ。むしろ嫌いと言っていいほど、俺はコイツのことが苦手だった。
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染谷と初めてちゃんと話したのは、入学してすぐ、早々に色々なことをサボったり、教師に反抗的な態度を取ったりする俺を周りが遠巻きにし始めた頃だった。
俺が教室に入った瞬間、少しだけ静かになる教室。そんな空気を一切読まずに話しかけてきたのが、染谷だった。
「あ、黒瀬、これ昨日でた課題なんだけどさ、先生がこの課題はテストの点にも入れるとか言ってたからちゃんとやらなきゃヤバいよ。昨日、居なかったから、一応伝えとくね」
突然声を掛けられたのと、その内容に少し驚きながらも口を開く。
「・・・お前、誰?」
「あ、自己紹介とかも居なかったっけ。私、染谷 凜。風紀委員だよー、よろしく!」
そう言ってにこにこと笑う染谷に、なるほど、真面目ちゃんな女子が良い子アピールで話しかけて来たのだろうと思った。
「・・・あっそ、そりゃ、どーも」
明らかに適当そうに、いっそ皮肉っぽく笑って返事を返してやる。小馬鹿にするような反応を返してやればこう言った女子はすぐにこういう事をしなくなるだろう。
だけど、コイツはそんな俺の態度に、目をパチパチと瞬かせて呟いた。
「黒瀬、ムカつく反応返すねー。止めといた方が良くない。せっかく、顔が良いのに、勿体ない」
その予想外の反応に少し驚く。だけど、俺が何か言おうとする前に、染谷が周りの女子に呼ばれたことでその会話は終わった。
この時の第一印象は、ただただ変なヤツだな、それだけだったし、こんなお節介にもすぐに飽きるだろうと思っていた。
だけど、染谷のこのお節介は顔を合わせる度に続き、時にはサボった俺を探しにくるようなこともあった。それが、何度も続いた頃、その態度は一体何が目的かと聞いた時の事は印象的だ。
染谷は俺の質問にそれはそれは朗らかな笑顔でこう答えた。
「え、内申点の為だよ」
「は?」
「いや、私、特待生でさ、なるべく先生からの評判良くしたいんだよね。そしたら、クラスにとっても分かりやすい不良君。橋渡しくらいやったら、評判良くなるかなと」
あまりに明け透けな言葉と、それをよりにもよって俺に言うのかと絶句する。
そんな俺を見て、吹き出した染谷は笑いながらこう続けた。
「いやー、ここで、一目惚れとか言ったらどうなるかなとちょっと思ったんだけどさ、見るからに嘘ってバレそうじゃん。なので、正直に言って見ました。・・・それに、勿体ないと思うし」
「何がだ」
「いや、黒瀬の色々が。頭良いんでしょ、先生が言ってたの聞いちゃった。それに、運動神経良さそうだよね。木から飛び降りたの見て、あまりの軽やかさにちょっとビックリした。それに、髪は派手な色だけど、それが似合っちゃうようなイケメンだしさ。・・・きっとさ、黒瀬がやろうと思ったら何にでもなれるんだろうに、わざわざ皆からの評判を悪い方に持ってって、勿体ないなーと思うわよ」
その笑顔と言葉にどうしようもなく苛立った。
勿体ない? あの家で俺はもうこれ以上どうしようもないのに。
無理矢理に色々な事を詰め込んで、いらなくなったから捨てて。これからは自由にしてくれと言われても、あの家で俺は今までやりたいことを思い浮かべる自由すら無かったのに。
気がつくと染谷が驚いた顔で立っていて、転がった机と椅子になるほど俺はこれを蹴飛ばしたのかと思う。
「・・・勝手な事、言うんじゃねーよ」
周りがざわつく中、俺に睨み付けられた染谷はそれでも困ったように笑ってって。
その場を立ち去っても、その笑顔が思い出されてムカついてたまらない。
それ以来、俺は染谷が心底苦手になった。
俺が染谷の事を心底苦手になってからも、アイツのお節介は止まることは無く。更に邪険になっていく俺の対応を気にすることもなく、アイツは俺に声をかけ続けていた。
文化祭が近づいて校内がどこもかしこも騒がしくなり、もう一人の物好きである篠山が俺に声を掛けてくるようになっても、それは変わらず。
更に苛立つようになった頃、ある噂が流れた。
染谷の父親が犯罪者だという何とも耳障りな噂。その噂は上流階級の家が多く醜聞を嫌うヤツが多いこの学園で人の輪から外れた俺に届くほどに一瞬でかつ盛大に広まった。
その噂を信じた訳では無かったが、染谷と顔を合わせた際、あまりにいつもと様子が変わらず拍子抜けしたのは覚えている。
「あー、黒瀬、補習でなかったでしょ! 先生、探してたわよ!」
あまりにいつも通りの小言に、いつも通りの態度。周りの遠巻きにこちらを伺う態度なんて意にも介さず普通に接してくるそれに、やはりあの噂はデマかと納得して、それをいつものように無視する。
立ち去る前に見たその姿はやはり前を向いて、そしていつものように笑っていた。
その日のもう日も落ちきった頃、もう人もほとんどいなくなった廊下を歩いていた。
家に居たくないからと遅くまで学校に居座っているが、そろそろ移動してもいい頃合いだ。
ゲーセンはすぐに飽きたし、飯には深いこだわりは無い。人が集まる所は好きではない。
だから、今日も街を当てもなくぶらついて、ケンカをして、そして、あのどうしようもない家に帰るのだ。
教室の前の廊下のロッカーに入れっぱなしだった荷物を取りに、教室まで来たとき教室の明かりがついているのに気づき、舌打ちをする。
誰かに会うのもだるいからこんな時間まで校内をあまりうろつかないようにしていたというのに。
しかも、残っているのが染谷だったら面倒くさいことこの上ない。
教室の窓から誰が残っているのかを確認しようとして、そして固まった。
中に居たのは染谷だった。教室の隅で俯いて、今にも泣きそうな顔で一人きりで立っていた。
一人で深呼吸を繰り返して、涙が零れそうな目を手でこすり、唇を噛み締めているその姿は今まで見てきたあの笑顔と少しも重ならない情けない姿だった。
その姿に不意に悟る。あの噂はデマなんかじゃなくおそらく真実なのだと。
そして、染谷は傷付いたことを誰にも悟らせず、ここで一人でいるのにそれでも涙をこぼせないのだと。
そのまま、音を立てずにその場を立ち去った。染谷が決して俺に気付かないように、あの必死の意地を傷つけてしまわないように。
その数日後の文化祭で起きたことは、・・・どうしようも無く忘れられないだろう。
明らかに誰かに仕組まれてきっと騒ぎになるだろうケンカに何の策も無く突っ込んできた、馬鹿すぎる篠山のことも。
何故かあれに助け船を出し、染谷と・・・主に篠山のことを必死に語って見せた桜宮のことも。
気まぐれで出て見せた体育祭で、遠巻きにするクラスメイトの中、本当に嬉しそうに笑って声を掛けてきた染谷のことも。
家でのことがどうにかなった訳では無い。以前と変わらず厄介者扱いだ。
だけど、何故か分からないほど心が軽くなったあの文化祭を俺はきっと忘れられないだろう。
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小言を続けていた染谷をうんざりした顔で見ていると、騒いでいた連中から声を掛けられた。
「凜ちゃん、食べる順番! 逃げるの禁止!」
口を押さえながら、泣きそうな顔でそう声を掛けてきたのは桜宮だ。
逃げるの禁止と言いながら、本人が逃げたそうだ。
そんなにマズイのに逃げないのは、あの輪の中に篠山がいるからだろう。
少しでも側に居たいのだろう、その姿勢には感心しなくもないが、何故か篠山には全く伝わっていないらしい。それなりにハイスペックなアイツの分かりやすい欠点であるのだろう。
「はーい、分かった、今行く。黒瀬も篠山に誘われたんでしょ。行くわよ」
「・・・見るからにヤバそうなんだが?」
「んー、でも、使ってある材料良い物っぽいしさ、当たりは美味しいわよ。それに、私、お残ししたくない。どんな物でも食べきる!」
何故か妙に燃えている染谷に引っ張られ、その集団の方に向かうと、制服を着崩し、チャラそうな格好をした男子が勢いよく振り返って、顔を輝かせる。
「あ、黒瀬、いらっしゃい! どんどん、食べていってよ、マジで!」
「はいはい、智、テンションうるさい」
「だって、残して帰れないし! だったら、夕美が姉ちゃんに言ってよ!」
「嫌よ、最近、咲姉にはお菓子作りの練習とかでお世話になってるんだから。・・・黒瀬君も、良かったら助けてくれると嬉しいわ」
同じクラスの暁峰が黄原を抑えながら声を掛けてくる。
近くにいた白崎もそれを見て笑いながら、場所を空けてくれる。
自然に迎え入れられた人の輪の中、自然に進められたお菓子を口にする。
さっきの言われようで覚悟していたものと違って、普通に美味かった。
「・・・美味いな」
「嘘、黒瀬君、当たり!?」
「桜宮、さっきからハズレばっかだよな」
何故か大げさに驚く桜宮に篠山が笑っている。
まあまあお似合いっぽい二人を見て、ふと、染谷の方を見る。
口を押さえて、水を片手に必死になってる所を見るにハズレだったらしい。
飲み込んで、勝ち誇ったように笑っている。
それを見て、何となく笑うと近くにいた桜宮に声を掛けられた。
「・・・えっと、黒瀬君、凜ちゃんのこと、どう思ってるの?」
小声で尋ねているが好奇心で輝きまくっているその顔に、思わず呆れたような息を吐いて答える。
「割と苦手」
「えっ、嘘!」
思わずと言ったように出た声は思ったより大きかったらしく、集まった視線に大慌てで誤魔化している。
こんなに色々と出やすいヤツの好意に篠山が何故気付かないのか本当に不思議である。
何故か文句ありげに、こちらをチラチラと見る桜宮に、ふと、コイツの文化祭での言葉を思い出した。
染谷の事を格好いいと言ったコイツはきっと知らないのだ。
染谷が周りに強がって、そして、一人になっても泣けなかった時のあの情けない姿を。
染谷に感謝はしている。だけど、やっぱり苦手なのだ。
会ったばかりのヤツに色々とずけずけと言うくせに、一番嫌で嫌でしょうがなかった家のことは一切触れたことの無い察しの良さが。
内申点とかふざけた感じで言うくせに、勿体ないよと言う時に少しだけ困ったように笑うその顔が。
いつも笑っているその顔はきっと、必死に作った強がりであることが。
一人きりでも泣けやしないあの不器用さが。
どうしようもなくムカつくのだ。
だから、いつか泣かしてやるのだ。
あの作った笑いを取っ払って、俺の前で泣かせてやらせたら。
あの強がりが踏み込ませない境界線を越えられたなら。
きっと、このムカつく感情を無くすことが出来るのだろう。




