第3話 オンエアは止められない
第3話 オンエアは止められない
アメリカ・某都市
2020年1月1日 午前0時台
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ダニエル・クーパーは、マイクを握ったまま、黒い“それ”を見上げていた。
巨大な縦長の欠け。
光を反射せず、輪郭だけがはっきりしている。
近くに立っているはずの警官の影さえ、そこには映らない。
「……オーケー、リスナーのみんな。状況アップデートだ」
声は、我ながら妙に落ち着いていた。
心臓はうるさいくらいに鳴っているのに、口は勝手に仕事をする。
警察が動き始めている。
規制線は張られつつあるが、まだ甘い。年越しイベントの混乱もあって、完全な統制には程遠い。
「これは……そうだな。アートでも、工事ミスでもない。少なくとも俺の知ってるカテゴリには入らない」
背後で、誰かが「下がれ!」と叫んだ。
別の誰かが笑いながら動画を撮っている。
ヤバい。
本能は、はっきりそう言っている。
でも――
「でもさぁ……」
ダニエルは、思わず苦笑した。
「ここまで来て、引き返せる?」
これは職業病だ。
逃したら、一生引きずるタイプの瞬間。
しかも、目の前にあるのは“世界が変わる瞬間”かもしれない。
ハンディカメラの録画ランプは赤く点いている。
ポータブルマイクも生きている。
「……よし」
半分はノリ。
半分は覚悟。
ダニエルは、規制線の隙間をすり抜けた。
「ちょっと失礼! 仕事なんで!」
軽口で制止をかわし、そのまま黒い欠けへと近づく。
触れた瞬間――
ブツッ、と。
世界がミュートされた。
音が消えたわけじゃない。
正確には、「繋がり」が切れた。
電波が途切れる瞬間に似ている。
ノイズすらなく、唐突に“無音”。
次の瞬間、足元の感覚がズレる。
落ちてもいないし、引き込まれてもいない。
ただ、立っている場所の前提が、入れ替わった。
「……っ」
気づけば、そこは洞窟だった。
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思ったより、明るい。
いや、正確には「暗くない」。
光源がないのに、輪郭が見える。影の濃さが均一で、奥行きの距離感が狂う。
「……リスナーのみんな、聞こえてるか? ……あー、無理だな、これ」
無線を確認する。
ランプは点く。録音もされている。
だが、送信だけが死んでいる。
「オンエアは止まった。でも――」
ダニエルは、マイクを握り直した。
「――録り続けるしかないよな」
沈黙が怖い。
音が返ってこない空間は、頭の中まで静かにしてしまう。
だから、喋る。
「オーケー、現在位置、不明。洞窟みたいな場所。温度は……寒くはない。酸素……たぶん、足りてる」
カメラ越しに見る洞窟は、妙に現実感があった。
肉眼よりも、レンズの向こうの方が“ちゃんとしている”。
歩き出して、すぐに気づく。
音が、吸われすぎている。
足音も、声も、反響はするのに、広がらない。
「……これ、静かすぎるだろ」
床の端で、半透明の塊が動いた。
反射的に身構える。
「……あ、いや」
ゆっくりと距離を取る。
向こうも、特に追ってこない。
「……動くゼリーみたいな何か。害は……今のところ、なさそうだ」
それ以上、近づかない。
深追いしない。
(今は、これはいい)
ダニエルの視線は、奥へ向いていた。
少し進んだ先で、違和感に気づく。
洞窟の床が、妙に整っている。
自然に崩れたにしては、段差が規則的すぎる。
「……階段?」
ライトを向ける。
石造り。
明らかに“下へ続いている”。
「待て待て待て……」
思わず笑いが漏れる。
「これ、空間じゃなくて――構造物だろ」
洞窟“みたいな場所”じゃない。
最初から、そういう作りだ。
ダニエルは、階段の前に立った。
(引き返すなら、今だ)
(でも――)
カメラは回っている。
そして、自分は“それを下ろせる人間じゃない”。
「……行くぞ」
一段、降りる。
二段。
そのときだった。
カメラのフレームの端で、何かが動いた。
「……待て」
反射的に、そちらへ向ける。
影。
小さい。
人型……いや、違う。
「子ども? いや、違うな」
低い唸り声。
喉を鳴らすような、不快な音。
現れたのは、緑がかった肌の小柄な人型。
目が大きく、歯がむき出しで、明らかに“人じゃない”。
「……オーケー、訂正。これ、ヤバいやつだ」
ゴブリン。
あまりに“らしい”見た目。
ファンタジーの存在が、自然と浮かんだ。
「見えてるか!? いや、見えてないよな! でも信じてくれ、俺は今――」
言葉が止まらない。
怖いから。
黙ったら、飲み込まれそうだから。
ゴブリンが、走った。
ダニエルは後退し、足を取られて転ぶ。
手にしていたカメラが、咄嗟に前へ向く。
「っらああああ!」
ダニエルは手近にあった石を掴み、投げた。
狙いなんてない。
ただの反射だ。
石は、運よくゴブリンの頭部に当たった。
悲鳴。
次の瞬間――
崩れるように、黒い塵になった。
煙のように広がり、数秒で消える。
「……は?」
ダニエルは、カメラを構えたまま固まった。
血も、死体も、何もない。
最初から存在しなかったみたいに。
「……オーケー」
喉が、ひくりと鳴る。
「これは……テロじゃない。事故でもない。CGでもない」
カメラは、全部録っている。
自分の悲鳴も、転倒も、消える瞬間も。
「……世界のジャンル、変わっただろ」
世界が、別の番組表に切り替わった気がした。
笑いそうになるのを、必死でこらえた。
怖い。
でも、それ以上に――
「これを黙ってろ? 無理だろ」
踵を返す。
ここに長居する理由はない。
ゲートを抜けた瞬間、現実の音が一気に戻ってきた。
怒号。
サイレン。
人の声。
「おい! そこの――」
「待て! 俺、メディアだ! ラジオ局だ!」
必死に叫び、身分を示す。
完全に信用されたわけじゃないが、即拘束は免れた。
機材を確認する。
無事だ。
「……はは」
思わず、笑ってしまった。
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その夜。
ラジオ局のブースで、ダニエルはマイクの前に座っていた。
「新年早々、とんでもないものを見た」
言葉を選ぶ。
映像の話はしない。
断定もしない。
「事故でも、事件でも、説明できない。だから――今は、近づくな」
笑い声。
冗談だと思う反応。
だが、妙に静かな沈黙も、確かにあった。
ダニエルは、マイクを見つめる。
(……誰かが、話し続けないといけないんだ)
それが、たまたま自分だっただけだ。
番組終了直後、ブースの電話が鳴った。
表示されている番号は、見覚えがない。
「……はい?」
受話器の向こうで、低い声が名乗った。
「あなたの録音について、少し話を聞きたい」
ダニエルは、ゆっくりと笑った。
「いいね。新年一発目から、ビッグゲストだ」
――オンエアは、まだ終わっていない。




