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<第3章> 雪・月・花

 そのころ、千恵は為田龍之介と同棲をしていた。そうしてなんの因果か、広志にも恋人ができていた。高山順子という美容師をしているきれいな女性だ。




 母がいなくなった実家アパートに良介が帰宅すると、家の中はきちんと片付けられていながら同時に生活感んがあった。それはきっと、順子の尽力おかげだろうと良介は思った。


 きょうだい三人、皆、幸せだった。




 2週間後、良介、雪、千恵、龍之介、広志、順子、そして哲郎は、定食の味で有名な和食堂で昼食をともにしていた。


 そうして食事がすむと、3組のカップルは異口同音の台詞を丁寧に口にした。


「俺たち、わたしたち、せえの、『結婚します!』」




 いきなりそんなことを言われた哲郎は、


「ああ、そうか」


 と、他人事のように答えるだけで「おめでとう」のひと言さえ言えなかった。




 


でも哲郎もどこかで想定していたのかもしれない。三人の我が子がそれぞれのパートナーと数年(広志は3ヶ月)ともに暮らしてきたのだから。




 そうしてある日曜日、3組の合同結婚式が執り行われた。友人、親戚の方々が盛大に祝ってくれた。それから良介は、もう勉強し教員免許を取得した。




 10ヶ月後、良介と雪の間に男の子が誕生した。


「俺が名前つけてもいい?」


 良介はこの日を待っていた。


「うん」


 と雪は言った。


「和」


「カズ?」


「そう、キングカズ、三浦知良、カズさんの和! 最高でしょう⁉」






 良介と雪が暮らす町の駅にふたりの女がおり立った。雪の三つ子の妹ふたり、上の妹の名は「月」。下の妹は「花」。三人合わせて「雪月花」。両親の文学的センスがかいま見える素敵な名前だ。




 駅の北口のエスカレーターをおりるとすぐ交番があったが、花がスマートフォンのマップで姉のマンションを住所で検索した。


「月、歩いていくにはちょっと遠いわ。タクシーで行きましょう」


「え~散財。たかが雪の旦那の顔見るだけでタクシーなんてもったいない」


「そうねえ、ちょっと訊いてみるね」


 花は小走りで交番に向かった。スマートフォンは機械音痴には豚に真珠だ。


「おまわりさん、ここにいきたいんですけど」


「そのマンションならすぐそこのスクランブル交差点を渡ってふたつめの信号の右手にありますよ」


「どうもありがとうございました」」


 おまわりさんは花のことをおのぼりさんだと思っただろう。




 もう夏も終わろうとしている九月下旬、にもかかわらず厳しい残暑の季節。月も花もそれぞれ好みの色のレイヤードスタイルのファッションに身をつつんでいた。




 雪は自分には魅力がないと感じていたが、月、花は三姉妹の中で自分が一番「いい女」だと思っている。


「あんた、わたしのファッション真似しないでよね」


 と月。


「あんたこそ」


 と花も負けじと言い返す。


 こうしたくだらないケンカは日常茶飯事だ。でもすぐ自然と仲直りできるのが中島家の3姉妹の美点だ。




 ゆっくりと歩いてマンションに向かいながらも、ふたりは良介がいったいどんな男かという話題で、てんやわんやの大騒ぎだった。


「良介って、イケメンなのかなあ」


 と月が花に問うた。


「雪、ちょっと男のセンスおかしいからね」


「そう、高校の時、1度家に男連れてきたことことあったじゃん」


「あったあった、超不細工な男。なんだかカニみたいな顔した」


「あんな男に告白されて『はい』なんてねえ、信じられないわ」


「でも3年も付き合ったんだからすごいと言えばすごいわよね」




 そのころ、良介は風邪をひいている訳でもないいのに、くしゃみが止まらなかった。


「たぶん月と花が良ちゃんのことなんか言ってるんだわ」


 と雪。


 


 「そういえば子どもにも『和』なんて変わった名前つけてさ」


 と月。


「そうよねえ、そんなにサッカーが好きなら、英寿とか、圭佑とか、せめて知良とかにすればわかるけど」


 ふたりは自分の子どもではないので平気で不満を言う。


「変な名前だっていじめれれないかしら」


 と月。


「でもよく考えればわたしたち三人も変な名前よね。雪、月、花……意味知らべたことある?」


「うん、高校の時」


「どんな意味?」


「たしか『四季おりおりの好い長め』って書いたあったと思う」


「ちょっとなんのことだかよくわかんない」


 花は怪訝に言う。




 マンションの前でふたりは唖然とした。良介と雪の住処が予想を超えてあまりにもゴージャスだったからだ。




 月がエントランスホールのインターホンを押すと、スクリーンに雪の顔が映った。花はなんだか緊張した。月もだ。ふたりともプライドが高いわりに小心者なのである。


「はーい。今、開けるから。中にあるエレベーターで505号室まで上がってきて。玄関は開けたままにしてあるから」


 すると、すぐにガラスの自動ドアが開いて、月と花は雪の指示通りに中のエレベーターに乗って505号室に向かった。そして玄関を開け、


「ちわあ」


 とあいさつをした。


 部屋の多くから車いすに乗った良介とエプロン姿の雪が姿を現した。




「こんにちは。永澤良介と申します。今日はようこそいらっしゃいました」


「良ちゃん、こっちの青い服が月、で、こっちの黒いのが花」


「はじめまして」


「はじめまして」


 月と花が丁寧にあいさつをする。


「ちょっと、そんなにかたくならないでよ、良ちゃん、気を遣われると淋しくなる性格なんだから」


「淋しくなる? 気をつかわれて?」


 変な性格だ、と花は思った。




「でもすごいマンションね、うらやましいわ。良介さん、お仕事は何をなさってるんですか?」


 と月がリビングの中を眺めまわして訊いた。


「無職です」


「え?」


「でも今、高校教師になるための勉強をしています」


「じゃあ、良介さんの収入はゼロ?」


 と今度は花が訊いた。


「いいえ。障害者年金を受給しています。金額は申しあげられませんが」




「みんなあ~、ごはんできたわよ~」


 ダイニングのほうから雪の声が届いた。


 良介の大好物のかつ丼。カリフラワーのサラダにきゅうりの酢の物、そしてインゲンとカブのお味噌汁。


 雪は得意の料理に腕をふるった。カロリーもちゃんと計算されている。




 かつ丼をリクエストしたのは良介ではなく、月だった。月は三姉妹の中でいちばん食にうるさい。その月が、昔から雪の味は称賛していたが、結婚して旦那ができたことでどれだけ上達したか、お手並み拝見してやろうと思っていた。




 そんな月も、そして花もまだ独身なのはふたりともプライドと理想が高く、それが男を引き寄せないオーラとなってしまって、結婚したいと思うような男とめぐり会えないのだ。それでも月も花も独身生活を楽しみ、謳歌していることは間違いない。


 本当は自分たちも雪のように運命の男性とめぐり会いたいと、心の奥では思っていたけれど……仕方ない。




 雪のつくった昼食を全員が食べ終えると、四人はやることがなくなってしまった。


 良介は三姉妹の久々の逢瀬を大切にしてもらいたくて、


「俺、ちょっとけやき公園までいってくるよ」


 と言って、バリアフリーの玄関を出ていった。




「雪、良介さん、なかなかいい感じのひとじゃないの」


と花が話の口火を切った。その言葉に雪が反応する前に月が訊いた。


「良介さん、夜のほうはどうなの? よく頸損のひとはEDになるって聞くけど、雪、あんたが満足するくらいできるの、彼?」


「そんなこと訊いてどうすんの? 頭おかしいんじゃないの?」


 花は月を見下すように言った。


「だって、ふつう欲望あるでしょ? 雪は健常者なんだから……」


「良ちゃん」雪は苦笑いを浮かべて言った「かなりのテクニシャンよ。しかも毎晩。わたし、幸せだわ」




 良介にとって雪と和との生活はまさに順風満帆だった。経済的に物質的にも肉体的にも精神的にも、足りなあいものは何もない。




 朝起きて、朝食を食べ、雪を見送り、和の面倒を見ながら教員採用試験の勉強をし、雪の帰宅を待つ。そうして3人でお風呂に入り、夕食を食べ、あとはただひたすら愛しあう。このルーティーンが崩壊するとしたら、それは良介が教職に就いた時だげだ。ふたりはそう思っていた。


 なにも恐れるものはない。




 良介には理想とする男がいた。彼はある県の県立高校を高校サッカーの全国選手権の決勝まで導いた天才だった。出身地の名を、全国にとどろかせたことで、市長から「名誉市民賞」を受け大学への進学費とその後の就職先も約束されていた。


 しかし、悲劇が男を襲う。彼のバイクが大型トラックにはねられてしまったのだ。男は下半身不随の重症を負う。


 男は引きこもるようになり、絶望に満ちた人生は永久に続くかと思われた。しかし男は全国選手権のテレビ中継を見て、


「ああ、俺はやっぱりサッカーが好きなんだと」再確認する。そうして堰を切ったようにスペインに渡り、コーチになるための知識とスキルを身に着け数年後、帰国し、母校のサッカー部の特別コーチとなり、若者たちと全国制覇を目指す。


 その男がいたから、そうして多くの人の支えによって「自分を信じる」という希望を持てた。だから高校教師になろおうと思った。もう1度国立を、もう1度全国制覇を、目指す。その強い意志が、困難に立ち向かう覚悟となった。




 そうして翌年、良介は教員採用試験をクリアして、母校の川野高校の教師となり、サッカー部の顧問となり、再び、人生を自分のものにした。




 良介の暮らす県には180校をこえる高校がある。その中で全国選手権に出場できるのは〝1校〟だけだ。極めて困難で、過酷で、可能性の低い夢だ。




 良介は、自分をバカだと思っていた。母の死に絶望し、自殺未遂をして頸椎損傷になった。だから実際手本を見せて指導することができない。部員たちは良介の指示には従わず、自分たちで練習メニューを考え、自分たちで練習試合を組み、自分たちで大会参加の申し込みをした。




 誰も、良介を必要としていない……。




 そんな日がどれほど続いただろうか。ずっと良介を見守ってきた雪が言った。


「良ちゃん、サッカーの監督、やめたら」




「どうしてだよ、高校のサッカー部の指導者になって全国優勝するのが俺の最新の夢だって、雪だって知ってるだろ‼」


 良介は自分の生き方を否定されているように感じて、少し、おこった。


「だって、良ちゃん、先生楽しくなさそうだもん。はっきり言って、つらそうだもん。そんな良ちゃん、わたし、見たくない」




 雪にそう言われ、良介は胸をえぐられる思いがした。


 確かに今、サッカーが楽しくない。でも脚が思い通りに動いていたころもハードなトレーニングはつらく苦しいものだった。それでも楽しかった。そう、楽しかったんだ。




 良介は教員を辞した。




 良介は小野と武井に電話した。


 小野の答えは「休職して気分転換しな」。


 武井の答えは「小説を書け」


 だった。


 良介はふたりのアドバイスに従うことにした。そうして、すぐ、パソコンを立ち上げた。




 タイトルはすぐには思い浮かばなかったが、込めたメッセージは「世界平和の実現」だった。その日1日で原稿用紙10枚書いた。とても、楽しかった。それに、良介と同じ頸椎損傷で小説家になった人がいることを知った。希望がわいた。




 なぜ、「世界平和」の小説なんか書こうと思ったのか?


 そう、父の経営していたガソリンスタンドの廃業が良介の心にぐさりと刺さっていたからだ。




 もし父の小さな商店が大企業の魔の手に襲われなければ、自分は大学を中退せずにすんだかもしれない。圭子と別れることもなかったかもしれない。ふつうに大学を卒業し、ふつうに就職活動して、どこかの企業に採用され、圭子と結婚し、子どもが生まれ、マイホームを建て、自分の両親と圭子の両親に孫の顔を見せてあげることができたかもしれない。




 そういうふつうの生活のほうが、プロサッカー選手になるよりも、本当は、幸せで、楽しい人生だったのかもしれない。だってたのしいという字は「らく」とも読み、艱難辛苦とは全く逆の状態を意味するのだから。




 そうだ、雪の言うように、もう。サッカーをやめよう。そうすればきっと「らく」になる。いつまでもサッカーにこだわっているから、人生が、生きることが、苦しいものになってしまうんだ。




 そうは思うものの、サッカーの好きな自分はどうしても変えられず、ワールドカップやチャンピオンズリーグにとどまらず、テレビでサッカー中継を見ると、心の中、情熱が燃焼するのを否定することは、どうしても、どうしてもできず、良介は、涙した。

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