小橋寿人54歳、天子になる。
【登場人物】
日下部 亜香里
物部 朝陽
文室 教宗
大伴 守常
堀 晃
小槻 忠通
五十嵐 光輝
近
八大蛇
小橋 寿人
橋野 将
野崎 理沙
中山 隼人
神谷 陽太
橋野 京子
【本編】
◆絶望の放出
「朝陽、教宗、守常、晃、忠通、そして、光輝。」
日下部亜香里の絶望の声が響いた。
「ねぇ、起きてよ。」
その声に命士たちは答えない。
朝陽は、「濁流の災い」にて、
教宗は、「地震えの災い」にて、
守常は、「火炎の災い」にて、
晃は、「森崩しの災い」にて、
忠通は光輝もろとも、「巻き風の災い」にて、
命士奥義を展開する前に八大蛇の仕掛けた攻撃によって亜香里の目の前で倒されてしまった。
みるみるうちに命士たちは生気のない顔色になっていく。
しかし、八大蛇に対抗出来るのは自分だけ。未だに5つの力を膨張させている八大蛇に亜香里は自分に出来る攻撃を仕掛けねばとこう唱えた。
「我が身に宿りし天子の力が、邪な者に裁きを与えん。出でよ!破魔の剣!!」
体中の痛みと共に、破魔の剣は亜香里の右手に出現。
「八大蛇、あなたは、私のすべての力で倒す!!」
「出来ぬであろう!天子!!」
亜香里は近の破壊の力を最大限に使おうと念じながら、八大蛇の元へと走って行った。そして、命士奥義で弱ってはいない八大蛇に破魔の剣を突き立てた。
「このような剣、痛くも痒くもないわ!!」
八大蛇の邪悪な力が亜香里に向かって放たれた。
「きゃあー!!」
亜香里は、未だかつて感じた事のない苦しみに悲鳴を上げた。そして、察した。自らの「死」を。
「ごめん。私、破壊から、世界を守れない。」
亜香里は、そんな事を言いつつ、頭の中で近に話しかける。
「私は、死んじゃうみたい。だけど、死ぬのは私だけでいい。近ちゃんは、生きて!!」
「何を言うておる!!亜香里!!」
亜香里は、未だに右手に残る破魔の剣を自らの胸に突き立てた。
「近ちゃん、出ていって!!」
「亜香里!!」
無情にも、近の力をまとった意識体は亜香里が破魔の剣にて付けた傷口から出ていってしまった。
「良かった、近ちゃん。」
近が亜香里から離脱してしまったことにより、破魔の剣は消滅。そして、亜香里は息を引き取った。
「亜香里ー!!」
近は、意識体で叫んだが、それは、亜香里に届くことはなかった。
「このような事は、嫌じゃー!!」
近はかなしみを爆発させた。その波動は、八大蛇の活動を一時的に停止させることを可能にした。
「ぐぅっ。」
更に、空間に穴が出現。近の意識体は、それに吸い込まれていった。
◆音楽とは違うもの
小橋寿人54歳は、その日も愛和音の社屋の中で通常勤務をしていた。いつものように、頭の中には音楽が流れていた。隼人が曲作りの「授業」から「卒業」した事や、クリスマスムードの世間の雰囲気に穏やかな心境でその音楽を「記録」していた。
「自画自賛だけど、『いい曲』だな。」
そう呟いた瞬間だった。子供の泣き叫ぶ声が聞こえたような気がした。寿人は制作部の部屋内を見回した。理沙、治行、要、隼人のいない1人の部屋の筈なのに、と。
「気のせい、かな?」
気を取り直し、先ほど書いていたスコアに歌詞を付け始めた。そして、それも終わり、次の曲に取りかかろうとした時、再び子供の泣き声が聞こえた。
「社内に子供さん、連れてきた社員でもいるのかな?いや、それにしても。」
その泣き声のかなしそうな雰囲気に慰めにいってやろうと立ち上がった。
「子供の扱い、下手かも知れないけどな。」
自らは、「父」になれなかった。陽太のように。もし、駄目だったらその陽太に協力してもらおうと、今度は明確に聞こえる泣き声を辿る。
「男の子かな?女の子かな?」
そう言いながら制作部の部屋を出ると、廊下に光る小さなボールのようなものを発見する。それはふわふわ浮きながら、ゆったりした間隔で点滅を繰り返していた。
「ええ?何だ?これは?」
その光から泣き声が聞こえる。戸惑いながら、寿人はとりあえず撫でてやろうと光に手を伸ばした。すると、光は寿人に吸収されていってしまう。そして、体の芯から熱さが襲って来る。それは全身に行き渡る。
「熱い!熱い!!何だ?ええっ?」
すると、寿人の頭の中に先ほどの子供の泣き声が響き渡るようになった。寿人は音楽でないものが頭の中に響く初めての経験に何をしていいかわからなくなる。けれども、意を決し泣き声に頭の中で話しかける。
「どうしたの?」
◆止まる泣き声
その寿人の声かけに、泣き声が止まる。そして、女児の声が寿人の頭の中に響き始める。
「そなたは、誰じゃ?」
「俺は、小橋寿人。」
「我は、近。」
「近、さん?」
「そうじゃ、我は、神ぞ。」
「か、神様?」
寿人は驚いた。そして、近はまた泣き始めた。
「神、だと、いうのに、我は、無力じゃった。」
何が何だかわからないまま、寿人はとりあえず制作部の部屋へと戻った。泣き続ける近に何かしてやらねばと、愛和音の曲ではないが、子供向け番組で歌われている曲を適当に選び、歌い始めた。
「心地よい、歌よの。」
近は、忠通を思い出したが、寿人の配慮を感じ、これ以上泣いたら駄目だと必死に感情を整理した。
「すまぬ、心配をかけて。」
「いいや?落ち着いた?」
「やっと、やっとじゃ。」
「ああ、良かった。」
寿人は、ほっと胸を撫で下ろすも、「どうしよう。」という気持ちが沸き上がってきた。冷静に考えたら、自分の中に「神」がいる。この先どうしたらいいかわからなくなったため、将に相談しようと社長室へと向かった。
◆早退指示
「橋野、いいか?」
「入れ。」
いつものやり取りをしながら寿人は社長室に入室していく。
「どうした?」
そう問いを投げ掛けた将に、寿人はためらいを見せつつも、こう言った。
「俺の中に『神様』が入ってしまったんだ。何を言ってるのかわからないかもしれないが、どうしたらいいかわからなくて。」
将は眉間に皺を寄せつつ困惑の表情を見せる。
「小橋、疲れているのか?妙な事を言うな。」
そのやり取りを寿人の中から見ていた近は、困惑の表情の奥底に流れる毅然とした将の様子に教宗や守常を思い出す。そして、再び心の傷が開き始める。
「辛い、辛いの。」
寿人は、近の言葉に動きを止めた。その様子に将はこう指示を出した。
「やはり、疲れているようだな。早退を許す。少し、休め。」
「きっと、これ、休んでも何も変わらないとは思うけど、ありがとう。俺、くれた時間でどうするか考えてみる。」
「そうしろ。」
そう、将が言った瞬間、近は再び泣き出す。寿人は、社長室から退出しようとしたが、それを阻まれた。そして、思わず声に出してこう言った。
「ああ、近さん、泣かないで。」
「近?」
「そうだ。俺の中の『神様』の名前。女の子みたいで。ああ、ここで少し歌っていいか?」
将は首を傾げつつこう返す。
「まあ、いいが。」
寿人は再び、先ほどとは違う子供向けの歌を歌い始める。
「新鮮だな。小橋が子供向けの曲を歌うのは。」
そう言った後、将もその歌を途中から寿人と共に歌い出す。すると、近はくすぶってはいるようだったが、とりあえずの落ち着きを見せた。
「橋野、ありがとう。泣き止んだみたいだ、近さん。」
将は、寿人の歌声を聴いた事で寿人が疲れてはいない事を感じ取った。そして、こう言った。
「どうやら、小橋の中に『神様』とやらがいるのは間違いなさそうだな。」
「信じて、くれるか?」
「先ほどのお前の歌声からは、『疲労』は感じなかった。事情をもう一度聞かせろ。」
そして、寿人は近が自分の中に入った経緯と近が何かにかなしんでいるようだということを話した。
「そうか。だが、厄介だな、小橋の中で度々泣かれるのは。」
「そうだな。」
寿人は、慰めの為の歌を歌うのは自信を持てたが、近の事情を聞き出すのは少し自信がなかった。そこで、やはり娘がいる陽太を頼ろうとこう言った。
「色々、自信ないからちょっと神谷さんの所に行ってくるよ。」
「同行しよう。」
そして、寿人と将は歌唱部の部屋へと向かった。
◆話される事実
「神谷さん。」
そう言いながら寿人が入室した歌唱部の部屋には、目的の陽太と京子、理沙、隼人がいた。
「なんですか?」
陽太は寿人と共に来た将に少し驚きながら来てくれた。
「神谷さん、女の子、あの、女の子供さんの事だけど、接し方とか教えてくれるかな?その、泣いてる理由を聞き出したいんだけど、娘さんが小さい時ってどうしてた?」
「急に?ええと。」
陽太は戸惑ったが、記憶を辿りこう言った。
「あくまで僕のやり方ですが、一旦泣きたいだけ泣いてもらって完全に落ち着いたら事情を訊きましたけどね?何かあったんですか?」
「信じてもらえないかもしれないけど、俺の中に女の子の神様が入っちゃって、さっきから泣いてばっかりなんだよ。」
その妄言とも言うべき寿人の言葉に、京子は笑い始める。
「あなた、おかしくなっちゃったの?」
また、隼人は動揺した様子でこう言った。
「俺に、曲作り教えたせいで、疲れさせちゃったんすか?すんません!小橋部長!!」
理沙は、そんな京子と隼人に反論する。
「小橋さん、全然そんな事はないと思います。いつも通りの様子だと私は思います。」
その理沙の言葉に将は返した。
「そう言うことだ。小橋はいつも通りだ。『近』という『神様』がその体に入っている事以外はな。」
近は、陽太の優しげな様子に光輝を思い出し、隼人の元気さに朝陽や晃を思い出す。更に、京子や理沙という女性の姿に亜香里を思い出し、再びかなしくなる。そして、先ほどくすぶっていた感情が再び爆発する。
「ああ、近さん、また泣いちゃった。」
寿人は、陽太の助言通りに今度は歌を歌わずに泣きたいだけ泣かせようと静かに佇んだ。そんな寿人の体を感情が抑えきれない近は一方的に使い始める。寿人の目から涙が落ち始める。寿人は内心戸惑いながらも、自分のではない涙を流し続けた。更に、知らない名前を呼び始める。
「亜香里、朝陽、教宗、守常、晃、忠通、そして、光輝。」
寿人は、察した。その知らない名前の人々をこの近という神様は、失ってしまったのだと。9歳の頃に両親を失った自分に重なる所があった。そして、頭の中でその事を尋ねた。
「近さん、その人たちとかなしいお別れをしたんだね?」
近は、寿人の口を支配下に置きつつ話し始める。
「そうじゃ、その7人は、殺されたのじゃ。八大蛇に。」
その一言で寿人をはじめ、将、陽太、京子、理沙、隼人は驚いた。陽太は、自分では負いきれない感情を寿人の中の「神」が抱えていると感じつつも、近に話しかける。
「まずは、かなしかったね。近さん。」
「苦しい、我は、苦しい。」
「苦しいよね。おもいっきり泣いて、すっきりしよう。」
寿人の涙の勢いが増す。見かねた理沙がその涙をハンカチで拭ってやった。そんな様子を見た京子は、こう言った。
「私が、もし、お兄ちゃんを失ったら、それはかなしいけれども、いつまでもメソメソしないと思うわ。むしろ、殺されたのなら、殺した相手を憎むわね。私だったら、復讐してやるわよ、その相手に。」
近は、京子の言葉に気持ちを入れ替える事が出来た。
「復讐。そうか、我は、八大蛇を討つ。それは、今までと変わらぬ。」
「つーか、『やおじゃ』って何なんすか?」
隼人が問うと、近は答えた。
「我の父じゃ。」
近が答えると、理沙が声を上げる。
「そんな、お父さん?」
「そうじゃ。『治安の変災』を引き起こし、1,000年の封印がとけた今、再び止むことの知らぬ災いにて世界を破壊しようとしておるのだ。だから、我は止めねばならぬのだ。」
陽太は首を傾げた。
「『治安の変災』?聞いたことないね。」
それに将も続く。
「初耳だな。そして、世界が破壊されると感じる災害など、ないに等しいが?」
近は、驚いた声を寿人の口から発した。
「なんじゃと?」
◆違う世界
近は、驚いたのと同時に、感覚を研ぎ澄ませてみた。すると、八大蛇はおろか、読月や佐須の神力の気配もなかった。
「ここは、どこじゃ?そ、そうじゃ、『大伴命前神社』に我は戻る。一朗太に、朝陽らの事を知らせねば。」
隼人がそれに返す。
「どこっすか?それ?」
そして、スマホの地図アプリを立ち上げ、調べた。しかし、そのような神社はない。
「よっぽど、小さな神社なんすかね?検索で出てこないっすけど。」
「そんな筈は。1,000年の歴史がある大きな神社ぞ?」
将は、その話にこう言った。
「こんな事を推測すらしたくはないが、小橋の中の神様は、『別の世界の神様』なのでは?」
「そうかもしれぬ。」
理沙はそれを聞き、こう言った。
「よくはわかりませんが、皆で願い事、しませんか?近さんが『元の世界』に戻れるように。」
将はそれに賛同した。
「そうすれば、小橋から『神様』が離れる事が出来そうだな。やってみよう。」
近は、こう返し、ひとまず寿人の体を寿人に返却した。
「すまぬ。」
そして、寿人は「自分自身の言葉」を発した。
「俺も、願う。」
寿人、将、理沙が手を合わせる。それに続き、乗りかかった船と陽太、京子、隼人も手を合わせた。近は寿人の頭の中で、不安を吐露する。
「戻れぬかもしれぬ。」
寿人は安心させるため、呟いた。
「大丈夫、君なら出来る。」
更に、その言葉をそのまま歌詞とした即興の歌を小声で寿人は歌い始めた。穏やかな旋律を繰り返す物だったが、それを理沙が真似しはじめる。将、隼人、陽太、京子も続いた。そのユニゾンは、近の不安を取り除いた。
すると、空間に穴が出現。近は、それに吸い込まれていった。勿論、寿人もろとも。そして、周りにいた将、理沙、隼人、陽太、京子も巻き込み、穴は消えた。
◆遺体の山
寿人が次に目を開けた時、目の前に女性1人、男性5人が倒れていた。更に遠くには、右腕が8匹の蛇の大男が。その大男は、膝をついていた。そんな様子を見て、寿人は震える声で言った。
「大変だ。そして、何だかこわいな。」
そして、頭の中で近に尋ねた。
「あの、大きな男の人が?」
「そうじゃ、あれが、八大蛇じゃ。」
そんなやり取りをしていた寿人の横で、京子が多少の不快感を込めた声で言った。
「近って子が『戻れるように』って願ってやったけれど、私たちが『ここに来たい』なんて願ってないわよ。どうなってるのよ?」
それに、理沙が反応した。
「わかりませんが、こんな状況、放っておけません。何かやってやりたいです。」
寿人がそれを受け、こう言った。
「確かに。せめて倒れている人たちを安全な所に運んでやりたい。あっちに八大蛇って神様がいる。とてもこわそうだ。」
将がそれに返す。
「どこにそんな『おそろしいもの』がいるんだ?」
「え。」
隼人や陽太もこう言った。
「やっぱ、小橋部長、疲れてるんすよ。」
「大丈夫ですか?小橋さん。」
「もしかして、俺だけ?俺だけが八大蛇を見れるのか?」
頭の中で近が言う。
「我ら神は、力を持つ者しか見ることは叶わぬ。もし、そなたの仲間らが八大蛇を見たいと言うのであれば、命士らの補戦玉に触れれば見えるかもしれぬが。」
「『命士』?『補戦玉』?」
寿人は、倒れている男性たちの手に小さな石が指輪のようにくくりつけられていることを発見。
「もし、皆が八大蛇を見たいなら、倒れている男の人たちの指輪みたいなのに触れば見れるかもって近さん、言ってた。」
寿人のその言葉に将が動いた。
「やってみるか。」
それに、京子、理沙、陽太、隼人の順で続いた。5人は、触れる補戦玉を適当に選んだ。
将は教宗の、
京子は忠通の、
理沙は守常の、
陽太は晃の、
隼人は朝陽の、
手に触れる。すると、八大蛇を見ることが出来た。5人は、背筋が凍った。それと同時にとあることを感じた。それに対して、陽太が呟いた。
「気のせいかな?手が、温かい?」
他の4人も同じことを訴えた。寿人はそれに対してこう言った。
「倒れているだけ?死んでない?近さん、命士さんたちは、死んでないよ!大丈夫なようだよ!よかったじゃないか!!」
「では、亜香里も?」
寿人は、亜香里の手に触れた。しかし、亜香里の手は、氷のような冷たさだった。
「駄目だ。亜香里さんは、駄目だ。」
寿人はうなだれた。
◆動き出す破壊神
その時だった。静かにしていた八大蛇が立ち上がった。
「近よ、随分な真似をしてくれたものだ。」
そして、八大蛇は亜香里の手に触れ続けている寿人の元へと歩を進めた。しかし、一旦足を止める。
「近よ、日下部亜香里を天子とするのをやめたようだな。そして、今度はおなごではない者を選んだのか。」
再び寿人の方に向かってくる八大蛇。寿人は、おそろしい思いの中で、「逃げては駄目だ。」と思った。そして、八大蛇から目をそらさずに頭の中で近に尋ねた。
「『いつも』は、どうしてるの?こんな時。」
「『いつも』は、はじめ命士らが八大蛇と拳を交え、『命士奥義』を展開した後、亜香里が『破魔の剣』でとどめを刺しておった。」
「命士さんたちが倒れているから、俺が日下部さんの代わりにその『破魔の剣』で八大蛇と戦えばいいんだね?」
「だ、駄目じゃ!!」
近は、亜香里の死の瞬間を思い出し、強制的に寿人の体を乗っ取った形で八大蛇から逃走した。
「近さん?」
「そうやって、亜香里は、八大蛇に殺されたのじゃ!!」
悲鳴にも似た近の声が寿人の頭の中に木霊する。そうしているうちに、未だ命士の元にいる将たちの後ろに身を隠した。
近は、一縷の望みをかけた考えを寿人に言う。それを、寿人は将たちに伝えた。
「もしかしたら、『命士奥義』って言うのを展開すれば、命士さんたち目覚めるかもしれないって近さん、言ってた。」
ちょうど命士5人、将たちも5人。補戦玉に触れながら唱えれば「命士奥義」が展開され、八大蛇も弱らせる事が出来ると。
唱える文言が近から寿人に伝えられ、寿人はそれを将たちに伝える。それを受け、将たちはそれをやることにした。
隼人が唱えた。
「火の命士の名において、戦神佐須の力を展開せん。燃えろ。炎周渦。」
将が唱えた。
「水の命士の名において、戦神佐須の力を展開せん。突き刺せ。雨状剣。」
理沙が唱えた。
「金の命士の名において、戦神佐須の力を展開せん。貫け。切硬矢。」
陽太が唱えた。
「土の命士の名において、戦神佐須の力を展開せん。切り裂け。斬爪砂。」
京子が唱えた。
「木の命士の名において、戦神佐須の力を展開せん。乱れ咲け。毒花嵐。」
命士本人が唱えたものではなかったため、通常より威力が弱い命士奥義が展開された。幸いな事にそれは、八大蛇に当たり怯ませる事に成功した。
「今度こそ、俺の番かな?」
寿人が近に問う。近は意を決して唱える文言を寿人に伝えた。そして、寿人はそれを唱えた。
「我が身に宿りし天子の力が、邪な者に裁きを与えん。出でよ。破魔の剣。」
寿人の体中に痛みが走る。寿人はその痛みに耐えられず、途中で力を抜いてしまった。不完全な破魔の剣が寿人の右手に出現。そうとは知らず寿人は、それを八大蛇に突き立てた。
「弱い!弱いぞ!!」
そう言いつつも、八大蛇は、再び膝をついた。
◆目覚める命士
それと同時に、命士たちは次々に目を覚まし、起き上がった。見知らぬ人々と、倒れている亜香里の姿がその目に映った。
口々に「天子!」と言いながら命士たちは立ち上がり亜香里の元へと駆け寄った。
晃は、亜香里の残酷な状況を認識。
「天子、死んじまってる。」
朝陽は、泣きそうな顔をして叫んだ。
「あ、亜香里ー!!」
守常は苦々しい顔をしてこう言った。
「我々は、無力だった。」
忠通がうなだれながら呟いた。
「天子を、お守りすることが、出来ませんでした。」
教宗が絞り出すような声で言った。
「我々は、天子をまた失ってしまった。」
更に、光輝も表に出て来てこう言った。
「ごめんね。天子。」
そんな命士たちにかけられる言葉が。
「命士たちよ。かなしむでない。」
命士たちの視線が寿人に向かって注がれた。寿人は疑問の視線を浴びる。
「近じゃ。訳あって、この者の中に今は入っておる。かなしむ前に、そなたらを起こしてくれた者たちに礼を。」
近は、状況を説明。それを受け、命士を代表して筆頭命士である教宗が愛和音の5人に対してこう言った。
「我々へのお力添えをいただき、感謝申し上げる。」
教宗は、深々と頭を下げ、他の命士4人もそれに続く。将は、それに対し、社長という立場から代表してこう答えた。
「まずは、あなたたちが目覚めて安心しました。よかったです。」
そのやり取りを見届けた近は、引き続き寿人の口を借りながら命士たちにこう言った。
「今より、亜香里を蘇生する。」
その言葉に寿人は驚いた。そして、頭の中で近に問う。
「そ、そんなこと出来るのかい?」
「我ならば出来る。その為には、そなたの手が必要じゃ。」
「わかった。俺は、どうすれば?」
近は、寿人の口からこれからやることを説明し始める。
「命士らよ、誰か1人の補戦玉を。そして、我は小橋寿人を器とし、亜香里を蘇生する。」
命士たちは、その「1つ」を決められなかった。そして、教宗が言った。
「我々命士全員の補戦玉を使うことは出来ないだろうか?近様。」
「そうか。では、命士らよ、亜香里へ補戦玉を。」
そうして、亜香里の右側にいる教宗、守常と左側にいる朝陽、晃、忠通の右手が亜香里の上で重ねられたことにより、5つの補戦玉が集まる。寿人は近に導かれながら教宗と守常の間に座り、重ねられた命士の右手の上に自らの右手をかざした。
多少、窮屈な姿勢ではあったが、亜香里の蘇生が近の一声で始まる。
「では、参るぞ。」
すると、寿人の体の芯が熱くなってくる。寿人は驚いたと同時にその熱さに耐えられず、右手を引っ込めてしまった。
「ごめん、熱くて耐えられなかった。」
命士たちの不安の視線を寿人は浴びる。そんな様子を見かねた将がこう言った。
「小橋、耐えてやれ。」
京子がそれに続ける。
「どんな熱さだかわからないけれど、情けないわね。」
理沙がそんな京子の言葉に少し苦笑いしつつも、こう言った。
「小橋さん、私は何もできませんが、見守ります。」
陽太がかなしそうな目をして訴えた。
「よく見れば、亜香里さんっていう女の子、僕の娘と同じくらいの年頃です。なんだか心が痛みます。僕が変わってやりたい気分ですが、小橋さんしか出来ないことみたいなので、応援します。」
隼人がそれに続ける。
「小橋部長!俺も応援するっす!頑張ってください!!」
愛和音の面々の言葉を受け、寿人は、もう一度熱さと戦う事にした。
「ありがとう。」
寿人は、再び先程の所に手をかざすとこう続けた。
「命士さんたち、すまない。近さん、いいよ。」
再び寿人の体の芯が熱くなってくる。寿人は正直苦しかったが、亜香里や命士のため、後押ししてくれた愛和音の面々からかけられた言葉の力を受け、その熱の時間を耐えた。
◆戻る神と目覚める天子
やがて、熱が収まると同時に、寿人の体から光る小さなボールのようなものが出て来る。そして、光は亜香里に吸収されていった。
すると、亜香里の顔に生気が漲る。そして、亜香里は目を覚ました。
「あ、れ?」
亜香里は、その場にいる人々の安堵の言葉と視線を一気に浴びる。近は、亜香里の内に戻った。それにより、状況を説明しようとしたが、八大蛇が再び動き出した。
それを見た命士は、亜香里の「生き返り」の感動に浸る間もなく、八大蛇に立ち向かって行った。
◆本来の天子と命士の戦い
「みんな!!」
亜香里は、倒れる前の悲惨な光景を思い出し焦る。しかし、八大蛇を放ってはおけないと亜香里も蘇生直後の体だったが、戦いに向かった。
そんな光景を見た寿人。
「どうやら、近さんは俺からいなくなったみたいだ。八大蛇って神様、見えなくなった。それにしても、あんなに、中山さんより若そうな人たちがこわい神様と戦ってるなんて、なんて言っていいかわからないけど、かわいそうだ。せめて、応援してやりたい。」
将がそれに返す。
「しかし、俺たちは見ていることしかできないだろうな。」
そんなやり取りの目の前で、亜香里が叫ぶように言った。
「みんな!八大蛇は全部の力を使ってる!気をつけて!!」
それに対して、命士たちは声を揃えて「御意!」と言った。そんな命士たちと八大蛇の肉弾戦が繰り広げられる。
寿人は呟いた。
「力はないけど、届けたい。戦うみんなを、励まそう。みんなの力になれるよう、心の底から願うよ。」
それは、繰り返し呟かれ、力強い旋律を得た。寿人の歌声は大きくなり、愛和音の面々にも届く。その寿人の即興の歌を将、理沙、京子、陽太、隼人も歌い出す。
そのユニゾンは、亜香里や命士たちの耳に届く。忠通が呟いた。
「歌、とても、心に染みる。」
そんな中、寿人は先ほどの痛みを思い出し、亜香里の事が心配になった。しかし、戦う亜香里を止めることは野暮なことと歌だけではなく、言葉でも励まそうと声を張り上げた。
「亜香里さん!頑張れ!!そして、命士さんたちも、頑張れ!!」
その激励の言葉は、将らの歌声に乗り、亜香里たちに届く。
亜香里は、代表してこう答えた。
「ありがとうございます!頑張ります!!」
命士たちの拳にも、より一層力が込められる。
「ぐうう!」
八大蛇は、呻いた。それを認めると、亜香里の指示が飛んだ。
「八大蛇、弱ってきてるけど、まだ、全部の力がおさまらないみたい!教宗、朝陽、守常、晃、忠通、皆で命士奥義を!!」
再び声の揃った命士たちの「御意!」という言葉が響き渡った。そんな中、亜香里たちの八大蛇を倒そうとする意気込みは、寿人たちの歌によって最大限に引き出された。
そして、
朝陽が唱える。
「火の命士の名において、戦神佐須の力を展開せん。燃えろ!炎周渦!!」
教宗が唱える。
「水の命士の名において、戦神佐須の力を展開せん。突き刺せ!雨状剣!!」
守常が唱える。
「金の命士の名において、戦神佐須の力を展開せん。貫け!切硬矢!!」
晃が唱える。
「土の命士の名において、戦神佐須の力を展開せん。切り裂け!斬爪砂!!」
忠通が唱える。
「木の命士の名において、戦神佐須の力を展開せん。乱れ咲け!毒花嵐!!」
一斉に展開された命士奥義は、八大蛇に個別に当たった後、混じり合いひとつの攻撃として再び八大蛇に当たる。
「ぬううう!!」
苦しげな八大蛇の声が亜香里たちの耳に届く。亜香里は言った。
「もう、誰も傷ついて欲しくない。だから、このとどめを最後にするよ。八大蛇。」
亜香里は、厳しい視線を八大蛇に向けつつ唱える。
「我が身に宿りし天子の力が、邪な者に裁きを与えん。出でよ!破魔の剣!!」
通常の物よりも強い雰囲気をまとった破魔の剣が亜香里の右手に出現。
「さようなら、八大蛇。」
八大蛇の体深くまで突き立てられた破魔の剣からの傷は、八大蛇の致命傷となった。
「くっ、我の、負け、か。」
その一言を残し、八大蛇の存在は、全て消滅した。
◆勝利の天子と困惑の歌手の別れ
「た、倒せた。八大蛇を。」
蘇生直後の体で戦った亜香里は、体力の限界を迎え崩れるようにその場で座り込んだ。その様子に慌てた命士たちは次々に亜香里の元へと駆け寄る。それに続き、寿人はじめ愛和音の面々も亜香里の周りに集まる。
寿人は、しゃがみつつ尋ねた。
「終わったのかい?八大蛇は、倒せたかい?」
亜香里は、座り込んだまま答えた。
「はい。おかげさまで。」
そんな亜香里に頭の中で近が言う。
「亜香里、そなたは一度死んだのじゃ。」
「え?」
「我は、一旦その者、小橋寿人の内に入り、そなたを『蘇生』させた。」
亜香里は、寿人を見つめながら、こう言った。
「あの、はじめまして。私、日下部亜香里です。生き返らせてくれてありがとうございました。」
その亜香里の言葉に命士たちも続いて頭を下げた。寿人は、そんな6人にこう返した。
「なんだか、恐縮しちゃうな。よかった。俺は、小橋寿人、よろしくね。」
亜香里と寿人は握手をした。それが終わると、寿人は少し困った様子でこう言った。
「その、君の中の近さんに話していいかな?」
「いいですよ?」
亜香里は、近に口を貸した。
「なんじゃ?寿人。」
「俺たち、どう『元の世界』に帰ったらいいかな?」
「す、すまぬ!そなたらを帰さねば!!」
近は慌てた様子でこう続けた。
「亜香里、命士らよ、この者たちは違う世界から来た者たちなのじゃ!この者たちが元の世界に帰れるよう、願ってはくれないかの?」
亜香里は、近から返却された口で返した。
「わかったよ、近ちゃん。みんな、やれる?」
命士たちは頷いた。そして、亜香里は近に、命士たちは補佐神の読月に寿人たちへの感謝の心を込め、願った。
すると、空間に穴が出現した。寿人はこう言った。
「これで、戻れる。ありがとう、亜香里さん、近さん、命士さんたち。」
亜香里がこう返した。
「こちらこそ。」
そんな笑顔を伴った亜香里の言葉を聞き、寿人たちは1人、また1人と穴へと足を踏み入れ、亜香里たちの目の前から消えていった。
◆残された者
「行っちゃったね。」
亜香里は呟いた。守常は頷いた後、こんな事を言った。
「清らかな女と、甘い雰囲気の女がいたな。名前を尋ねそびれた。」
忠通は、それに冷たい視線を返しながらこう言う。
「相変わらずですね、守常。しかし、小橋殿以外の方々、なんというお名前だったのか気になりますね。」
教宗は、そんなやり取りを聞き、頭をかいた。
「不覚だったな。」
それを受け、朝陽が言った。
「なぁ、そんなに知りたかったら、戻ってもらう?」
晃が朝陽の頭を軽く叩きながらこう返した。
「迷惑だろ?」
近が再び亜香里の口を借りつつこう言った。
「我も、名前を聞いたのかも知れぬが、わからぬ。じゃが、そのような事より、八大蛇が破壊したこの世を綺麗にせねば。」
すぐに近は亜香里に口を返した。
「そうだね!それが、これからの私たちの『戦い』かもね!みんな、やれる?」
命士たちは力強く頷いた。
「じゃあ、行こう!!」
◆帰って来た者
ここは、愛和音。歌唱部の部屋内で、6人が居眠りしていた。
「ん?」
寿人は目を覚ます。
「夢?」
そんな呟きを響かせながら苦笑いした。
「橋野、珍しいな?こんな所で居眠りなんて。」
その声に起こされる将。
「ああ、寝てしまったのか。なんということだ。」
そんな慌てた将の声に、陽太、京子、理沙、隼人は次々に目を開ける。そして、口々に変な「夢」の話をした。将が今度は苦笑いし、こう言った。
「皆、同じような夢を見たのか。だが、そんな事より、俺も含めて気が緩んでいたようだな。」
時計を見つつ、将は続けた。
「あと、退勤時間まで1時間だ。気を引き締めて業務にあたれ。」
寿人他4人は頷いた。そして、寿人は理沙と隼人と共に制作部の部屋へと戻った。
「なんだか『夢』の中で即興で歌った気がするな。うろ覚えだけど、『あれ』、ちゃんとした曲にしようかな?」
寿人はそう小声で呟いた後、スコアを書き始めた。その時だった。寿人の右手の手首に痣が見えた。
「痣?どっかにぶつけたっけ?まぁ、いいか。」
そんな寿人の右手から、新たなスコアが生まれていった。
(完)