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トウトウトゲドロボウ  作者: 染必至(そめぴつじ)
本編
3/18

親指姫 中編

 武仁の母の不倫相手が奇怪な出来事に出くわしていた頃。 

 梅太郎達の自宅の近くの喫茶店で結女子は青年刑事と一緒にいた。

 店内の壁を隔てた奥の席を選んだので、カウンターに話声が聞こえる事は無いだろう。

 平日の喫茶店には、客は数名しかおらず、照明を落とした店内で、コーヒーに合ったジャズが心地よく流れていた。外の雨音と共に穏やかな静寂を演出している。

「突然、連れ出してしまってすいません。私はこういうものです。」

 改めて警察手帳と名刺を出された。名刺の渡し方が丁寧で育ちが良い事を思わせる。

 手渡された名刺には端っこにネギが描いてあった。

「わたくし、九条(くじょう) 智義(ともよし)と、もうします。勿論本名ですよ?」

 きっと、名刺に描かれたネギのイラストに突っ込んで欲しいのだろうな。と、思いながらも、あえて結女子は形式的に名刺をテーブルの端に置く。

 姿勢を正し、手に膝を置く態度で、この関東の女性には突っ込んで貰えないと九条刑事は悟った。

 九条刑事は、ちょっぴりがっかりして肩を落としている。

「私に聞きたいこととは何でしょうか?」

 語気に怒気がある。

 結女子は見目好く、お喋り上手な青年を目の前に、あえて真っ直ぐ背筋を伸ばし、席に腰かけている。

(こういう人は、上手く雰囲気で話を自分の都合の良い方に流すからな。)

 九条刑事は結女子の目を見て、小手先のコミュニケーションでは結女子の警戒心を解けない事を悟った。

 ここで大概の女性は九条刑事の人好きしそうな整った容姿と服装や、職業とのぎゃっぷ、「きゃー刑事さんってもっと恐い人かと思ったぁ!」とテンションと声を高め、警戒心を緩めてくれるのだが、目の前の女性は一向に無表情を決め込んでいる。

 九条刑事は溜息をつくと、愛想笑いを止め、真面目な顔で話し始めた。

「ご存じでしたか?先ほど変な叫び声が聞こえたと通報があって、あんな野次馬が出来ていた。

 あの家の奥さん。水原

恵さんと同じ音楽事務所に所属していたらしいですよ。まぁ大分昔の事ですけどね。確か、『プリンセス音楽事務所』でしたっけ?」

 愛想笑いが薄れた九条刑事の物言いは、少し小馬鹿にした口調だった。

「私がいる近所で、二件もおかしい事件が続いてるから、私を疑っているんですか?」

 結女子は九条刑事の紆余曲折の有る物言いを、ガン無視して率直に告げた。

 九条刑事は目を見開いて、しばしあっけに取られた。

「…いやあぁ。犯罪行為を行ってるとまでは特定できませんよ?何らかの形で事件に関与されているのでは無いか、わたくしとしては心配してる次第なんです。」

 再び愛想笑いで取りなしながらも、九条は結女子の気の強さに内心少々慌てふためいていた。

 ぱっと見、幸薄そうな結女子を雰囲気に流され安いタイプだと踏んでいたのだ。

 結女子は目を伏せ、膝の上で重ねた両手に力を込めた。

 目を閉じ思考に集中する。

 目の前の初対面の女が突然目を閉じて黙り込んでいるので、何事かと九条刑事は思ったが、今身動きすることは許されないと思えた。

 九条刑事は何とか有益な情報を結女子から得る為に、彼女を自分のペースに持ち込みたいところだった。

 しかし、顔が良くお喋り上手なだけでは、結女子の機嫌は取れないようだった。

 先の事件で怪しげな痕跡を現場に残して起きながら、警察と言うものに圧力を感じている様子もない。

 寧ろ、警察への嫌悪さえ読み取れる。

 友人の疾走直後、相談を持ちかけて来た結女子に警察が彼女が望むほど誠実には、取り合わなかったせいかも知れない。

 鼻から信用されていないなら、雰囲気で相手を流すのは難しい。

 圧力をかけて言う事を聞かせれば、彼女は正面突破で反論してくるだろう。 

 ならば、どうすればいいかと言うと、こういう場合誠実さを示す他ならない。

 相手のペースに合わせて、着実に信頼を得る。

 結局小手先で人を扱う事で得られるモノなんて無いと智義は知りえていた。

 多少で良いから信頼を得て、そして隙を見て、または折を見て情報をお伺いする。

 (時間がかかるな。まどろっこしい。)

 九条刑事は薄笑いを浮かべたまま、胸の内でぼやいていた。

 静かな二人の間の空気に反し、窓に打ち付ける雨音が次第に強くなった。

 一分経っただろうかというところで、結女子が目を開けた。

 「私があなたの足になりましょうか?」

 思わぬ申し出に、野心に満ちた眼で九条刑事はにたりと微笑んだ。

 外で雷の音が落ちた。年若いウェイトレスが短く叫ぶのが聞えた。

 彼の整った顔が雷の光で陰る。

「ふふふ」

 猫かぶりの外れたそ表情に、結女子は初めて彼に微笑み返した。



 一方クマは先原颯斗の自宅に着いていた。

 クマの自宅の最寄り駅から6分先の駅で、最寄から歩いて20分。

 クマの走りだと7分で着いた。

 颯斗に電話したのに、突然途切れてしまってから、ずっと応答がない。

 胸騒ぎにせかされてクマが先原マンションに向かうと、マンション裏、外の螺旋階段で颯斗が気絶してるのを発見した。

 急いで階段を登り、駆け寄ると、颯斗は放尿したまま気絶していた。

 クマは自分のかけた電話がそんなに彼を当惑させたのかと、一瞬困惑したが、取り合えずこのままではいけないと思い直し、彼を担いで部屋に向かった。

 颯斗のポケットから鍵を拝借し、中へ入り、何も異常が無い事を確認すると、彼を着替えさせ、ベットに横たえてやった。

「熱は無いな。」

 クマはまるで母親がする様に、颯斗のおでこに手を当てた。

 暫くして、颯斗は目を覚ました。

 颯斗は目の前にいるのがクマだと分かると泣き始めた。

「…あ”。」

「颯斗、何があったんだ?」

「…え”!」

 颯斗は必死でクマに話そうとしたが声が出なかった。

 本人も今気づいたと言う様子で驚いている。

 天井に向って叫んでも空気が体内から漏れる音がするだけだった。

「もういい、もういい。落ち着け。」

 クマに肩を掴まれ颯斗は声を出そうとするのを止めた。

 自分の手を握りしめ悔し気に泣き始めた。

 クマは暫く何もせず、そのまま颯斗のベットの横に座っていた。

「また来る。何かあったら連絡入れろ。」 

 一時間程たってようやく颯斗が落ち着いたところで、クマは立ち上がりそう言った。

 目を真っ赤に腫らした颯斗は二三度強く頷いて答えた。


 クマは颯斗の自宅から帰りがてら、車窓に映る自分を睨み付けた。

 (自分が世話をしてやるから、うちの会社に来いと言ったのに何て体たらくだ。)

 クマはもっと事前に自分が声を掛けていればと後悔した。

 クマは颯斗がスポーツクラブの女性の何人かと、デートをしている頃から心配はしていた。

 しかし、恋愛と言うのは本人たちの自由であり、自己責任だ。

 口出しするような事は、してはいけないと思っていた。

 また、クマは以前から颯斗が一部の同性から嫌われる傾向にあるのを知っていたので、少し異性にちやほやされる機会があってもいい様に思えたのだ。

 それがまさか、人妻と関係を持つまでになるとは思っていなかったのだ。

 走って颯斗の家に向った以外、それ程動いてもいないのに、クマは疲労困憊で、背中に見えない重石でも背負ってるように、項垂れていた。

 クマの重苦しい溜息に、周りの乗車客は一瞬飛び上がったり、またはコソコソ話しながらクマを見ていた。

 クマの周りには半径1メートルの空間が出来た。

 電車が目的地へ着くと、やっとクマは胸を撫で下ろし、ホームへ降りた。

 表情は変わらないものの、帰宅を目前にしたクマの足取りは軽くなっている。

 クマの脳裏にあるのは、梅吉と結女子の笑顔だ。

 ホーム階段へ向う。と、目の前のベンチから男が立ち上がり、まだベンチに座っていた女の手を引いた。

 その女は結女子だった。 

 結女子が見目の良い好青年に手を引かれ、トランクを片手に、車両へ吸い込まれる様に入っていった。

 突然の事にクマは挨拶をする事も声をかける事も出来なかった。

 一方結女子はクマがいた事にも気が付かづ、九条刑事と行ってしまった。

 自分から協力を申し出たものの、半ば強引に今日中に宿泊の用意をし、自分の処へ来るように言われ、少々気負いしていた。

 気負いした手を、お姫様をエスコートするように、引いた九条刑事は至極嬉しそうにしていた。

「良かった、間に合わないかもと、思っていたんです。」

 その「間に合わない」と言うのは、結女子がこの電車に乗れた事を示している訳でない。

 それは、結女子にも分かった。

 可愛い九条刑事の笑顔を睨み付ける結女子。

「お給料はちゃんともらいますからね?」

 微笑み続ける結女子に九条刑事は軽く笑うだけだった。

 クマが家に帰ると梅吉はいなかった。

 スマホを見ても、梅吉からの連絡は入っていない。

 時刻は20時。普段なら梅吉は夕飯を食べ終えている時間だ。

 クマはメッセージで「何処にいるんだ」と梅吉に送った。

 クマのスマホは梅吉のスマホの位置を確認できるようになっているので、聞く必要は無いのだが。

 ラインで連絡するように打ってから、クマは残り物の冷や飯で簡単にチャーハンをつくり梅吉を待った。

 しかし、一向に連絡は来ない。

 仕方なくGPSを確認し、梅吉の居所を地図で辿った。脳裏で地図と実際の道の情景を重ね合わせる。

 すると、辿った先が昼間に事件のあった家である事が分かり、クマは眉間に皺およせた。

 クマは親代わりとして、梅吉を危ない事に巻き込ませたくは無い。

 特に、警察と関係する事を極力避けさせたかった。

 今後は過去と違った穏やかな人生を少しでも過ごせるように。

 しかし、何故なのか、クマの思いに反するように、夏になってから、梅吉は何処か楽しみながら人様の問題事に首を突っ込んでいる。

「お前みたいな人間が、一番利用されやすいんだぞ。」

 クマはライン画面に表示された梅吉に向って吐いた。

 その写真はまだ梅吉が施設に居た頃のモノで、撮影者に向って鋭い目つきで向き合い、今にも噛みつきそうな勢いのある顔をしている。

 その画面を眺めていると、クマの思いに答えるようにスマホが震えた。

『たったら~、たったたぁ~たったら~♪』

 すっとんきょな着信音は以前、梅吉専用で設定したものだ。

「今何処にいるんだ。」

 普段低いクマの声が更に低く響いた。

 スマホ越しに思わず肩を逆立てる梅吉。

「ご、ご、ご、ごちそうさま。」

「いや、何でだよ。」

 横にいた武仁が思わず梅吉に突っ込んだ。

「いやいや!ごめんなさい!」

 スマホ越しのクマの無言の圧に、梅は身を縮こまらせる。

「昼間、パトカーが何台も来ていた家にいいるんだな。」

 間々あってクマが喋った。

 普段聞き慣れているハズのクマの声は、電話越しだと、重く低く、身体を芯から揺るがす冷たい熱がある。

「いや、友達が心配でさ。」

「だからって、連絡くらいしなさい。」

「何だよ、母ちゃんかよ!」

「お前は、自分の立場が全然わかっていないのか。」

 何故だろうクマの声は熱がこもる程、冷たくひんやりと響く。

「…。いや分かってる…つもりではあるけど」

 その後、十分程無言電話が続いた。

 クマも梅吉も同じところにはいないものの、スマホを耳にかざしたまま、仁王立ちで静かに苛立っている。

 違う場所にあって、互いを想う姿勢は同じはずなのに、心が反発しあって通わない。

 苛立つ梅吉に見かねた武仁が、梅吉のスマホを手から奪い、電話に出た。

「もしもし、すいません!梅吉君の親代わりの方ですよね!?僕、加藤武仁って言います!」

「あ、はいどうも。梅吉の親代わりの茶柱 球磨です。」

 電話越しの初対面で、いささかまくしたて気味に自己紹介をする。

 大人びた少年の声にクマは不意を突かれてたじろいだ。

 頭に登っていた血液が急激に下降し、思わずソファに腰かける。

「梅吉君は、僕を心配してきてくれたんです。お恥ずかしいのですが、僕も突然の事で何にも出来なくなってしまっていたところでして、かくかくしかじかで、こんな遅い時間まで梅吉君を足止めする事になってしまい、かくかくしかじかは、角角鹿鹿何です!!」

 クマは電話の向こうの少年に感心していた。まるで中間管理職の役員の様だと思った。勢いがあるが、下手からの出方でずいずい踏み込まれて行くような感覚だ。

「…成程、良くわかりました。」

「どういう事!?」

 二人の会話を聞いていた梅吉が突っ込んだ。

「梅吉に変わってもらえますか?」

「はい!」

 武仁は姿勢を正し、梅吉にスマホを返した。

「梅吉」

「はい」

「何時帰る?」

「明日の朝には帰ります。」

「わかった。お休み。」

 梅吉の言葉を待たずにクマは通話を切った。

「凄く良いバリトンボイスで緊張した。」

 武仁が項垂れている梅吉の背中に向って言った。 

 泣き果てて目を赤く腫らしたその顔に、今日初めて笑顔があった。

 「ああ」

 梅吉は自分のスマホ画面に視線を落として答えた。

 その画面はクマから連絡があった際、設定したものだった。

 後ろからその画面を武仁が覗く。

「ヒグマだな。」

 画面のヒグマは川で、牙をむき出しにし、魚を採っている。

 相撲のシコを踏んでいるポーズで腕を胸の内側に回し上げ、鋭い爪で魚を打ち上げていた。

 魚は反転し、腹に鮮明な3本の赤い傷が刻まれている。

「クマさんて、こんな感じの人なのか?」

「うん。」

 梅吉はクマを思いながら、暫くそのままその画面を眺めていた。


★★★ ★★★


 その頃、結女子は九条刑事の自宅にいた。

 九条刑事の自宅は首都の港町に程近い、セレブの街、六本歩(ろっぽんぽ)にあった。

 戦後数多の大使館がこの地域に儲けられる事で、いち早く発展した繁華街と、ビジネス街は、今も尚、年々洗練されていく。

 常に、この街での名を上げようと起業する飲食店や服飾店を始めとしたサービス産業が後を立たない。

 六本も道を跨いで歩けば「あれ?こんなところに、こんな店あったっけ?」「また新しい店出来てる?」と言う場所が見つかる事から、『六本歩』と言う名が付いた。

 そんなどう考えても、セレブしか住めないような六本歩の物価の高そうな場所に、九条刑事の自宅はあった。

 六本歩の一角のマンションで、十六階のその部屋は、リビングが鏡張りで、街が見渡せる様になっていた。

 そこに連れてこられた時点で九条刑事が良いとこのお坊ちゃんなのは結女子にも分かった。

 警察に副業は出来ないし、九条刑事の立ち居振る舞いは、気休めにマナー本を読んで身に着けたモノでなく、生活で得たものに見えたからだ。

 (10代や20代前半の頃なら、イケメンにこういうところに連れて来られたら、私も浮足立って心底喜んだんだろうな。)

 しかし、今の結女子には、玉の輿に乗るよりも、大切な事があった。

 友人の恵が、何故死んだのか?

 何故、恵が鹿島に剥製にされていたのか?

 その経緯をしっかり知りたいと考えていた。

 結女子の中では事件後も何かが引っかかっていた。

 自分の友人である恵自身にも問題があったにしろ、恵が疾走し真面目に探そうとしなかった音楽事務所等への不信感から、腑に落ちない思いを抱いていた。

 そして、今日九条刑事から、恵と、今朝事件が起こった家の主婦が同じ音楽事務所だと言う事を知った。

 もしも、何かしらの環境が恵を事件に追い込んだなら?

 その深層を結女子は自分が突き止めないといけないと考えた。

 毛の長い白い絨毯の上、本革のソファに座りながら、結女子はスマホ画面を見つめて、眉間に皺を作っていた。

「そんな顔してると、皺が後になっちゃうよ。」

 お洒落なグラスに二人分のスパークリングワインをついで来た颯斗が言った。

 相変わらず薄っぺらい愛想笑いをする九条刑事に特に反応することなく、結女子は画面を見つめ続ける。

 危険な事に関わるなら、暫く梅吉やクマに関わる事は避けなければいけないと思うと、今朝会ったばかりの二人を尚更恋しく思った。

 全く反応しない結女子のスマホを九条刑事が覗くと、その画面には、赤いリボンを付け、やや生真面目な顔をしたテディベアが写っていた。

「テディベアが好きなの?」

 テディベアの画面は結女子が優しい時のクマをイメージして設定したクマのプロフィール画面だ。

「…あなたには関係ない事です。」

「手を組むんだから、お互いの事を知らないと。」

 もっともな事を言ってくる九条刑事を横目で睨んでから、結女子は大きくため息を付き、スマホを横に置いた。

「そうですか、なら私も不思議に思っているので聞きたいのですが、随分あなた、羽振りが良いようですね?」

 意味ありげに言う結女子に、口端をあげ九条刑事は笑った。

「恥ずかしいけど、僕は良いとこのお坊ちゃんなんだよ。」

 そう思いました。と、言おうとして結女子は止めておいた。

 本人が自分からその様に言うと言う事は、その様に言われることに、既に慣れているからだ。

 わざわざ言う必要が無かった。

 九条刑事は自分で自分を皮肉った事に何も言ってこない結女子の顔を見て、楽し気に目を細めた。

 結女子の分のグラスをテーブルに置くと、自分の分をたったまま勢いよく飲んで、向かいに座る。

 と、引き出しから、分厚いファイルを出し、結女子の前に広げた。

「これは、『プリンセス事務所』の情報ファイルですか?あなたは細かい事件の大本を釣り上げて手柄が欲しいんですか?」

 あえて冷たく質問した結女子に対し、至極満足そうに九条刑事はまた微笑んだ。

「違うんですか?ていうか、何ずっとにやにやしてるんですか?」

「いや、僕って結構見た目が良くて爽やかでしょ?だから僕に対してそんなにつんけんする女性って珍しくて、つい嬉しくなっちゃったんです。」

 本心から言ってる九条刑事。

「マゾですか。」

 結女子は呆れた。

 九条刑事はネクタイを緩め、足を組んだ。

「僕はさ、知りたいんだよ。人生を間違えてしまう人間と、立ち上がって強く生きる人間の違いを。」

 九条刑事の言葉に結女子はテーブルの上のファイルを、ぺらぺらめくり始めた。

 3ページ程読み進んだところだろうか、結女子の顔が至極険しくなり、終いに音を立ててファイルを閉じた。

「知りたいと言うだけで、相手の心を憶測で断定したり、また学があるだけで他人の事まで知った気になっているエセ心理学者が、私は途轍もなく嫌いです。」

 結女子は鋭い上目遣いで九条刑事に告げた。

「ふ~ん。誠実な意見だね。でも、僕の憶測は中々的を得ているし、今後の解決に役立つだろう?あなたみたいに誠実なだけで、一体どのくらいの人を救えるだろうね?」

 結女子に睨み付けられても、酔いが回って上機嫌の九条刑事には効かなかった。

「フィロソフィア」

 楽し気にその言葉を口にした九条刑事に、硬い表情だった結女子が目を見開いた。

「『知への愛』僕が唯一信じている宗教さ。」

「あなたに愛はあるの?」

「…どうだかね。」

 結女子の問いに九条刑事は顔を歪ませた。

 暫くして、九条刑事はそのままソファで寝入ってしまった。

 心底幸せそうに寝入っている。

「スパークリングワイン一杯でそんなに酔ったりする?」

 寝入った九条刑事に呆れながら、結女子は颯斗が出した分厚いファイルをずっと読んでいた。

 その中には亡くなった恵の情報もあった。

「何で、こんなに分かっていて、助けてくれなかったのよ。」

 質問系で責める言葉を吐いたが結女子には答えが分かっていた。

 ファイルの最初のページに書かれていた表題を見返す。

『寂しいという感情から犯罪が生まれる。』

 確かに恵は寂しい女だった。

 そして、結女子はその恵の寂しさに寄り添えなかった自分を今も責めている。

 数少ないファンに身を売り、所属していた音楽事務所にしがみつき続けた恵。

 それは、一人寂しく新しい場所を探し向かうより、不満を抱えながらも慣れた場所にいる方が、楽だったのだろう事は結女子も分かっている。

 恵は狡くて、弱くて、駄目な人間だった。

 しかし、色々思うところはあるモノの、恵は結女子の大切な友人だ。

 それは決して変わらないのだと、結女子は自分に言い聞かせ、徹夜でファイルの内容を頭に叩き込んだ。


★★★


 武仁の家から警察が去った1,2時間後、心配した梅吉が彼の家に行くと、本人は当たり前だが、物凄く疲れ果てた顔をしていた。

 覇気がなく、目はどんより垂れ下がり、猫背で小突いただけで床に突っ伏しそうだ。

「大丈夫か?」

 武仁は何も言わなかった。

 ただ擦れた声で「こっち」と言うと、リビングまで通してくれた。

「友達も連絡くれたんだけどさ、返す気しなくて。…色んな奴がいるから。」

 梅吉は武仁が言う、「色んな」の意味を一瞬想い連なってみたが、直ぐ止めた。

 自分の言った事が勝手に広がったり、歪められたりする事で、気を揉むのが嫌な武仁の気持ちを察したからだ。

「ショックだっただろ?」

 実を言うと梅吉自身は、この手の話は施設や家庭環境の事情により案外慣れっこなんだが、育ちの良さそうな武仁はどんな思いでいるんだろうと心配だった。

 珍し気な話しに興味は多少なりとも沸くものだが、その『好奇心』の好奇の目に曝される事が、どれくらいしんどいか、身をもって知っていた。

「母さんが男の人と浮気していること自体は前から知っていたんだ。」

 リビングのソファに寝そべった武仁が、顔にクッションを被せながら言った。

「へぇ」

 声を出した直後、梅吉は少し明るい声を思わず出してしまった事に自分で戸惑う。

 武仁はそれには何の反応も見せなかった。 

 既に割り切った武仁のモノ言いと態度に梅吉は好奇心を刺激された。

 そんな状況じゃ無いのは分かっているのに。

(武仁と言う奴は、何処から何処まで自分と他人を割り切って考えられるんだろう。)

 こんな時なのに、梅吉は武仁の強さに酷く魅かれた。

「こんな形で周りにバレて可哀想だと思う。」

 嘘ではない。建前でもない。武仁が本心から言っていると、梅吉には分かった。だからその言葉を聞いて、梅吉は途端に悲しくなった。気持ちまでは割り切れないんだと。

 結局親子は、親子でしかない。

 武仁が親に対しても理性的に距離を取っているのかと思いきや、そうでもない事を確信してしまう。理性的に割り切ってたとしても、実際心で傷ついている。

 だけど暴れ出して泣き出すことも既に諦めている、そんな武仁に梅吉は何故か苛立ち、両手を握りしめた。

 今回の事件が起こる以前から、武仁はずっと割り切って考えて、我慢するしかなかったんだろうか。

 初めて会った時から大人びているとは思っていたが、武仁のその大人びた横顔は何とも梅吉の心を切なくさせる。

「お前優しすぎないか?」

 傷心の相手にきつい事は言えないものの、何か言わないとと思って出た、梅吉なりの気遣いの言葉だった。

 しかし怒気が混じってしまい、相手によっては嫌味に感じたかも知れなかった。

「そう言うんじゃ無いんだよね…。」

 クッションで顔を覆いながら、呟くように話していた武仁が、起き上り目を細め、梅吉に向き直る。

「はぁ?」

「だって仕方ないじゃん?俺がそれを言って、止めたところでまた別の人と浮気していたかも知れないし、父さんは出張を理由に母さんと距離を取ってたし。」

「いい子ぶりやがって。」

 梅吉は大きくため息を付いてソファに横になった。

「いい子では無いだろ。」

 どうにもやり切れない気持ちになり、湧いて来た感情が鉛のように重い。

 苦しくて俯せて突っ伏した。

 都合のいい子じゃないか。梅吉はそう言おうとして、突っ伏してその言葉を飲み込んだ。

 梅吉が突っ伏したソファは高そうな匂いがした。

 弾力で梅吉の体が数センチ沈み込む程柔らかい。

 腹いせにこの高級なソファをしばし占領しようと、梅吉は心に決めた。

 武仁はすねた犬の様にクッションに顔を埋もれさせる梅吉の様子に苦笑いすると、自分もそのまま隣のソファで寝始めた。


 ★★★ ★★★ ★★★


 いつの間にか二人はぐっすり眠ってしまい、梅吉のスマホにクマから連絡が来た頃には、もう夜になっていた。

 クマとの通話でのやり取りの後、梅吉は武仁の為にオムライスをつくった。

「美味しいな、いつでもお嫁さんに行ける味だ。」

 武仁は冗談なのか、本気なのか分からない声音だ。

「武君、私と結婚して、養ってくれるの?」

 睡眠をとった事で、ちょっと機嫌の戻った梅吉が、エプロン姿で、両腕を胸の前で揃え、瞳を潤ませる。

「俺まだ結婚する気ないけど、結婚するなら今のご時世は共働きだからな?」

「残念ね、私は最愛の人に養ってもらって、好きな事だけしていたいのよ。」

 リビングに二人の明るい笑い声が響いた。

 武仁も冗談を交わす程度には回復した。

「ねぇテレビつけて良い?」

 横幅3メートルはあるテレビが実はリビングに入った時から気になっていた梅吉。

「良いよ。」

 了承を得ると、梅吉は嬉々としてリモコンを取った。

 最初に映ったのはニュース番組だった。本当はドラマが見たい梅吉だったが、まず武仁の家の事がニュースになって無いか、確認せねばならないと思い、右手に宿る欲望を抑え込んだ。

 リモコンは手放さないものの、欲に走りそうな自分の猿手を左で押さえる。

「お前、ちゃんとニュースとか見るんだな。」

 テレビの前で正座し両手を重ね、急にお行儀の良い姿勢になった梅吉に武仁は言った。

 武仁の言葉にちょっとむっとしながらも、梅吉は普段は退屈に感じるだけの、単調なニュースキャスターの解説に耳を傾けた。

 10分見たところで、これと言って変わり映えするニュースは無いと確認できた。

「このニュースキャスターのクリステルさんて美人だよな。」

「結婚しちゃったけどね。」

 普段ニュースを見ないので、自分の気になる事の方へ目が行く梅吉。

「あんまり知らない俺も、結婚した事知った時はショックだった。」

「ニュースキャスター自身がニュースになるってどんな気分だろうね。」

 こんな時でも梅吉の世間話に、一言一言突っ込んでくれる武仁は、やっぱり律儀な性質なんだろう。

 だからといって『やった、深夜のお泊り会だゼ!』等とはしゃぎ出す雰囲気でもない。

 武仁の為にも、もう休んだ方が良いだろうと、梅吉はテレビを消そうとした。

 その時。

 美しいクリステル鬼瓦の横から、一枚の白い紙が差し出された。


「速報です。本日、相次いで、5~10センチの青く発光する謎の物体が、スマホ用のスマホや、パソコン画面から現れると言う事件が目撃されています。」

 その後、テレビ画面から目撃者が撮影したであろう映像が流れた。

「妹だ。」

 どこぞのオフィスで白い光が飛び交う映像を見て、武仁がそういった。

 どうしてそんな事が分かるのか、武仁にも分からなかったが、心がそうだと確信していた。

 その後、チャンネルを変え確認すると同じ映像が流れていた。

 武仁は梅吉からリモコンを取ると、目撃者の投稿した映像を録画した。

 再生すると白い光がアップになったところで停止ボタンを押した。

 確かにその青い物体は何かしらの服を着ている。

 それは先日武仁が買った人形用の白いお姫様のドレスワンピだった。

「俺、行かなきゃ。」

 武仁は立ち上がり、階段を上がっていった。

「行くってどこに?何であれがお前の妹だって断定できんだよ!」

 梅吉は不機嫌を一ミリも隠さずにその後を追う。

「あの白い服見たろ?」

「そんなの!…」

 そんなの何だって言うんだと言おうとして言葉が出なかった。

 梅吉にも、きっと武仁が感じている通りなのだと、否定するほどに感じてしまうからだ。

「ただの勘だから上手く説明できないけど、多分あの青い光は、俺の母さんが堕胎した俺の妹で、母さんと浮気相手はアイツに襲われたんだと思う。両厳(りょうごん)に、俺の母さんと浮気していた男の実家がある。俺はそこに行ってくる。悪いけど、カギ閉めるから一緒に今家を出てくれる?」

 武仁は自分の部屋に入り、上着を急いで着こむと、足早に階段を降りた。

「あの青い光が何なのかはともかくさ、何でお前が行かなきゃ行けないんだ?」

 梅吉はリビングに放置した自分の荷物を慌てて拾い上げ、武仁を追う。

「…何でだとかそういう事じゃないよ、行きたいから行くんだ。」

「俺も行く。」

 梅吉は不機嫌な顔のまま口を歪めながら言った。

「何で?」

「何でだとかそういう事じゃないよ、行きたいから行くんだ。」

「お前ムカつくな。」

 武仁は梅吉の肩を拳でぽんと殴った。

 何だかその仕草が同い年なのにとても男前に見えてとても悔しかった。

 梅吉は武仁の相変わらず大人びた表情に苛立ちながら、その体を押しのけ、さっさと先に走り出した。

「急げよ。タクシーなんか使う金無いからな!終電絶対捉まえるぞ!」

 生暖かい夜道に梅吉の声が響いた。

 武仁より、一メートル先を走る。

 時刻は既に23時半を過ぎている。

 急げば、終電にぎりぎり間に合うだろう。

 未成年が二人、遅い時刻に改札を通り過ぎるのを、窓口にいた駅員は帽子を直すふりをしてそっと見過ごした。

 前回の投稿で読んで頂いた方ありがとうございます。

 今回再投稿する際に、大分名前間違いや、誤字が多い事に気が付き弁明のしようもありません。

 

 前回は投稿するだけで精いっぱいだったのですが、今回はまた一歩引いた視点で書き加えや修正を出来たらと考えています。

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