第35話 試行の重なり、基準の競争
ベルギー・ブリュッセルEU会議室ほか
2020年3月中旬
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欧州・春の薄い陽光が、窓外の広場を淡く照らしていた。ブリュッセルの会議室では、長いテーブルを囲む顔ぶれが静かにデジタル資料をめくっている。言葉は丁寧だが、その間に含まれる温度は国ごとに違った。
「さて、現状報告です」
議長の声は平板だ。だがモニタの端では、各国の現場から送られてきた短い断片映像が順番に流れていた。イギリスの荒地、フランスの石切り場、ドイツの試験区、イタリアの沿岸域。どれもゲートを取り囲む人影が映る。同じゲートに、世界の反応が違う。
「結論から言うと、試験は進んでいます。だが成果の性質は揃っていません」
ユニオン事務局のアナリストが、淡々とした口調で報告を始めた。数値表は冷たい。だがその下で、各国の報告書は違う色を帯びていた。
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ロンドン郊外。風が乾いた草を揺らす荒地には、民間のテント群が整然と並んでいた。民間主導の混成班――つまり、国家の最低限の監視とログ義務だけを受け入れた探索者たち――は、昼夜を問わず第7階までを往復し、時に深層で手にした成果を即座に市場へ流していた。
「やったぞ、また新しい革だ」
老練な探索者が得物を掲げると、周囲から歓声が上がる。
「ありゃ、第6~7階層にでるワイルドボアのドロップだろ?」
「20~30匹倒してようやく1枚落ちる程度だってのに、また落ちたのか!? その運、俺もあやかりたいもんだ」
現場の狂騒から生み出される映像は派手だ。SNSはその「派手」を食らい、瞬時に再生数を増やす。イギリスの国策は「規制は最小、商機は最大」という向きに傾きつつある。政府の立ち位置は曖昧だ。規制は存在するが運用は甘く、民間のスピードに国家が後追いしている。
テントの陰で、装備を外しながら小声が交わされる。
「なあ……あいつ、さっきの突進、避けるの早すぎなかったか?」
「見てた。あれ、反射じゃない。先に分かってた動きだ」
「スキルオーブか?」
「まさか! でも、明らかに昨日までの動きと変わったよな……」
成功は出ている。だが、欠けるものも同時に露出した。あるチームが帰還し、映像は勝利の瞬間を切り取るが、数日後に報告される負傷者リストは舞台裏で増えていった。死人は出ないことが多いが、後から出る合併症や内部損傷の訴えは追いかけるには時間がかかる。イギリスのラップトップ上では、成果曲線が上がる一方で、クリアされない医療記録のリストが膨らんでいた。
「我々は速いが、速さに伴う“欠落”を抱えています」
ロンドン解析チームの若手が小声で言った。だが、その声は市場の歓声には届かない。
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パリ郊外、石切り場の端。フランスは前回の痛い経験を忘れていなかった。軍主導で厳格な作戦が組まれ、手順はむしろ行政文書のように精緻だ。隊員の動きは統制され、医療班は常に控え、記録は細密だ。だがその慎重さは、目に見える成果の伸びを抑える。
シャルル・ローラン二佐は、夜のブリーフィングでゆっくりと言葉を綴った。彼は現場の痛みを知る。精緻な手続きを導入すれば危険は減る。だが、ある種の「身体の記憶」は、訓練だけではすぐに身につかない。
「我々は失敗を減らすことに成功しました。しかし新しい“何か”を引き出すペースは遅いかと」
部下の一人が報告する。
フランスの成果は安定している。しかし安定は新奇の発見を拒むこともある。国の報告書には「損耗低下」「再現性向上」と書かれているが、夜のテントで交わされる会話はもっと濃い。失敗を恐れる慎重さと、民間の成功が呼ぶ羨望が混ざっていた。
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ベルリン近郊、ドイツの試験区。ここではハインリヒが座る。彼は国家科学顧問として、データの一貫性と説明可能性を何より重視していた。ドイツの実験はもっとも「科学的」だ。条件を統制し、被験者を選び、ログは高解像度で録られる。装備、食事、睡眠、個人の生理値に至るまで、変数は管理下に置かれた。
「再現性を得ること。これが我々の優先だ」
ハインリヒは会議の席で静かに言った。彼の机には膨大な比較表があり、小さな注釈がびっしりと並ぶ。ドイツの試行は精密だが、試行の回数は限られる。厳密さは信頼を産む。一方で、他国の速報が次々と流れてくる間に、ドイツのタイムラインは静かに遅れていった。
「正確さは時間を食いますね」
若手研究員が呟く。
ハインリヒは眉を寄せたが、答えはない。説明可能な成功は、最終的に制度と国際交渉で強い立場をつくる。しかし説明が出るまでの時間差は、市場の速度に食われる。
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ローマ。ヴァレンティナは経済官僚として、地方のデータと企業からの連絡を一手に見ていた。イタリアは、地方自治と民間の動きがゆるやかに噛み合う場所がいくつか生まれている。政府の枠組みは緩いが、地方の裁量は大きく、地元資本が民間と協働して小さな成功を積み重ねている。
「我々のやり方は、派手ではないが回る」
ヴァレンティナは言う。具体的な成果は、観光資源化のための小規模な回収と商品化、地元産業の回復、雇用の増加という形で表れている。ここでは「持続性」が価値を持つ。誰もが驚くような一発の成功は少ないが、日々の小さな成功が積み重なりつつある。
だがヴァレンティナも知っている。中央の目は厳しく、国際会議では「規制が甘い」と批判されるだろう。彼女は数字をつなぎ、言い訳の理由を用意しながらも、現場で人が働けることを優先していた。
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EU会議は何度も行われた。会議室に戻ると、議題は自然と各国の進捗確認へと移った。
最初に示されたのは、第一次ゲート出現国。いずれも初期から探索を継続し、階層構造の把握と危険度分類は一定の水準に達している。
続いて、第二次ゲート出現国。それぞれの到達階層と運用形態が、静かな比較表として並べられた。
数値そのものは整っている。だが、視線は自然と一箇所に集まった。
探索方針の強硬さ、人的・物的投入量を考えれば、もっと深い数字が並んでいても不思議ではない国――ロシア。その欄だけが、妙に「控えめ」だった。
沈黙の中で、EUのアナリストが補足するように、しかし慎重な声で言葉を継いだ。
「参考情報として……非公開扱いの報告群には、いくつか整合しない点があります。公表データでは確認されていない試行の存在、既存の階層定義に収まらない反応ログ。ただし、いずれも検証は完了していません」
モニタの端に添えられた小さな脚注が、その説明を裏打ちする。
誰も名指しはしない。だが、「数字が浅すぎる」という違和感と、「浅いはずがない」という前提が、同時に共有されていた。意図的に伏せられたのか、判断が先送りされたのか――いずれにせよ、明言されないまま、その可能性だけが会議室に沈殿する。
既知の階層のさらに奥。ロシアがすでに触れているかもしれない、領域。
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夕暮れ、欧州四国の代表が短くまとめの言葉を吐いた。どの国も自らのやり方に根拠がある。民間の速度、国家の正当性、科学の厳密さ、地方の持続性。それらは競合し、重なり合う。だがどれが最終的に「生き残る基準」かは、まだ決まっていない。
「我々は競争しているのではない。ただ基準を選ぶのだ」
ハインリヒは静かに言った。だがその声は、すべてを語り切らない。
競争はすでに始まっている。誰が最初に旗を立てるかではない。どの旗が多くの者に受け入れられ、制度に組み込まれ、経済の支持を得るか――その行方が、今まさに問われていた。
会議が散じ、モニターの映像が消えると、ブリュッセルの広場には夜の冷気が戻った。各国の代表はそれぞれ散っていく。現場では明日も人が入る。民間はカメラを回し、軍は手順を点検し、研究者はログを解析する。市場はその隙間をなめ、地方は自分のやり方を試し続ける。
だが世界のどこかでは、まだ誰にも語られない記録が増えている。明言されぬ深度の記録と、未だ検証されぬスキルの報告。基準の競争は、見えないところでさらに深く、速く進み始めていた。
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