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トウトウトゲドロボウ  作者: 染必至(そめぴつじ)
本編
6/18

眠姫

 あおい、あおい、景色が広がる。

 太陽パネルの付いた柱に照らされ、まるいアーチの中を、青いチューリップが段々畑になって咲いていた。

 円形上の四方向の合間に、水が流れている。

 上から下へ音もなく、暗い中を水が流れ、一番底辺の丸井円形上の床下まで流れていた。

 白雪は水の流れに沿い、一番下まで降りると、帽子とサングラスを取り、当たりを見上げた。

 一面に咲く青いチューリップ畑と、最下部中央に置かれた黒い何か。

  白雪はここに来てやっと息を抜ける気がした。

ここでは、自分を隠すための帽子も、サングラスも必要なく、本来の自分でいられるような気がするからだ。

 上着も脱いだ白雪は、紺のノースリーブと、黒いタイトなパンツという身軽な姿。

 白雪の白髪短髪の髪が小さく揺れる。

 普段両目が隠れる程伸ばした前髪を、白雪はかきあげた。

 はっきりと見開かれた、凛とした目が現れる。

 白雪は手荷物を片手に、中央の黒い何かに大股で歩み寄った。

 それは、黒いビロードの布の敷かれた長方形の何かだった。

 白雪はその長方形の前にに片膝を着き、大切そうにその表面を撫でた。

 そして上部にキスをし、その上で肘を着くと、両手を握り、目を閉じた。

 何を祈っているんだろうか?

 何を感じているんだろうか?

 何故こんなところに一人でいるんだろうか?

 その白雪の後ろ姿を、こっそり柱の影から見ていた梅吉達は、言葉も出ない。

 暫くして、白雪は徐に立ち上がり、呼吸を整えると、大きく手を広げ、歌を歌い始めた。

 細く、引き締まった無駄のない腕は、大鷲の翼のようだ。

 胸から開かれた両手の指先から力強さを感じる。

 古代の円形闘技場を模した建築の壁は、下から上へ、円が上へ上へと膨らんでいく構造をしている。

 その丸く覆われた壁の中、白雪の凛とした歌声が、螺旋を描きながら、上昇し、ふるえるよううに響いた。

 その声には 祈りが籠っていて、梅吉達がPVで聴いた白雪の歌声とは何処か違っていた。

 梅吉達は階段の最上部の柱の影に隠れ、その歌に聞き入っていた。

 三人から白雪の顔は見えないが、しっかり心を奪われてしまう。

 今、白雪はどんな顔をしているんだろうと、梅吉たちは身を屈めたまま、前のめりになった。

 そしてその時。

「うわっ!?」

 武仁と末恵が前のめりになった事で、二人の前でつま先で屈んでいた梅吉が、躓いて階段を数段転げ落ちてしまった。

「誰かいるの?」

 白雪に気付かれた。

「お、おれ…。」

 梅吉は頭を掻きながら立ち上がろうとした。

「何だ、あんたね。」

 白雪は梅吉が自分が誰か答えきる前に、そう言って背を向けた。

 歌い終わったのか、また黒い箱のような何かの上に腰かけ、それを眺めている。

 白雪の姿を見たまま、すっとんきょな顔をする梅吉。

 どうやら、白雪は自分と誰かを間違えているようだ。

 チューリップの段々畑部分は柱のライトに照らされ、煌々と輝いているが、そうでな部分は、深い暗闇で覆われていた。

 こんな秘密の地下みたいな場所、関係者以外そうそう入って来ないだろうし、顔見知りの誰かと勘違いしても、勘違いされても可笑しくは無いだろう。

 (ラッキー)

 梅吉は心で呟きながら、階段の一番下まで歩み出た。

 そんなやたら肝の座った梅吉の様子を、柱の影から見守りながら、末恵と武仁は顔を合わせ、呆れた顔をする。

 梅吉は一番下まで降りたものの、どうしたら良いか分からず、影の中でたじろいだ。

 ふいに、白雪が梅吉の方へ振り向く。

「何よ?」

「お姉さんは、こんなところで何をしているの?」

「何って、妹に会いに来てるんじゃない。」

 白雪は腰かけたまま、腕を組んだ。

「あんたこそ、こんなところで何してんのよ、他の七匹はどうしたの?」

 (七匹?七匹と言うと、犬か猫か?)

「うん…、今七匹は散歩中。」

 梅吉は勿論、何の事だかさっぱりわからなかったが、バレたら大変そうなので、ここは適当に話しを合わせておくことにした。

「白雪の姿が見えたから、ついてきちゃった。」

 梅吉は歯を出しながら笑う。

 言われて面食らった様子の白雪。

(嘘を誤魔化すには、少しの真実を混ぜ合わせる事が秘訣。)

「私の歌なんか、何時も聞いてるじゃない、変な子ね。」

 白雪は抑揚の無い声で言うので、照れているのか、白けているのか、いまいちよくわからない。

 他人の嘘が見抜ける梅吉から見て、現時点で彼女は、自分に対して何かしらの嘘はついていない。

 それは、自分をどっかの誰かと勘違いしているからだろう。

 と言う事は、梅吉と背格好の似た誰かと言う事になる。

 この暗がりでの人違いなので、どの程度似通った人物かは定かでないが。

「あんたも、随分大きくなったわよね。まるで普通の人間みたい。」

「え?お、おう。」

 梅吉には勿論何の事だかさっぱり分からなかった。

「青い妖精がニュースになった後からかな、あんたよく喋るようになった。」

「そうかな?」

「自我が芽生えたみたい。」

 白雪が立ち上がり、梅吉に近づこうとした。

「き、っきゃあ…!」

 白雪が梅吉に近づこうとした時、階段の一番上で隠れていた末恵が転んで床に手を付いた。

 しかし、それは最初梅吉と一緒に隠れていた場所でなく、そこから90度離れた場所だった。

「痛たた…。」

「唱川さん、大丈夫?」

「えへへ、膝立ちが辛くなっちゃって、転んじゃった。」

 転んだ末恵の肩に武仁が手を差し伸べた。

「うん、平気ありがとう。」

 末恵は武仁が手を差し伸べると、直ぐに立ち上がった。

「あなたたち、誰?」

 白雪のが低い声で末恵に向って声を放った。

 末恵が前に歩み出て、花壇と花壇の合間に立った。

 武仁もその後に続く。

 二人の姿が、ライトアップされた青いチューリップと一緒に露になった。

「ご、ごめんなさい、もしかして歌手の白雪さんかと思って後を追ったら、こんなとこに来ちゃって…」

 末恵はその場で深々と頭を下げた。

 武仁も続いて深々と頭を下げる。

「ごめんなさい。」

 白雪は口ごもった。

 素直に頭を下げる二人を見上げながら、何か考えあぐねていた。

「いいわ、ここの事は誰にも言ってはいけない決まりなのよ。言ったら罰が当たるからね?」

 間々あって、白雪が口を開いた。

「何で罰が当たるんですか?」

 末恵は思わず聞き返してしまった。

「ここは、礼拝堂なの、生まれなかった命達の。ここには生まれなかった命の分、青いチューリップが植えてある。」

「チューリップの花言葉が「思いやり」だからですか?」

 また末恵が白雪に尋ねた。

 白雪は末恵の顔を一瞥した。

「ご、ごめんなさい。」

 また頭を下げる末恵。

 勝手に忍び込んで来たくせに、ずけずけ質問してしまったと、反省する。

「…そうよ、思いやりがあるなら、しっかり眠らせてあげて。」

 白雪は末恵がしょんぼり頭を下げるのを見ると、顔をさげてから、そう言った。

 そこには真摯な願いがあるように見て取れた。

「わかりました。」

 末恵が答えた。

「…僕も、決してここが公表されるような事はしません。」

 武仁も遠慮がちに後から続いて答えた。

「ふっ、あなた大人びてるわね。」

 白雪は顔だけ二人に向けて微笑んだ。

 そして、上着を持って、階段を俊足で駆け上り、末恵の目の前に立った。

 一陣の風が吹き抜けるように、一瞬で自分の目の前に立った白雪に、末恵はあわあわしてしまう。

「これあげる。」

 白雪は自分の上着から薄い財布を取り出すと、中からチケットを数枚取り出し、末恵に差し出した。

「わぁ、ありがとうございます。」

 末恵は笑顔でチケットを受け取ると、それを自分の胸に宛がい心底嬉しそうに微笑んだ。

 その屈託のない笑顔に白雪の口元も緩む。

 武仁もめっぽう単純な末恵に苦笑いしている。

「あんた、二人を送ってあげなさいよ。」

 白雪が梅吉にぶっきら棒に言った。

 まだ誰かと勘違いしてるようだが、梅吉たちには好都合だ。

「やだぁ、メンドクサイよ。どうやって送れっていうの?」

 梅吉はちょっとワザとらしく駄々をこねた。

「…全く、本当に自我が目覚めて来てるのね。普通にエレベーターの一階ボタンを押せば、戻れるでしょ?」

 白雪は今度は本当に呆れた顔で梅吉に言った。

 (本当に、俺を誰と勘違いしてるんだろ?)

 梅吉は思いながら、暗がりの中白雪を見返していた。

「わかったよ。行けば良いんだろ?行けば。」

 梅吉はそう言いながら、影の中白雪に背中を向けると、階段をさっさと駆け上り、その先へかけていった。

「お前ら、ついて来いよ!」

 梅吉の後を、末恵と武仁は追いかけて行った。

「ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」

 末恵と武仁が階段上部に着くと、一度立ち止まり、白雪に手をふった。

「エレベーターの中のモノ、外に出しといてよね!」

 白雪は誰かと間違えているだろう、梅吉の背中に声をかけた。

「はい!はい!はい!はい!」

 走りながら梅吉は答えた。

 歯を食いしばり、両腕を大きく降っていた。

 (急げ!急げ!)

 梅吉は急いでエレベーターの処まで走ると、何度も一階のボタンを乱暴に叩いた。

「そんなに叩くと壊れちゃうよ。」

 梅吉の耳元に屈んで末恵がぼそぼそ声で注意した。

「うっせ!」

 突然不意を衝かれ、耳を真赤にする梅吉。

 末恵は口を曲げて黙った。

 エレベーターが開くと、梅吉は急いで中のカートをエレベーターの外へ出そうとした。

 しかし、カートは動かすと、からからからから、ガラスがぶつかり合う音がした。

 梅吉は一度立ち止まった。

 その梅吉の両脇に末恵と武仁が立ち、カートの持ち手に並んで手をかけた。

 無事、丁寧にカートをエレベーターの脇に置き、三人はエレベーターに飛び乗り、自動ドアが閉じると同時に床に大きく息を吐いた。

「「「はああああああああ~。」」」

 エレベーターは通常運航で上に上がっていく。

「末恵大丈び?」

「唱川さん大丈び?」

 梅吉と武仁が末恵に言った。

 末恵は二人の顔を睨み付けた。

 睨み付けてはいるが半分顔が笑っている。

 エレベーターの中に笑い声が響いた。

「末恵、さっきわざと転んだだろ?」

 エレベーターの外へ出ると、梅吉が末恵に振り返り言った。

「だって、ウメちゃんの嘘がバレちゃうと思ったから。」

 もじもじする末恵。

「ねぇ、それよりこれ!三人で行こうね!」

 末恵は嬉々としてチケットを掲げた。

 末恵の図太さに肩を落とし、半笑いになる梅吉と武仁。

「それより、梅吉あんな嘘ついて大丈夫だったのか?」

 武仁が手のひらを広げ、梅吉に尋ねた。

「嘘って言うか、あっちが先に勘違いしてたんだけどな。」

 悪びれない梅吉に武仁が呆れ顔になる。

「誰と、勘違いしていたんだろうね。」

 末恵が、口元に拳を宛がいながら呟いた。

 三人は黙り込んだ。

 その誰かを推測するだけで、何か途轍もなく悪い事に繋がりそうだとそれぞれが感じていた。

 エレベーターは数分後一階に着いた。

 エレベーターが開くと、もう、既に外は暗くなり、薄暗い木製の院内が、更に暗くなっていた。

 エレベーターは三人が降りると、さっさと四階へ向ってしまう。

 昼間より暗闇が重い。

 限られた照明器具の一つが、低い天井の下、宙で異音を発していた。

「さっさと帰ろうぜ。」

 梅吉の言葉に末恵と武仁が無言で何度も頷いた。

 三人は足早にその場を後にし、受付に向った。

「まぁ、でもチケット貰えたし、生の歌声も聞けて、すっごいラッキーだったね。」

「お前って、ホント呑気だよな…。」

 朗らかに笑う末恵に、また梅吉が呆れた顔をした。

「まぁ、そこが唱川さんの良いとこだよね。」

 武仁が二人の間に入り、取りなしす。

「ふん」

 梅吉は実は末恵があの円形状の広場で顔を出した瞬間、心底冷や冷やしていた。

 それはもう、心臓が口から飛び出るかと思うくらい、彼女に何かあったらどうすれば良いのかと、全身に冷や汗をかいた。

 そんな事をつゆ程も知らず、末恵は武仁と仲良く並び立ち、自分を助け、ちゃっかり白雪にチケットまで貰ってしまったのだ。

 そんな彼女の図太さが恨めしいくもあり、酷く可愛いとも想える。どうしようもなく振り回されてしまって悔しい梅吉だった。

 そのせいか感謝の言葉を言う代わりに、恨み言を言ってしまう。


★★★ ★★★


 一方、円形上の礼拝堂に白雪はまだいた。

 今朝あった事を腰かけた長方形の何かに向って話し終えると、階段を上り、エレベーターの前まで歩いた。

 そして梅吉達が外に出したカートに手をかけようとした。

 調度その時、エレベーターが着地音と共に開いた。

 中から白雪と同じような、小さな黒づくめの人物が現れた。

 背はいささか低く、150センチくらいだろうか。

 そして、夏だというのに、大きな黒いジャンパーを羽織っている。

 Sサイズの人がLLサイズの服を来ているみたいになっていた。

「ああ、戻って来たのね。」

 白雪がその人物に声をかけた。

「…うん。」

 間々あって相手は答えた。

「良かった、一人じゃ大変だもの。」

 そう言うと、白雪はカートをゆっくり、階段の端に向って押した。

 その横に、小さな黒づくめの人物が並び立つ。

 二人はカートをエレベーターから一番遠い柱の横に着けると、上に被せた布地を取り、乗せられた簡易ベットを退かせた。

 カートの上にはガラス瓶が三段積み重なっていた。

 中にはホルマリン漬けの胎児が入っていた。

 白雪たちはその瓶を持って各々花壇の前に座り込むと、ゴム手袋を付け、瓶の中身を丁寧に両手で救い出し、青いチューリップの花弁の中へ入れた。

 胎児を青いチューリップに入れ、数秒すると、チューリップが信号のように点滅し、そして何事も無かったように元に戻った。

 白雪と、小さな黒づくめの人物は、階段の中段の花壇でその作業を行った。

 右から左へ、一つづつ丁寧に、その作業を行った。

 全ての胎児を入れ終わると、タオルで手を拭きながら白雪は喋り始めた。

「もう、大分空きのチューリップが無くなったね。」

「…今、生れてくる子より、多いらしいから。」

「そうなんだ。」

 白雪はそれを聞いて小さく俯いた。

「…ごめん。」

 小さな黒づくめの人物は白雪の顔を見て、はっとし、謝った。

「はは、何であんたが謝んの?」

「…。」

「本当に、自我が育ってきてるね。」

「そうかな?」

「そうだよ。」

「そっか」

 二人の笑い声が礼拝堂に響いた。

「それより、こんな処でくらいその上着脱いだら。」

 白雪の言葉に一瞬躊躇したものの、言われた相手は上着を脱いだ。

 白雪の前に立っていた少年は、まだ十代後半と言ったところ。 

 白雪は相変らず普段の無表情だったが、その顔をじっくり正面から見ると、彼の頭を優しく撫でた。

 そして、何の感慨も無かったように、さっさと階段を駆け降りた。

 そして中央の黒い箱のような物に近づくと、クロのビロードの布を勢いよく剥がした。

 そこには、ガラスの棺があった。

 中には真っ白なプリーツの袖付きのマーメイドラインのドレスを身に纏った、女性が横たわっている。

 ガラスの中の女性は、白雪と同じ顔をしていた。

 髪は黒髪で長髪だが、その顔かたちは瓜二つ。

「輝夜」

 白雪は棺の中で眠る彼女にガラス越しに寄り添い呼びかけた。

 輝夜は白雪の双子の妹だ。

「もう少しで、準備が整いそうだよ。」

 白雪は妹の寝顔の頬に手を添えるように、ガラスの棺の蓋に手を這わす。

「また、新入りの子が入ったから、一緒に子守唄を歌ってあげようね。」

 白雪はそう言うと、輝夜が幼い頃好きだった歌を歌い始めた。

 白雪は歌いながら、輝夜と一緒に『プリンセス事務所』に訪れた日の事を思い起こしていた。

 今あの頃の事を思い起こしても、本当はどうすれば良かったのか、本当はどうすれば正しかったのかというのは、白雪には分からない。


 白雪と輝夜の二人は父子家庭に育った。

 物心つくと、もう母親はいなかった。

 父は何時も朝早くに仕事に出て、夜遅くに帰って来た。

 食事は買い置きのセール品シールの付いた、お弁当だった。

 生活費は何時も適当に渡されていた。

 祖父母というものにも、親戚というものにもあった事が無い。

 そんな輝夜と白雪の楽しみは歌う事だった。

 昔、父が若い頃使ってたであろうギターを白雪が何時の間にか演奏できるようになっていた時は、普段仏頂面の父親も頬を緩めた。

 二人が年頃になると父の友人だという男たちが、自宅に夜中に遊びに来るようになった。

 ある日、中学から白雪と輝夜が帰ると、男たちが自分達の家の前にたむろしているのを見た。

 輝夜は意を決し、白雪に言った。

「逃げよう」

 こうして二人は、財布を空にして、地方から上京し、『プリンセス事務所』へ来た。

 『プリンセス事務所』が若手育成の為に、寮の費用やレッスン費を無料にしている事を、以前にテレビで知っていたからだ。

 勿論、その『プリンセス事務所』が実際はどういう場所なのかは、二人は全く知らなかった。

 白雪は過去を思い起こしながら、この世の理不尽さを呪った。

 理不尽は何処向うだろうか?

 理不尽さから生れた邪気は何処へ行くのだろうか?

 誰も知らない無の空間へ行くのだろうか?

 投げ捨てられた空き缶みたいに、吐き捨てられた罵倒は、見えない何処かへ行って消えてしまうのだろうか?

 決してそうでは無いだろう。と、白雪は思った。

 理不尽さや、誰かが発した罵倒は、より立場の弱いモノへ、仕返しのする事のない存在へ向う。

 それが当たり前だという人もいる。

 その人がそういうキャラクターだからとか、そういう運命だからとか、その人が理不尽な目に合う事を、あたかも社会の理のように捉えている。

 誰もがそこに見て見ぬふりをする。

 白雪は世の中の”そういう”がとても嫌いだ。

 分かって当然というような、抽象的な言葉の意味を汲み取らせて、善人と悪人を配分してるような、臭いものに蓋をしてるような、そういうものの”そういう”がとても嫌いだ。

 そうやって白雪の双子の輝夜も蓋をされ、無視され続け、存在を消されていった。

 少なくとも、白雪はそう考え、感じている。


 考え事をしている間に白雪は歌ってる歌が終わりそうな事に気が付いた

 歌い終わると、白雪は大きく息を吐いた。

「結局、大飢饉や戦争や、大きな天災が世界を襲わない限り、世界は変わらないんだよ。」

 独り言というには辛辣な、誰かに語ったとするには独りよがりな、そんな言葉を吐いた。

「だったらそれを私が起してやる。」


★★★ ★★★


 一方で、白雪がそうこう地下で何かをあれこれしてるうちに、梅吉と武仁と末恵の三人は、病院の受付を通り、既に最寄駅に辿り着いていた。。

 病院最寄りの賀屋ヶ谷駅には『がやがやモルジアナ商店街』がある。

 沢山のお店が立ち並び、何時でもがやがや賑わっている賀屋ヶ谷。

 カフェから、呉服問屋、海外玩具やパワーストーンの専門店まで様々な店が商店街を賑わせている。

 現在半分以上を大手チェーン飲食店に侵食されて尚、何処か下町気質を醸し出していた。

 梅吉達の住まう七奈区に隣接した、並々区にある庶民の町の見慣れた景色だ。


 このモルジアナ商店街は、数十メートルの高い屋根に囲われ、雨の日も傘無しでお買い物が可能。

 七夕祭りでつくられた大きな張りぼてが、商店街の上空に吊るされている。

 それらは、良く知られるアニメや絵本のキャラクターだったり、動物や時にはお酒の瓶だったりした。

 どれも、見上げて笑顔になれる。

「俺、こんなん始めてみた!」

「良かったね!ウメちゃん!」

「タケは見た事あったか?」

 梅吉と、末恵が武仁の顔を見た。

 張りぼてを見上げた武仁のその顔には、喜びよりも、悲しみが見えた。

 武仁の顔を見つめたまま、押し黙る二人。

 武仁は幼い頃に母と二人で、賀屋ヶ谷駅の七夕祭りに来た事があった。

 その時はは母にひよこ柄の浴衣を着せてもらった。

 母も白地に紫陽花の絵の入った浴衣を来ていた。

 自分に綿あめを買ってくれた時お店の人が「美人なお母さんで良いね!」と、誉めてくれたのを、今でも覚えている。母は手に頬を当てて、嬉しそうに、恥ずかしそうに微笑んでいた。

 武仁の思いを知る由もなく、多くの人が商店街の中を行き交い、絶え間なく話し声がした。

 がやがや、がやがやと世話しない。

 しかし、どこも活気に満ちている。

 大きな商店街の屋根の下、小さな子どもに、学生、自転車を手押しする主婦や、店前に立つおじさん。談話するマダムたち。仕事帰りのサラリーマン、てんでばらばらな人々が、商店街の活気を一つにしていた。

 苦しみも、悲しみも、この世話しない雑踏の中にかき消されて、無かったことに出来そうだ。

 武仁はこういう賑やかな場所に包まれていると、先刻見た武仁の母の冷酷さも、一時的なもののように思るのだった。

(今日の事を、手放してしまう事は出来ないだろうか?)

 武仁は自分の中で自分に問いかけた。

 抱きかかえて行くには思い荷物だ。

 捨ててしまえれば良いのにと、武仁本人んも思う。

 しかし、あった事は、なかった事には出来ない。


 武仁は優しい。それだけでなく強い。

 だけど、それだけでは幸せになれないようだ。

 それをよくわかっていて、どうしてこうして、なにも出来ない自分にやり切れない気持ちで梅吉は武仁の横顔を見ていた。


「なぁ、何か喰ってこうぜ?」

 張りぼてを見上げたままの武仁に梅吉が声をかけた。

「そうだね。たまには喫茶店とか入りたい。私お母さんに電話してくる。」

「俺もクマに伝えなきゃ」

 武仁の返事を聞く前に、梅吉も末恵も商店街の端の小道に対比し、スマホを取り出した。

 ささっと、報連相を終わらせ、武仁の横に戻る。

「何食べよっか?」

「武仁君何食べたい?」

 自分は良いと言ってないとか、何時の間にか末恵が下の名前で呼んでるとか、色々突っ込みたい事はあったが、そんな気力もない武仁だった。

「じゃあ…冷静スパゲティが食べたいな。」


 三人は商店街を練り歩きながら、それらしい喫茶店を探し、結局チェーン店の外れ無さそうな店に入った。


 中ではパンも売られている。


 梅吉と末恵は店内に並べられてパンに目を奪われ、右往左往し、中々レジに迎えないでいた。

 

 レジに立っている中年の女性が渋い顔で梅吉と末恵を眺めている。


 パンを選び終わり、レジに並ぶと梅吉と末恵はまた飲み物やサイドメニューに気を取られ、中々会計を済ます事が出来なかった。


 先に冷静スパゲティを注文して席取りをしていた武仁も心配で荷物を置いて二人を見に来た。

 

 レジの中年の女性はむっとした顔で、素っ気無く会計をした。


 三人がレジの前を去ろうとすると

『バシンバシン』

 と派手な音がした。

 それはレジの前の中年の女性がトレイを拭いては、他のトレイに重ねていく音だった。

 どうしてそこまで派手な音を立てるのか分からないが、不機嫌なのは感じ取れた。


 三人は早く席に着こうと、そそくさとその場を後にしようとした。

 すると、

「ちょっと!あなたうるさいわよ!席まで響いて来てるじゃない。」

 少し中老の小太りの女性がレジの内側にいる中年の女性を叱咤した。

 中年の女性は目を丸くして驚いて、愛想笑いで小さく謝っていた。

「何でそんな事したの?」

 中年の女性がまた臆せず、しかし意地悪くもなく言葉にした。

 カウンター越しにこんなに話しかけられる何てとても強い。

 梅吉は席についた後、店内を見るふりをして、レジの様子を見に行った。

 中年の女性は何も言わずしゅんとうな垂れていた。

 

 それとは別にカウンターの後ろで、ほっとした顔をする学生っぽい女性定員と正社員っぽい男性店員がほっとした顔をしていた。

 もしかしたら、あの中年の女性はもともと機嫌が悪くて、だけどそれを店の誰も注意出来なかったのかも知れない。

 

 (お局も使いどころだよなぁ。)


「梅吉何してんだよ。食べないのか?」

 武仁は自分のところに注文した冷静スパゲティが届いたと同時に、梅吉を呼びに来た。

「わるいわるい。」

 梅吉は今度は素直に席に戻った。

 

 三人が席に着くと、武仁は、麺をフォークに絡めながら話した。

「ああいう、商店街のマダムがここら辺の平和を守ってるんだよ。」

「どういうことだ?」

 梅吉は言葉の意味が良く分からなくてきょとんとした。

「私もお母さんに聞いた事ある。賀屋ヶ谷のモルジアナ商店街では古参のマダム達が声を掛け合う事で、独自の包囲網を張っていて、おかしいお店が入らないようになってるんだって。だから、この商店街には、チンピラもホームレスや疾しい心を持った人は昔から入れないって…」

「何かちょっとそれは恐いんな…」

 梅吉は噂と聞くと余り良いニュースが無い様に思えた。

「まぁ、末恵さんのお母さんの話はちょっと飛躍があるように思うけど…フェイクニュースを凌駕するのは、何時だって実際に足を使って人付き合いして、生の情報を持ってるマダム達だよ。」

「そっか、ちゃんと尊ばないとな。」

 梅吉には何故あの中老のマダムがわざわざ中年女性の定員を注意しに行ったのかいまいち分からなかった。

 確かに不快だったが、自分から関わると怨まれたり、知らんふりされ更に腹が立つ自体になるかも知れない。

 何だか良く分からないが、賀屋ヶ谷のマダムに畏怖の念を覚えた梅吉だった。


 選び抜いたパンを加えながら梅吉は向かいの武仁の顔を見た。

 さっきまで憂鬱そうな顔をしていた武仁が少し憑き物が落ちたような顔になっていた。

 

 (ああいう、ダメな事はダメってただ言ってくれる人がいるだけで良いんだよな。)


 武仁の母にも、そして梅吉の母にもそういう風にダメだと止めてくれる人が居なかった。

 いや、もしかしたら昔にそういう人と疎遠になってしまったのかも知れない。


「何だ欲しいのか?あげなけど。」


 梅吉は自分を見つめ返した武仁の皿のミニトマトをひょいと人差し指で摘み上げ食べてしまった。


「「ああっ!」」っと武仁と末恵の声が重なり、梅吉は満足気に微笑んだ。



 





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