転機
時が過ぎ、ペロセポネは族長の息子に嫁ぐことになった。
親同士が決めた婚姻だが、ペロセポネはそれなりに満足していた。
夫とは、深い愛情とまでは言わないものの、それなりに相性が良いと感じられたし、
立場上、族長や夫の仕事を手伝うこともあり、そうでなくても耳に入る情報が増えた。
聡明な嫁をかわいがり、夫のよきパートナーとなると直感した族長は、事あるごとに外の世界やこの南域の実情をペロセポネに教えた。
知的欲求が刺激され、世界が広がった。
彼女が政治の表舞台に立つのは、これからだ。
ある日、バハリク朝から運命への道筋を作る、重大な通知が来た。
バハリク朝が利用する文字・言語で、ペロセポネは勉強中ではあるが、だいたい読めた。
要約すると、こんな感じだ。
「南域の治安を乱す不穏な企てと行いを直ちにやめよ。
承服の証として族長の長男 -- ペロセポネの夫のことである -- をトルダト神教皇国政府に対して人質として送ること。
さもなければ、南域の諸領に招集をかけて軍隊を派遣し、一族や縁者の逮捕に踏み切る」
寝耳に水だった。
族長や有力者たちは話し合った。
「戦を画策しているなど、あちらに赴いて弁明をすべきなんじゃないか?」
「どうかな。そもそもこれは意図的な言いがかりなんじゃ…。だったら時間をかけるよりも、すぐに要求に従う方がいい」
族長は自分の息子のことであるがゆえに、公の場で、自己都合のは反対意見を、強くは言えなかった。
代わりに族長自身が行くこともあるが、少しでも相手の意向と異なる行いは予期せぬ刺激を与えるという結論になった。
人質は生かされているから意味がある。
何も、殺されるわけではない。
弁明も、息子が自ら行えば良い。
息子に族長の座を譲るために、それなりの学問と経験を与えてきた。
できないことはないだろう。
***
決まれば早かった。
時間をかければかけるほど、バハリク朝の心象を損ねる。
バハリク朝から使者が派遣された。
目的は、人質の身元を保証するため、ペロセポネの夫に随行することであった。
その随行人の名前はなんといったか。
それとも名乗らなかったか…。
随行人は、いったいどういう顔で迎えに来るのだろう。
厚顔無恥も甚だしい。
ペロセポネはよく観察することにした。
使者は護衛を含め、数名でやってきたのだが、代表者は…。
無表情だった。
しかし、何かをこらえるような、作ったような無表情だった。
この者は、どこまで、何を知っていて、どういう気持ちでいるのだろう。
その無表情さが、逆に印象を色濃くした。
我らの思いを汲み取ってくれる者がいてほしい。
あわよくば、夫や我々に有利に手助けしてほしい。
利発なペロセポネであるから、そんな願望が混ざっていたのかもしれない。
いや、単に感情を交えず、事務的に淡々とこなそうとしたのかもしれない。
むしろ、ただ緊張していただけかもしれない。彼らにとっては、この場は敵地ともいえるのだから。
いずれにしろ、夫は旅立ってしまった。
夫婦としての愛は、まだ理解できていないペロセポネ。
それでも、寂しさや不安は感じた。
そして、それ以上に感じたのが、力の論理により弱者が被る理不尽だった。
そして族長は、息子を人質として送り出すことに反対しない、ことなかれ主義な地元有力者よりも、嫁・ペロセポネを頼るようになっていく。
***
ペロセポネの運命を決定づけたのは、それから数カ月後だった。
夫が彼の地で亡くなったという。
バハリク朝からの通知文は簡潔だった。
読み終えたあとも、しばらくその場を動けなかった。
ペロセポネは夫のことを、少なくとも仲のいい友人くらいには思っていた。
夫婦としての愛は薄くても、その死を聞いて動揺しないわけがない。
亡くなった原因は「不養生」としか書かれておらず、哀悼の辞も、釈明もなかった。
ただ、次のような指示があった。なお、内容は要約し、わかりやすくするために表現も改定している。
「新たな人質は不要。ただし、新たな領主は当方から派遣する。現領主は引退し、正式な領主後任が決まるまでは、亡き人質の妻を代理とせよ」
領主とは族長のことである。
バハリク朝は、氏族ごとの土地を「領」と呼び、
地図の上に線を引いて区切る。
その線は、彼女がかつて祖父母から聞いた「昔は曖昧だった」という話を過去のものにしていた。
話を戻すが、聡明なペロセポネも、唐突すぎるこの指令には困惑した。
族長は存外、落ち着いている。
むしろ彼女の心情を慮ってくれている。
手紙での通知で息子の死を聞いても実感がわかないかもしれない。
本気にしていないのかもしれない。
それとも、もともと覚悟をしていたのか…。
少なくとも、彼女や地元有力者の前では現族長として気丈に振る舞っていた。
忙しく振る舞うことで、悲しみから逃げていたのだろうか。
族長は彼女に対し、一つ一つ噛み締めるように言った。
「この指示に逆らうことはできない。反論しても兵力でどうにかしようとするだろう。しかも北方からではない。攻めてくるのは近隣の氏族だ。巻き込んですまない」
族長は、今度は有力者を説き伏せる側にまわった。
「朝廷は我々から自治を取り上げ直轄地にしようとしている。どうする? 誇りに殉じるか、臥薪嘗胆、耐え忍ぶか。一般の人々を見てみろ。バハリク朝の支配を当たり前に思っている民衆がほとんどだ。彼らにとって、領主が変わったところで、何も違いを感じはしないだろう」
民衆を巻き込み、無駄死にをするくらいなら、生き抜くことを優先しよう。
族長は、気丈に見えても、やはり息子をうしなって弱気になったのか。
会議に参加する有力者たちは、そうも思ったが、負けるとわかっている戦をしたい者はいなかった。
誇りは、勝算があってこそ意味を持つ。
負けてすべてを失うよりは、
新領主に取り入る方がまだ現実的だった。
バハリク朝が代理に族長の嫁を指名してきた意図はわからない。
ペロセポネは考えた。
たぶん、あまり意味はないのだろう。
代理として指名するには、ある程度、周囲がなっとくするための立場が必要だ。
偶然、政務のお手伝いはしているものの、バハリク朝からみれば、彼女に政治経験はない。
また、この地域では男子相続の一般的である。
何か特別な意図があるのかもしれないし、ないのかもしれない。
族長は有力者たちに言った。
「やつらの求め通り引退はするが、もちろん陰ながら彼女のサポートはする。諸君も協力してくれ。…お願いする」
悲しみと怒りを内に秘めた、一人の父親に見えた。




