侑希ちゃん、意外と……?
ぴんぽーん。
「っ! 侑希ちゃんだ!」
私はスマホをベッドの上に投げて、部屋を飛び出した。壁に手を添えながら階段を下って、玄関の扉を開ける。
「お姉ちゃんっ」
私がドアを開けるや否や、侑希ちゃんは私に抱きついた。ふわりと鼻を撫でるシャンプーの香り。相も変わらずかわいらしい女の子。
「あら、もうそんなに仲良くなったの?」
お母さんは侑希ちゃん驚いた表情で私の顔を見た。
「沙希がお姉ちゃんなのか」
車から出てきたお父さんもお母さんの背中から私たちを覗き込んだ。
「あ、いや。お姉ちゃんは交代でするの」
「「交代……?」」
二人はそろって不思議そうに眉間を寄せた。
「誕生日一緒だから、その……」
「あぁ……そうなのか」
「ねね、お姉ちゃんっ。早くお部屋行きたいっ」
妹侑希ちゃんは私の手を取ってぴょんぴょこ跳ねた。学校で見せるおしとやかな雰囲気は、妹になると甘えんぼに変わるみたいだ。
もしかして、こっちが素なのかな。
だとしたら、めちゃくちゃかわいいっ! 一生私がお姉ちゃんでもいいかも。でも、私もおしとやかなお姉ちゃんに甘えてみたいから……。
「お父さん、侑希ちゃんの荷物、先にお部屋入れてもいいよね?」
「あぁ、大丈夫だぞ。どちらにせよ大きな荷物はお父さんが運んじゃうからな」
「後で手伝うよ。いこっ、侑希ちゃん」
「うんっ」
彼女は待ってましたと言うように微笑んだ。
4月1日。今日から中学二年生になるのだが、そのスタートは侑希ちゃんとお母さんが家に引っ越してくるという一大イベントだった。もちろん嘘ではない。
つまり二年生の始業式までの一週間、私は侑希ちゃんと一日中一緒にいられるということ。これは尊死案件でございます。
「お姉ちゃんの部屋だ!」
侑希ちゃんは華奢な体に甲羅のように張り付いた大きなリュックを床に下ろした。
「これからは、二人の部屋だよ」
「ふ、ふたりっ……」
ごくり、唾を飲んでまじまじと部屋を眺める彼女。挨拶に来た時に一回この部屋には入っているけど、あの時はお互い緊張しすぎてほとんど記憶飛んでるから、新鮮さはきっと変わらない。
私だって自分の部屋に侑希ちゃんがいるなんて信じられないし、ましてやそれと同時に侑希ちゃんの部屋に自分がいるなんて信じられない。
元々は私のお母さんの部屋を、侑希ちゃんと新しいお母さんで使ってもらおうとしてたのだが、侑希ちゃんが私と同じ部屋がいいとお願いしたそうだ。
それって、私のこと……す、好きってことかな? いやいやさすがに考えすぎか!
「ほらこれっ。侑希ちゃんが来るからって、お父さんが二段ベッド買ってくれたんだよ!」
「うわぁ! すごいすごい!」
木の香りが新しいそのベッドの下段に、侑希ちゃんはぽすっと座った。綺麗な白い手で、お布団を撫でる。
「ここで、一緒に寝れるんだぁ……」
「え!?」
「え? 一緒、じゃないの……?」
「な、何のために二段あるの?」
いや私も一緒に寝たいけどね!? その、さ。せっかく二段ベッド買ってもらったんだから二段使わないとじゃない? お父さんたちは私たちが添い寝するなんて想定してないから。
「ち、違うんだぁ……」
侑希ちゃんは唇を尖らせて人差し指をつんつんした。
そ、そんなに落ち込まないでよっ。なんか悪いことした気分になっちゃうから。
「じゃ、じゃあ、時々、一緒に寝る?」
私は少し屈みながら、侑希ちゃんの頭を撫でた。お姉ちゃんの意識がなかったら、絶対にそんなことできないんだけど。
「っ! うんっ」
「おっと。よしよし」
思いっきり抱きつく侑希ちゃん。可愛がりたい衝動に耐え切れず、私もその背中に手を当てて頭をぽんぽんした。
してしまった。
「……あ」
気付いた時には、もう頭の中がとろとろし始めていた。
とろ、とろ、とろ、とろ、とろ、とろ、りんっ♪
我に返ると、わたしはお姉ちゃんになっていた。しかも、沙希ちゃんに思いっきり抱きついてる。
「わっ。ごめん」
わたしは慌てて彼女の身体を離す。
「い、入れ替わっちゃったっ。あはは……」
沙希ちゃんは恥ずかしそうに頭を掻いた。
頭をぽんぽんしちゃったのは、お姉ちゃんだった沙希ちゃんか。ちょっと、頭がこんがらがる。
お、お姉ちゃんらしくしなきゃ。恥ずかしいとこ、見せられないっ。
「お父さんたち、手伝いに行こ。沙希ちゃん」
「うん」
凛々しく目を輝かせた彼女はきゅっと口を結んでキレよく頷いた。
沙希ちゃんは妹になると、少しだけ落ち着いた大人な女の子になる。お姉ちゃんの時の包んでくれるような優しさじゃなくて、そっと寄り添ってくれるような優しさがある。めっちゃ好き。
コンコン。
ドアをノックする音。
「はーい」
「お父さんだ。入っても大丈夫?」
わたしはドアノブを捻って、ドアを開けた。その向こうにいたお父さんはわたしの勉強机のパーツを一気に抱えて持っていた。
「はいこれ、侑希ちゃんの」
「わっ、ありがとうございます!」
わたしはぺこりと頭を下げる。それから、お父さんが持ってるパーツの内、上半分を受け取って持ち上げた。
「お姉ちゃん、私も」
沙希ちゃんはわたしの持っているパーツのさらに上半分を持ってくれた。
「あれ、もうお姉ちゃん交代してんの?」
お父さんは半分のパーツを持って壁に足をかけて支えながら、わたしたちを見て微笑んだ。
「あ、はい。ちょっと、色々あって」
わたしたちは勉強机のパーツを全部壁側に寄せて置いた。
「これ、設計図なんだけどさ、二人で組み立てられる? お父さんまだ下で運ばなきゃいけないものあるんだけど」
「え、で、できるかな……」
沙希ちゃんは人差し指で唇をなぞりながらパーツを眺めた。
「大丈夫ですっ」
「え、お姉ちゃん?」
不安そうにわたしに目を移す沙希ちゃんに、まかせて、と頷いた。
「じゃあ、お願いするよ。助けが必要だったら呼んでね」
「わかりましたっ!」
「……お姉ちゃん?」
「わ、わかんない、とかじゃないよっ?」
中途半端に組み上がった勉強机の前で設計図をにらめっこしながら完全に固まったわたしを、沙希ちゃんは不安そうに覗き込む。
「大丈夫、大丈夫だから……」
白状すると、大丈夫じゃない。
ナニコレ!? 勉強机ってこんなに難しいの? こういうの組み立てたことないからわからなかったけど、わたし、苦手かもこういうの……。
「お姉ちゃん、ちょっと見せて」
ぐっ。お姉ちゃんとして、妹に頼るなんて情けないことしたくない。
「だ、大丈夫だよっ。あ、ほら! えっとね、そこの……」
「いいから、どっちみち私も図見ないとわかんないよぉ。早くしないと、終わんない」
「……はい」
わたしは沙希ちゃんの前に設計図を広げた。
「あぁ、簡単じゃんっ。これ十三番だよ。はいこれ、ネジ」
「えっ!?」
しゅ、瞬間で解読!? からのネジ渡されたっ!!
「は、はい……ごめんなさい」
わたしは十三番の骨組みパーツを取って、沙希ちゃんからネジを受け取った。
と。
がつんっ。
「~~~~っ!!」
金属で出来ていた十三番のパーツはわたしの手をすり抜けて、右足のつま先に落下した。かなりの質量があったそれは、つま先から悲鳴を立ち上らせる。
「はっ……っく!」
「お姉ちゃん大丈夫!? ものすごい音したよ今っ」
沙希ちゃんはつま先を押さえながら息を殺して痛みと戦うわたしの腕にそっと手を添えてくれた。
「だっ、だいじょっ……」
喉に力を入れすぎて声が裏返る。
な、情けないよぉ。こんな姿、見せたくないっ……!
「お姉ちゃん、絶対痛いよね?」
心配そうにわたしの顔を覗き込む沙希ちゃん。
「い、たく、ない、よっ……」
一方で涙が滲み始めているわたし。
「嘘だよね。めちゃくちゃ苦しそうだよっ? お父さんお母さん呼んでくる」
そう言って立ち上がる彼女の腕を咄嗟に掴む。
「だいじょうぶだからっ……くみたて、つづけよ?」
「お姉ちゃんっ……」
その瞬間。とても柔らかいものに包まれた。わたしのまわりにふんわりと、羽衣のように彼女の匂いがまとわりつく。
それがハグだと気付くまでに少し時間が必要だった。
優しい手のひらが、頭を……。
とろ、とろ、とろ、とろ、とろ、とろ、りんっ♪
「……ふぇぇぇぇん痛いよぉぉぉぉ」
私の中で侑希ちゃんは泣き出してしまった。その背中をトントン叩く。
「痛かった痛かった。大丈夫だよ、侑希ちゃん」
「おねぇちゃん……うぅ」
侑希ちゃんって、しっかりしてそうに見えて意外とポンコツなのかな……。
何それ可愛すぎにもほどがあるよ! 侑希ちゃん!!
「……ふふっ」
「え、お姉ちゃん笑った……?」
涙がたっぷり乗っかった下瞼の向こうの瞳は、私に絞りが合わせられている。
「笑ってないよ」
「うそだぁ、今わらったもぉんっ……!」
「笑ってなーい」
「ぜったい! ぜったいわらったぁ!」
「いて、いててて……」
侑希ちゃんはきゃんきゃん言いながら私の頭をぽかぽか叩いた。全然効かないそれに余計可笑しさがこみ上げる。
「ごめんっ! ごめんって。ほら痛いの飛んでった?」
「うん……」
足を抱えて侑希ちゃんは小さく頷いた。甘い声。
「じゃ続けよ。早くしないと一生春休みの宿題できないよ?」
「そ、それはまずいっ」
侑希ちゃんは涙をふきふきして十三番の骨組みをしっかりとつかんだ。
宿題は欠かさないあたりやっぱり侑希ちゃんなんだよなぁ。なんで妹モードになるとこんなに可愛い子ちゃんなの……。
こんな可愛い子と姉妹生活とか、死んじゃうかも、私……。