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ゲートキョウソウ  作者: 卜部


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第30話 優位性の賞味期限

 日本・首相官邸/アメリカ・投資家ラウンジ/中国・中央解析室/ロシア・研究部門/カナダ・オタワ

 2020年2月下旬


 ---


 朝の官邸は、まだ完全には目を覚ましていなかった。


 首相官邸地下の会議室。照明は落とされ、窓の外の空は薄く白んでいる。綾部首相は机に広げられた資料に目を落としながら、ゆっくりとページを繰っていた。指の動きは丁寧で、どこか儀式めいている。


 大型モニターの端に、昨夜確認された新ゲートの位置が点滅している。イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、カナダ。地図の上で、日本の点は相対的に小さくなったように見えた。


「……増えましたね」


 綾部は、感想とも確認ともつかない声で言った。言葉は軽い。だが、その裏で数字を何度も組み替えている目だった。


「これで、我が国だけが“先に動いた国”ではなくなります」


 官房長官が、資料を一枚押し出す。淡々とした口調だが、僅かに語尾が早い。


「相対的な先行優位は、どうしても薄れます。国際的な評価も、今後は――」


 綾部は小さく手を上げ、言葉を制した。


「ええ、ええ。そこは、承知しています」


 彼は椅子に深く腰をかけ直し、会議室を一巡見渡す。外交、防衛、経産、科研。全員が、彼の次の言葉を待っている。


「ただしですね」


 間を置いて、綾部は続けた。


「“薄れる”というのは、優位が消えるという意味ではありません。“優位の性質が変わる”ということです」


 誰かがペンを止める音がした。


「これまでの優位は、“最初に遭遇した”という事実に依存していました。しかし今後は、“どう扱うか”“どう説明するか”が問われる段階に入ります」


 穏やかな口調だった。だが、その言葉は会議の空気をわずかに引き締めた。


「我が国は、これまで拙速に動かなかった。それは、決して遅れではありません。選択です」


 綾部は、資料の端を軽く叩く。


「安全、制度、国際的な説明責任――これらを同時に成立させるには、どうしても時間がかかる。ですが、それを積み上げてきた国は、実は多くない」


 官房長官が、わずかに息をつく。


「つまり……」


「ええ」


 綾部は頷いた。


「今後、日本の強みは“先行”ではなく、“基準”になります。ルールを作る側に回れるかどうか――そこが勝負です」


 ---


 ニューヨークの投資ラウンジでは、別の速度で世界が動いていた。天井の高い空間に、低いジャズが流れている。ここは“会議室”ではない。だが、ここで決まる数字は、多くの会議室より速く現実を動かす。


 マイケル・ハリスは革張りのソファに深く腰掛け、タブレットを片手で操作していた。画面に並ぶのは、欧州各国の声明、封鎖方針、例外規定、そしてそれらの「抜け穴」を示す注釈付きの要約だ。

 彼はそれらを、感情のない指先で次々と弾く。窓の外に広がる摩天楼を一瞥し、わずかに口角を上げた。


「欧州が封鎖を選ぶなら、空白が生まれる」


 声は低く、淡々としている。


「規制はいつも遅れる。その遅れが利益になる。我々は違法なことはしない。ただ、誰よりも早く合法になる場所に立つだけだ」


 隣の弁護士が静かに頷く。


「国家の優位が分散すれば、民間の裁量は増えます。法が整う前に契約を押さえた側が主導権を握る」


 マイケルはわずかに口角を上げた。メディア向けの笑顔ではない。計算が合ったときの、癖のような表情だ。


「国境は問題じゃない。問題は“誰が最初に枠を作るか”だ」


 彼にとってゲートは脅威ではない。制度が生まれる前に入り、制度が生まれた瞬間に外に立っているための入口だった。


 ---


 北京の中央解析室では、まったく逆の論理が支配していた。


「サンプルの増加は、必ずしも脅威ではない」


 解析主任は言う。


「問題は、誰が意味づけを行うかだ」


 データは遮断され、アクセスは再編成される。李宇航は“管理すべき資源”として、より厳重な枠に収められた。


 ---


 モスクワでは、議論は短かった。


「理屈は後だ」


 セルゲイは吐き捨てる。


「数が増えたなら、使えばいい。結果を出した者が、正しかったことになる」


 ---


 オタワでは、制度の設計図が広げられていた。


「止めるのではない」


 カナダ首相は静かに言う。


「共に存在する方法を、先に作る」


 ---


 再び、官邸。

 綾部首相は机の上のメモに目を落とす。


 優先要件

 ①データの質

 ②制度の正当性

 ③運用の安全性

 ④経済への接続


「……データと制度は、一定の水準に来ています」


 綾部は独り言のように言った。


「問題は、次の一手をどう“語るか”です。国民に、国際社会に、そして現場に」


 彼は顔を上げる。


「安全を軽視することはできません。しかし、安全だけを理由に立ち止まることも、許されない」


 その言葉は、決意というより、覚悟だった。


 ---


 数日後、回覧文書が官邸を巡った。


『優位性維持のための追加措置(案)』


 綾部はペンを走らせながら、しばらく考え込む。どこまで踏み込むか。どこで線を引くか。窓の外では、東京の夜景が静かに瞬いていた。


「……時間の問題ですね」


 彼は小さく呟く。


「先に動くか、先に意味を定義するか。日本は――後者で行きましょう」


 それは、派手な決断ではない。だが、長く効く一手だった。


 世界は次の閾に向かって走っている。そして日本は、その“ルールブック”をどこまで書けるのかを、静かに試され始めていた。

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