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ゲートキョウソウ  作者: 卜部


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第38話 赤字の深層

 スイス・ジュネーブ・多国間異常領域対策首脳会合(MAZS)/日本・首相官邸

 2020年3月下旬


 ---


 会合の議場を出てから、綾部は長い廊下を歩いた。賑やかな声はまだ遠く、紙袋を抱えた秘書が行き交う。だが彼の耳には、会議室で交わされた言葉の輪郭だけが残っている――「探索を続ける」「到達深度の競争」「共同研究と資金協調」。どれも合理的で、どれも他国の顔を計算に入れた発言だった。だが、どこにも「いつ収支が合うのか」「この先の社会的負担を誰が負うのか」という現実的な問いはなかった。


(誰も、損得の先にある“継続可能性”を真面目に語っていない)


 廊下の蛍光灯が、綾部の影を床に薄く伸ばす。彼は扉のそばで足を止め、手許の資料をめくった。表に並んだ数字は美しかった。討伐数、到達階層、回収物リスト。メディア用のスライドにできる程度には整っている。だがその裏にある行間は真っ白だった――費用、長期医療コスト、インフラ整備、失業補償の試算が欠けている。


 官房長官の額に刻まれた皺は、議場での強張りを保ったままだった。綾部は短く息を吐き、首を振る。


(探索が目的になってしまえば、国の疲弊は避けられない……)


 ---


 夜、首相公邸の書斎。窓の外に東京のネオンがぼんやりと散る。綾部はカップの冷めた珈琲を横に置き、会合で示された各国の非公式メモを読み比べた。ロシアの控えめな公表。アメリカの速度重視。欧州の被害抑制。どのアプローチにも一理ある。だが、彼の視線はデータの断面ではなく、ダンジョンが立ち現す「構造」に向いていた。


 ログを積み上げて行くと、あるパターンが浮かび上がる。

 レアとされるドロップ品の多くは、ダンジョン内での持続的な作業を助けるものだった。少しでも生存率を高める装備、応急措置を行う薬品、仲間の

 ――そこには一貫した機能性がある。


「要するに、ダンジョンは“長く潜れ”“何度も来い”と言っているようにみえますね」


 綾部は紙面にそれを書き留めた。別のページには、軍事解析から拾ったメモがある。討伐回数と個々人の行動安定性の相関。多数討伐を経た者の命中精度や回避成功率が、ゆっくりとだが確かに上がっているという傾向。ロシアはそれをほぼ確証として扱い、既に運用案を練っているのだろう。それを国家として行うに足りうる、“何らかの確証”を得たのは間違いない。だが他国はまだ「兆候」に留めていた。


 彼は想像する。モンスターを繰り返し討つことが「経験」以上の何かを残すならば、それは単なる資源採取ではない。そこには「習慣的投入」と「累積的恩恵」を前提としたルールが内包されている。長期的に人をそこへ通わせ、技術や体力を蓄積させることが前提の『生態系』――。


(もしそうなら、ダンジョンは“消耗して収穫する鉱山”ではすみませんね。継続的な労働の場であり、そこで得た“能力”が循環する社会構造だ)


 だが国家の会計は冷酷だ。麻野財務大臣の声が頭に浮かぶ――「現時点で探索を続けても国庫は赤字が拡大するぞ」。綾部はその数値も見ている。


 現状の現金収支は明快だ。探索コスト、専用装備の調達、医療待機、補給ライン確保──一回の突入で消費される公的資源の大きさは無視できない。HPポーションと呼ばれる回復薬は止血と軽微な回復が主目的だ。国内に一つしかないダンジョンから算出される数には限りがあり、社会的医療資源としての価値は乏しい。構造的な需要とは言えないだろう。


 魔結晶も同様だ。夢物語めいた想定はある。発電や触媒、電磁変換――研究室のグラフは波動を描くが、安定的なエネルギー抽出の再現はまだ達成されていない。綾部はそのことを重ねて確認する。可能性はある。しかし、可能性が即ち経済的効果にならない限り、国の資金は焼かれる。


(軍事的な価値はある。だが軍事の優位が直ちに社会の豊かさに変わるわけではない)


 彼はメモに新しい行を書き足す――「軍事的成長 ≠ 経済的成長」。単純な等式を否定するための注意書きだ。


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 翌朝、綾部は閣議の冒頭で静かに語った。官僚たちは予想通りの資料を並べ、戦略案の断片を提示する。だが今回は違った。彼は配られた報告書をゆっくりと机に差し戻し、短く切り出した。


「我々が今議論しているのは、単に“誰がより深く潜るか”ではありません。国家として、ダンジョンをどう社会に組み込むかを決めねばならない。探索を続ければ赤字が拡大する。その赤字を放置して構わない国は少ないでしょう。かといって、民間が無作為に先行し資本と技術を掴めば、国家の選択肢は狭まる。だからこそ、我々は“持続可能な接続”を設計しなければなりません」


 官僚の顔に小さな動揺が走る。綾部は続ける。


「よって、これからも日本が基準を敷く国であり続けるために、これら四つの柱を具体的に検討していきましょう」



 彼はゆっくりと四つの項目を読み上げた。


 1.探索労働の法的定義と保護制度

 ──探索行為を一時的な任務や志願活動ではなく、国家が認める労働として定義する。その上で、安全基準、負傷時の補償、長期的な医療支援を含む保護制度を整備する。


 2.民間参入のルールと国家の出資分担

 ──誰が探索に参加できるのか、何を持ち帰る権利があるのか。回収物の評価や換金方法、国と民間の費用負担と利益配分を、事前に定めておく。


 3.魔結晶・アイテムの用途評価と優先研究分野の公的資金化

 ──短期的な収益化を急がず、まずは安全性と再現性を確認する。将来の社会利用につながる分野に絞り、公的資金による基礎再現実験へ集中投資する。


 4.軍事利用と経済利用の線引き

 ──軍事的に重要な成果を即座に市場へ流さず、国家管理のもとで段階的に検証する。安全保障と経済活動が混同されないよう、取り扱いの基準を定める。



「これは無理に早く儲けるための方策ではない。赤字を減らし、社会負担を公平に分配しながら、長期的に利益を引き出すための制度設計です」

 彼は付け加えた。


 閣議室に、短い沈黙が落ちた。


 綾部が「民間参入」という言葉を口にした瞬間、数名の大臣が一斉に資料へ視線を落とした。そこに書いてある文言を、もう一度確認するように。あるいは、確認したくない何かから目を逸らすように。


 最初に口を開いたのは、防衛大臣だった。


「……総理。それは、国家の独占管理を放棄する、という理解でよろしいですか?」


 声音は低く、慎重だ。だが慎重さの裏に、明確な警戒がある。


「探索能力と回収物は、既に安全保障上の資産です。民間参入を認めれば、情報の散逸、技術の流出、最悪の場合は国外資本の影響下に置かれる可能性もある。これは“効率”の話ではありません」


 綾部は即答しなかった。代わりに、防衛大臣の言葉を一度、噛み砕くように聞く。


「おっしゃる通りです。だからこそ、全面開放はしません」


 その言い方に、防衛大臣は小さく眉を動かした。


 次に、麻野財務大臣が、抑えた調子で続ける。


「総理、私は安全保障の観点とは別の意味で反対だ」


 会議室の空気がわずかに引き締まる。


「民間参入を認めれば、“国家が赤字を抱え、民間が利益を得る”構図が生まれかねない。探索インフラ、医療待機、事故対応、その多くは国費で賄われる。利益だけが外に出るなら、国民に説明がつかんぞ」


 綾部は小さく頷いた。反論ではない。理解の合図だ。


「だから、費用分担と回収物の評価基準を、事前に決めます。参入条件を曖昧にしない。国が“後始末係”にならない設計にする」


 だが麻野は簡単には引かない。


「設計が可能だとしても、実行段階で歪む。必ずだ。市場は制度の隙を突く。総理、それを抑え込む行政コストは、決して小さくない」


 今度は経産大臣が唸るように声を出した。


「……しかし、完全に締め出した場合のコストも、同じくらい大きい」


 誰に向けるでもない独り言のような声だった。


「アメリカやイタリアの動きを受けて、日本でも民間開放の声は大きくなっている。既に民間は動いています。横流しされたドロップ品の解析、非公式な協力体制。ここで“違法”として全てを切れば、地下に潜るだけです。結果として、国家は何も把握できなくなる」


 会議室の端で、厚生大臣が静かに手を挙げる。


「医療の立場から言わせてください。探索が今後も続くなら、負傷者は確実に増えます。民間か国家かに関係なくです。ならば、最初から“労働”として定義し、補償と管理に組み込んだ方が、医療崩壊のリスクは低い」


 数秒の沈黙。誰もが、自分の正しさと同時に、自分の立場の限界を理解している沈黙だった。


 綾部は、そこで初めて全員を見渡した。


「反対意見が出るのは当然です。私も、民間参入が“理想解”だとは思っていません」


 数人の大臣が、意外そうに顔を上げる。


「ですが、現状はもっと不完全です。国家だけで抱え込めば、赤字は膨らみ、探索速度は落ち、外国に後れを取る。どの道、我々は主導権を失う」


 防衛大臣が、低く息を吐いた。


「……つまり、“選択”ではなく“現実への適応”だと?」


「そうです」


 綾部は即答した。


「これは民間を信頼するという話ではありません。国家が、管理可能な形で現実を取り込むという話です」


 麻野が腕を組んだまま、ゆっくりと頷く。


「……分かった。財務としては、条件付きでなら、検討に値すると言わざるを得ない」


 完全な賛成ではない。だが、拒否でもない。


 経産大臣が小さく苦笑した。


「誰も嬉しくない決断だな」


「ええ」


 綾部も、同じように苦笑した。


「ですが、“誰も嬉しくないが、皆が背負える”決断です。私はそれを選びます」


 閣議室に、重い了解が広がる。拍手もない。賛同の言葉も最小限だ。だが誰も、もう異を唱えなかった。それで十分だった。


(これで、日本は一段、別の場所へ行く)


 綾部はそう思いながら、次の議題へと視線を移した。


 ---


 夕刻、窓外の空が赤みを帯びる。綾部は書きかけの文案を見返す。四つの柱を一枚の白紙に落とし、官房長官に渡す。言葉は淡々としている。だがその裏で、次の動きの準備が静かに始まっている。


 彼には見えている風景がある。短期の勝ち負けに踊る国際マスコミ。民間の投機と開拓者精神。だがもっと手堅いものが必要だ――ルールと補償と、時間をかけて形成する信頼。それを作れる国が最終的に“標準”を提示しうる。


(赤字は、構造が見えるまでの猶予期間にすぎない。ですが、この猶予をどう使うかで、我々の国力の方向が決まる)


 彼は小さくうなずき、ランプの灯りの下でペンを走らせた。明日は議会説明、来週は関係閣僚会合、そして国民向けの簡潔なメッセージを用意する。速度は必要だが、拙速は許されない。綾部は自分の胸にある不安を押し込み、代わりに制度の骨組みを紡ぐ作業に没頭し始めた。


 夜が更ける。ダンジョンは遠くで深い呼吸をしているように思えた。そこは確かに「長く潜れ」「何度も来い」と囁いている。だが、誰がその囁きに耳を傾け、誰がそれを社会として取り込み、誰が疲弊して消えるのか――その分岐はまだ決まっていない。綾部はペンを置き、窓の向こうへ視線を放った。世界は競っている。だが最後に残るのは、言葉を制度へと翻訳した者の勝利だと彼は確信していた。

お読みいただき、ありがとうございます。

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