第14話 分かったことにする
日本・都内
2020年1月中旬
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誰かが、冗談めかして小さく笑った。それだけのことなのに、室内の何人かが一瞬、肩の力を抜いた。
数日前なら、あり得なかった光景だ。会議室は常に緊張していて、言葉は刃物のように扱われ、沈黙すら責任の所在を問い詰める空気を帯びていた。
だが今日は違う。誰も声を荒げず、誰も相手の表情を探るように見つめていない。
机の上に並ぶ資料は、すでに「整理後」のものだった。付箋だらけだった初期案は消え、赤字修正も見当たらない。ページ番号が振られ、索引が付き、表紙には簡潔なタイトルが印刷されている。
「階層別危険度評価」
「想定接触時間」
「被害シミュレーション」
プロジェクターに映し出されたスライドには、色分けされたセルが整然と並び、赤は控えめに、黄色は注意喚起程度に抑えられていた。見た目は、よく出来た業務資料そのものだ。
半径およそ三キロ圏内に広がる洞窟群のマッピングは、ようやく完了した。第1階層から第3階層まで。暗闇の奥へ踏み込んだのは、誰かの勇気ではなく、センサーと手順だった。
部隊は慎重だった。歩幅を揃え、呼吸を整え、異音があれば即座に止まる。死傷率を最小化するため、無理はしない。英雄的な判断は排除され、代わりに「想定内」という言葉が何度も使われた。
若手の役人がレーザーポインタを動かすたび、画面上の一点が強調される。そのたびに確認メモが追加され、誰かが静かに「よし」と頷いた。頷きは同意であり、同時に「これで進める」という合図でもあった。
「第1〜3階層は、現在の装備水準で管理可能と判断します。モンスター分類は暫定版ですが、スライム、ゴブリン、コボルト、ウルフ。各種の挙動と対処法は、すでにマニュアル化しました」
資料を読み上げる声は落ち着いていて、どこか柔らかい。感情を排した言葉は、聞く側に安心を与える。数字が出ると、人は納得した気分になる。表の下に小さく書かれた注釈まで含めて、すべてが「想定済み」に見えた。
「ただし、モンスターとの接触点は未確認」
その一文は、スライドの隅に小さく添えられている。誰もそこを指摘しなかった。見えないという事実は、まだ問題ではない、ということにされていた。
課長クラスの男が、紙コップのコーヒーを一口飲んでから言った。
「いいね。これで現場は動きやすくなる。自治体向けの説明フォーマットも作ろう。現場が迷わないのが一番だ」
近くの席にいた調整担当が、メモをめくりながら付け足す。
「記者会見用に、“暫定措置”と“市民向け注意事項”のテンプレも準備します。混乱は二次被害が一番怖いですから」
誰もが、耳触りのいい言葉を選ぶ。整理され、洗われ、角を落とされた言葉たちが、会議室を満たしていく。現実は紙の上で丸くなり、持ち運び可能な形に整えられていった。
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同じ頃、太平洋の向こう。
アメリカ、私有地管理棟の二階。窓際に置かれた長テーブルには、ノートパソコンと資料が並び、壁には巨大なモニターが設置されている。
スライドのタイトルは
「商業化戦略:ゲート・リスク最小化モデル」
グラフは滑らかに右肩上がりを描き、棒グラフはコストと便益の関係を分かりやすく示していた。色彩は明るく、未来的ですらある。
マイケル・ハリスは、タバコの代わりに香りの強いブラックコーヒーを口に含み、喉を鳴らしてから笑った。
「要は、データで示せば人は来る。リスクは保険で回せばいい。『層別プラン』を売るんだ。初心者は1階、慣れた連中は3階、って具合に」
隣の運営責任者が、半ば冗談めかして肩をすくめる。
「保険料、上がるだろうなあ」
マイケルは片手で空中に円を描くようなジェスチャーを入れた。場を和ませるための、慣れた動きだ。
「保険は商売の一部だよ。死ぬのは悲劇だが、リスクを受け入れる対価を払う奴は必ずいる。自己責任さ。銃を持てばゴブリンなんて問題にならない、ってのは……まあ、マスコミ向けに言っとけ」
軽い笑いが起きる。乾いた、短い笑いだ。彼らは数字と契約書を見れば安心する人種だった。
免責条項。
同意書。
訓練モジュール。
それらが揃えば、「準備完了」だと信じている。
だが、休憩室のテレビに流れた短いニュースクリップで、運営担当者の顔が一瞬、固まった。映像は派手で、分かりやすい場面ばかりを切り取っている。
コボルトの素早いすり抜け。
ウルフが跳びかかる一瞬の機敏さ。
編集で消えた細かな「ずれ」は、現場には確実にある。距離感の狂い。一瞬の判断遅れ。数字では処理できない、ほんのわずかな誤差。マイケルはそれに気づかないふりをして、肩をすくめた。
「怖がるのは自由だ。でもな、金儲けの機会は待ってくれない。数字が合ってる限り、世界は俺たちの味方だ」
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民衆の間では、また別の安心が広がっていた。
「第3階層までなら平気らしいよ」
「地元の友達が1階行ってきたって。水だけ持ってけばOKだってさ」
SNSの短文は脈絡なく流れ、昼には情報、夜には冗談へと姿を変える。ミームが生まれ、ゲームの用語とダンジョンの言葉が混ざり合う。子どもの会話と、大人の投資話が、同じテーブルに並ぶ。ニュース番組は天気予報のような口調で、「訓練と装備が重要」と繰り返す。
家庭では、父親がテレビをつけながらビールを注ぎ、妻は台所から「まあ、大丈夫でしょ」と声をかける。子どもは興味半分で画面を見て、すぐに別のチャンネルへ移る。
灯りを消して眠る人が増えた夜。玄関の鍵を、いつもより一度多く確認する人もいる。微かな不安はあるが、それはまだ「日常」の端に留まっていた。
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整理された資料。売り物として組まれた訓練。笑い飛ばす投資家。夜の家族。
すべては、手近にある安心だ。今すぐ信じていいもの、信じたことにしていいもの。
だが、場面の端々には、「数字に含まれない何か」が静かに置き去りにされている。
書類の脚注。会話の途中で遮られた一言。 夜更け、カーテンの隙間から覗く冷たい窓の外。
それらは消えたわけではない。ただ、「今は見ない」と決められただけだ。人々は分かったことにする。分かったことにすれば、前に進めるからだ。
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