第21話 値段のつかない資源
日本・研究所/ダンジョン
2020年1月下旬
---
研究所の白い蛍光灯は、洞窟の暗がりよりも、かえって残酷に感じられた。
無影灯の下、ガラスケースが整然と並び、慎重にラベルを貼られた小さな塊が、トレイの上で沈黙している。どれもパチンコ玉ほどの魔結晶だ。形も色味も似通っている。透き通っているようで、角度を変えると黒みを帯びる。その表面は、見る者の期待をそのまま映し返す鏡のようだった。
「電気的な反応は確認できます。パルスを与えると、微弱な放電が記録される」
研究員はモニタを指し、滲んだグラフを示した。声は落ち着いている。だが、その抑制の裏に、焦りと好奇が同居しているのが鷹宮にも分かった。
「ただし、再現性が極端に悪い。同じ条件、同じ結晶で五回やって、三回だけ反応が出る。別の個体だと、まったく出ないこともある。温度、湿度、電磁ノイズ……いずれも明確な相関は見えません」
研究員は言葉を区切り、顕微鏡の下に結晶を戻した。
「代替エネルギー源になり得る可能性はあります。ですが――」
言葉は、そこで途切れた。
研究室には、言い切られなかった「ですが」だけが満ちる。
代替エネルギー、という響きは魅力的だ。だが計測器の針は、期待を忖度しない。ぶれる針は、希望と不確実性を同じ線上に並べてしまう。
---
一方、現場では別の歯車が回り始めていた。
政府の指示のもと、自衛隊は日本ダンジョン第1〜5階層で「定点狩り」を開始していた。討伐数、討伐手段、参加人数、出入りの時間帯――すべてを厳密に管理し、記録する。数値化された事実は、管理者に安心を与える。だが、その安心が常に正しいとは限らない。
鷹宮恒一は、いつもの風体で現場の一角に立っていた。簡易のボディアーマーに身を包み、ライトの光で洞窟の壁肌をなぞる。
彼は案内役ではない。実験の主体でもない。
ただ、第一発見者であり、初めて中に入り、生きて戻ってきた人間として、自然と最前列に置かれていた。
(……また、ここに戻ることになるとはな)
(外部協力者、か。観測する側に回ったつもりで、実際は俺も観測対象だ)
「本日は三十分ごとに小隊交代。討伐は最大十体まで。回収した魔結晶は、個別に識別コードを付与すること」
伊藤中佐が、指揮テントのホワイトボードに淡々と書き込む。その合理性に、誰も異を唱えなかった。
鷹宮は隊列に加わり、黙って歩いた。歩幅は一定で、癖も出ない。
侵入の瞬間、あの感覚が訪れる。音が削がれ、世界が静まる。だが今回は、以前ほど恐ろしくなかった。二度、三度と出入りした経験が、彼の内側に小さな確信を芽生えさせていた。
「……同じだな」
無意識に、声が漏れた。
足元のスライムを踏み潰す。黒い塵が舞い、隊員が慣れた動きで結晶を拾い上げ、コードを貼る。その一連の流れは、ほとんど儀式のようだった。
帰還時、鷹宮は一つの結晶を手のひらに残し、ライトで照らした。
「自然に、こうはならないだろ」
違和感は、数値からではなかった。
戦闘中の間合い、塵が舞う位置、結晶が残る瞬間――現場の記憶が、彼の中で静かに重なっていく。そこには、偶然では片付けられない規則性があるように思えた。
---
夜。
モニタの片隅に、雑音混じりの短い通信が割り込んだ。海の向こうから流れてきた断片的な情報だ。
アメリカの民間探索者が、小瓶を「回復薬」と称して即席マーケットで売っている。別の映像では、投資家が魔結晶を燃料添加物としてテストしている様子が映る。
安全性は未確認。だが――儲かる。
鷹宮は映像を見て、眉をわずかに動かした。焚火を囲み、傷を洗い流しながら笑う男たち。
効果のある映像は人を惹きつける。
効果がある「ように見える」映像は、さらに強く人を動かす。
(値段がつく前に、性質を知るべきだったのかもしれないな)
その考えは、胸の奥に沈んで消えた。
テントの片隅、ケースの中で結晶が静かに光を返している。小さく、無言で、しかし確かに何かを含んだ存在感だった。
---
研究員はデータを整理し、簡潔な報告書をまとめた。
表現は慎重で、断定を避ける。資源化の可能性はある。だが再現性の欠如と、何者かの介在を思わせる不確かさが残る。
政策決定者向けに、選択肢が並べられた。
試験利用。国家独占。市場放任。
いずれも利益と代償が、等価に見えるように書かれている。
その頃、外ではネットの流れが加速していた。
「HPポーション」という言葉が踊り、「歪貨束は当たり」と画像が貼られる。市場は説明より物語を好む。物語は値を生み、値は人を動かす。
---
鷹宮は最後に、ケースに手を触れた。
ガラス越しの冷たさが掌に伝わり、指先がわずかに震える。
世界は待ってはくれない。
国は慎重であろうとする。だが、どこかではもう取引が始まっている。
「値段がつく前に、性質を知るべきだったのかもしれない。
だが――世界は、待ってはくれない」
それは呪いにも、予言にも聞こえた。
テントの外で焚火が揺れ、一瞬だけ結晶の面を照らす。光は確かに美しい。だが鷹宮の胸には、その美しさ以上に、言葉にできない重さが残っていた。
これは、資源ではない。
少なくとも――ただの資源ではなかった。




