勇気をもらいました
一瞬、呆然としてしまったが、周りのざわつきに我に帰る。
これはこのままにしておいてはいけない。
掲示板に近付き、ビラを破りとって丸める。
「あ、破っちゃった」
「と言うか、本当だったら、ヤバくないか?」
「つーか、アイツ、染谷と仲良いヤツじゃなかったか。かばってんじゃね」
後ろでざわつきが大きくなったのが聞こえた。
イライラするままに怒鳴りつけようとした時、
「何か問題でもあるか?」
静かな声が響いた。
後ろを向くと貴成が人の輪の中心に踏み出して来ていた。
目線で落ち着けと言われる。ちょっとだけ、頭が冷えた。
「ただの悪質なデマだろう。万一事実だったとしても、一生徒の過去なんて、こんな風に触れ回るべきものではない。速やかに廃棄するべきだろう。……それに」
一度言葉を切った貴成は、周りを鋭い目で見渡して言った。
「俺はこういういった物もそれに対する騒ぎも気分が悪い」
その言葉で周りが静まりかえる。
シーンとした中、誰かが走ってくる音が聞こえた。
「風紀委員です! ここに集まっている人達は今すぐ解散してください!」
その言葉に凍りついていた生徒達が我に帰ったように立ち去った。
「…えっと、例のビラは」
「あ、これです」
くしゃくしゃになったビラを渡すと、硬い顔のまま、お礼を言って立ち去った。
振り返って、貴成に向き直る。
「…悪い、助かった、貴成」
ここで感情のまま怒鳴りつけたら、更に騒ぎが大きくなっていたかもしれない。
「適材適所だ。俺の方が面倒くさくなくていいだろう。…親の権力だが、こういう時には便利だからな」
何でもないようにそう言った貴成に、ごちゃごちゃになっていた頭の中が落ち着いた。
何も知らない生徒達が登校してきたのを見て、教室に向かう。
歩きながら、深いため息をついた。
本当に問題は山積みだ。
昼頃、そろそろ大詰めということで、もう使わない備品などを倉庫に運んでいた。
今日は、黒瀬にも染谷にも会っていない。
朝の騒ぎは貴成のおかげで一旦沈静化したとは言え、後引きそうなので不安である。
倉庫のドアを開けると、中にいた人物が振り返った。
「…あ、篠山君」
「桜宮か。お前も備品返しに?」
「うん。私できること少ないから、こういう仕事はやりたいんだよね」
その言葉に感心する。
結構、しっかりしてんだな。
「まだ他にもあるのか?」
「あ、うん。えっと、A倉庫と、D倉庫に」
「あ、俺、どっちも行くからついでに持ってこうか?」
「えっ! いいよ、悪いし!」
何故か慌てて首を振るので、ちょっと笑って、
「効率いいじゃん」
と言うと、ちょっと考えてから、
「…じゃあ、篠山君が持ってるのでD倉庫に持ってくの私がやるから、A倉庫の分お願いできる?」
「了解」
行く道は途中まで一緒なので、一緒に歩く。
歩きながら、桜宮からじっと見られてるのに気付いた。
一度気付くと気になるな。
「…桜宮、俺になんかついてる?」
「…あ、いや、その…」
何故かしどろもどろになった桜宮に首を傾げていると、明るく声を掛けられた。
「あ、篠山と、桃ちゃんだ! 久しぶり!」
振り返ると、染谷がニコニコ笑って立っていた。
あまりにいつも通りの姿に、内心ホッとする。
この感じだと、あまり触れない方がいいだろう。
そう思って、口を開こうとした時、染谷の体が前につんのめった。
転けることは無かったが、手に持ってたファイルからプリントが散らばる。
「あ、いたの? 気が付かなかったわ」
「つーか、何でいるの? 身のほどを知れって感じじゃね」
染谷の後ろで、そう言ってゲラゲラ笑って立ち去ろうとする男子達を見て、何かが切れた。
そいつらの前に歩いて行くと、馬鹿にした感じで笑われる。
「邪魔だから、退いてくんなーい?」
明らかに馬鹿にした口調のそいつの目を見て、口を開く。
「謝れよ」
「は? 何言ってんの、お前」
「ぶつかったのお前らだろうが、謝れよ」
その言葉を笑って、無視して立ち去ろうとするそいつらを思いっきり睨んだ。
貴成みたいな迫力は無いかもしれないが、色々あったせいで朝から苛ついているのだ。
それに元々、コイツらみたいな馬鹿は心底嫌いだ。
ちょっと怯んだそいつらに続けて言う。
「もう一度言う。謝れ」
何故か固まってしまったそいつらをもう一度睨んでみると、ぼそぼそと謝罪のようなものを口にして走り去って行った。
しかし、やっぱり噂になってしまっているのか。ため息をついて振り返る。
「いっや、すごいよ、篠山! 格好いいー!」
呑気にそう言って、小さく手を叩いている染谷にガクッとなった。
「…お前なぁ」
「あ、ごめん。お礼言って無かったよね。ありがとう」
…なんと言うか、ガチで通常運転だなコイツ。
なんか気が抜けてしまった俺に、染谷が笑いながら口を開く。
「所で、大変に格好良かったんだけど、桃ちゃんが固まっちゃってるよ」
その言葉に桜宮の方を振り向くと、荷物を抱き締めたまま、固まってしまっていた。
うわ、やらかした。男子同士の喧嘩とかって女子には怖かったりするよな。
「桜宮、ごめん。…えっと、俺、プリント集めるの手伝うから、荷物先に行っててもらっていい?」
「…え、あ、うん。分かった」
声をかけると、俺の顔をまじまじと見た後、ちょっと顔を背けて頷いた。
…怖がられただろうか。ちょっとショックだ。
桜宮が去って行くのを見送ってから、散らばったプリントを集める。
集めたプリントの束を整えていると、染谷が口を開いた。
「篠山、私、あんま気にしてないから、そんなに心配してくれなくても大丈夫だからね」
「…大丈夫な訳無いだろ」
その言葉にちょっと腹が立って、顔を上げて染谷を見ると少し困った顔をして口を開いた。
「篠山は、学校貢献の特待生の詳細って知ってる?」
突然の話題に少し驚く。…そう言えば、紫田先生に聞けてないままだった。
俺の反応で分かったのだろう、染谷はやっぱりと言って続けた。
「明確には書いてないから分かりにくいんだけど、あれってさ、訳有り専用の制度なんだよね。中学校とか行けて無かった人用。だから、中学校の内申を高校で稼げって訳で色々制約とかあるんだよね」
思わず固まってしまった俺を少し笑って、染谷は続ける。
「今色々噂になってるじゃん。あれも殆んど事実なんだよね。中学三年に上がったくらいに、父親が会社のお金盗んで、浮気相手と逃げてさ。しかも、逃げてる時に、事故ってそれで捕まったという間抜け具合い。だけど、その事故の相手が私のクラスメイトの親でさ。一気に噂広がっちゃって、色々あって学校行かなくなっちゃったんだ」
何も言えなくて、思わず染谷の顔を見ると、目があった瞬間噴き出した。
「いや、そんなに深刻な顔しなくても大丈夫だよ」
「いや、深刻な話だろ!?」
思わずそう言うと、クスクス笑う。
「…でね、その時住んでたアパートの隣の部屋にさ、新米弁護士だっていうお姉さんが住んでてね。今の篠山みたいにうちの家族のことめちゃくちゃ心配してくれてさ。父親が残してったゴタゴタのこととか相談に乗ってくれて、私に勉強教えてくれて、本当に良くしてくれてね。私、すごいなって、そのお姉さんと同じ仕事に就きたいって思ったの」
染谷は本当に嬉しそうに、そう話した。
「そんな訳で、お姉さんの母校だっていうこの学校目指して、学校貢献の特待生でギリギリ滑り込めてね。今、勉強頑張ってる最中なんだ」
染谷は話すのを一旦やめて、小さくため息を吐いた。
「という訳で色々あったから、これからも大変だろうなって覚悟済みだったんだよね。なんかムカつくくらいで、結構遠くから引っ越したのに、ここまで調べてやらかすとか本当に暇人だなと思うけど、割りと予想の範囲内。それに、」
俺の顔を見て、ニンマリ笑う。
「篠山って、お節介じゃん」
「…はい?」
突然の言葉にちょっと固まる。
…え、何?
「あ、誉めてる、誉めてる。あのさ、お節介って、本当に辛い時とかに力になってくれるんだよ。ちょっとしたことでも、こんなことをしてくれた人がいるって、そのことがすごく嬉しいんだ。誰も何もしてくれないとどんどん、どうしたらいいか分からなくなっちゃうもん。誰かがお節介してくれたおかげで、色々頑張ろうって思えるよ。だから、本当にありがとう、篠山」
嬉しそうに笑ってから、微妙な顔になって、口をを開く。
「…まあ、そんな感じで黒瀬にお節介焼いたら、引かれたんだけどね。それでも、きっと、無いよりマシかなと」
どーしよかな、と呟く染谷に、最近悩んでたことが腑に落ちたような気がした。
思わず口を開く。
「…いや、こっちこそありがとう」
そう言うと、びっくりした顔をされた。
「あれ、お礼されるようなことしてないけど?」
「いや、した、した」
悩んでたんだな、俺。
何かしたいと思うけど、黒瀬に俺ができることなんて何もないんじゃないかって。
そもそも、本当に重いトラウマを解決できるなんて思っていない。
…だけど、ちょっとでも力になれるかもしれないなら、頑張りたいって思うんだ。
「なんか勇気もらった。ありがと」
そう言うと、染谷は不思議そうな顔をしつつも、笑って返した。
「こっちこそありがとう!」
それから、時計を見て、あっと呟く。
「ごめん。思ったよりも、引き留めちゃったよ」
「あ、いや大丈夫。…染谷、また、なんかあったら力になるから!」
「ありがとー、遠慮なく!」
そう言って染谷と別れて、曲がり角を曲がると、
「爽やかな感じね。実に青春!」
「うわっ!」
そう言って、肩を叩かれた。
振り返ると、いつかのように茜坂先生がケタケタ笑っていた。あ、聞いてたのは最後の言葉だけよ、とニンマリされる。
「痛いですよ。つーか、そういうのじゃありませんから!」
染谷は普通に友人だ。
「あら、そー? あ、それより、心配ないから」
「はい?」
その言葉の意味が分からなくて、首を傾げるとにっこり綺麗に笑った。
「あの噂ね、多分、一週間くらいで消えるから」
「へ?」
思わず、顔を見上げると、更に笑みを深める。
…あれ、なんかデジャ・ビュ。
「染谷さんね、私のお気にいりの生徒なの。…校内での情報戦なら、自信あるんだから」
その笑顔を見て、ぎこちなく頷く。
なんかもう色々と怖いが、それ自体は大変に嬉しいことである。…本当に敵にまわしたくないが。
「と、いうことで、篠山君は篠山君で頑張ってね!」
「はいはい、ありがとうございました!」
そう言って逃げるように立ち去りながら、息を深く吸って気合を入れ直す。
…おし、頑張りますか!
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自分でも、何でこんなことしたのか分からなかった。
それでも、駄目だろうと思うのに色々聞いてしまって。
話が終わった瞬間、じっとしていられなくなった。
軽やかに歩き出す背中に声をかける。
「染谷さん!」
驚いた顔で振り返った彼女に勇気を振り絞って伝える。
「ちょっとお時間いいですか?」
そう言うと、なんとも不思議そうな顔をして、
「大丈夫よ、桃ちゃん」
と答えてくれた。




