第7話 統計に現れない男
中国・都市郊外
2020年1月1日 夕方
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屋台の親父が鉄板を叩きながら声をかけてくる。
「兄ちゃん、追加いるか?」
「いや、今の一本で十分。胃袋も財布も」
親父は笑い、李は串を紙に包んだ。
日常は、何も変わっていない。
少なくとも、表面上は。
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李宇航は、自分があの洞窟で死にかけたとは思っていなかった。
正確に言えば、そう考えないようにしていた。
「まあ……運が良かっただけだな」
夕暮れの空き地。
今朝と変わらず、そこに“それ”はある。
歪んだ空間。
空気の膜が、うっすらと揺れている。
周囲には、警察も兵士もいない。
黄色いテープも、立入禁止の看板もない。
理由はいくらでも想像できた。
正月だ。
行政は動きが鈍い。
暴動も死者も出ていない。
郊外で、人通りも少ない。
――つまり、優先度が低い。
李はそれを、理屈としてではなく“空気”で理解していた。
「止められてないってことは……」
一歩、踏み出す。
「行っていいってことだよな」
極めて自分らしい結論だった。
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空間を抜ける感覚は、もう二度目だ。
胃が軽く浮くような違和感。
次の瞬間、足元が硬い岩肌に変わる。
「……はいはい」
洞窟。
第1階層。
前回と同じ。
構造も、湿った空気も、暗さも。
足元に注意する。
踏み出す。
来たら、踏む。
ぐしゃ。
黒い塵が散る。
「……完全に作業だな」
恐怖が消えたわけじゃない。
ただ、順序が分かった。
スライムは絡みつく。
絡みつく前に踏めばいい。
次。
また次。
そして――
「ん?」
消えたスライムの跡に、何かが残っていた。
スライムは結晶の他に水の入った小瓶を起こすことがあったが、今回は違う。
テニスボールくらいの大きさで、透明に近い。
「……前は結晶か小瓶だったよな」
警戒しつつ、拾い上げる。
表面には、文字。
『水系魔法Ⅰ』
「……」
李は、しばらく無言で見つめた。
(いや)
(さすがにファンタジー過ぎるだろ、世界)
恐る恐る、触れる。
何も起きない。
光らない。
爆発もしない。
ただ、触れた瞬間、なぜか“使える”気がした。
不快ではない。
むしろ、妙に楽だ。
“使う”。
そう思った瞬間、オーブが砕けた。
同時に、手のひらがひりつく。
「うわ、壊れやがった……って、水?」
ぽたり。
指先から、水が落ちた。
「……え?」
もう一度、意識する。
ちょろ。
本当に、ちょろっと水が出る。
「……は?」
李は数秒、無言でそれを眺めたあと、口に運んだ。
――普通に、水だった。
「……俺、魔法使いになっちゃった?」
そんな言葉が、どこからともなく浮かぶ。
だが、攻撃?
無理だ。
勢いも量もない。
「……まあ」
手を振って、水を止める。
「便利枠だな」
喉が渇かない。
水を買わなくていい。
「……デカいな、それ」
小さく笑い、ポケットを探る。
結晶をいくつか回収。
水が出せる。
それだけで、心に余裕ができていた。
(ここは危険だけど……)
外よりは、分かりやすい。
踏めば倒れる。
倒せば、何か残る。
「……欲張ると死ぬな」
今日は、ここまで。
李は素直に引き返した。
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ゲートを抜ける。
夕暮れの空気。
何事もなかったような空き地。
「……生きてる」
息を吐く。
歩き出して、ふと足を止めた。
さっき通った路地。
同じ色の車が、まだ停まっている。
エンジン音はしない。
中は見えない。
「……気のせい、か?」
再び歩き出す。
だが、妙に静かだった。
静かすぎて――
何も見られていない、とは思えなかった。
それでも、誰も声をかけてこない。
止められもしない。
追ってくる者もいない。
「……まあ」
肩をすくめる。
「派手なことは、してないしな」
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その日の夕暮れ。
李は、スマホをいじりながら小さな商店街を歩いていた。
個人商店。
怪しいが、完全な闇ではない場所。
「……ここなら、いけそうか?」
魔結晶を、少しずつ。
目立たない量で。
捕まるほど派手なことは、まだしない。
「運がいいなら」
ポケットの中の結晶を指で弾く。
「使わないと、損だろ」
李宇航は、まだ統計に現れない。
だが――
どこかで、誰かの視界には、すでに入っていた。




