第31話 想定外の成功例
アメリカ・私有地/オークション会場/ラジオスタジオ/各地のSNS
2020年3月上旬
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夜の砂地に、焚火の匂いとアルコールの湿った吐息が混ざる。民間探索者たちは勝ち誇ったように笑い、敗者のように黙っている者もいた。新しい深層の情報が小さく循環しては、また別の噂へと変わる。そんな夜の、焼け残った残滓のような場面で、コボルトがひっそりと一つの「物」を落とした。
固い殻のように見える小さな球体。黒でも銀でもない、中間の光沢を持つそれは、手に取ると淡く光った。大きさはテニスボールほど。探索者の一人が期待をにじませながらつぶやいた。
「宝石か? そのサイズ、とんでもない額になるんじゃないか?」
「まあ、落ち着けよ。中に何か書いてある。……群感知?」
隣の仲間に軽く投げ渡すと、球は再びほんの一拍だけ光を漏らした。だが、それで掌から何かが変わることはなかった。
「何だこりゃ、ちょっと光るだけか?」
「売っちまえ、売っちまえ。見たことも聞いたこともねぇアイテムだ。どこぞの物好きが高値で買ってくれるさ」
夜は進み、酒の勢いと話の大きさが、そこでの出来事を覆い隠していく。翌朝、その「物」は使い古しのビニール袋に入れられ、雑多な出品リストの中に紛れ込んだ。出品者は大金を期待していたわけではない。ただ、見慣れない物は価値を呼ぶ。民間の市場は、不確実性に敏感だ。
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オークション会場は華美ではなかった。地方都市のホテルの宴会場を借り切り、業者が数十人の入札者を集めている。招待状に載った顔ぶれは、投資家、小規模のコレクター、そして好奇心で来た一般客。参加者のスマートフォンには、昨夜のクリップや「深層からの奇品」という短い記事が埋め込まれていた。
司会の女性が箱を開け、掌にのせた小さな球を見せる。内に浮かぶ「群感知」という文字ライトに照らされる。
「出品番号五二三、未確認の『球』。使用方法不明、保管状態良好。説明は以上です」
場内に笑いが漏れ、安値から入札が始まる。ところが入札が続くうちに、様相が変わっていく。「小瓶──HPポーション」を使って怪我が癒えたという話。「歪んだ銅貨を革紐で束ねたもの──歪貸束」を首に掛けると狙いが安定したという体験談。市場は「機会」を嗅ぎ分ける。この「球」も次なる奇跡なのではないかと。未確認であることが、希少性となる。
価格は上がり続け、最終的に落札したのは、名前の紙の詰まった折り畳みの封筒に代物の名が書かれるだけの人物。現場では「エタン・コール」と呼ばれていたが、プロフィールは薄い。彼は偶然そこに居合わせた、地元で小規模なコレクションをしている投資家の一人だった。支払いは現金。受け取ったオーブは、箱の中で静かに揺れた。
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エタンの自宅は町はずれの一戸建てで、壁に掛かった古い地図や機械のパーツが並ぶ趣味部屋が一角を占めている。彼はオーブを小皿にのせ、何の説明もないまま手に取ってみた。手触りは、オークション会場で確かめたとおり触れると淡く光った。――何とかこれを“使えないものか”。そう思った瞬間、手のひらの球は光の粒子となって消えていった。そして、部屋の空気がほんの少し変わった。
最初にエタンが気づいたのは、ドアの向こうから聞こえる妻の足音だった。視界の片隅に、光の輪郭のように「もう一つの像」が差し込まれている。頭の中に言葉がふっと現れるような錯覚。エタンは半ば冗談めかしてつぶやく。
「おい、誰か来てるのか?」
だが答えはない。彼がキッチンの方を向くと、そこにいるはずのない近所の少年の顔が、薄く重なって見えた。位置の記憶。距離の暗示。ふっと、エタンは理解した。
(人の……味方の位置が、わかる?)
だがそれは完全な視認ではない。吠える犬の位置や、家族の気配の輪郭、背後から近づく人物の「方角」がぼんやりと示されるだけだ。直感に近い、朧げな感覚。彼は驚きと好奇心で笑い、携帯を取り出してそれを録画した。最初のクリップは短く、説明らしい説明もない。それでも彼は投稿ボタンを押した。
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ソーシャルメディアは瞬間的に反応した。動画の再生数はみるみる伸び、コメント欄は好奇心と商魂で溢れた。「使ってみた」「どのくらいの範囲?」「売ってくれ」「オレも落札したい」──そんなコメントの中に、急に増えたのは「検証してくれ」「危険じゃないのか」という慎重な声だったが、その声は小さかった。
民間の動画はいつでも国家の公式見解より先に事象を定義する。映像は現場の「成功」を示し、それを「できること」へと変換する。短時間でニュースは切り取られ、各地の探索コミュニティに伝播した。
ラジオ局でダニエルは翌朝、その貼り付いた動画のURLを朗らかに読み上げる。
「聞いてくれ、ヘッズ! 信じがたいけど、本気っぽい。群感知? オーブを使えば、味方の位置を“ぼんやり”教えてくれるらしいぜ! 意味わかるか? オーブ一つでチームワークが劇的改善だ!」
ダニエルの声は羽目を外すように高く、だがその反響は冷ややかでもあった。彼は自分の煽りが誰かを送り出すことを知っている。
夜の焚火にいた男たちも、スマホを覗いて顔を赤らめた。
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解析室の画面には、また新しいノイズが流れ込んできた。李のログ、他の被験者のデータ、世界各地のドロップ記録に、新しいカテゴリが加わる。最初に出たのは「オーブ型アイテム」。次いで「群感知(備考:使用法不明)」という走り書き。無論、学術的検証は何も整っていない。軍や研究機関は、動画とオークションの記録を突き合わせ、顔を寄せた。
「手に持って、使おうと思ったら使えた? 使用者の主観が強すぎる!」
「味方の位置がぼんやり分かる? 味方とはどの範囲だ? ぼんやりとは具体的にどう感知している!?」
「まずは、再現性の検証が最優先だろう」
「だが、市場は既に動いているぞ!」
主任の言葉は、もはや冷たさを保てなかった。データは「結果」を示す。だが結果は市場とメディアが作る「物語」に押し流されていた。
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マイケル・ハリスのタブレットは、またひとつ新しいウィンドウを開いた。群感知オーブの落札記録。動画のバイラル。いくつかのオークショントラッキングツールの値動き。彼は軽く笑った。
「想定内だ」
隣の若手が首をかしげる。
「本当に、それが使えるんですか?」
マイケルは目を細める。
「使えるかどうかは二の次だ。大事なのは“人がそれを信じるか”だ。なぜなら信じた瞬間に、ルールはできる」
その言葉は市場原理の冷たい定義だった。彼は、既に複数の国内外の仲介業者へ連絡を入れている。次回のオークションのための種は蒔かれていた。
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都市の隅から隅へと、議論は広がる。科学者は慎重を説き、軍は混乱を警戒し、医師は安全性を問う。だが一般大衆の感覚は異なる。彼らの多くは、目に見える「効果」を先に信じ、そしてその効果を利用しようとする。新しいツールは、情報の速さと欲望の滑走路を得て、現実世界に滑り込んでいった。
夜、ダニエルは番組の最後に空元気気味な声で語った。
「やべえ世界だ! 新しい何かが降ってきたぜ。拾った奴は、次のヒーローになれるかもしれねぇ! 見てろよ、どう動くか楽しみだな! 戻ってきたら、その顔をでっかく俺のリスナーに見せてくれよ!」
誰に向けて言っているのか、ダニエル自身にもわからない。けれどその言葉は、乾いた夜に小さな温度を残した。
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翌朝、幾つかの大手メディアが「民間によるスキル取得」「偶然の成功」と題した特集を組み始める。各国の解析室は公式見解を急ぐ。だが時すでに遅く、民間の「成功」はすでに記録され、誰かの手で商品化の青写真が描かれている。
それは、国家の「基準」が整う前に、民間の発見が既成事実となる瞬間だった。想定外の成功例は、世界の判断の速度差をさらに拡大し、次の閾を押しやる。数は、ただの数ではない。物語は、静かに、だが確実に動いていった。
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