葵と校長
亜門は正直に自分がここにいることの説明をした。
葵は紙カップを机に置き、腕を組んで椅子の背に凭れ掛り天上を仰いだ。
亜門が一人で藝術大学に忍び込んだのは、彼と同じ高校に通う友人Aが、ここ最近家に引きこもってしまったらしい。
その引きこもりの理由は、ネット上での手痛い書き込みにあった。
友人Aはもともと絵の才能が有り、最近では賞も取っていた。
しかし、問題が起ったのは賞を取った後だった。
友人Aのネット上の投稿に対し、「自分のためだけに描かれた作品」だの「借金をしながら自主出版を続けた〇〇に似ている」等々という手厳しい意見だった。
あくまでも意見の範疇。ただの誹謗中傷ならまだ防げたもののそうでは無いから質が悪い。
そして何故だか友人Aは、その書き込みから、書き込みをしている人物が、この国立藝術大学の人間であることに気付いたらしかった。
亜門が友人Aに内緒でハッキングをしたところ、実際にそれが特定出来た。
かねてより国立藝術大学の入学を目標にしていた友人Aは、今までやってきたことが全て無駄のように感じ、ふさぎこんでしまったらしい。
「友人も、この大学全員が自分の作品を非難しているわけでは無いと、理解はしているようですが、一日に何百件もコメントが来るものですから、滅入ってしまってるんです。」
葵は組んでいた手をズボンのポケットに突っ込んだ。
「でもさ、そいつ見つけてどうするわけ?」
「えっと…」
亜門はしどろもどろで頬をかいた。
「実はその話を聞いたの、今日のことで」
「電話で聞いたってこと?」
「そうです…。」
「頭が良いわりに、行動は感情ベース何だね。」
「はぁ、」
情けない声だった。その時亜門が初めて年相応の恥じらいを見せた。
「包丁とか持って来た?」
揶揄い交じりに葵が言った。
「まさか…持ってません。」
言ってから葵の顔を見て、揶揄われたことに気が付き、亜門の口端からふっと笑いが零れる。
「良かった、君が馬鹿じゃなくて、」
――変な人だと思ったけど、良い人なのかも知れない。
亜門がそう思った時、葵が椅子から立ち上がり、「じゃあ行こうか?」とつげた。
「え?」
どもって硬直する亜門を、葵は有無を言わさず引っ張っていった。
連れていかれた校長室で、校長の前に立たされた亜門は、小さく打ち震えた。
リュックをしょい、パソコンを片手に持ったままの亜門を、四角くしわくちゃの顔をした校長が、机に両肘をついたままじっと見据える。
分厚い眼鏡のレンズから、自分を眺める視線が亜門には身体の自由を奪う、拘束レイザービームのように感じた。
「それで?」
校長の声に、亜門が背筋を伸ばす。
「この子の友人が、どうやらここの生徒と思わしき人物に、ネット上で嫌がらせを受けているようなんです。」
葵は亜門に代わって、ネット上での書き込みの内容を校長に伝えた。
「ほう。」
「いえ、その証拠はないんですけど……」
――証拠何て出したら、ハッキングしていたことがバレる。それに何でそんなこと分かるんですかって、初対面の人間に叱られるのも、そう思わせたのならすいませんでした。って認めても無い癖に適当に済まされるのも癪に触る。
この場を何とか小事にしたいと考えながらも、亜門の心は揺れていた。
「……しかしながら、その人物を特定するのは難しいでしょう。もし、それをすれば、あなたの方が悪くなりかねないんですよ。その意欲はもっと自分の為になることに活かすべきだと思います。」
組んだ拳から顔を上げ、淡々と説明した校長は愛想ぶる素振りも無く、ただ思ったことを亜門に告げていた。
「すいませんでした。勝手に学内に入ってしまい。」
「まあ、仕方ないですね。今回は見逃しましょう。」
校長は葵と目配せをした。
「発信者を特定することは出来ません。が、それとなく先生方から生徒達に伝えるようにすることは出来ます。」
校長の白のトップスに、真珠のネックレスをしているのが亜門の目にとまる。
「自分の知識を駆使して、他者を非難する暇が合ったら、自分の技と知恵を少しでも蓄え、研磨するべきです。私はネットのことは正直疎いのですが、ネット上による嫌がらせは2000年頃から一般家庭や公立学校にパソコンが普及したころから終わりません。それに伴って悲しい事件も起こることがまだ終わりません。だから私は生徒を特定はしませんが、この事柄を軽んじません。私自身の意見を伝える形になりますが、そのように学内全員に伝えましょう。」
亜門は校長に学内のランチ無料券を4枚もらい、外へ出た。
「あんたやっぱここの生徒なんじゃないか。」
亜門は葵にいった。
葵は変わらず飄々としている。
「生徒じゃないよ。俺もまだ高校だもん。高校3年。」
「え、じゃあ何で…」
「俺、あの人の孫なんだよね。」
葵は閉った校長室のドアを指さした。
――そういうことか。
亜門はほっとした。
「じゃあ、さっそくそのネット書き込み野郎の処へ行こうか?」
「え?」
亜門の爽やかな笑顔が、窓から入る木漏れ日と風できらきらしていた。




