第39話 漏洩と熱
日本
2020年3月下旬
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最初の違和感は、深夜のタイムラインに紛れていた。
(アカウント名:@keizai_honbun)
「内々の話だけど、官邸で『民間参入』案が議論されているらしい。ソースは複数。まだ確定じゃないが、探索の“労働化”を検討中、とのこと。来るか、時代の分岐線。RT pls」
一つの短い投稿が、まずは経済系の小さなアカウントで吐き出された。書き込みは軽い。が、その軽さはある種の火種を帯びていた。時差のない都市圏の夜を抜け、早朝のフィードに届くまでの数分で、数字は跳ね、丸いアイコンが増え、引用リツイートの行列ができる。
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午前一時半。匿名掲示板の「探索者スレ」がざわついた。
「政府が民間参入とかほざいてるらしいぞ」
「まじ? 国家管理下が良いって言ってたのに何があった」
「金が動くときって、ロクなことにならねぇ」
レスは断片的だ。経験者と自称経験者、好奇心で覗きに来た新参者が混じり合って論がわき起こる。誰も正確な法文を示せない。だが「民間参入」の四文字が、それぞれの不満や希望を引き出していく。
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朝刊の一面はまだ持ちこたえているが、ネットニュースは既に動き出した。
【速報】政府、ダンジョンへの「民間参入」検討か 関係筋が示唆
見出しは断定調に近い。だが記事本文は歯切れが悪く、官邸の公式否定はまだ無い。編集部の事情通は「確認中」と注釈を付けるが、タイトルは誰の目にも先立つ。
テレビの朝ワイドは、コメンテーターを呼び出してスタンバイする。画面の下では「#ダンジョン開放」のハッシュタグがトレンドに入る。一般のSNS利用者が朝の通勤列でスマホを覗き、短いコメントを投げる。
「やっとか! 自分で稼げるってことだろ?」(ユーザー:@adventure_jp)
「ケガとかどうするの……ポーションで何とかなるの?」(ユーザー:@mama_tokyo)
短い声が一斉に跳ねる。賛成と反対のふたつの波がほぼ同時に立ち上がり、どちらも勢いを失わない。
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午前十時。まとめ系の大手アカウントが記事を切り貼りして配信する。
「【まとめ】政府が『民間参入』検討→探索希望者どう動く? 装備の準備、契約の注意点、海外の動きまとめ」
コメント欄は情報需要で溢れ、同時に不安と期待で満たされる。「装備どこで買えばいい?」「契約テンプレある人いない?」という書き込みが伸び、実際に数件の個人間売買の誘いが被せられる。狭いオンラインマーケットの一角で、性能の不確かな防具や真偽不明の小瓶が即席の価格表に並ぶ。
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午後。掲示板の別スレでは、元自衛隊と名乗る人間が長文を書き込む。
「現場の管理も何もなく民間に任せるのは自殺行為だ。装備も訓練も偏る。事故が増えれば結局国が尻拭いする。裏で何が動いてるか知らんが、政は甘い判断をしがちだ」
その文章は多くの転載を生み、一部の著名な解説者がその論点を引用して、テレビのコメンテーターにまで話題は飛ぶ。公共の議論は、いつのまにか「国家の責務」対「個人の自由」へとシフトしていく。
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夜。フェイクが生まれた。
「明日からダンジョン開放。参加費10万円、事前登録制」
写真つきの告知が拡散される。フォントの粗い画像はどこかの個人が作ったものだと断じられるが、拡散の速度は速い。数十人が「申し込みたい」と書き込み、数件の装備業者が問い合わせを受ける。やがてSNS上の小さなマーケットで、探索権を名乗る“先約権”の有料譲渡を示すスクリーンショットすら出回る。
実際の官邸は冷静だ。担当者が内部向けに回した短いメールはこうある。――「現状、正式な方針は未定。関係閣僚会合で議論中。報道やSNSでの情報に基づく行動は控えること」。だがこの一行は公衆の耳には届きにくい。熱は説明を待たない。
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時差の向こう側、アメリカ西海岸。深夜ラジオのブースで、ダニエルはコーヒーを一口飲み、マイクを叩いた。
「オーケー、夜更かし組のみんな。今夜の小ネタいこうか」
軽いジングルが流れ、彼はタブレットをスクロールする。
「日本でちょっと面白い話が出てきた。あの“ダンジョン”ね。政府が、民間にも開くかもしれないって噂だ。まだ決定じゃない。公式コメントもなし。でもまあ、火のないところに煙は立たないってやつだ」
彼は肩をすくめるような声で続ける。
「正直言うと、俺は“ついに来たか”って思ったよ。だってさ、ずっと国がガチガチに管理してきたんだろ? それを少し緩めるかも、ってだけでニュースになるくらいだ」
リスナーからのメッセージ音が鳴る。
『日本もアメリカみたいになるの?』
ダニエルは笑った。
「日本もアメリカみたいになるのかだって? いやいや、同じにはならないと思う。たぶん日本は、“ちゃんと決めてから開く”。俺たちはどうだ? 開いてから慌ててルール考えてる最中だろ?」
少し間を置く。
「でもな、どっちが正しいとか、今はどうでもいい。大事なのは、ダンジョンがもう“特別な国家イベント”じゃなくなりつつあるってことだ」
声のトーンは軽いまま、どこか楽しそうだ。
「ビジネスになるかもしれない。事故も増えるかもしれない。ヒーロー映画みたいにはいかない。でも――それって、俺たちがいつもやってる話だよな?」
番組の終わり、彼は冗談めかして締める。
「命がけの新産業。聞こえは派手だけど、結局は保険と契約と責任の話だ。地味? でもさ、世界を動かすのって、だいたいそういう地味なところなんだよ」
シングルが流れ、次の曲へ切り替わった。
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情報は既に「事実化の道」を歩き始めていた。人々は確かめる前に動く。期待は先に資本を動かす。恐怖は先に抗議を組織する。政府は沈黙と説明のバランスを取ろうと足掻くが、その速度は追いつかない。
掲示板のとある短い書き込みが、深夜の静寂に小さく光った。
「結局、民間参入って何なんだ?」
その問いに対する返信は、たちまち数百に増えた。だが多くは釣り合いの取れない答えだ—「自由だ」「搾取だ」「仕事だ」「危険だ」「金だ」「英雄になれるかも」――言葉は重なり合って騒音となり、問いは薄らいでいく。
タイムラインはすぐに別の話題へ移る。新しい動画、新しい炎上、新しい商品。熱は速度に支配され、問いはいつしか忘却の端に追いやられる。だが夜明けに残るものはひとつだけだった――誰もまだ、正確に説明していないという事実だ。
それでも、誰かが朝になって同じ短い問いを呟いた。
「結局、民間参入って何なんだ?」
返事はいらない。答えを求めるより先に、人々は今日も動き出す。
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