第12話 帰る場所
アメリカ・都市郊外
2020年1月上旬 夜
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夕方のスーパーは、いつもより少しだけ騒がしかった。
冷凍食品の棚の前で、エミリーは足を止める。
ピザ、パスタ、チキンナゲット。
箱に写る写真は、どれも似たような笑顔をしている。
火を通せば、失敗しない。今日も、それでいい。
迷わずカゴに入れた、その瞬間。
スマホが震えた。
〈今から入る〉
短いメッセージ。
場所の名前は、もう書かれなくなっていた。
エミリーは「了解」とだけ返し、画面を伏せる。
余計な言葉は、減っていった。
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家に戻ると、テレビがつけっぱなしになっていた。
「――本日も、ゲート周辺で大きな事故は確認されていません」
ニュースキャスターの声は、落ち着きすぎている。
天気予報と、ほとんど変わらない調子だ。
「専門家は『適切な装備と判断があれば、リスクは管理可能』と――」
エミリーは、リモコンを手に取って音量を下げた。
ゼロにはしない。
キッチンで夕食の準備をする。
包丁を使うのは、やめた。
理由を考えそうになって、やめる。
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「ママ」
リビングから声がした。
「パパ、今日は遅い?」
エミリーは、一瞬だけ間を置く。
「……そうね。少し、ね」
「また、お仕事?」
「そう」
嘘ではない。
だが、真実とも言えなかった。
子どもはそれ以上聞かず、タブレットに視線を戻す。
画面には、剣と魔法の世界。
敵を倒せば、数字が増える。
エミリーは、目を逸らした。
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皿を洗い終えた頃、外が少し騒がしくなった。
車の音。
一台ではない。
遠くで、金属が擦れるような音がする。
フェンスの向こうだ。
この家から、ゲートは見えない。
それでも分かる。
夜になると、あそこだけ空気が違う。
エミリーは、カーテンをほんの少しだけ開けた。
見えるのは、照明と、フェンスの一部。
その内側を行き交う影。
誰かが、今日も中へ入っていく。
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ソファに腰を下ろし、スマホを手に取る。
保険会社からの通知。
来月からの保険料改定。
「ゲート関連リスク調整」
簡潔な文言。
数字は、簡潔ではなかった。
ため息が漏れる。
文句を言う相手は、いない。
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玄関の灯りをつけたままにする。
いつからだろう。
帰宅時に灯りをつける側だったのが、
待つ側になったのは。
時計を見る。
九時。
まだ、早い。
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十時。
テレビは、株価の話題に切り替わっていた。
「ゲート関連企業への投資が――」
エミリーは、今度こそ電源を切る。
静かになる。
静かすぎて、
冷蔵庫の音が、やけに大きく聞こえた。
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鍵の音。
エミリーは、反射的に立ち上がる。
ドアが開く。
「ただいま」
声は、いつも通り。
疲れてはいるが、歩き方は普通。
「……おかえり」
それだけで、力が抜けた。
彼は靴を脱ぎ、リビングに入る。
「今日も、何もなかった?」
エミリーは、そう聞くしかない。
「まあね」
軽い調子で、彼は笑う。
「ゴブリンは出たけど」
「銃があれば、大したことない」
冗談みたいな口調。
エミリーは、何も言わなかった。
言えなかった。
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シャワーの音が、浴室から聞こえる。
その間に、エミリーは灯りを消す。
リビングの灯り。
キッチンの灯り。
最後に、玄関の灯りも消す。
今日は、帰ってきた。
それだけで、十分だった。
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世界は前に進んでいる。
ニュースも、市場も、制度も。
だが、エミリーにとって大事なのは――
毎晩、
この家に、
誰が帰ってくるか。
それだけだった。




