第13話 数えなかったもの
アメリカ・都市部近郊ゲート周辺私有地
2020年1月中旬 昼
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準備は、いつもと同じだった。
同じ順番。同じ動作。同じ無言。それが分かっているから、考えなくて済む。考えなければ、余計な想像もしなくていい。
弾倉を叩き、装着を確認する。ストラップを肩に通し、長さを一段だけ詰める。 無線のスイッチを入れ、雑音を確かめてから、すぐに切る。
金属音と布擦れの音だけが、淡々と重なっていく。
誰もが、黙々と手を動かしていた。この「いつも通り」が崩れるとき、だいたいロクなことが起きない。だからこそ、全員がそれを守ろうとする。縁起でも担ぐように。
「装備よし?」
「弾よし」
「無線問題なし」
一つずつ、短い確認が飛ぶ。
「……神への祈りは各自で?」
最後の一言に、数人が顔を上げた。一瞬、空気が止まり、それから誰かが肩をすくめる。
「信心深いな」
「保険みたいなもんだろ」
「効いたらラッキー」
鼻で笑う音。乾いた息。腹の底から出るような笑いではない。緊張に耐えきれず、どこかからこぼれ落ちたような音だった。
こういう冗談が出る日は、全員が分かっている。今日は、全員が少しだけ張り詰めている。
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「今日もゴブリンだろ?」
軽い口調で、誰かが言った。あえて軽くする。その方が、全員が楽だからだ。
「人型で、棒持ってて、殴ってくる」
「んで、俺らは撃つ」
「終わり」
「簡単な仕事だ」
「人生もそれくらい単純ならいいんだけどな」
短い笑いがまた一つ。冗談に乗ることで、全員が同じ現実を共有していると確認する。恐怖は、言葉にすると増える。冗談にすれば、薄まる。
それが、この場所で生き残ってきた連中の作法だった。
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「犬っぽいのも出るって話だけどな」
誰かが、装備を整えながら思い出したように言う。
「ウルフ?」
「オオカミなら、うちの州にもいるさ」
「狭い洞窟に出る狼なんて、ただの大きい的だろ」
自信ありげな声。誰かが肩で笑い、銃口を軽く揺らす。その動きに、緊張は見えない。
「あと、小さいやつな」
「コボルトだっけ」
「チワワ枠だろ?」
拳を突き出して空を殴る真似をすると、何人かが吹き出した。その程度の扱いだった。危険として、ではなく。“ついでに湧く雑魚”として。
誰も、真剣には聞いていない。
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歪んだ空間の前に立つ。
空気が、妙に重い。現実が、ゆっくりとねじ曲がっているのが目に見える。視線を固定すると距離感がおかしくなり、目を逸らすと足元が不安になる。何度も入っているはずなのに、毎回、胃の奥がきしむ。
「じゃあ行こうか。地獄ツアー」
帽子のつばを直しながら、誰かが言った。親指を立てる。軽口で覆い隠さなければ、踏み込めない。
次の瞬間、視界が歪む。足元が消え、空気が変わる。肺に入る匂いが、外とは違う。
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「第2階層到着、っと」
誰かがわざとらしく実況する。
「観光案内は後で頼む」
返事と同時に、銃口は自然に前を向く。笑い声はあるが、油断はない。身体はもう、仕事の形になっている。
「接触、前!」
影が動く。ゴブリンだ。見慣れた姿。距離も、動きも、想定通り。
「ほら来た。いつもどおりだ」
銃声が響く。弾丸が当たり、体が倒れる。血の色も、崩れ方も、記憶の中と変わらない。
「次」
「クリア」
拍子抜けするほど、順調だった。だからこそ、誰も疑問を口にしない。
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その奥で、音がした。
カツ、と石を蹴る、軽い音。小さい。だが、妙に速い。
「……今の、見たか?」
「いや?」
「見てない。何か、横に――」
照明を振る。一瞬、小さな影が壁際を走った気がした。だが、確かめる前に消える。
「あれがコボルトか?」
「……気のせいだろ」
そう言った男は、自分に言い聞かせるように肩をすくめた。誰も、それ以上追及しない。流れを止める理由が、見当たらなかった。
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第3階層。
階段を降りる前と何ら変わらない、湿った匂い。音が反響し、距離感が掴みにくい。空気が変わったとするならば、それは環境ではなく自分たちの無意識の緊張がそうさせたのだろう。
「嫌な感じだな」
誰かが、無意識に背中を壁につける。
風の音がする。――いや、違う。呼吸音だ。
「待て」
拳が上がる。
次の瞬間、曲がり角の影から影が飛び出した。
「うおっ!」
反射的な銃声。弾丸が壁を叩き、火花が散る。
「当たった!」
ウルフが転がる。
「ほらな! 言った通りだ!」
勝ち誇った声が上がる。
「ただの犬だろ?」
その瞬間だった。
倒れたウルフの横を、狙ったように小さな影が走る。足元をかすめ、視界の外へ消える。
「クソ、速っ――!」
引き金を引く。
当たらない。
「ちょこまかしすぎだろ! 誰だ、こんなの弱いって言ったの!」
笑いは消えていた。声が重なり、呼吸が荒くなる。そして、気づく。どうやら――騒がしくしすぎた。
前からゴブリン。横からコボルト。遠くで、また走る音。
「冗談だろ……!」
声が裏返る。
「後ろ!」
「いや、前だ!」
無線が混線し、誰の声か分からなくなる。銃声が重なり、誰かが叫び、誰かが転ぶ。
「立て! 立て!」
銃声。そして、間髪入れずに悲鳴。
「誰だ、撃ったの!?」
「分かんねえ!」
撤退の判断が遅れれば、全滅する。そのことだけは、全員が理解していた。
「撤退だ! 急げ!」
怒鳴り声に、全員が同時に動く。逃げることに、誰も文句を言わなかった。撃ちながら、下がる。照明を振る。
影が、増えている。数は――数えない。数える余裕が、もうなかった。
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外に出た瞬間、誰かが膝をついて吐いた。
「……最悪だ」
「いや」
別の声が、かぶせる。
「最悪じゃない。最悪になる前に、出た」
誰も笑わなかった。冗談を言う余裕は、もう残っていない。
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後で編集された映像には、分かりやすい場面だけが残った。
ゴブリンが倒れる場面。
ウルフが撃たれる瞬間。
派手で、安心できる映像。“対処可能”だと分かる部分だけ。
コボルトは、ほとんど映っていない。パニックになった場面は、すべてカットだ。
「編集うまいな」
誰かが皮肉を言った。それを、誰も否定しなかった。
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夜。
郊外の家。
エミリーは、玄関の灯りを消せずにいた。
テレビでは、
「新種の魔物も確認」
「依然として対処可能」
そんな言葉が、何度も繰り返されている。
だが今日は、連絡が遅い。
それだけで、胸の奥がきつく縮んだ。
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別の場所。
資料の端に書かれた、小さな文字。
「複数種」
「連動行動の可能性」
それを見つめる目。誰も、まだ声にはしない。
だが、空気は確実に変わり始めていた。
ここは、撃てば終わる場所じゃない。
その事実だけが、じわじわと、世界に広がり始めていた。
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