少年に出あう
その日僕はひとり、荒れ狂う海をぼんやりと眺め下ろしていた。
海は白い獰猛な波がしらを次々と岩肌にぶつけていて、腹の方はどんよりと濃い雲の灰色に染まっている。
何かが見えそうで、みえない。
そんな理由だけで、このような荒涼とした崖、人も絶えた風景の中にただひとり佇んでいる。
急に吹きつけた風に破れた袖口がはためき、思わず手で押さえた。赤く汚れたままの手は袖口に新しい染みをつける。
自分の格好を思い出して急に寒さを覚え、ぶるり、と身を震わせる。
ふと、音に気づいた。
音というより、息切れのようだ。
左脇の草陰から、途切れとぎれにかすかに聴こえる。僕はそっと、音のした方に歩を進めた。
草の向こうにはぽっかりと小さな空き地がひろがっていた。海側に木立も生えて、そこだけ妙に静かな気配に満ちている。
その真ん中にいたのは、小さな少年だった。
白いポロシャツに紺色の半ズボンは学校の制服のようだ。
短い髪は汗のせいかまばらに額にはり付き、少し汚れた頬に涙の跡がいく筋にもついていた。彼はずっと泣いていたようにも見えた。しかし、今は急に現れた僕を目の前に、ただ、あっけにとられていた。
あの、と先に声をかけてみた。
「ひとりなの?」
聞いてから、まずい質問だと心の中で舌打ちする。しかも自分の姿を思い出し、さらに動揺する。
しかし、少年は意外にも「そうだけど?」と答えてわずかに顎をあげた。
反抗的ともみえる目の色に、僕はつい一歩退いて、ああ、そうなんだね、と凡庸につぶやく。
少年は、今度はまじまじと僕を見つめ、逆に一歩近づいた。
「おじさんさ」
お兄さんだよ、と反論しようとしたが、少年はかまわずこう続けた。
「おじさん、ケガしてるの?」
「えっ」
自分の両手を見下ろしてから、少年に向き直る。「いやこれは違うんだ」
「じゃあさ」
少年は真顔で続けた。「おじさんはゾンビなの?」
「……う」
なんと答えていいのか一瞬迷い、それは彼には肯定と取られたようだった。
「ホンモノみたのはじめてかも」
少年は更に近づいてくる。こちらを全然恐れていないようだった。
ちょっと待った、とわずかに綺麗な方の片手で彼を制する。
「あまり近寄らない方が、いいよ、なぜって」
「しってるよ」訳知り顔で彼はうなずく。「うつっちゃうんだよね、ゾンビ」
そしてすぐにまた質問を繰り出してくる。
「でさ、なにしてたのこんなところで」
ええと、と僕は少し宙を見ながら答える。
「おむかえ……いや、待ち合わせしていたんだ、ここで」
えっ、と少年は目を丸くする。
「それって、ふねだよね?」
「船?」
さすがにこんな崖っぷちに船は来ないだろう、と思いながら、違うよ、と答えようとした時には、彼はすでに海の方を向いていた。
「ふね、また、くるのかな……」
彼が見やる方向、まばらな木立の間から海の切れ端がのぞいている。
「ところできみは」
聞きたいことは色々あった。しかし何から聞けば?
まあ最初に名前かな、そう思った時、彼が振り返った。
新しい涙が、頬を伝っている。先に訊くことはやはりこれか。
「どうして泣いているの」
先ほどまでのこましゃくれた表情も消え、彼は何度か生つばを飲んでからようやく、途切れ途切れに答えた。
―― スキップが、どうしてもできないんだよ。