妖刀 腥
妖刀 腥
一日の授業が終わり、宵が部室へ向かうと
かごめと九断、いつも遅れて来る
暁までも既に来ていた。
珍しい光景に宵は思わず
部屋に入るのを躊躇った。
「どうしたんですか今日は?勢ぞろいじゃないですか」
「今日は特別な依頼が入っていてな。
宵が来たら出発しようと
思っていたところだ」
宵はそう聞かされるなり、あれよあれよと
外に連れ出されてしまった。
「どんな依頼なんですか?」
「依頼主は路端 導
というこの町で古い道具屋を
営んでいる女性だ。時折妙な物を手に入れてはどれくらいの
価値があるのか訪ねて来るのだが、その妙な物が厄介でな」
九断が続けて話す。
「古道具屋だけに物に好かれるのかはわからんが
よくもまあいわくつきの物を毎度毎度差し出してきやがる。
目利きだけは一流の変人だ」
なるほど、今回もその路端という人が新たにいわくつきの物品を見に行くという訳か。
「でも、もし本当に何か憑いていたらどうするんです?お祓いするんですか?」
「うんにゃ、導姉さん曰く「憑いているものも商品の
一部だから祓わず勝手に悪さしないようにしてくれ」とさ」
「私は感心しないのだがな。霊を封じるとその反動で
解かれた時に何があるかわからん。まったく、困ったお方だ」
三人は半ば呆れている。相当変わった人なのだろうな・・・。
---路端が営んでいる古道具屋「蓮華堂」に着いたのは
夕方になった頃だった。
古道具屋だけあってとても古い
しかし柱、床、ともよく掃除が
行き届いており威厳のある店だった。
中にお邪魔すると埃っぽい空気と
それに混じった檜の香りが迎えた。
淡い照明に照らされた椅子や箪笥の他に
何やら不気味な掛け軸や彫像などが隙間なく置かれており
宵は妙な圧迫感と睨まれている様な視線を覚えた。
絶え間無く鳴り続ける時計達が客人を迎えるように
ボーォン・・・ボォーン・・・と夕刻を知らせる。
「路端殿、例の依頼の件で参った。いらっしゃるか?」
かごめが店の奥に向かって叫ぶと
二階に続く階段からトントンと
女性が降りてきた。
「おや、かごめちゃん。わざわざありがとうね。
入って、お茶と菓子でもどうぞ」
「どうも」
「お邪魔しま~す」
おかっぱ頭で薄緑色の着物に
割烹着をきた上品そうな女性はニコリと
笑うと台所へトタトタと歩いて行った。
あの人が路端さんなのか?宵はもっと
怪しげな人のイメージを抱いていたため
少々呆気に取られていた。宵達を客間に通し軽く新人の宵の紹介が済んだ後、路端は上質な布で
覆われた細長い物をかごめの前に置いた。
これが?」
「そう、爺様の倉庫から最近見つけたのよ」
「酷道殿の倉庫で・・・?」
それを聞いた時、かごめの表情が曇った。
「あの・・・導さんのお爺さんって・・・?」
「ああ、私の爺様はこの古道具屋の初代亭主でね。名のあるコレクターだったのよ。
特に怪しい噂がある物に目がなかったからきっとこれも本物だと思う」
そう言うと導は布をそっと取り払った。
「・・・刀か・・」
それは禍々しいほどびっしり札が貼られた日本刀であった。
「すっげ~生で見たの初めてだ・・・!」
暁は感動で目がキラキラしている。
「この札は見つけた時から?」
「ええ、爺様の資料によると・・
平安時代かそれ以降に作られ、一時期辻斬りにも使われていた物で
名称は「腥」。これを買い取った者達は記録が残っているものだけだ
とほぼ全員変死体で発見されているわ」
「えええ!!それ凄くマズイものなんじゃあ・・・」
宵は堪らずかごめの腕にすがりつく。
「宵。こいつから何か感じられるか?」
宵は思わず「え?」と顔を上げ、恐る恐る刀を見た。
装飾は塗りは上質なものの大勢の人の血を
吸ってきた罪深き刀は宵の目には不気味に美しく見えた。気のせいか
刀であるにも関わらず妖艶な気を放つそれは「ああ、早く刀身を見てみたい」という気に
させてしまう何かがあった。宵は思わず息を飲んだ。刃物など包丁ぐらいしか持ったことがない。
人を殺す道具など持ったことがない宵だったが気づいた時には刀に手を伸ばし
それをかごめに止められていた。
「・・あっ!?すいませんっ・・」
「やはり、これはあまりに危険なものだ。
路端殿、今回はこの品こちらに渡して貰えないだろうか?
金は値の倍払う」
かごめが深妙な顔持ちに対して、路端は笑顔を崩さなかった。
「・・・・ん~それはちょっとな・・・かごめちゃん、路端家にも
プライドってのがあるしね。代々それで食ってきたとこもあるし。金では解決できないかな?」
表情は笑顔のまま、少し低いトーンで路端は言った。
「調子に乗るな人間・・・」
今まで静かに話を聞いていた九断が口を開いた。
「抑える力もない、消し去る力もない奴が管理だ?笑わせるな。
お前をバラバラにしてやってもいいんだぞ・・・その方が死体が増えずに済む」
「よせ、九断」
「正しい管理をすれば死人はでないわ。その辺はプロだもの。危険は承知、だから貴方達に依頼したのよ?狐さん」
言い方が勘に障ったのか、九断がより濃い殺気を放つ。机を挟んでまさに一触即発だ。
しかし普通の人間であり抵抗の手段を持たない路端はそれでも笑顔を崩さなかった。
「(うわわぁ・・・・・どうしようこの状況・・・。
自分が今口を挟んでもどうにかなる状況ではない。むしろ僕の身が危なくなるのでは?
でもこのままじゃ・・・)」
目を固く閉じ、うーん・・と悩んでいると、不意に片目に何かが触れた。
「?・・・なんかカサカサしてる??」
そっと目を開けると、片目の視界が何かで覆われていた。
見えているのは六本の足と二本の触覚、先端が尖った三角形と・・・ツンとした刺激臭。
「ひぎゃああああああああああああカメムシがメメ目メメ目えっメメ目にぃぃぃ!!!!!」
突然の絶叫に四人は度肝を抜かれた。宵は完全にパニック状態になって机をなぎ倒し
壁やドアに体を打ち、床を這い回った。
「ちょ!!宵ちゃん落ち着けっ!!止まれ!!」
暁が抑えに掛かるが宵の予測不能の動きでなかなか捕まらない。
「!!」
床を這い回った宵の手に何かが当たった。
死に物狂いの宵はそれが何もわからないままなんと手に取り振り回し始めた。
「なっ・・・刀を!!」
「暁!!取り上げろ!!」
もはや店の中は嵐の様に置物はなぎ倒され、照明は落ちのでしっちゃかめっちゃか。
威厳ある店の風格がみるみる失われていく。
「天童君お願いお店がぁぁぁぁぁ!!」
路端の悲痛な叫びも虚しく宵は所構わず周囲の物を破壊し回った。
「あ」
それは一瞬だった。少なくともかごめ、暁、路端が認識したのは宵が振り回した刀が鞘から弾みで抜け
それと同時に三人の背筋に悪寒が走ったまでだった。九断は三人寄りも一瞬の早く刀を奪い取ろうと
人型に化け、宵に飛びかかった所までは覚えているが次の瞬間には、片腕が自分より遥か後方へと
吹き飛ばされた後だった。
「・・・・あ・・」
切り飛ばされた片腕から宵に視線を戻そうとする間がまるでスローモーションに感じられ
宵の方向へ向き直した時には刀が再び振り下ろされる寸前だった。
「うおぉぉらぁ!!」
暁の回し蹴りが綺麗にみぞおちに決まる。刀と宵はそのまま物置棚に吹っ飛ばされた。
「九断!!瓶に戻れ!!」
「・・・・」
呆然とした様子で九断は何も言わずにかごめの言うことに従った。
速さが自分の最大の武器の九断にとって、正面から向かってなお敗れたのがショックだったのだろう。
「まずいことになったな。かごめ、どうする?」
「どうもこうも・・・。ここでは十分に動けん。退くぞ」
「退くって・・・どこに?」
「真月神社まで連れて行こう」
「・・・・了解」
暁は周りを見渡し、雑貨コーナーに並べてあった鋏を手に取り「導姉さんこれ借りる」と言って
自分の手の平をちょっと傷つけた。
「・・・血・・・の・・・臭い」
暁の手から滴る血に反応する様に宵はガラクタを掻き分け、濁った目で赤い雫に釘付けになった。
「よし、喰いつくと思ったぜ」
「路端殿。後日また伺わせてもらう。
「これ」は暫く預からせて貰うことになりそうだ」
壁際に張り付き固まっている路端の小さい頷きを確認するなり、かごめと暁は勢いよく店から飛び出し
この町の小さな神社を目掛けて走った。宵も刀を担ぎ、猛スピードでそれを追う。
かごめ達が先陣を切って走り出したにも関わらず僅かの間でかごめ達に追いつこうとしていた。
「マジかよ!?なんてスピードだ!!」
「おそらく・・・宵の脳のリミッターを外して無理やり肉体を動かしているんだろう」
「それって・・・・」
「ああ、奴は宵が死ぬまであの調子で襲ってくるだろうな。何としてでも宵から奴を引き剥がさなければ」
神社の手前には長く大きな石階段が存在するのだが、何故か石階段はブルドーザーでも
通ったかの様にボロボロだった。
「(古い神社だが・・・ここまでボロがきていただろうか?・・)」
かごめは階段の破損に疑問を抱きつつ、境内前までようやく到着した。
「かごめ様?そんなに慌てて、何かありましたか?」
真月神社の管理をしている色白な巫女がかごめに駆け寄ると、宵が血の気を引かせた顔で階段を上ってきた。
「見ての通りだ。結界を張ってもらえるか?」
かごめが巫女に向けて命令すると、笑顔がスッと消え、短く「承知」と答えた。煙の様に姿を消した。
「式神だったのか?」
「ああ、この神社は私が所有しているからな」
神社の周辺を淡い光が走り、辺りをゆらゆらと怪しげな呪文が浮かび上がる。
「結界を張らせてもらった。のこのこついて来たのは少々間抜けだったな」
「・・・・・・」
初めはぼんやりした様子で周辺に張られた結界を眺めていた宵はすぐに興味をなくしたようで、
再びかごめと暁に殺気を飛ばす。宵の体は限界寸前で軽く脚が痙攣していた。
先ほどまでの速さは出せないだろう。
「・・・・ククッ・・・キキキ・・・」
だがそんなことは構いやしないと言わんばかりに口元を歪ませ、一気に間合いを詰めて来た。
「あたしが行く」
横払いをかわし、右足で宵の足を払おうとしたが素早く後退され不発に終わる。
「(速い・・・死角に回られたらアウトだ。しかもこっちは丸腰・・)」
お互い相手の行動を読もうと付かず離れずの距離を保っていた。
「私が奴の動きを封じよう。時間を稼げ」
「必要ない・・・・あたしだけでやれるさ」
暁の声は低く、目の前の相手を早く殺したいという殺意が込もっていた。
「暁!宵を傷つけるのは許さんぞ・・・」
「・・・・ああ・・わかってるよ・・・きおつけるから」
いかん、完全にスイッチが入っている。早いとこ方をつけなければ・・・。
意識を集中し、拘束の「呪」を並べて行く。
「来いよ鉄屑!!」
暁が刀を目掛けて蹴り上げるが、宵は刀の鍔で受け止め押し返した。
「くっ・・!!」
よろけた瞬間、宵は暁のもう片方の足を踏んだ。
「!!?」
バランスを崩し、大きくその場に倒れる。起き上がろうとした暁の目の前に刀の切先が
突きつけられる。勝負あったなと、口元が歪む。
「ああ?何余裕かましてんだ?鉄屑」
にいぃ・・・と、口元が三日月形に避け相手を貫く程の睨みを返す。
「!」
倒れた状態から下半身の力だけで体を浮かせ宵の腕に足を絡ませる。すぐ引き剥がそうとしたが間に合わず
ゴキリッと鈍い音を宵は体の内側から聞いた。
「クク・・・ざまぁねえな・・・右腕はもう使い物にならんぞ・・・って
またかごめに怒られちゃうなぁ・・・・ククッ」
起き上がり、愉快と落胆が込められた乾いた笑いを浮かべる。他者から見れば狂人の域だ。
「・・・・・・」
折れた腕がぶらんと力なく揺れる。左腕で刀を振るが、どうもしっくりこないという様子だ。
その時、「呪」に集中しているかごめが宵の目に止まる。
「・・まずい!!」
暁が気づくとほぼ同時に宵は暁に目もくれず一直線にかごめにに向かっていた。
「待て!!」
暁が止めようと追うが、一瞬早く動いた宵には追いつかない。
「かごめぇ!!!」
「(!?)」
集中していたかごめは暁の叫び声で
僅かに現実に意識が戻る。
宵はもう目の前でかごめに向けて刃を突き立てる寸前---
「なっ・・・・」
かごめは目を疑った。
ばたばたばた、と血の水溜りが地面を染める。
「ゴボッ・・・・でめぇ・・・ッ!!」
鈍い光を放つ刃の半分が暁の腹に深々と突き刺ささる。
暁は自分の中に無機物がある違和感に血と嘔吐物をぶち撒ける。
「(馬鹿者・・・私など庇いおって・・・)」
今、集中を解くと「呪」が無駄になる。だが暁の出血量は酷い。
「はっ・・・・はぁッ・・・・ッ!!」
汗、涙、涎、血。様々な
液体が自分から流れているのを感じる。
混濁していく意識をまでも
流れていってしまう様だ。
「(死んで・・・たまるか・・・
死んでたまるかっ!・・・しんで・・・)」
助かりたいか?
体の内側がらの声が問いかける。
「・・・ああ?」
暁。と言ったな?娘よ。
「誰だてめえ・・・」
腥と、人からはそう呼ばれている。
暁、お前は気に入ったぞ。その黒い殺意。
闘争心。我の「鞘」にふさわしい。
「鞘・・・?」
その身を捧げよ。
代わりに我が力を思うがままに使うことを許そう。
「・・力?・・・力が・・・手に入る?」
そうだ。さあ、我と・・・
「そこまでだ」
暁の体から刀が勢いよく刀が
引き抜かれ、血が噴水の様にほとばしる。
「がふ!!?・・・が・・・ぁ!」
朦朧とした意識が一気に覚醒し、また一気に出血による脱力感に見舞わられる。
ぐらりと視界が歪み、血の水溜りに膝をつく。
「倉庫で燻っていた割りには元気じゃないか」
ニコリとかごめは笑うが、声には確かな憎悪が宿っている。
「・・・・臭い・・・」
「?」
「お前は臭い・・・」
宵は眉をしかめ、苦虫でも噛み潰した顔でかごめを睨みつけた。
「汚い・・・血も出ない・・・死もしない連中の臭いだ。
が、人間の臭いもする・・・
気味の悪い奴だ・・・キキキキっ!」
刀についた血をべろりと舐め、再び構え直した。
「お前は切り刻めば死ぬか?」
宵はかごめと一気に距離を詰め、首を跳ねようと刃を突き立て---
「?」
「惜しかったな」
刃はかごめに届く寸前で止まった。
宵には何が起こったのかわからなかったが
わかることは体の指先から足の先まで
動かせないということと、よくは見えないが
半透明の鎖の様なものが無数に体に巻きついていることだ。
「やはり狐か狸か?それなら殺せるかな?」
「それ以上無駄口を叩くと海に沈めるぞ鉄屑が」
「おお、それは恐ろしい・・・」
「この人間から今すぐ離れろ」
「・・・ああそうしよう。こいつは柔すぎる」
宵の体から力が抜けていくのが見て取れる。
ようやく諦めたかとかごめは少し気を緩めた瞬間----
バキンッ!!
宵の左腕を捉えていた鎖が音を立てて砕ける。
宵はそのまま刀を血溜まりに倒れている暁の近くに突き刺さる。
「「この娘は気に入った」」
暁と宵。否、妖刀 腥は暁の右手で
刀を持ち、血溜まりから立ち上がった。
「・・・それももう使い物にならんのではないか?」
「ククッ・・・ゲボッ・・・
そうでもないさ・・・お前はわかっていない
・・・・・この・・娘の
・・クク・・・狂気に」
「・・・・・・化け物め」
「ゴボッ・・・それはお互い様だろう?」
暁が歩く後には紅い川ができる。
暁はまるで川を生み出す泉だった。
禍々しい光景にかごめは思わず後ずさりした。
「ああ・・・麗しい・・・
だが血だけでは足りない。肉を刻む感触、
骨を砕く快楽がなければ、この世に
しがみついている意味がない。
クククク・・・」
腹から溢れる血を掬い、口へ運ぶ。
「あはははははっはっはっはは!!!!」
さっきとは比べものにならない速さで
かごめに接近し、かごめに回し蹴りを食らわす。
かごめは「ぐっ・・」と小さく呻き
狛犬像に叩きつけられる。
「何回で心臓に突き刺さるか。
人間と同じ位置にあれば一発だがな!」
暁は肋骨に引っかからないよう
刀を横に持ち、かごめの心臓に狙いをつけ一気に突いた。
「 」
「!?」
刀がかごめを貫くことはなかった。
あろうことか、かごめは素の手で
受け止めていたのだ。
剥き出しの刀身を
血に染まった刃を。
「ば・・・かな・・・」
暁が両腕で刀を押すが、ビクリとも固定された様に動かない。
「人殺しの道具では」
かごめは空いた片手で刀身を撫ぜる。
「私は殺せない」
バキンッと音を立てて、刀は折れた。
「!!?」
暁は一瞬苦悶の表情を見せ
糸が切れた人形の様にパタリと崩れ落ちた。
「暁」
かごめが傍により
呼びかけるが返事はない。
気を失っている。
「どういうことだ・・・?これは・・・」
あれだけ動いて、普通の人間ならば
出血死しているはずだが
暁の脈はかろうじて動いていた。
「(血が凍っている!?腥の影響か?)」
死をまぬがれたのは暁の血液が凍り
出血を防いだためと見える。
この環境で血が凍るなど考えられない。
腥が戦闘中に死なれては困るためのものだろう。
「宵!!」
こちらは全身打撲といったところか。
身体中に青痣が見られ、おまけに片腕も折れている。
「頭を打ってなければいいのだが・・・」
今回の件、用心した方がいいとは
思っていたが凄まじい痛手だ。
特に暁は時間の問題だろう。
「蛇、いるか?」
「ええここに」
近くの茂みから小さな
黒い蛇が顔をだし、かごめの声に答えた。
「また盗み見か・・・悪趣味な奴だ・・・」
「恐れ入ります。この町の出来事を
把握しているのは畜生や乞食や
忌々しい鴉だけではないと言うことですよ」
黒い蛇は茂みより這い出て白髪に黒装束の少年に姿を変え、ゲテゲテと笑った。
「お前と話をしていても不愉快なだけだ。黙って二人をネブラの所まで運べ」
「あの吸血鬼のヤブ医者の所に?ああ、たまには餌を与えないとあの減らず口は黙りませんからねぇ」
その言葉が勘に触ったのだろう。暁は蛇の首を掴み、ギリギリと締め始めた。
「その喧しい戯言を垂れ流す首を今すぐ落としてやろうか・・・蛇よ・・」
「ククッ・・・出てますぜ?本性・・・」
白い髪の間から見える漆黒の眼と鬼灯の様な紅い瞳と目が合う。
その時初めて自分の腕に鱗が浮かび上がっていることに気づいた。
「!?」
「ククッ・・・・まあそうビクビクしなさんな
・・・誰も見ちゃいない」
ゲテゲテと蛇は笑いながら自分の影から使い魔を呼び出し、暁と宵を担がせた。
「貴様・・・・」
行きますぜ。まあ、まだ日が完全に沈んじゃいないから
会ってくれるかも微妙ですがね・・・・クククク・・・」
かごめは怒りを抑えつつ蛇と共に町外れの廃墟へと向かった。
ネブラに初めてあったのは
私が真月町にやって来たばかりの
新月の夜だった。光のない闇夜に溶ける
その姿はまさに吸血鬼であり
そこらの妖怪とは比べものに
ならない程の力を持っていると
すぐにわかった。
意外な事にその吸血鬼は物分りがよく
報酬に血液か血清を提供してくれれば
この町の安全に協力しよう。
と交渉を持ちかけて来た。
こちらにしては願っても無い条件だったが
問題は信頼できるかどうかだった。
ネブラが住処にしている廃墟は年柄ジメジメした
暗い森の中に存在し、更に人が寄り付かないためか
サイケデリックな模様が施されている
(最もこれは趣味の延長の様な
ものらしいが普通の人間には
悪趣味な落書き)。
かごめ壊れかかった鉄製の分厚い扉をコンコンと叩く。
「ネブラいるか?私だ。急だが治療を頼みたい」
「・・・・どなたでしょうか?」
ドアを開けてくれたのは顔色の悪い
ゴシックドレスを身に纏った灰色髪の少女だった。この子は確か・・・。
「ヤブ医者の助手ゾンビか。相変わらず辛気臭い顔ですな」
「蛇。お前は黙っていろ」
「ゾンビではありません、グールです。理性のない死体と同一視されるのは極めて心外です」
口調は怒っているが、声や顔の表情は
一切動かない彼女はネブラの
助手であり彼の従僕。
言ってはなんだが理性などあってない様なものだ。
「ネブラに会わせてもらえないだろうか?」
「主人は現在就寝中でございます」
「頼む。死にそうな奴がいるんだ。報酬は倍払うと伝えてくれ」
「・・・・少々お待ちください」
そう言って少女は廃墟の中に引っ込んでしまった。
しばらく待つと「どうぞお入りください」と
中に通された。ネブラが条件を飲んでくれたのだろう。
「こちらが診察室になります」
廃墟の地下にある長い廊下の
突き当たりの部屋に通された。
廊下は古びてひび割れが目立ち、光が蝋燭のみでうっかり躓きそうになる。
「いつ来ても掃き溜めの様な場所ですねぇ。ま、嫌いじゃないですが」
蛇の意見に同意するわけではないが
確かに酷い場所だと思う。
特に地下は湿度が高くて空気が悪い。
本当はこんな所に暁と宵を連れて来たくは
なかったが、頼れる者が他にいなかった。
特に医者は。
「ネブラ。入るぞ」
扉を開けると、物凄い勢いで何かが頬をかすめた。
「あ!おっし~・・・もう少し右だったら命中だったのにな~」
廃墟の主が悔しそうに地団駄を踏む。
「・・・何のマネだネブラ」
「ん?最近ハマってんの。ダーツ」
薄暗い部屋の奥に鎮座しているふざけた落書きの描かれたバケツを被った白衣の男がケケケと笑った。
「しかしどういう料簡だいかごめちゅぁ~ん?こんな時間に訪ねて来るなんて、非常識って奴だよ?」
「それについては詫びよう。だが今は・・」
「患者をよこしなさい」
かごめの返事を切る様にネブラは診察台を蹴りよこした。
かごめはこういうネブラの性格を苦手としていた。気まぐれと言うのか、切り替えが異常に早い一面があるのだ。
「うっわ~こりゃまた酷いね。こっちの少年はともかく、暁ちゃんは体に穴空いてるじゃん?」
「・・・一悶着あってな」
「ふーん・・・そいつ死んだ?」
「・・・わからん。本体は破壊したが、そいつが消滅した様には見えなかった」
「ケケケッ!了解了解~。じゃあ治療始めるから暫く出てってね」
二人をネブラに任せ、かごめは外で待つことにした。幾ら血に飢えた吸血鬼だからと言って
見境なく襲うほど奴は堕ちてはいない。ネブラ自身もかごめを敵に回せば
どうなるかわかっているはずだ。しかし、バックヤードが抑止力になっているとはいえ
何を考えているかわからない奴だ。
「ではご主人。私は下がらせてもらいますぜ」
役目を終えた蛇は窓から外に出ようと脚を淵に掛けた。
「お人好しのご主人に警告しますぜ・・・余り吸血鬼を信用しないことです。人の形をしているとはいえ所詮鬼。
下種な生き物です」
「鬼・・・ね」
「純粋な鬼ならば即首を跳ねる所をわざわざ生かしてやってるのです。あ、心臓を潰さないと死なんのでしたっけ?
まあどちらにせよ奴隷の様に働かせればいいものを・・・理解に苦しみます」
「私は庇っているつもりも、奴隷にするつもりもない。ただ・・・」
「ただ・・?」
・・・私は、「鬼」を恨みきれていないのだろうか?
「いや、いい・・・下がれ・・・」
「・・・・・そんなんじゃあ、いずれ足元をすくわれますよ?ククク・・」
そう言い残すと、蛇は窓からふわり外に飛び出して行ってしまった。
「私は・・・鬼を許すつもりはない。あの人の為にも・・・・・・・」
私は強く拳を握り締めた。その時私を襲ったのは自分の無力さだけではなかった。
まざまざと蘇る忌まわしい記憶。あの日、焼き払われた村で、あの人の亡骸に私は誓った。
彼女を狂わせたものを許さない、二度とこの様な事が起きる事を許しはしないと。
体がわなわなと震えるのを感じる。武者震いか、はたまた恐怖からか。
「宵・・・せめてお前だけでも・・クク・」
かごめはその場にうずくまって、暫く動けなかった。
「あ、かごめさん!ご心配かけました・・・」
かごめが診察室を訪ねると、宵が気がついたらしく声をかけてきた。
「まだ痛むか?」
「腕以外はちょっと打っただけですから、休めば治るってネブラさんが」
身体中湿布だらけの宵はハハハと力なく笑った。
「天童君はもう帰っても大丈夫よ。まあ無理な運動は控えてね」
「はい。ありがとうございました」
「でも君、男にしては肌が綺麗だねぇ。血色も良さそうだ」
「え?」
「ネブラ・・・・」
「ジョークだよジョーク!もうかごめちゃん怖い!!」
ネブラは両手を上げて震えて見せた。
「かごめさん、いじめちゃかわいそうですよ・・・」
宵のポツリと言った言葉にネブラの動きがピタリと止まった。
「いじめ?僕が?かごめちゃんに?・・・・ぷふっ!!あははは!!
マジ!?受けるわ~。
かごめちゃんこの子面白いね」
「はぁ・・・、変わった方ですね」
宵はそそそとかごめに寄って小声で言った。怯えているようだ。
「あ、天童君。僕達ちょっと感じ悪い話するから、部屋から出てもらえる?」
「え?はい・・・わかりました」
「(感じ悪い話?)」
宵が部屋から出すと、さっきまでゲラゲラ笑っていたネブラの周りを取り巻く空気がまたガラリと変わった気がする。
ネブラは掛けていた椅子でぐるぐる回りながらかごめに問いかけた。
「暁ちゃんを刺した刀ってどんな物?」
「!」
「彼女の中に何かいるよ」
ぞわりと背筋が凍った。
「正確には暁ちゃんの血液とほぼ同化している。僕じゃなきゃわかんなかっただろうな~。
たぶんかごめちゃんが回収した刀はもうただの刀になっちゃったと思う」
「・・・では、腥は・・・・」
「ま、死にはしないんじゃないかな?」
「死にはしないだと?この惨状でよくも悠長な口を叩けるな。
引き剥がす方法はないのか!?」
「出来るけど、暁ちゃんたぶん死ぬよ?」
必死のかごめとは対照的にネブラの口調は軽い物だった。
「ではどうすればいいのだ・・・」
「うーん。暫く様子見た方がいいんじゃないかな?暁ちゃんもそんな柔な子じゃないし。
僕らが出来ることはもう無いよ」
この日、暁が目覚めるまではネブラに任せる事にし、宵とかごめは帰路につきことになった。
暁の父親には「優梨はかごめの家に暫く泊まっている」と軽く暗示をかけた。
暁の妹の方はかごめと面識があったので「無事ならそれでいいです。姉貴をよろしくお願いします」
と納得した。
「僕・・その・・・なんて言えばいいのか・・・」
「いや、いい。私の方こそすまなかった」
アパートの前まで送っもらった宵は俯いて涙ぐんでか細い声で「ごめんなさい」と言った。
「・・・・・」
あの人の最後の言葉も、「ごめんなさい」だった。
「!?」
かごめは宵の首に手を回し、グイッと自分の方に引き寄せた。かごめの銀の髪が宵の頬に触れる。
「か・・・かごめさん何を!」
「静かにしろ」
驚いて離れようとするが、がっちり掴まれて動けない。宵は顔を真っ赤にしながら大人しく従った。
「(・・・雨の匂いがする・・・)」
銀の髪からは雨を連想させるなんとも言えない香りがした。徐々に気持ちは落ち着いたが宵の目からは
また涙がポツリと落ち、かごめの着物に滲んだ。
「(このまま・・・私の何もかもを捨て去れたらいいのに)」
つづく