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ゲートキョウソウ  作者: 卜部


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第33話 合理の外側で

 フランス・パリ郊外 老朽化した石切り場

 2020年3月上旬


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 薄曇りの朝、石切り場の縁に張られた仮設フェンス越しに、人々が集まっていた。報道バスがだらりと並び、地方紙の記者がメモ帳を抱え、好奇心で集まった若者がスマートフォンを掲げている。

 石切り場は、かつて採石で賑わった場所だ。水で削られたような崖肌、荒れた階段、苔むしたスラブ。日常の死角のようなその場所に、黒い縁取りの開口部がいつの間にかぽっかりと口を開けていた。


 政府の公式車両が到着し、将校たちが降りる。軍のエンブレムが入った書類箱を抱えた者、医療班のテントを設営する者、カメラを構えた専門家の群れ。上がったフラッグは控えめで、場内にそっと「国家の現場」が敷かれていく。


 参謀本部の決定は昨日だった――封鎖解除、ただし民間の侵入は禁止、軍主導による限定的な調査・封鎖作戦を実行する。欧州隣国の動き、世界で既に進んでいる深層探索の報告。フランスは「理性」で動こうとしたのだ。

 理性は、完璧な準備書類と手順書、医療の待機、心理的サポートのチェックリストを連れてきた。だが理性は、目に見えない何かを測る術を持ってはいなかった。


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 部隊指揮を任されたのは、シャルル・ローラン陸軍二佐だった。四十代半ば、戦歴は堅実で、訓練場では厳しく人を鍛えることで知られている。彼の選んだのは冷静な顔ぶれ――工兵、突入班、衛生班、情報班。装備は最新ではないが堅実で、弾薬、通信機材、簡易担架がそろえられている。彼らは「標準作戦」を徹底的にシミュレートした。地形図、侵入ルート、退避経路。すべてのチェックリストにチェックが入った。


「我々は冒険者ではない。調査隊であり、国家の代表だ」


 ローランの声は低く、はっきりしていた。部下たちは短く応え、手のひらを固く握った。


 午前九時。黒い口の向こうに第一歩が落とされる。光が減り、空気の重さがかわる感覚は、どの隊員ももう知っているはずのものだった。第1階層は洞窟の延長で、すぐに他国の過去の侵入記録と一致する景色が始まった。どこか整った岩肌、狭い通路、視界の端でうごめくスライム。

 最初の交戦は、想定通りに終わった。ゴブリンが二体、散発的に出現し、隊員の射撃で粉になった。回収された魔結晶は小型で、研究員が丁寧に識別コードをつける。データ蓄積されていき、その瞬間が記録された。


 成功だった。報道は淡く「初動順調」と流す。現場からの生中継には士気の良い顔が映り、SNSでは「フランスのわかる男たちがきちんと対応している」と肯定的な反応が並んだ。理性は短い勝利の言葉を手に入れた。


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 しかし、順調さは静かに罠となっていった。第2回、第3回の突入を行うちに、隊員たちの疲労が満ちていく。弾薬の消耗、低照度での視認の難しさ、微細な音の聞き分け――戦闘の蓄積が小さな「ずれ」を生む。

 ローランはその夜、地上の簡易指揮所でモニタをしげしげと眺めた。被写体となる通路の角度、照明の角度、隊列の幅。すべてが計測可能な事象だった。だが彼は、どこか違和感を拭えなかった。「理論との微かなずれ」を、彼の勘は察知していた。


 上層部のブリーフィングでは「まだ想定内、経験は積める」と報告される。参謀本部は外向きの文言を整え、メディア対策を指示する。

 だが現場は、次第に「経験の蓄積」がある者とない者の差を露骨に示し始めた。アメリカの民間探索者たちは、すでに何度も潜り、帰還し、失敗と成功を繰り返していた。彼らの動きは荒削りだが、身体に「何か」を刻み込まれていた。フランスの部隊は整然としていたが、身体の記憶は薄かった。


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 第6階層へ踏み込んだのは作戦の三日目、もうすぐ日が落ちようかという夕暮れ頃だった。第5階層までは洞窟のまま徐々に変化があったが、6階層の入口を越えると風景は一変した。洞窟の狭い均質さが木立に変わり、地面は踏み固められた土の道で、葉の匂いが混じる。光の色合いが違い、影の深さが変わる。

 ここでは、敵は地形を使う。フォレストウルフの毛皮は深緑で、葉の中に溶け込む。ワイルドボアは正面からの突進で盾をふっ飛ばす。


「隊列を詰めろ。迂回は不可だ。支援は前方に集中」


 ローランは短い命令を出す。装備は銃と小型爆剤、榴弾。この装備で多くは対応できると信じていた。


 最初の接触は激しかった。フォレストウルフが木の影にひそみ、突如として跳び出す。銃声が木立に反響し、犬の唸りが折り重なる。だが、その戦闘の中で、「当たるはずの一撃が当たらない」瞬間が生まれた。

 続いて突進するボアに向けて散弾を撃った一人の兵士が、顔面を押さえて倒れる。弾は肉に届かず、鋭い牙をかすめて弾いたのだ。すぐそばの貫通力の高い銃を持った隊員が代わりに撃ち、ボアは倒れた。医療チームが駆け寄り、担架での搬送が命じられる。だが、狭い森の道では迅速な搬送は難しい。無線は混雑し、指揮も遅れた。


 混乱のなかで、もう一つの致命的な事象が起きる。日もすっかり暮れた木立の向こう、闇に紛れるように黒い毛皮のウルフ──ナイトウルフが待ち構えていた。夜目がきくような動きを見せるそのモンスターによって隊列の乱れを突かれ、側面からの奇襲を受ける。

 数分の間に、状況は不可逆的に崩れ始めた。部隊の密度が高い地点で誤射も起き、近接戦では銃撃が効かない瞬間が散発した。指揮系統は混乱に飲まれ、撤退の判断がやや遅れた。


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 地上に戻ってきた時、夜はすっかり深まっていた。テントには担架が置かれ、医師が淡々と処置を続けている。死者は二名、重傷者が四名。数字としては「小規模」かもしれない。だが彼らは精鋭部隊であり、現場の士気に与える影響は大きかった。ローランはテントの外で、夜空を見上げながら固く目を閉じた。胸の中には、計測できない何かが刺さっている。


 参謀本部への報告は慎重だった。「局地戦での損耗」「不運な接触」といった文言が並ぶ。だが、現場の技術士官や工兵の間では、異なる言葉が交わされていた――「当たるべき弾が当たらない」「回避のタイミングが合わない」「何かが反応している」。誰も、それが何であるかを説明できなかった。


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 ニュースは翌日、大きく流れた。政府は「勇敢な行動」「国家の安全を守るための責務」と表面上の言葉を並べ、死者に対する哀悼を表した。

 一方でSNSには、現場の断片映像と憶測が溢れた。「軍隊も失敗するの? 危なくない?」「フランスは遅れている!」「アメリカみたいに民間に任せれば?」「民間は速い、でも危険だ」。

 欧州諸国のメディアはこの事件を受けて論評を始める。フランス国内の雰囲気は、すっかり変わってしまった。


 地方の住民は、記者の問いに細々と答えた。


「政府がやるべきことをしただけだよ」


 言葉の端々に、戸惑いと誇りと不安が混ざる。欧州全体で広まっていた「英雄譚」は、小さな死と血の匂いで、現実という色を付け替えられた。


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 参謀本部の高官会議では、冷たい数字と生々しい写真が前に並べられた。セルフチェックのために作られた評価書は、無情なことを示している。フランスは「理性で行動した」――しかし理性が見落としたのは、「経験が刻印する微細な身体知」だった。訓練や装備はその一端を埋められるが、全面的に代替することはできない。身体が「学んだ」回避の微妙なタイミング、敵の気配に馴らされた感覚、それは数式には落とせない。


 ローランは淡々と宣言した。


「我々は敗れたわけではない。しかし、学ばなければならない。――ただ一つだけ言えるのは、これが偶然ではない可能性だ」

「訓練された軍の精鋭がその力を発揮しきれない。火器の威力は減衰する。――ゲートをくぐり続けるなら、ゲート内のルールに適応しなければならない」


 その言葉は、会議室に静かに落ちた。だが人々は既に次のことを考え始めている。基準を作るのか、民間の知見を取り込むのか、あるいは両者をどう接続するか。どの道にも摩擦と被害があることを、あの日の森が残した轍が示していた。


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 石切り場の夜、焚火の周りで語り合う男がいた。民間の野次馬から、軍の迷彩服を着た退役者まで、顔ぶれはばらばらだ。誰もが自分なりの解を持っていた。


「俺らが行った時は、体が覚えてたんだ。足が、自然に動いた」


「ここは訓練室とはあきらかに違う。当たるはずだった弾が当たらないんだ」


「次はどうするんだ? 政府は封鎖に戻すのか、もっと広く開くのか」


 答えはない。焚火の光が、黒い口を照らした。開口部の奥に、影は何も語らない。だが世界は確かに変わった。理性だけでは計り知れない何かが確実に存在し、人々はその外側で手探りを続けるしかなかった。


 フランスは学ぶだろう。経験は血と汗で得られる。だがそれを誰の指導で、誰のデータで、どの言葉で共有するか。それこそが次の戦場なのだと、誰もがぼんやりとわかっていた。

お読みいただき、ありがとうございます。

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