第12話 帰る場所
アメリカ・都市郊外
2020年1月上旬 夜
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夕方のスーパーは、いつもより少しだけ騒がしかった。
レジ前の列が伸びているのも、子どもがぐずる声が多いのも、珍しいことではない。だが、今日はどこか落ち着きがなく、空気がざわついている。人々の視線が、無意識のうちにテレビ売り場の速報テロップや、スマートフォンの画面へと吸い寄せられているのが分かった。
冷凍食品の棚の前で、エミリーは足を止める。
ピザ、パスタ、チキンナゲット。
箱に印刷された写真は、どれも同じような笑顔をしている。よく焼けたチーズ、湯気の立ち上る皿、幸福そうな家族のイメージ。だがそれは、誰かが用意した「安心」の記号でしかない。
火を通せば、失敗しない。味に文句も出にくい。考える必要も、会話をする必要もない。
今日も、それでいい。そう自分に言い聞かせるようにして、エミリーは迷わず一箱をカゴに入れた。その瞬間、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
〈今から入る〉
短いメッセージ。時間も、場所の名前も、もう書かれなくなっていた。
エミリーは画面を見つめ、親指で「了解」とだけ返す。それ以上の言葉は、打たなかった。余計な言葉は、ここ数週間で、確実に減っていた。
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家に戻ると、テレビがつけっぱなしになっていた。
「――本日も、ゲート周辺で大きな事故は確認されていません」
ニュースキャスターの声は、驚くほど落ち着いている。その調子は、天気予報や交通情報とほとんど変わらない。
「専門家は『適切な装備と判断があれば、リスクは管理可能』と――」
エミリーはリモコンを手に取り、音量を下げた。完全には消さない。何かが起きた時、音だけは聞こえるようにしておく。
キッチンに立ち、夕食の準備を始める。冷凍庫から箱を取り出し、オーブンを予熱する。
包丁を使うのは、やめた。その理由を考えそうになって、すぐに思考を切る。理由を言葉にしてしまうと、余計なものまで一緒に浮かび上がってしまう気がした。
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「ママ」
リビングから声がした。
「パパ、今日は遅い?」
エミリーは、返事をするまでにほんの一拍、間を置く。
「……そうね。少し、ね」
「また、お仕事?」
「そうよ」
嘘ではない。
だが、真実とも言えなかった。
子どもはそれ以上聞かず、タブレットの画面に視線を戻す。剣と魔法の世界。敵を倒せば数字が増え、レベルが上がる。失敗しても、やり直せる。
エミリーは、思わず目を逸らした。その世界が、あまりにも現実に似すぎている気がしたからだ。
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皿を洗い終えた頃、外が少し騒がしくなった。車のエンジン音が何台も重なるようにして響く。誰かが急いでいるような、アクセルの踏み方だ。
遠くで、金属が擦れるような音がする。フェンスの向こうからだろう。
この家から、ゲートは直接見えない。だが、分かる。夜になると、あそこだけ空気の質が違う。冷たく、重く、張り付くような感触がある。
エミリーは、カーテンをほんの少しだけ開けた。見えるのは、強い照明と、フェンスの一部。その内側を、忙しなく行き交う人影。
誰かが、今日も中へ入っていく。
その誰かが、戻ってくるかどうかは、まだ分からない。
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ソファに腰を下ろし、スマホを手に取る。
保険会社からの通知。
来月からの保険料改定のお知らせ。
「ゲート関連リスク調整」
簡潔な文言。だが、並んだ数字は、まったく簡潔ではなかった。
ため息が、自然と漏れる。文句を言う相手はいない。抗議しても、誰も責任を取らないことを、もう知っている。
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玄関の灯りをつけたままにする。いつからだろう。帰宅時に灯りをつける側だったのが、待つ側になったのは。
時計を見る。
九時。
まだ、早い。そう思いたかった。
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十時。
テレビは、株価と投資の話題に切り替わっていた。
「ゲート関連企業への投資が――」
エミリーは、今度こそ電源を切る。
部屋が静かになる。静かすぎて、冷蔵庫の低い駆動音が、やけに大きく聞こえた。
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鍵の音。
エミリーは、考えるより先に立ち上がっていた。
「ただいま」
声は、いつも通り。少し疲れてはいるが、歩き方はしっかりしている。
「……おかえり」
それだけで、胸の奥に溜まっていた力が抜けた。
「今日も、何もなかった?」
エミリーは、そう聞くしかなかった。
「まあね」
軽い調子で、彼は笑う。
「ゴブリンは出たけどさ。銃があれば、大したことないよ」
冗談みたいな口調。それが、かえって怖かった。エミリーは、何も言わなかった。言えば、何かが壊れてしまいそうだった。
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シャワーの音が、浴室から聞こえる。
その間に、エミリーは一つずつ灯りを消していく。リビング。キッチン。最後に、玄関の灯りも消す。
今日は、無事に帰ってきてくれた。
それだけで、十分だった。
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世界は前に進んでいる。
ニュースも、市場も、制度も。
だが、エミリーにとって大事なのは――毎晩、この家に、誰が帰ってくるか。
それだけだった。
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