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ゲートキョウソウ  作者: 卜部


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第41話 言葉で引く線

 日本・官邸前広場/内閣府会議室/ダンジョン前規制区域

 2020年3月下旬


 ---


 午前九時。官邸の記者会見室は、いつもより人の熱が高く感じられた。カメラのランプが点滅し、マイクの先に並んだ記者の顔がぎゅっと寄る。前夜のフェンス前の騒ぎから一夜――世間の温度は冷めていなかった。


 綾部信三は定刻前に壇上へと歩み出た。ネクタイの結び目はきつくなく、だがその目はいつもより切り立っている。胸ポケットの資料を一度整え、ゆっくりと前を向いた。


「本日は、先日の現場での混乱について、並びに政府の方針に関する現状をお伝えします」


 声は穏やかだが、明瞭だ。記者のペン先が一斉に動く。


「結論から申し上げます。民間参入に関しては現在、関係省庁間で調整中です。安全基準、責任の所在、補償制度、運用ルールの整備が不可欠であり、慎重を期す必要があります。現時点で、立ち入り許可を与える段階ではありません。早くとも数か月はかかる見込みであると、まずはご理解ください」


 短い沈黙。会見場にいた誰もが「数か月」という単語を聞き取った。質問が続く。


「数か月とは具体的にいつまでですか。年単位ということはないのでしょうか?」


「海外では既に民間が活動しています。国際競争の観点から、数か月待つ余裕はあるのですか?」


「昨日のあの混乱は、官邸の説明不足が原因では?」


 綾部は資料を一度だけ見やり、答えた。


「具体的な期限を本日はここで確定することはできません。調整の過程で詳細なスケジュールを示します。ただし、我が国が安全基準と補償の枠組みを確立するまでは、立ち入りは認められません。海外の動向は承知していますが、我々は我々の国情に合わせた措置をとるべきです。混乱が生じたことについてはお詫びします。説明責任を果たすため、速やかな情報公開に努めます」


 見せる冷静さの裏側で、彼の胸は煮えたぎっていた。「数か月」という言葉は、説明と同時に安全の約束であり、時間稼ぎであり、政治的な区切りでもある。だが会見場で受け取られる意味は、決して単一ではない。


 ---


 会見の終了と同時に、情報は四方へ散った。だが速さは残酷だ。数分と経たずして、最初に流れたのは短い切り取りツイートだった。


 《官邸発表:民間参入は事実上容認、早くとも数か月後に開放へ》


 その断片だけが、リツイートの列を作った。人々は「事実」として受け取るには十分だと直感し、拡散した。朝のワイドショーはその断片を大見出しにし、背景説明は後回しになった。映像は短く、テロップは太く、視聴者の理解はそこで切り取られる。


 内閣府の広報室は即座に反応した。本来ならば会見後に準備しておくべき一連のQ&Aが、いまや現場の炎上に追われる。広報官の声は慌ただしい。


「ツイートが想定以上の速度で出回っている……! “容認”なんて言ってないぞ。記者クラブに送る補足資料、SNS向けの短文、すぐに出せる分断的回答――今から作る、即刻作る。誤解を招いたらまずい!」


 だが誤解は、言葉の先にある。最初に届いた短い文言は、拡散の粒子となって人々の期待を結晶化させる。訂正や補足は二次、三次の波に飲まれて届きにくい。


 ---


 内閣府の廊下では、実務官僚たちが短時間の会議を重ねていた。広報官と法制局の若手、厚労省の担当、経産省の係長――机の上はスクリーンショットとプリントが散らばる。


「どうしてあの一言が“容認”に変わるのか……。私たちはちゃんと慎重だと言ったはずだ」


「誰も慎重だと言ったらRTされませんよ。短くて『できる』風味の語が伸びるんです。『数か月』っていう言葉が“解放までの猶予”だと読めてしまう……」


「では、ここは否定一辺倒で押し切るべきなのか。そうすれば現場が暴発する。万が一被害でも出たら国がの責任だ……!」


「でも放置したままじゃ、今日の二の舞ですよ。人手は集まる。装備も買われる。市場で“準備”が勝手に進む」


 議論は堂々巡りをする。合理的な対案を出すほど、異なる利害とリスクが顔を出す。言葉の選び方ひとつで、社会の動きは変わる──彼らはそれを身に染みて知っていた。


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 昼過ぎ、ダンジョン前の規制区域では、再び少数の人々が集まり始めていた。昨夜の残滓を引きずる男、今朝ツイートを見て興味を持った若者、地方からの短期滞在者。ポケットには手作りの契約書、ポケットには「回復薬」と手書きされた真偽不明の小瓶。彼らは「数か月」という言葉を、許可の前触れや合図として受け取っていた。


「数か月後に解放されるなら、今から準備すればスタートダッシュが切れるわけだろ?」


「今だって自衛隊は入ってんだろ? ちょっと中を見せてくれるくらいいいじゃないか。俺らだって仕事ができるかもよ?」


「官邸が言ったんだぜ。立ち入りは認められていないってのは表向きの話だ」


 群衆の中には、関係者を装う者もいる。契約テンプレだと称する紙を掲げる者、インストラクターぶって装備を勧める者。情報の空白は、すぐに商機となる。言葉が作る「猶予」は、一部には準備時間であり、別の一部には「合図」と読み換えられる。


 規制線の向こうでは自衛隊と警察が、疲れた顔で状況を見守る。彼らは既に学んだ。ネットで出た文言ひとつで現場は動く。物理的なフェンスよりも厄介なのは、人々に入れ込みを与える「言葉」だった。


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 夕刻。官邸に戻った綾部は、自室の小さなランプの下で会見原稿の控えを広げた。会見中の自身のトーン、記者たちの追い詰め方、そしてあの短い「数か月」の語。彼はボールペンを取り、原稿の余白に短く書き込む。


「数か月——誰にとっての待てか」


 その問いは自分にも向けられていた。官僚制の速度、国民の期待、民間の資本の回転の速さ。どれを優先すれば「説明責任を果たした」と言えるのか。どれを誤れば、現場は混乱に沈むのか。


 綾部は深く息をつき、電話を取った。内閣府と広報とは別に、地方自治体にも「冷静さの呼びかけ」を出すよう依頼する。声明文の精査、Q&Aの整備、緊急時の医療動員表を更新するよう指示する。一連の行為は遅くはないが、確実に“後追い”だと彼は知っている。


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 夜のニュースは、どう報じるかで割れていた。緩やかな解説番組は「政府の慎重姿勢」を讃え、煽り番組は「官邸の腰の重さ」と批判する。SNSでは相変わらず短い断片が流れ、事態を自分に都合よく解釈する声が強まる。いくつもの「解釈」が同時に現れる世界では、政府の一行の補足は、空気の中の雑音として埋もれやすい。


 深夜、ダンジョン前のフェンスには、今日見かけた以上のわずかな変化があった。落ちた小石の位置、捨てられた使い古しのグローブ、スマホの画面の光。人々は帰った。しかし「数か月」という語は何かを残していった。許可が出るまでの猶予なのか、既成事実を作る時間なのか。どちらにせよ、行動の予備線が引かれた。


 綾部は書斎の窓から外を見た。夜の街が静かに広がり、遠くの車の灯りが点々と光る。彼は紙片にもう一行だけ付け加えた。そして小さく、しかし確かに心の中で念を押すように呟いた。


「我々は、線を引いたのだろうか。それとも、線を前にずらしてしまったのだろうか」


 ---


 会見の録画から切り取られた短い一節が、夜のネット上で何度も流れる。


「早くとも数か月はかかる」


 その言葉をどう読むかは、人それぞれだ。準備の猶予だったり、許可の前触れだったり、あるいは単なる政治的な時間稼ぎにすぎないかもしれない。けれど一つだけ確かなことがある。言葉で引いた線は、触れられる前から、すでに削られていた。

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