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トウトウトゲドロボウ  作者: 染必至(そめぴつじ)
本編
7/18

茨姫

 梅吉達が白雪の後を付け、すったもんだ、ああだこうだしてる頃、結女子はもといた会社の先輩の千歳先輩と飲み屋にいた。

 お腹の子は大丈夫なのか心配になったが、千歳(ちとせ)が大丈夫だと言うので、大丈夫だという事になった。

「お腹の子が通常の子が、異常があるのか分かるまでに三か月かかるんだって。もし、何かあったら下さないと。」

 相変らず落ち込んだ表情で千歳が言う。ガラスのコップ片手に憂鬱そうな顔をしている。

「でも、旦那さんお忙しいって、言ってたのに、お子さんが出来て良かったですね。お休みも中々会わないってぼやかれてたのに…。」

「うん「出来たの!?」って、心底驚いてた。」

「…あははは」

 いまいち千歳のとこの夫婦感がわからないので、何を言って良いか分からない結女子。

「それでさぁ、うちの旦那ったら、相変らず炊事も洗濯もやらないわけ、それで家賃私と半々で払ってるんだけど、おかしくない?」

「以前、見させて頂いたお写真では、仲良くハートマークつくられていましたけどね。」

 そう、結女子が新居に招待された時、分かりやすいカップル写真が目に付きやすい場所に置いてあった。

「今、旦那がやってる店だって、私が物件見つけてあげたんだよ?感謝が無いよね。」

「ははは、」

「それでさ、気晴らしに前に住んでたとこの『ファンファン』に飲みに行ったの、」

「ああ、以前私も連れてってもらいましたよね。」

「でね、その時お会計時に何か変だなって思ったら1000円多く取られててさ!」

「へぇ、打ち間違えじゃないですか?オーナーさん真面目な方だし…」

「聞いたら「チャージ代です」って言われたの!何時もそんなの取らないのにさ!」

「へぇ…」

 そんな事をするオーナーでは無かったと結女子は記憶している。

 2,3回しかあった事が無いが、何か理由があったのでは無いかと思う。

「それを、一緒にいたまゆみちゃんにいったらさ…」

 まゆみさんは千歳さんが単身の頃ご近所に住んでいたお友達で、『ファンファン』の常連である。

 結女子とも飲みの席で面識があった。

「まゆみちゃんは「わたしはチャージ代取られても行く」って言うんだよ!」

「はぁ」

「だいたいまゆみちゃんもさ、太り過ぎだよね!」

 千歳の大声に周りのお客がチラリとこちらに振り返り、目が合った結女子が苦い愛想笑いを返す。

「そんなお給料良いわけじゃないのにさ、しょっちゅう『ファンファン』で飲んでて、親に仕送りしてもらってるらしいよ!もう、独り立ちした社会人なのにさ!」

「……はぁ、」

「「ちょっと太り過ぎだし、もっと節約したら」って、いったらイライラしてた!心配してんのに!」

「私何か、後輩に誕生日プレゼント買うために、毎日カップめんで過ごしたりしたんだよ?」

「…。」

 結女子はまゆみの柔らかい人柄が好きなので、彼女の悪口に同意したくなく、口を噤んだ。

「この前も、私の優待券で三ツ星レストランに飲みに行けたのにさ、「5000円も取られた」って、言ってんの!「5000円で済んだ」でしょ?」

「忙しいと、細かい事に気が行き届かなくなるのかも知れませんね。」

 千歳先輩はむすっと不貞腐れた顔でジュースを飲み干した。

「お腹の子が通常の子か、以上があるのか分かるまでに三か月かかるんだって。もし、何かあったら下さないと。」

 (また、同じ事言ってる。)

 結女子は何だか、千歳が「おろさなきゃ」という言葉を発音する度に、梅吉の言う『言霊のトゲ』が千歳のお腹の子に、何度も何度も突き刺さってるような、そんな感覚を受けた。

 自分は結婚も妊娠もこの歳でまだした事が無いという引け目があるので、結婚や妊娠という事柄に対し、積極的に自発的な意見は言えないが、言葉に出来ない違和感を強く感じていた。

 この違和感は千歳の妊娠のストレスによる、一時的なモノだろうか?

 いや、思い起こせは結女子の記憶の中で、千歳は何時もイライラしていた。

 それでも、たまに気前よく奢ってくれるものだから、結女子も気を許したのだ。

 この人も、根は悪い人では無いからと。

 しかし、今日は何だか、酷く自分の気力を蝕まれる気持ちで辛い。

 思いはいっぱい駆け巡るのに、口は一文字になって、無意識に強く噛みしめていた。

 それからその後も、ファミレスに連れてれ、延々と愚痴に付き合わされる結女子だった。

 彼女の愚痴の大半の内容は数年前から変わらない。

 それを、延々とループして聞かされるのだ。

「…千歳先輩って、いっつも同じ話しばかりされますよね?」

 結女子は正面の千歳から顔を背け、髪をかきあげながら言った。

 何時もの優しい結女子なら、こんな事は言わなかった。

 (いや、違う。ずっと自分の意見を言って傷つくのが恐かったんだ。)

「何度も同じ話を聞く事で、新しく分かる事だってあるでしょ!?」

 いきり立った千歳が叫んだ。

 お店の中の全員がこちらを見てた気がしたが、それを見返す勇気は結女子には無かった。

「相変らず、我慢出来ない性格だよね?まだ、新しい仕事も見つけて無いんでしょ?」

「帰ります。」

 結女子は財布から適当に数枚のお札を出して席を立った。

 (私が我慢できないから悪いんだろうか、社会とはこういうモノなんだろうか、だったら私何て微塵も幸せになれる自信がない。この世界で、この社会で生きてける気がしない。)

「…死にたい。」

 ぽつりと目下の空気に向って呟いた。

 その結女子の背後を青い小さい光が浮遊していた。


★★★ ★★★ ★★★


 一端時間を遡り、場所は病院に戻る。

 梅吉達が白雪の後を付け、すったもんだ、ああだこうだしてる頃、クマは病院内のコンビニのコピー機で、ある用紙を印刷していた。

 そして、その用紙を確認すると、それを手に武仁の母の病室に向った。

 クマは失礼しますと、声をかけてから武仁の母の病室に入ると、相手の状況も鑑みず、ずんずんべっとの横まで進み出て行った。

「これは、二度と直接二人きりで颯斗とは会わないという契約証です。」

 武仁の母のいるベットにクマはそれを置いた。

 布団越しに膝に置かれた用紙を、武仁の母は睨み付ける。

「どうして、赤の他人のあなたに介入されないといけないんですか?あなたには関係ないでしょ?」

 武仁の母は紙を突っぱね、それを床に落とした。

 クマが紙を拾い、また手に取る。

「…アイツの子を下したというのは、本当の事ですか?それとも気を引くための嘘ですか?」

「ホントに出来てたのよ!」

 烈火の如く怒って、武仁の母が叫んだ。

「もう、何なのよ!失礼ね!親の教育が悪いから、そんな風に育つんでしょ!どうすれば、年上に向ってそんな口聞けるの?」

「…。」

 思う事はある。言い返そうと思えば言い返せるが、クマはそれをしなかった。

 礼儀を持たない人間が、他人に失礼な事をいったのとして、何ら不思議はないからだ。

 腹の中では、折角見舞いに来た息子の武仁にさへ、暴言を振りかざすこの女に、心底腸が煮えくりかえっていたが、この女に自他の命への敬意を、一から教えてやる程、自分は良い人間で無いと自覚していた。

 そんな事を喋り出したら、話しが脱線してしまうし、こういう人間は言い訳を始めると頑固になり、絶対的に自分の正当性を主張して、無駄に時間を浪費してしまう。

 こういう類の人間は同じ愚痴を何度も何度もして、3時間も4時間も人の時間を奪っておいて、決して反省しようとはしない。

 クマは三十路は既に過ぎている。功労者達はまだ短いという、その人生の中でクマが学んだことは、誰に対しても寛容で、優しくある事は、真摯に生きている人にすべきものであって、何時までもすねたりごねたりすることで、構ってもらえると思ってる見栄の厚塗りをしただけの阿保にする行為では無い。

「あなた、スポーツセンターで見たことあるわ!立場が変わるだけで、がらりと態度が変わるのね!そうやって人によって態度をかえるわけ?」

 スポーツセンターと言うのは、クマの仕事場の事だ。クマはそこでトレーナーとして、働いている。

 幾つか回らなければいけない店舗の中に後輩の先原颯斗は勤務していた。

 スポーツセンターでクマの後輩の先原颯斗と、武仁の母は出会い不倫関係になった。

 颯斗にスポーツセンターでのトレーナーの仕事を紹介したのはクマだった。

 なので責任の一端のようなモノを感じて出向いて来たのだが、相手の話しの脈絡の無さに、腹立たしさが加速し、少し後悔の念が生れる。

 クマは口を一文字に結んだまま、決して自分の心を言葉にしようとはしないが、心底我慢をしていた。

 しかしクマはただ立っていた。

 相手が黙るのを待っていた。

 言葉を言い返すより、自分の正当性を言葉にするより、その方が効力があると無駄がないと分かっているからだ。

「このデカいだけのデブが!」

 これはちょっとカチンと来た。眉を寄せると、肩を飛び上がらせて武仁の母が怯えた。

「恐いわ、人殺せんじゃないの、ふふふ」

 誰もいないのに、誰かに告げ口するように、ベットの布地に向って、膝を倒して話しかけている。

「…。」

 (俺はデブではない。毎日鍛えてるし…。)

 クマは心の中で、自分に言い聞かせていた。

 クマは大柄で確かに脂肪もついてるが、その下には確かな筋力を思わせる、真っ直ぐな芯がある。

 本人も、日々規則正しく凄し、身体を動かしている為、その事を理解していた。

 だからこそ立ち姿に厳かさが現れるのだが、それが何なのか、どうしてなのか日々堕情に生きているモノには、おののくほど恐ろしく感じるだろう。

「サインを下さい。」

 クマはもう一度、契約書の紙を、ベットの上に置いた。

 次の瞬間、武仁の母は呼び鈴ブザーを押そうとした。

 しかし、それを大きく伸びて来たクマの手で遮られてしまう。

 ぶつん!

 という、鈍く、短い音を立て、呼び鈴の線が切れた。

 武仁の母は、クマに背を向けたまま震え出した。

「わあああああああ!私だけが、悪いんじゃないのにいいいいいい!」

 クマは無言だった。

 可哀想にとか、大変でしたねとか、そういう類の言葉を絶対にかけてたまるものかと、頑にその場に立っていた。

 そうこう、して一時間半粘り、クマは無事に武仁の母からサインを貰う事が出来た。

「では、」

 と、言ってクマが武仁の母の病室を出る頃には、武仁の母はもうすっかり白けた顔をして、そっぽを向いて白けた顔をしていた。

 病室を出る際、唖然とした顔の看護婦二人と目が合ったが、ただ会釈だけしてその場を去った。

 クマは暗く暮れた場所を一人歩き、駐車場に向った。

 先刻、賑やかに大勢でこのワゴン車に乗っていたというのに、一人で乗るワゴン車はだだっ広く、ドアを開いた時の薄暗さが、クマの中の孤独を軽く突いた。

「早く帰ろう。」

 無口なクマが独り言を暗闇を見つめたまま、零した。

 クマが大梅街道を真っ直ぐ運転をしていると、歩道側に一人のひょろ長い人の影が目に付いた。

 通り過ぎ際、窓からその顔をちらりと盗み見る。

 結女子だった。

 クマは車を横断歩道の手前で止めると、窓を開け、顔を出して振り向いた。

「どうした?」

 もともとやせ形の結女子が、普段よりやつれた顔をしているのを見て、クマは言った。

 結女子は突然クマが現れた事に、顔を立てに広げて驚くも、次には苦笑いしてただその場に立っていた。

 クマは結女子を車に乗るように促すと、また車を走らせた。

 結女子は千歳と会って話したことを、辻褄なく、延々と延々と、女子席で話していた。

 クマはただ、乏しい表情で、それらの話しを聞き流していた。

 時たま愚痴を挟んでは、その度に口を結び、結女子は見えない何かと葛藤していた。

 結女子は先輩の愚痴に付き合わされて大変だった話しはするものの、「おろす」という単語は口にしないようにした。

 何だかその言葉を口にしてしまえば、身近にいる自分より小さな命を、梅吉やその友人たちを軽んじているような思いになったからだ。

 七村橋(ななむらばし)の高速道路まで差し掛かった時、結女子が高速道路の上の看板の表示に、『美人木(びじんぎ)まだあと20分』と表示されてるのを見て、ふふふと笑った。

 赤信号で車を停車させていたクマがそれに気が付き、結女子の方を見る。

「このまま、あの高速道路に車を走らせて、20分経ったら、美人になれるんですかね?」

「もう、なってるよ」

 間。

 嘘偽りを言う人では無いクマの人柄を、まだ出会って一か月も経ってない結女子も理解していた。

 結女子は指をさしたまま、固まる。

 クマも固まっていたが、信号が赤から青になったので、顔を正面に戻して運転を再会する他無かった。

 因みに美人木とは、首都東塔に隣接する様々(さまさま)県の一部の地名だ。

 クマは車を家に向わせずに、七村橋の高速道路に入っていった。

 結女子はそれについて、特に何も突っ込まなかった。

「…クマさんは、病院で何をされていたんですか?梅吉君達は、どうしたんですか?」

 少し落ち着きなく結女子が喋りだした。

 まくしたてて喋るのを押さえる為に、おどおどした手を、宙でバタバタさせ、挙動不審気味になっている。

 クマは考えた。ハンドルを握ったまま、言葉を探す。

 結女子になら話しても、大丈夫だろうと思えた。

 クマは国道に車を走らせながら、結女子にぽつりぽつりと、武仁の母との話しをした。

 聞き終わって、結女子が顔を下げたまま言った。

「どうして、クマさんがそんな事しなきゃいけないんですか?クマさんには関係ないじゃ無いですか?」

「颯斗今の会社に入れたのは俺なんだ。」

「…そうですか。」

 結女子はしょんぼり更に俯いた。

 俯いて前方に頭をぶつけた。

「ふっ」

 クマが結女子のドジに笑った。

 結女子は顔を上げ、恨めし気にその顔を見る。

「クマさん、お腹空きました。」

「そうだな、何か食べに行こう。」

 本当は、飲んできた後なので、全然空いてなかったが、結女子は小さな嘘をついた。

「あ、梅吉君に連絡しました?」

「…。してない」

「連絡入れて置きますね。」


★★★ ★★★ ★★★


「え?何?結女子クマと一緒なの?やっらしーーー!!」

 ふーーーーーーーー!と、言いなが、梅吉は携帯片手にふざけて飛び回った。

『…。』

「ごめんなさい」

 結女子の無言の圧に、愛嬌たっぷりの声で梅吉が自発的に謝罪した。

 謝罪したと言うには、いささか声音が明るいが。

「そう言えば、タケが泊まるって言うの忘れた。」

 武仁は自分の家で荷物を取って来てから、また梅吉の家に来ていた。

 クマに了承を得るのを忘れたが、今連絡を入れない方が良いだろう。

「…おれって、出来る男だよな。」

 スマホ片手に感慨深く梅吉が呟いた。

「…。何一人でにやにやしてんの?」

 お風呂から上がった武仁が怪訝な顔で、浮ついた様子の梅吉を見た。

 また一緒にお風呂に入ろうと、武仁を誘った梅吉だったが、丁重にお断りされたのだ。

 しかし、今はそんな寂しさもどこへやら、にへらにへら笑って、腕をじたばたさせている。

「今日、お母さんも、お父さんも…帰り遅いみたいなの…。武仁ど・う・す・る?」

「…しなつくんなよ。」

 目の座った武仁が、梅吉のワザとらしい演技に苦々しい顔をした。

「いや、でも…」

 武仁が目を逸らして何か考え込んだ。

「え!何だよ!」

「泊めてくれて、ありがとうな…。」

 手を顎に付きながら遠慮がちに武仁が微笑んだ。

 その笑顔に、目を点にして立ち尽す梅吉は何も答えられなかった。


 その夜梅吉と武仁はリビングにシーツをしいてネタ。

 武仁はソファで、梅吉は床で。

 0時を過ぎても、クマと結女子は帰ってこなかった。

 梅吉は今日は何だか色んな事があったので、寝付けずにいたし、敢えて寝ないようにもしていた。

 真っ暗なリビングの中、そっと立ち上がる梅吉。

 そっと立ち上がると、眠った武仁のソファに手をつき、屈んで、暗闇の中、その顔を覗いた。

 武仁がぐっすり眠っているのを確認すると、梅吉はパジャマのボタンを一個一個外していった。

 そこには、細かな言霊のトゲが刺さっていた。

 夕刻、武仁の母が、武仁に発したものだ。

 (自分の子どもだからって、失礼な事を言っていいわけ?)

 親子だから仕方ないと思うには、余りにも刺々しいそれを、梅吉はほっとく事が出来なかった。

 このままだと、武仁の皮膚に徐々に吸収されていって、武仁の免疫力を急激に損なうだろう。

 武仁の身体は、背は高いが、肌が白く色素が薄い、脂肪も無いが、筋肉も無い。

 そんな未熟な身体で、日々痛々しい現実に寄り添いながら、日常を過ごしていたのかと思うと、梅吉はやり切れない気持ちになった。

 梅吉はそっと、武仁の右顎に手を添え、トゲの刺さった額に唇を落とした。

 思ったより、トゲの先がしっかり根付いていて、吸い上げる唇が力む。

 梅吉は何とか、トゲをごくりと咽喉元まで飲み込んだ。

 顔を上げ、武仁の顔を凝視するが、起きる気配は無い。

 (ぐっすり寝てる。大丈夫そうだな。)

 一心にトゲを受けた武仁の肌に、一か所、一か所、梅吉が唇を落とし、トゲを吸い取っていった。

 耳たぶの裏に、咽喉元に、右の鎖骨に、右胸に、鳩尾に、当たりに。

 そっと、触れるか触れないかの幅で唇を落とし、トゲを吸い取っていく。

 武仁は少しの身もだえをするものの、今日の事で相当疲れているのか、目覚める事はなかった。

 梅吉が、パジャマのズボンにゆるく手をかけ、へその下辺に唇を落とし、トゲを吸い上げた頃には、武仁の寝顔は穏やかなものになり、目元が緩んでいた。

 穏やかな寝息をたて、ぐっすり気持ちよさそうに眠っている。

 梅吉は暗闇の中、武仁の寝息が緩やかな呼吸になったのを確認すると、ほっと胸を撫で下ろし、自分も床にしいた布団に再び寝始めたのだった。


 梅吉は布団の中で、自分の腹の中にちくちくしたトゲがあるのを感じ取りながら、考え事をしだした。

 考え事をしだしたというよりは、色々な考えが情報が、言葉が、頭の中をぐるぐる勝手に周り出して、自分では止めようの無い状態だった。

 我慢強い事は美徳だろうか?

 もしかしたら、クマや武仁の持ってる様な忍耐強さと、我慢は別のモノ何じゃないのか?

 武仁みたいに、耐えても、耐えても、その忍耐を賞賛されるわけでも無く、気力をかられ続けるだけなら、どうすれば、どうすれば良かったのか?

 他人に我慢が足りないという人は、我慢が出来ている人なのか?

 我慢する事そのモノに意味はないんじゃないか?

 自分の信念を守る為に、忍耐が必要なだけで、他人に利用されて、他人に強要されて良いものなのか?

 だとすれば、何処から何処までが強要の範囲なのか?

 そんな事を悩んで生きてるうちに、きっと若さ何て費えてしまう。

 そうして、諦めて大人になって行くのか?

 (おれの母さんや、武仁の母のように)

 結局、武仁みたいに、どんなに忍耐強くても、立場が弱ければ、上の人間に利用されるだけなんじゃないか?

 (オレが、密売の足にされて、尻尾切りにあったみたいに。)

 そういう目に合うのは、自分達が弱い存在だからだろうか?

 何か前世で悪い事をしたからだろうか?

 自分達が弱い存在だからだろうか?

 ついていなかったからだろうか?

 答えの無い疑問を抱えたまま、梅吉は目を閉じ眠についた。


★★★ ★★★ ★★★

 

 次の日の朝5時。

「う~ん…」

 梅吉がうつらうつら、リビングで目を覚ますと、何か違和感があった。

 人肌の生暖かさと、程良い拘束感が自分を包み込んでいたのだ。

 重たい瞼を開けると、柔らかい何かに顔を包まれている事に気が付いた。

「…結女子」

 結女子が自分を抱き締めながら、梅吉と一緒にソファに寝そべっていた。

 ほっそりした肢体が自分の身体に巻き付き、柔らかく自分を包み込んでいる。

 梅吉の顔を包んで穏やかな鼓動の音を立てていた。

 女性の匂いが梅吉の鼻先から、脳裏を突き抜け言葉にならない感情を込み上げさせた。

「酒くせぇ」

 そう、結女子はクマと飲んだ後、茶柱宅に来て酔っぱらってリビングにいた梅吉に抱きつき、そのまま眠ってしまったのだった。

 結女子の胸元のワイシャツが開けていた。自然にそこに目が行く梅吉。

 結女子の白い胸元は少し汗ばんで、言霊のトゲが数本刺さっていた。

 どうしてそんな風に傷ついたまま、こんな風に自分に優しく触れらるのか、どうしてそんなものを胸に抱えたまま、穏やかな顔で寝れるのか、幸薄なわりにわりと神経が図太い結女子に呆れて良いんだか、尊敬して良いんだか分からなくて、梅吉はただただ顰め面で溜息をついた。

「んん、ん」

 梅吉は抱き閉まられた体勢のまま、その胸元に顔をうずめないように気を付けながら、唇を這わせ、歯先でトゲのてっぺんを器用に掴んだ。結女子の胸元と、自分の顎の距離を徐々に取り、トゲの先がするりと結女子から抜けるのを確認すると、梅吉はそれを飲み込んだ。

「んん、ふぅ」

 結女子は身を捩るモノの、目を覚ます事は無かった。

「うぇ、マズ…。」

 結女子刺さっていたトゲはかなり不味いやつだった。頑固で硬くて芯がある。歯で噛み砕く事も出来ず、無理やり喉奥で飲み込んだ。

 目を閉じ、飲み込んだトゲを上手く消化しようとする梅吉。

 すると、瞼の裏で、知らない景色が見えた。何処かのファミレスで喋る女性。その女性が喋る度に、その女性の腹部に、結女子の前頭葉や胸元にトゲが刺さる。そんな映像がぼやけた状態で梅吉の閉じられた目先に見えていた。

 (これは、結女子の見た景色?トゲが刺さった時の?)

 梅吉は自問自答しながらも、既にそうだと理解していた。

 そして理解しながら憤慨した。どうして結女子も武仁も、この手の人間と真面に付き合おうとするのかと。

 真摯に向き合ったところでこの手の人間は、自分で攻撃的に振舞っておいて、それを認められる強さも無く、ただただ責任転嫁を繰り返すのに。

「う~ん、クマさぁん。」

「…はぁーああ、あ。」

 結女子の呑気な寝言を聞いて、梅吉は自分を大事そうに抱き締めている結女子を思い切りつき飛ばしてやりたい気持ちにかられたが、そういしたら、結女子の身体が床に落ちてしまう。

 結女子はゆるゆるに緩み切った顔でよだれを垂らしていた。

 その体勢のまま梅吉が横を見ると、もう隣のソファに武仁はいなかった。

 梅吉はぺちぺちと軽く結女子のほほを叩いた。

「あ~梅吉君、おはよう。」

 上機嫌で朝の挨拶をして来た結女子はまだ少し酔っているようだ。

「おはようじゃないよ。早くどいて。」

「え~。」

 梅吉の言葉に悪びれも無く、結女子は更に強く梅吉に抱きついた。しかし、その腕を掴まれ、突き放されてしまう。

「本当はクマと寝たい癖に。」

「え!?」

 梅吉に本当の事を言われ、結女子は飛び上がってソファから降りた。

「おれを、代わりにしないでよ。」

 起き上った梅吉が、真っ直ぐ結女子を見据えた。

 結女子はすっとんきょな顔で目を見開いてから、しゅんと項垂れる。

 ソファの下に正座で座り直し、黒い影を背負ってうな垂れた。

 梅吉は苛立ちを隠さず、毛布から這い出てソファからたった。

 大股で歩いて行き、遠慮なくクマの部屋のドアを開く。

 中を覗くとクマが自分のベットでぐっすり眠っていた。

「全く、このポテンシャル童貞め。」

 毒づいた梅吉の心中を知る由も無く、クマはうつらうつらとベットから起き上った。

 布団から起き上り目をパチクリするクマに、梅吉は「おはよう」と言ってドアを閉めた。

 梅吉はジャージで寝ていたので、そのまま家を出て日課のランニングに向った。

 何時もならクマと一緒なのだが、今日クマにランニングは無理そうだ。きっとぎりぎりまで寝てから会社に出勤するだろう。


「わん!わん!」

 川の横を沿って走っていると、ぴょんぴょん跳ねまわる真っ白なフレンチブルドックが現れた。それは梅吉のよく見知った犬で、末恵の家で飼っているフレンチブルドックだった。

「お前、また抜け出して来たのかよ。」

 白太は梅吉のあきれ顔を気に留める気も無く、語義減に飛び跳ねながら梅吉の横で一緒に歩行者通路を走った。

 雲行きの怪しい感田川沿いを走る、一人と一匹。そのまま何時ものランニングコースの逸物神社へ向った。

 梅吉は軽快に境内への石畳の階段を足早に駆け上がり、鳥居の前で駆け抜ける勢いのまま軽く会釈すると、社の前まで立ち止まった。

 今朝はまだ誰も居なかった。

 梅吉は神様を素直に信仰する柄ではない。寧ろそう言うものを胡散臭いと感じるし、そんなモノを信じるから他人に騙されるんじゃないかとまで疑っている。だけどしかし、クマも結女子も末恵も、この手の場所を大切にするもんだから、梅吉も蔑ろには出来ない。

「お賽銭は入れないの?」

 振り返ると、スーツ姿の青年が立っていた。この前、結女子を連れて行った九条刑事だ。

「良いんだよ、殆ど毎日着てるから。顔パスでしょ。」

「ははは、君面白いね。」

「あんた、この前結女子をたぶらかした後、スマホに裸で映ってたよね。」

 九条刑事は軽く笑って見せた。しかしその笑い方に梅吉が顔を顰めると、直ぐ声を引っ込め、またうすら笑いのまま、その場に立つ。

「裸じゃなかったよ。下は着ていたでしょ?」

「あんな、「今シャワーから上がりました。」見たいな恰好で出てきといて、そんな細かい事どうでもいい。あの時、わざと自分が映るようにしただろ?どんな相手と通話してるのか分かんないのに、そういう事するって事は、アンタがさり気無く他人を弄んで楽しむタイプだって事だ。」

「どうしてだい?」

「え?」

 九条刑事は先程とは打って変わって強張った表情で目を細めた。

「もし、わざとだとして、どうしてわざとだと、どうして、誰が何故断定できる?」

 夏の暑い空の下、梅吉の背筋が冷っと逆立った。

 ふと、夏梅は当たり前の事を考えた。

 自分は未成年の子どもで相手は社会的地位のある大人。

 ここに第三者がいたとして、どちらの言葉に重きを置かれるだろう?

 普段そんな事も意図せず、はっきり自分の思った事を口にする梅吉なのに、今は酷くその事実に当惑している。

 150センチもない、自分の身の丈が更に縮こまって、凝縮され重くなってくのを感じた。

 梅吉は酷く憤慨していたが、それ以上九条刑事を言葉で責め立てるのを止めておいた。必死で相手を追い詰めようとしても、相手が尻尾を自分から出さない以上、相手を任す賞賛は無い。

「君は本当に人の本音と嘘が見抜けるみたいだね?」

 そう言ってから九条刑事は手を翻すように、もとの薄っぺらい愛想笑いに顔を戻した。

「…何それ、結女子が教えたの?」

「君がとは言ってなかったけど、そういう子がいるって、きっと君の事だろうなって、思ったんだ。」

「アンタ…そういうの信じるの?」

「ああ!きっと僕達仲良くできるよ!」

「…それは無い。はぁ…」

 やっと再び相手を拒否出来て梅吉は何だかため息が零れる程安堵した。

「何でだい?」

 あからさまに悲し気な表情を見せる九条刑事に梅吉は眉を顰めたまま、言葉を探した。フレンドリーに接しておいて、自分から何かしらの情報を得ようとしているか、何かしら利用しようとしているのかも知れない。

 相手の緩い空気に流されてしまわないよう、梅吉は握り拳を作って気を引き締めた。

「アンタは確かに嘘はついていないけど何か本音も言ってない気がして、得体が知れない。」

「僕が恐い?」

「恐くはないよ!アンタおれに何の用なわけ?」

「わん、わんわわわわん。」

 見えない糸で繋がってしまったように、どんどん九条刑事の言葉で、視線で態度で梅吉の怒りが引き出され膨らんでいく。

 不機嫌がどんどん表に出てくる梅吉を心配し、その足に白太が擦り寄って来た。梅吉はもちもちした白太が自分の足に触れると、軽く屈みこんで、その顎もとを撫でた。

 白太は体を白太の方に傾け、目を細めて鼻を鳴らした。

「可哀想だよね、フレンチブルドックテさ、人間につくられた犬種だから、病気も多いし、出産の際は自然分娩が出来ないから、帝王切開しか出来ないんだよ?人間って本当、傲慢だと思わない?」

 可哀想だというわりに、へらへら薄笑いをする九条刑事を、夏梅は一瞥した。

 本当にそう思ってるのか甚だ疑わしい。

 梅吉は屈んだ体勢のまま、口をへの字に曲げて、九条刑事を睨み付けた。意図的に睨もうとした訳では無いが、そうなってしまった。

「おれ、アンタ嫌いだな。」

 自分で思ったより、低い声が出た。

 新しい知識を梅吉に教えようとしてるにしろ、自分の知識をひけらかしたいにしろ、梅吉に取って九条刑事は気持ちの良い人間では無かった。

「おやおや、目上の人間の言葉は素直に聞くもんだよ?色んな事を教えてもらえるの何て、若い内だけなんだから。」

 九条刑事が話すたび、梅吉の神経が逆立ち、肌が強張った。

「アンタ、そうやってもっともらしい言葉で自分を正当化すんのが上手いんだな。別に白太が人間につくられた犬種だから可哀想とかそういうのおれはどうでもいい。今ここにこうして一緒にいて機嫌よく振舞う白太を可哀想何ておれは思わないし、ただ一緒にいれると嬉しいってそれだけ。」

「ふふふ、君はとっても純粋何だね?」

 九条刑事の笑い方が何処か気に喰わなくて、梅吉は立ち上がって目を細めた。

「アンタ、警察の人間だろ?おれの前やった事も知ってるんじゃないの?」

「知ってるよ?施設に入っていたよね。」

 自分の過去を知っている人間が目の前にいると分かって、それがクマや結女子のように自分を保護してくれようとしてる人間では無いと感じて、梅吉は少し狼狽えた。自分で尋ねて起きながら、その場から一歩下がる。

「君、やっぱ見込みがあるな…。」

 九条刑事は目は相変らず軽薄な笑みを浮かべていたが、目が座っていた。

「ウメをいじめるな!」

 叫び声と同時に、白太が九条に飛び掛かった。

「うわ!」

 九条刑事は驚いて身を屈めた。すると間抜けな破裂音と共に白い煙に包まれた。

 梅吉は一瞬唖然とするも、駆け寄る。

 すると煙の中から現れたのは一匹の白い狐だった。今は白太に胸倉に圧し掛かられ、仰向けで倒れている。

「お前!妖狐か?」

「…ははは、バレちゃったら仕方ないな…。」

 九条刑事は白太を狐の口で掴んで自分の上からほっぽると、二足歩行で立ち上がり服をその場に脱ぎ捨て屈みこんだ。

 すると次のはゆっくり九条刑事の体が徐々に大きくなり、三メートル程の大きな姿になった。

「わたしを隠せ!」

 九条刑事が天に向ってそう言い放つと、その鼻先で円形の光が破裂し、境内に散った。

「これで、誰も来られないよ。二人っきりだね、梅吉君。」

 大きな狐の姿になった九条刑事が心底嬉しそうに言って手をわきわきさせた。

「ウメに手を出すなと言っておろうが!」

 渋い声で狐に怒鳴ったのは白太だった。

「お前、喋れたのか…。フレンチブルドック何て、気取った欧米の外来種の分際で、この国の古株妖怪の妖狐に盾突く気か?」

 九条刑事は不敵に笑いながら、大きな前足で白太の体を上から押え付けた。

「やめろ!」

 梅吉が九条刑事に向って叫んだ。

 九条刑事はその梅吉の困惑した顔を嬉しそうに眺めた。

「人間が、何で他の生き物と違い、文化を築いて発展してきたかわかるかい?」

 九条刑事が、狐の姿でしゃがみ込み、前足で白太を抑え込んだまま静かに話し始めた。

「…道具を使う事を覚えたり、他の生き物を飼いならす事を覚えたからか?」

 梅吉は考えてから、たどたどしく答る。

 答えたくは無かったが、素直に答えないと白太が危ない。

 変な質問をされてる内に隙を見て攻撃されるのでは無いかと気が気でない。

 どうしようもない。

 梅吉は今とても無力だ。

「…それも、正解だ。だけどそれらの行為をよりスムーズにし、またその行為自体を”言語”で伝える事が出来たからこそ、人間の文明は発展したと言える。」

「それをおれに教えてどうしようっていうの?」

「君は人の嘘が見抜けるんだろう?もしかしたら、他にも特技があるんじゃないかな?その本のタイトルにあるような、言霊に関する力が…。」

 苛立ちを押さえながら冷静に答えようと勤める梅吉を九条刑事はただただ冷笑している。

 梅吉は更に身構えてから下唇を強く噛んだ。

「僕には言わないってか?…そしたらこの子はどうなるだろうね?」

 白太を押さえつけた九条刑事の前足の爪が突然、長く伸びた。人差し指を動かし長く伸びた爪で白太の頬を摩る。

「きゃうーーーーん!きゃうーーーーーん!」

「ひひひ、仲間の犬を呼んでるんだな?残念ながら誰も来ないぞ!さっき僕が決壊を這ったからね!雨粒一つ入ってこれないよ!」

「やめろよ!教えるよおれの特技くらい!」

 嬉々としてこの状況を楽しんでる九条刑事に言いなりになるのは事の他不本意だったが、そうは言っていられなかった。

「おれは、人の放つ言葉のトゲ…『言霊のトゲ』を見る事が出来るんだ。…比喩表現じゃ無くてね!あと、他人にささったその言霊のトゲを飲み込む事も出来るよ。」

 九条刑事は狐の目を大きく見開いた。そして口端を引き上げるとけたたまし、狂ったように笑い出した。

「そうか!君は霊的なモノが見える上、それを浄化する力まであるのか!」

「そうだよ、もう教えたんだから、白太を放して…」

「そのストイックさも、君の魅力だね。」

 白い狐の姿で、自分に向って爽やかな声で親指を立てる九条刑事に、梅吉はただただ顔を顰めた。

 すると、九条刑事の気が緩んだ隙を見て、白太は自分を捉えた前足の間からにじり出てその指を噛んだ。

「ぎゃあ!やめて!やめて!」

 九条刑事はそういうと、今度は普通の大きさの狐の姿になり、その場からさっさと飛びのいた。

 境内中央に走り、自分の服と鞄を咥えると、茂みの中へ走り去り消えていった。

「何て朝だ。」

 梅吉は汗だくでその場にしゃがみ込んだ。

 

★★★ ★★★ ★★★


 梅吉が白太を連れ茶柱宅に戻ると、もうクマも結女子も居なかった。

 自室に戻ると武仁が自分の家から持って来たパソコンで何か調べものをしていた。

「ああ、ウメお帰り。」

 何時の間にか末恵のようにウメ呼びになっている武仁は、飄々とした様子で梅吉に声をかけた。そして梅吉が古びた本を片手に、くたくたな様子で白太を連れてるのを見ると椅子から軽く飛び上がって腰を上げた。

「どうしたの?」

 梅吉は神社であった事を武仁に話さなかった。

 ただでさえ母親の事で大変なのに、心配事を増やさせたく無かったからだ。

「ねぇこれ見てよ。」

 武仁は何も答えない梅吉に向って、パソコンの画面を指さして見せた。

 そこには風俗店のホームページが表示されていた。

「武仁お前…」

「ちがう、ちがう。名前は変えてるけど、もともとプリンセス事務所で地下アイドルとして所属していた人達だよ。表だって無いけど、この風俗店の売り上げの一部は、プリンセスに回されてると思う。母さん入院してる海原病院で、偶数月に事務所内アイドルの健康診断があるみたいなんだけどさ、何時もこの風俗店の健康診断も同じ日にやってるみたいなんだ。」

「…何で表だって無いのに分かったの?」

 梅吉が渋い顔で聞いた。

「海原病院のデータベースをハッキングした。」

 梅吉が、目をすぼめて武仁を見つめる。

「あんな、変な地下を見たら、何か変だって思って調べたくなるだろ?」

 武仁は悪びれる様子も無く、あっけらかんと言う。武仁は真っ直ぐな文こういう事も迷いなく行ってしまう。

「でも、何で二カ月間に一回も健康診断するんだと思う?」

「さぁ、武仁には分かるの?」

「オレの母さんがさ、子どもおろす時、あの海原病院で中絶薬をもらったみたいなんだ。」

 梅吉はそれを聞いて体に悪寒が走った。

「なぁ、あのチューリップ畑…本当は何だったのかな?」

 梅吉の疑問に武仁はただ息を飲むしか無かった。

「ウメ、どうか思い煩わないで、」

 突然、ずっと押し黙っていた白太が喋り出した。

「その犬喋った?」

 武仁が驚くのを気に留めづ、白太は話し続けた。

「確かにあの化け狐が言ったように人間は言霊の力で、伝達能力を発展させ、色んなものを支配して来た。ネットの誹謗中傷何て、ただの文字の羅列なのに、それでも人が傷つくのはそこに言霊の霊的な力が確かに、読んだ霊魂を傷つけるからさ。それは体の傷みたいに見えない分、厄介だ。それを分かっていて、人間は言葉で人を傷つける事を、利己的に支配する事を止められない。とても弱い生き物だ。でもだからって言いたい事を言えなくなるのも、何だか寂しいでしょ?」

「…そうだね夫婦間でも言いたい事を言い合えなくなると、お互い不倫や浮気に走るんじゃないかな?寂しい人間は、寂しい人間の隙をついて、利用する事に長けているから、そしてそれを第三者が暇つぶしの為に面白可笑しく騒ぎ立てるんだ。」

 賢い武仁は犬が喋っているという現実を、既に素直に受け容れ、順応していた。

「何だ…それなら言葉なんて無い方が良かったんじゃん…。」

 梅吉が辛辣な声音でそう吐く。

 武仁と梅吉の抱えるやるせなさに、白太は一度身じろぎして耳を垂れてから、またゆっくり言葉を話始めた。

「ウメ、タケ、僕はそれでも信じているんだ。誹謗中傷や、無視や無頓着が続く今の世の中だけど、それで傷ついたり、苦しんだり、死んでしまう人がいる世の中だけど。そんなことは一部の表面上の事に過ぎないと。この日和の国の人間の本来の実直さを。山のような厳格さと、海のような柔軟さをこの国にいる人間、誰もが持っていると。もともとこの国は、(さと)い人の国。魂には柔軟でいて謹み深い和の心がある。時としてその敏い性質が他者を恐れる余り、過敏で臆病な性質に変わってしまうだけだと。」

「綺麗事だな、そんなの理想論だ。」

 梅吉は言葉を乱暴に吐き捨てた。

「所詮、言霊だ音霊だって、言っても、要は立場の強い人間が、情報操作して自分の都合の良いように、他者を洗脳してるって話だよね。」

 武仁も白太の言葉を素直には受け取れないようだ。

 それも、仕方ない事だと白太は思い、ただその場でうな垂れ耳を垂らす他なかった。


 ぴんぽーん。


 殺伐とした重い空気にインターホンの音が割って入った。

「ウメちゃん、白太来てない?」

 やって来たのは、末恵だった。

「…いるよ。」

 ドアを開けると、水色のワンピース姿の末恵がいた。

 (可愛いな。)

「あ、唱川さん、こんにちは!」

「あれ?タケ君またウメちゃんとこ泊ってんの?」

「うん、そのワンピース可愛いね。」

「ありがとう!」

 思っていたことを武仁に後ろから先に言われてしまい、梅吉は口をへの字に曲げた。

 末恵はお世辞として受け取れば良いのか、素直に受け取れば良いのか分からず、照れてもじもじしていた。

 その武仁と末恵の間に口をへの字に曲げた梅吉が割って入る。

「まったく!白太何回脱走させてるんだよ!?首輪勝手に脱いじゃうなら、買い換えたらどうだ?」

「…えへへごめんね?」

「わん!わん!」

 梅吉と末恵の間に白太が割って入った。梅吉お部屋から玄関まで降りてきて、末恵に飛びつくと、抱き上げてもらい、激しく尻尾をふった。

「よしよし、白太。」

 末恵は白太を抱き上げると、梅吉の顔を見てじゃあねと言って去って行った。

「ちょっと、物言いがキツく無かった?」

 玄関のドアが閉まってから、武仁が梅吉に聞いた。

 梅吉はまた口をへの字に曲げていた。

「アイツには、あのくらい言わないとダメなんだよ。」

 梅吉はそういうと、足早に自分の部屋に戻った。

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