婚約破棄されましたが、残業のない生活が手に入ったので最高です
【修正版・本文】
王宮の大舞踏会。
きらびやかなシャンデリアの下、貴族たちが優雅に踊っている。
私――エリアナ・ロゼッティは、婚約者であるルシアン第二王子の隣に立っていた。
「皆様、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
ルシアンが突然、大きな声で言った。
音楽が止まり、会場の視線が一斉にこちらに集まる。
(え……? 何を……?)
「本日、大切な発表があります」
ルシアンは私を一瞥すると、冷たい声で言った。
「エリアナ・ロゼッティとの婚約を、破棄させていただきます」
――え?
会場がざわついた。
「理由は単純です。彼女は地味で華がなく、王族の妃として相応しくない」
「三年間、様子を見ましたが、改善の余地が見られませんでした」
心臓が、凍りついた。
いや、違う。
凍りついたのではない。
――ああ、やっぱり。
予想通りだった。
「ルシアン様……」
隣にいた令嬢――シルヴィアが、涙ぐんだ顔でルシアンに寄り添う。
「彼女こそが、私の真の婚約者です」
会場がさらにざわめく。
同情の視線。
嘲笑の視線。
好奇の視線。
全てが、私に向けられている。
(……最悪だ)
(こんな公開処刑みたいな形で破棄するなんて)
でも。
「……そうですか。承知しました」
私は静かに、一礼した。
「お幸せに」
そして、踵を返す。
「え、エリアナ? 何か言い返さないのかい?」
ルシアンが戸惑った声を上げたが、無視した。
背筋を伸ばし、堂々と会場を歩く。
群衆が道を開ける。
誰も、声をかけてこない。
ただ、ひそひそと噂話をする声だけが聞こえる。
「可哀想に……」
「でも、確かに地味よね」
「王子様には釣り合わないわ」
(……うるさい)
(どうでもいい)
外に出た。
夜風が、頬を撫でる。
(やっと……)
(やっと、解放される……!)
私は小さく、ガッツポーズをした。
(もう二度と、あの男のために無償で残業しなくていいんだ!)
そう。私には、前世の記憶がある。
ブラック企業で働いていたOL。
毎日深夜まで残業し、休日出勤は当たり前。
手柄は全て上司のものになり、私の名前は誰も知らない。
そして――過労死した。
次に目を覚ましたら、この異世界の伯爵令嬢として転生していた。
最初は「今度こそ幸せになれるかも」と思った。
でも、ルシアンと婚約してから、全てが前世と同じだと気づいた。
この三年間。
私はルシアンの婚約者として、彼の公務を全て手伝ってきた。
書類作成、外交文書の読み込み、交渉の下準備、社交界での根回し。
全て、私の仕事だった。
成果? もちろん、全てルシアンの手柄になった。
感謝? 一度もされたことがない。
報酬? ゼロだ。
(前世と、まるで同じ)
(搾取される側)
(評価されない側)
(消耗品として扱われる側)
(でも、もういい)
(婚約破棄? 最高じゃないか)
(あんな公開処刑みたいな形は最悪だったけど……)
(それでも、これでようやく自由になれる)
「ロゼッティ令嬢」
突然、声をかけられた。
振り返ると、一人の男性が立っている。
セバスティアン・アッシュフォード。
宰相を務める冷血公爵だ。
「アッシュフォード公爵様……?」
「先ほどの件、見ていました」
(……最悪)
(あの屈辱的な場面を、この人にも見られていたのか)
「その、お恥ずかしいところを……」
「いいえ。恥ずべきは、あなたではない」
セバスティアンは真剣な表情で言った。
「ルシアン殿下の方です」
「……え?」
「三年間、あなたがどれだけ彼のために働いてきたか。私は知っています」
彼は一歩近づいた。
「書類の筆跡で、わかります」
「ルシアン殿下の名で提出された文書の大半は、あなたが書いたものだ」
「っ!」
「あなたは、無償で国政に貢献してきた」
「それを『地味で華がない』などと言って切り捨てる。彼は本当に愚かだ」
(この人……)
(私の仕事を、見ていてくれたの……?)
「ロゼッティ令嬢。いや、エリアナ」
セバスティアンは私の目をまっすぐ見つめた。
「私の下で、働いてもらえないだろうか」
「……は?」
「あなたの能力が必要だ」
彼は一枚の羊皮紙を取り出した。
「これが雇用契約書だ。条件を読んでほしい」
私は震える手で受け取った。
『勤務時間: 週5日、1日6時間』
『休日: 完全保証。緊急時以外の呼び出しなし』
『報酬: 月額500ゴールド(通常の文官の10倍)』
『業務内容: 国政書類の作成・整理・助言』
(……え?)
(これって……)
(ホワイト企業の求人じゃないか!?)
「本当に……これでいいんですか?」
思わず聞き返すと、セバスティアンは頷いた。
「あなたの能力には、それだけの価値がある」
「無償で使い潰す気はない。正当に評価し、正当に報酬を支払う」
(前世では、夢のような条件……)
(いや、前世どころか、この世界でも破格すぎる)
「どうだろう。受けてもらえるか?」
「……お受けします!」
私は即答した。
(さっきまで、大勢の前で恥をかかされて)
(でも、今、ここで救われた)
(この人は、私の価値を見てくれている)
セバスティアンは優しく微笑んだ。
「ありがとう。明日から、公爵邸に来てほしい」
「はい!」
(あの公開処刺は、確かに屈辱的だった)
(でも、それがなければ、この人と出会えなかった)
(もしかしたら、これは……)
(最高の転機なのかもしれない)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日。
公爵邸での勤務が始まった。
初日から、私は衝撃を受けた。
「今日はこれで終わりだ。もう帰っていい」
時計を見ると、18時。
(ほ、本当に定時で帰れる……!)
前世では、18時はまだ仕事の序盤だった。
ルシアンの下でも、深夜まで働くのが当たり前だった。
それが、18時に「もう帰っていい」?
(天国か?)
「どうかしたか?」
「い、いえ! ありがとうございます!」
セバスティアンは不思議そうな顔をしている。
「当たり前のことだ。決まった時間を守るのは、雇用者の義務だ」
(この人……本物のホワイト上司だ……!)
仕事内容も素晴らしかった。
私が作成した書類を、セバスティアンは必ず最後まで読んでくれる。
良い点は具体的に褒め、改善点は建設的に指摘してくれる。
「この交渉案、素晴らしい。隣国も納得せざるを得ないだろう」
「あなたの分析は的確だ。これなら王も安心する」
(評価されてる……)
(ちゃんと、私の仕事を見てくれている……!)
涙が出そうになった。
前世でも、ルシアンの下でも、こんな風に評価されたことは一度もなかった。
「エリアナ」
「は、はい!」
セバスティアンは名前で呼んでくれる。
ルシアンは三年間、一度も名前で呼んでくれなかった。
いつも「君」か「ロゼッティ令嬢」だった。
「無理はしないでくれ。体調が悪いなら、いつでも休んでいい」
「……ありがとうございます」
(この人、本当に優しい……)
冷血公爵と呼ばれているが、それは仕事に厳しいだけで、人には優しいのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一ヶ月が経った。
私は毎日、定時に帰り、休日はしっかり休み、正当な報酬を受け取っていた。
(幸せすぎる……)
(あの舞踏会での屈辱が、嘘みたい)
ある日、セバスティアンが珍しく笑顔を見せた。
「あなたのおかげで、仕事が本当に楽になった」
「そ、そんな……私はただ……」
「いや、本当だ」
彼は書類の束を指差した。
「これまで一人で処理していた書類を、あなたが半分以上やってくれている」
「しかも、クオリティが私以上だ」
「……過大評価です」
「違う。これは正当な評価だ」
セバスティアンは真剣な顔で言った。
「あなたを手放したルシアン殿下は、本当に愚かだ」
「あれほどの有能な人材を、公衆の面前で侮辱して捨てるとは」
(……この人は、わかってくれている)
(私の価値を、ちゃんと理解してくれている)
胸が温かくなった。
そして、気づいた。
(私、この人のこと……)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから二ヶ月後。
王宮から、招待状が届いた。
またしても、大舞踏会だ。
「行きたくない……」
前回の屈辱が蘇る。
「エリアナ」
セバスティアンが優しく声をかけた。
「一緒に行こう。私がついている」
「でも……」
「大丈夫だ。誰もあなたを傷つけさせない」
彼の言葉に、勇気をもらった。
「……はい」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
舞踏会当日。
会場に入ると、またしても視線が集まった。
前回とは違う、好奇の視線。
「あれが、ロゼッティ令嬢……」
「公爵様の隣にいるわ」
「噂では、公爵様の秘書として大活躍してるらしいわよ」
(噂が……広まってる?)
「エリアナ」
セバスティアンが私の手を取った。
「踊ろう」
「え……!」
彼は私を舞踏の輪に誘った。
音楽が流れる。
セバスティアンのリードで、私たちは優雅に踊る。
(こんなの……)
(ルシアンとは、一度もなかった)
三年間の婚約期間中、ルシアンは一度も私を舞踏に誘わなかった。
いつも、他の令嬢たちと踊っていた。
「エリアナ」
「はい?」
「あなたは美しい」
「……え?」
「地味? 華がない?」
セバスティアンは優しく微笑んだ。
「馬鹿げている。あなたは誰よりも輝いている」
(この人……)
涙が出そうになった。
その時。
「エリアナ!」
ルシアンが近づいてきた。
「久しぶりだね」
「……ルシアン様」
「その、あの時は言い過ぎた」
(今更……?)
「君が公爵の下で働いていると聞いた」
「戻ってきてくれないか? 僕を、もう一度助けてほしい」
私は静かに首を横に振った。
「お断りします」
「な、なぜだ!」
「私には今、正当に評価してくださる方がいますので」
「正当に? あの冷血公爵が?」
「はい」
私は胸を張った。
「セバスティアン様は、私の仕事を正当に評価し、正当に報酬を支払ってくださいます」
「公衆の面前で侮辱するようなことも、なさいません」
「それに――」
私はセバスティアンを見上げた。
「私を『美しい』と言ってくださる方です」
「エリアナ……」
ルシアンの顔が歪んだ。
その時、シルヴィアが割り込んできた。
「ルシアン様! こんな地味な女より、私の方が相応しいわ!」
「シルヴィア……」
「そうよ! ルシアン様の手柄は全て、ルシアン様ご自身の力でしょう!」
その瞬間、会場がざわついた。
王が立ち上がった。
「ルシアン。その件について、話がある」
「と、父上……?」
「アッシュフォード公爵から、興味深い報告を受けた」
セバスティアンが一歩前に出た。
「陛下。これをご覧ください」
彼は何枚かの書類を広げた。
「これらはルシアン殿下の名で提出された外交文書です」
「しかし、よく見てください。全ての書類に、小さく『ER』というイニシャルが記されています」
(あ……)
(私が何気なく書いていたイニシャル……!)
「エリアナ・ロゼッティ。彼女のイニシャルです」
「つまり、この三年間の成果は、全てロゼッティ令嬢の功績だったのです」
会場が静まり返った。
王は厳しい表情でルシアンを見た。
「ルシアン。これは本当か?」
「そ、それは……」
「答えろ」
「……事実です」
どよめきが広がった。
王は深くため息をついた。
「失望した。お前は彼女に無償で働かせ、手柄を奪い、そして公衆の面前で侮辱した」
「王族として、いや、人として最低の行為だ」
「も、申し訳ございません……!」
ルシアンは膝をついた。
シルヴィアも青ざめている。
(ああ、これが……)
(本当のざまぁ、というやつか)
不思議と、爽快感があった。
復讐ではない。
ただ、真実が明らかになっただけ。
そして――あの屈辱的な婚約破棄が、今、倍返しになっている。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
舞踏会の後、セバスティアンと二人で公爵邸の庭園を歩いていた。
「さっきは、ありがとうございました」
「礼には及ばない。当然のことをしただけだ」
「でも……」
「エリアナ」
セバスティアンが立ち止まった。
「私は、あの舞踏会であなたを見た時から、あなたに惹かれていた」
「え……」
「あの時、あなたは大勢の前で侮辱された」
「でも、泣きもせず、怒りもせず、ただ静かに去った」
「その品格に、私は心を奪われた」
(あの、最悪の瞬間を……?)
「そして、あなたの能力を知った」
「あなたの聡明さ、努力家なところ、そして自分を大切にするところ」
「全てが、素晴らしいと思った」
(この人……)
「あなたを妻として迎えたい」
「っ!」
「私と結婚してくれないか?」
頭が真っ白になった。
「わ、私なんかで……本当にいいんですか……?」
「あなた以外にいない」
セバスティアンは私の手を取った。
「あなたは私の全てだ」
「仕事のパートナーとして、人生のパートナーとして」
「誰にも渡したくない」
(この人……)
(本当に、私を……)
「無理はさせない。あなたの時間を大切にする」
「定時退社も、休日も、全て守る」
「約束だ」
涙が溢れた。
「はい……!」
「喜んで、お受けします……!」
セバスティアンは優しく微笑んだ。
そして、私を抱きしめた。
「ありがとう。あなたがいてくれて、本当に良かった」
(あの屈辱的な婚約破棄がなければ)
(この幸せはなかった)
(だから――)
(婚約破棄されて、本当に良かった)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
それから半年後。
私とセバスティアンは結婚した。
式には、ルシアンもシルヴィアも招待しなかった。
王は祝福してくれ、多くの貴族が祝辞を述べた。
新居での生活は、想像以上に幸せだった。
「今日はここまでだ。夕食にしよう」
「はい!」
18時になると、セバスティアンは必ず仕事を切り上げる。
私たちは一緒にダイニングで夕食を取る。
「今日はどうだった?」
「順調でした。新しい交易協定の草案ができましたよ」
「さすがだ。あなたは本当に優秀だ」
「セバスティアン様のおかげです」
「いや、あなたの実力だ」
彼は私の手を握った。
「でも、働きすぎないでくれ。あなたの健康が一番大切だ」
「……はい」
(この人は、いつも私を気遣ってくれる)
(前世でも、ルシアンの下でも、こんな風に扱われたことはなかった)
週末。
私たちは完全に仕事を休む。
「今日は何をする?」
「のんびり読書でもしようかと」
「それもいいな。一緒に庭で読もう」
庭のベンチに座り、本を読む。
時々、セバスティアンが私の髪を撫でる。
「あなたといると、心が安らぐ」
「私もです」
「ずっと、こうしていたい」
「……はい」
(ああ、幸せだ)
(本当に、幸せだ)
あの舞踏会での婚約破棄を思い出す。
大勢の前で侮辱され、恥をかかされた。
でも、あれがあったから、今がある。
(婚約破棄されて、本当に良かった)
(あのおかげで、この人に出会えた)
(定時退社できる生活、正当に評価される日々、そして愛してくれる人)
(全部、手に入れることができた)
ある日、セバスティアンが言った。
「エリアナ、あなたに感謝している」
「え? 何をですか?」
「あなたが教えてくれたんだ」
「定時退社することの大切さ、休むことの意味を」
「私も昔は、仕事ばかりしていた」
「でも、あなたと出会って変わった」
(この人も……)
(私と同じだったんだ)
「これからも、一緒に歩んでいこう」
「はい!」
私たちは手を繋いだ。
夕日が、二人を優しく照らしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
後日談。
ルシアンはその後、能力不足を理由に王位継承権を剥奪された。
シルヴィアは婚約を破棄され、実家に戻った。
二人がどうなったかは知らない。
もう、関係ないから。
私には、大切な夫がいる。
定時退社できる仕事がある。
休日には、のんびり過ごせる時間がある。
そして――愛がある。
(前世で夢見ていた生活)
(それが、今ここにある)
書斎で書類を整理していると、セバスティアンが後ろから抱きしめてきた。
「まだ働いているのか?」
「あと少しで終わりますよ」
「なら、終わったら一緒に散歩しよう」
「はい!」
彼は私の頬にキスをした。
「愛してる」
「私も、愛しています」
窓の外では、鳥が歌っている。
穏やかな風が、カーテンを揺らしている。
(残業のない人生は、最高だった)
(そして、愛される人生は、もっと最高だった)
(あの屈辱的な婚約破棄も、今では良い思い出だ)
(だって、あれがなければ、この幸せはなかったのだから)
私は微笑んだ。
この幸せが、ずっと続きますように。
読んでいただき、ありがとうございます。
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