第20話 国際舞台
国際会議センター(中立地)
2020年1月下旬 午前
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空調の低い唸りが、会議室の緊張をさらに強めていた。
壁には同時通訳の機材と国旗が並び、テーブルの上には分厚い資料と、終わりの見えないスライドが積まれていた。
壇上の名札が目を滑らせる――バロン(米)、綾部(日本)、張(中)、プーシキン(露)。座席の向こう側では、欧州連合、インド、ブラジル、アフリカ連合などの代表も固い表情で静かに待っている。
会議は既に三時間を超えていた。スクリーンには、各国から提出された「現況サマリ」が輪番で映し出されている。数字、地図、被害報告、確保物資の一覧。整然とまとめられた資料は、どれも安心を与えるデザインになっていた。だが、テーブルに腰掛けた四人の顔に、その冷たい安堵は映り込まない。
事務的報告が終わり、いよいよ首脳同士の直接対話へ移った。場は本番だ。
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まず口火を切ったのは、ドナルド・バロン大統領だった。大柄に椅子にもたれ、選挙演説を続けるような口調で言う。
「皆さん、まずは事実からだ」
「アメリカは民間主体の探索を許容し、市場の迅速対応が功を奏している。到達階層は第3〜断片的な第4階層。成果は持ち帰られており、アイテムは初期の実用化段階に入っている。機会を掴むのはリスクを取る者だ」
彼の声には自負と挑発が混じる。
「率直に言おう。これは危機ではなく機会だ。遅れる国は、後で高い代価を払うことになる」
会場がざわつく。綾部信三首相はすっと身を乗り出し、冷静にマイクへ向かった。
「――“前に進む”ために、いったいどれだけの命を置き去りにするつもりですか」
言葉は穏やかだが重い。綾部は短く、しかし明確に日本の立場を示す。
「我々は第3階層で人を失った。その事実が、我々の足を止めています。速度よりも、行方不明者の解明と安全の検証を優先する。『戻らない命』を前提にした先へは進めません」
バロンは眉を上げ、軽く笑って返す。
「戻る? 綾部、尊重するよ。だが現実は、待ってはくれない。市場は既に動いている。選択肢を求める市民がいるのだ」
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張金平主席は淡々と紙をめくり、短く言った。
「感情論は不要だ。中国は国家直轄で管理する。民間の無秩序な探索を許さない。到達は第1〜第2層までに限定している。魔結晶サンプルは国家研究所に集約し、解析は国家プロジェクトで行う。情報共有は条件次第」
「速度より統制、利益より支配だ」
バロンがすかさず食い下がる。
「支配? 国民が知らされぬまま信じろと? それで納得するのか」
張は顔を上げる。目は冷たい。
「混乱より無知が安全だ。情報は武器だ。武器は国家が保持すべきものだ」
綾部が一度息を吐く。
「情報を閉じれば誤解は増える。誤解はいつか暴走を生みますよ」
張は短く言い返す。
「暴走する民間を生むのは、あなた方の“自由”だ」
その言葉が会場に小さな落ち着かぬ震えを走らせる。
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「――全員、甘いな」
ウラジミール・プーシキン大統領の声が重く響く。低く、冷たい。存在感だけで場の空気を引き締める。
「我々は現場で得たものを最優先で活用する。地下は議論の場ではない。到達は第4層までだ。帰ってきたのは全員ではないが、映像とサンプルを持つ。理屈より成果だ。共有するなら対価を要求する」
言葉少なだが、その示唆は重い。どの国も、それぞれの尺度で生存と利益を秤に掛けている。
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議論はすぐに噛み合わなくなった。バロンは市場と技術で迫り、綾部は倫理と安全を訴え、張は統制と国家利益を冷徹に主張し、プーシキンは成果と力の論理を示す。温度は上がり、同時通訳のイヤホンが微かに鳴る。
欧州連合代表が沈着に割り込み、国際的な安全基準と透明性を求めた。インド代表は技術移転の枠組みを求め、ブラジル代表は資源化の公平性と補償を主張する。会議は四極の衝突から、多国間の要求へと広がっていった。
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バロンは挑発的に笑う。
「国際監査? 我々はオープンだ。ただしルールは市場だ。皆で使うなら対価を出せ」
張は冷たく首を振る。
「共有は条件次第。我々が検査を通すことが前提だ」
綾部は画面の資料を見つめ、静かに答える。
「我々の要求は透明性、責任、帰還義務です。情報は出しますが、個人データや未検証の医療効果は科学的検証が必要です。『ポーション万能論』で民間が暴走するのを放置できません」
プーシキンは薄く笑う。
「理想は美しい。だが地下は残酷だ。誰かが前に立ち、失敗と代価を払う。時間は金では買えない」
場内がざわつく。スクリーンに各国の確保状況と到達階層が映され、赤字で注記が踊る――「HP薬の臨床試験未完了」「魔結晶は既知鉱物と非一致」「民間取引は監視外で活発化」。現実の危うさが、数字の端にちらついている。
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綾部は最後に立ち上がり、静かに締めくくった。
「ここで決めることは多い。しかし忘れてはならないのは一つです。『我々はこの事象を制御できると思い込む前に、まず守るべきものを守る』ということ。技術も市場も、守るべき人がいて初めて意味を持つ」
バロンは片目を細め、舌打ち混じりに返す。
「良いスローガンだ。ただしその『守るべきもの』は、我々のやり方で守られるべきだ」
張はメモを胸に押し込み、条件と手順の提示を約束する。プーシキンは黙って立ち上がり、言葉少なに「結果がすべてだ」とだけ言って会場を見渡した。
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共同声明の文言は慎重に作られ、部分的な協力で妥協は成立した。付帯条項には「研究データの段階的共有」「臨床試験の国際基準制定」「商取引の一部国際監視機構設立」「民間探索の国際ルール化」が盛り込まれたが、執行力ある条項は乏しい。
多くは「段階的」「条件付き」「検討」が並ぶ言葉で埋められた。
会議が散会したとき、四人は別室へ消えていった。マイクやカメラが引き上げられるなか、会場外では待機記者が執拗に問いを投げる。だが会議で交わされた言葉の多くは、メディア向けに磨かれた翻訳に置き換わるだろう。
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綾部は会場を離れる直前、窓の外に目をやった。夜の街灯が、周辺道路をぼんやりと照らす。会議室で合意された「管理」という言葉は、まだ現場には届いていない。
張の手元には厳しい条件表があり、次の閣議での強硬措置が念頭にあるかもしれない。
バロンは帰路の飛行機で市場参入戦略を練り、プーシキンはさらに映像とサンプルを握りしめるだろう。
国際会議は形を成したが、決定は先延ばしになった。参加各国は自国の立場を温存しつつ、小さな合意を積んだだけだ。外ではSNSが沸き、HPポーションや歪貨束、魔結晶の噂が市場を駆け巡る。私的な取引は止まらない。
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国際会議は終わった。発見と喧騒、初期の勝利と小さな傷――それらが積み重なり、それぞれの国が自らの選択をした瞬間だ。だが終わりではない。地下で待つものは、議事録を待たずに動き続ける。国際的合意が薄紙のように剥がれるとき、本当の決断はいつも現場が強いる。
人々はそれぞれの正義と損得勘定で次の一手を選び始める。灯りの消えたダンジョンそばのテントの横で、小さな焚火が赤く揺れている。




