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喫茶風見鶏  作者: 欠陥人
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風見鶏

 西暦三千二十五年、地球。世界の総人口は百億人を越え、遂には百五十億人に届きそうな年。それは起きた。


『第三次世界対戦』。後にそう呼ばれる戦争である。

 事の発端はアメリカとロシアの小競り合い。最初の内は本当に小さな争い。それがいつの間にか世界を巻き込む大戦になるなど、その時の人々は考えてもいなかった。

 小さな火種が大きな火になったのは、ヨーロッパ諸国と日本の介入が原因である。世界を代表する先進国達が始めた争いは、いとも簡単に世界中を巻き込む。

 それが『第三次世界大戦』の始まりにして、世界の終わりの始まりであった。





「なるほど」


 分厚い本から手を離し、傍らに置いたコーヒーカップを手に取る。まだ少し湯気の出るコーヒーを口に流し込むと、いつもと変わらない苦味が口の中に広がった。


 うん、美味しい。


 僕が淹れたのだから当然と言えばそれまでだが。

 コーヒーカップを右手に持ったまま、もう一度視線を分厚い本に落とす。マスターに無理矢理読まされている本の名は、『西暦の終わり』。今から約五百年前に起きた『第三次世界大戦』の話を綴った物である。


 それにしても、今日はお客さんが来ない。こんなにお客さんが来ないのはいつぶりだろうか。


「……三日ぶり位かな?」


 頭の中で計算してみると大した事なかった。こればかりは仕方ない、なんせこの店は立地が悪い。薄暗い路地の奥にある、少し古びた喫茶店に来る人物なんて常連さん位だ。


 カウンターの上に置かれた卓上カレンダーに目をやる。今日は十一月八日の木曜日。平日だと言うのに、今日を表す数字は赤い。そう、今日は祝日である。

 祝日と言っても大してめでたい日でもない。どちらかと言えば、嫌な日。僕はそう思っている。


 今から約五百年前の十一月八日。その日『第三次世界大戦』は終結し、その日世界は一度滅びた。

 子供の頃に学んだ。『第三次世界大戦』はそれは酷い戦争だったと。実際にその戦争を体験した人は今では生きていないが、その戦争の酷さは誰でも知っている。なんせ世界が一度滅んだのだ、当然である。


 もう一度分厚い本に目を落とせば、そこには世界が滅んだ理由が書いてある。

『核爆弾』。それが世界を滅ぼした。『第三次世界大戦』、言い方を変えれば『核戦争』。


 しかし、世界は滅びても人類は滅びなかった。人間のしぶとさは本当に凄いと思う。そんな僕も人間なのだが。

 大気汚染等により地表で生きる事が不可能と感じた人類は、予め作っておいた地下都市に生活の場を移す。総人口百五十億人に達しようとしていた人類だが、生き残ったのは約ニ十億人。そのニ十億人が新たな世界を作る。


『新世界』。そう呼ばれる世界である。まぁ今の世界の事だ。

『新世界』を統治したのは、生き残った人類から選ばれた六人の代表者。後に『マスター』と呼ばれる人間達である。

『マスター』達により人類は導かれ、地下都市でニ百年余りの時を過ごす。この間マスター達は何代も移り変わった。


「ふぅ……」


 活字ばかりの本というのは、やはり目が疲れる。本とのにらめっこにより眉間に寄った皺を左手でほぐし、右手に持ったコーヒーカップに口づける。

 いつの間にかコーヒーは冷めてしまっていた。

 冷めても美味しいからいいけどね。

 美味しいコーヒーは冷めても美味しい。こんな理論は当然である。


 さて、まだお客さんは来そうにないし、もう少し読書しますか。


 なんて思った時に限って、入口に付けられた古びたベルは働くらしい。カランカランと甲高い音を立てて、これまた古い木製の扉が開く。

 流石にお客さんの前で読書するわけにはいかないわけで、僕は静かに本を閉じ、木製の椅子から腰を上げる。

 木製の扉が開ききった所に立っていたのは、よく知った人物だった。


「いらっしゃいませ」


 知った人物と言えどお客さん。挨拶はしっかりします。


「こんち。マスターは?」


 軽く右手を挙げて挨拶を返してくれるのは、スキンヘッドのいかつい男性。褐色の肌にぴちぴちのシャツ、そして真っ黒なサングラス。第一印象はとりあえず怖い。

 そんな格闘家みたいなオカマのお客さんは、常連さんの一人。この店に来るための路地を出て直ぐにある、若い女性に人気のケーキ屋の店長マイクさんである。


「マスターなら、多分麻雀じゃないですかね」


「またぁ」


「はい、またです」


 いつも通りの会話。これが一番自然な会話であるとも言える。こんな会話が一番自然なのもどうかと思うが。

 そんな自然で不自然な会話をしつつ、カウンターの中に入る。マイクさんの事だから、きっとコーヒーを飲む筈だ。


「コーヒーでいいですか?」


「いつものでお願い」


 語尾にハートが付きそうなマイクさんの言葉。初めてマイクさんに会った時は怖くて仕方なかったが、今ではどうって事ない。


「かしこまりました」


 いつもの。ここに来るお客さんはそれしか言わない。まぁ、それだけで充分ってだけなんだが。

 常連さん達のお目当てはブレンドコーヒー。このブレンドはマスターが考え出した物で、その作り方は企業秘密だ。何でも焙煎に秘密があり、コーヒーの粉の分量や種類にも秘密があるらしい。つまりは秘密だらけだ。

 淹れ方はペーパードリップ。この淹れ方にも少しばかりコツがある。このコツに関して言えば、僕もしっかりと覚えている。まぁ、店を任されているのだから当然だ。


「珍しい物読んでるわね」


 僕の真正面。つまりは木造のカウンターに座ったマイクさんが、いつの間にか『西暦の終わり』を手に取っていた。


「マスターが読めってうるさいんですよ」


「今日は終戦記念日だから読め、って?」


「全くその通りです」


 流石はマイクさん。マスターとの付き合いが長いだけはある。

 ゆっくりとコーヒーの粉にお湯を掛けながら、正面に座るマイクさんを見つめる。


 やっぱりケーキ屋さんの店長には見えない。失礼だが、見える筈がない。こんな筋骨隆隆のニメートル近いオカマがケーキを作る姿など、想像出来る筈がない。


「新世界と言う国家が出来て早五百年。忘れてはならない、我々の先祖が起こした悲劇を」


「五百年前なんて、想像つきませんよ」


『西暦の終わり』の冒頭文を読むマイクさんの前に、静かにコーヒーカップを置く。マイクさんには小さ過ぎるカップだ。


「そうねぇ。私にも想像つかないわ」


 マイクさんの想像力で不可能という事は、僕の陳腐な想像力では太陽が南から昇ろうと不可能であろう。


「じゃあ、いただくわね」


 マイクさんが本を置き、コーヒーカップを手に取る。やはり小さい。カップのサイズが、マイクさんのサイズに合っていなさ過ぎる。


 マスターに頼んでマイクさん専用のカップでも買ってもらうとしよう。


「どうぞお召し上がり下さい」


 僕がそう言うと、マイクさんは多分にっこりと微笑んで、真っ黒なサングラスを外した。それと同時にマイクさんの目が露になる。

 マイクさんのつぶらな瞳がコーヒーカップを見つめていた。慣れない内はよく笑いそうになったものだ。目と体にギャップが有りすぎる。


「うん。美味しいわ」


 コーヒーを一口飲んだマイクさんが、満面の笑みを浮かべる。臆病な野良犬なら間違いなく逃げ出す。いや、きっと臆病じゃなくても逃げ出す。


「ありがとうございます」


 とりあえずお辞儀をして、マイクさんの前に置かれた本を手に取る。本にコーヒーが溢れたりしたら、マスターに殺されかねない。


「そう言えば」


 マイクさんがコーヒーカップをカウンターに置いて口を開く。


「どうかしましたか?」


「この地区の『マスター』が変わるらしいわよ」


 その言葉に、自分の為に淹れようと準備していたコーヒーの粉を思わず溢してしまった。

 マスターにばれたら大変な事になる。いや、今はそれよりも。


「本当に『マスター』が代わるんですか?」


「私の情報網を舐めちゃ駄目よ」


 ウインクするマイクさん。確かにマイクさんの情報網は侮れない。ケーキ屋の店長とは思えない情報網なのである。絶対にそっちの世界と関わりがあるに違いない。と、僕としては思っている。


 この場合マスターとはこの喫茶店の店長の事ではない。世界を治める六人の『マスター』の事である。

『新世界』を治める六人のマスター。これを決めるのは選挙、と言うわけではない。マスターを決めるのは、血。つまりは世襲制である。


「何で代わるんですか?」


 お世辞ではないが、この地区、アジア地区のマスターはかなり優秀である。それに、まだ隠居を決め込む様な歳ではない筈だ。

 ちなみにアジア地区と言えど大昔の様に広くはない。第三次世界大戦の影響で沢山の大陸が海に浸かってしまった為だ。ちなみに僕が住んでいるのはアジア地区、日本支部。昔は『北海道』と呼ばれていた地域である。日本には他にも大陸はあったらしいが、今は『北海道』と呼ばれていた島だけである。


「なんでも、娘がすっごく優秀らしくてね。その子に任せた方がよくなるって」


「娘って、確か僕と歳変わりませんよね」


 たまにテレビに写る事もあるので見たことがある。確か名前はサーシャ=シルドール、随分と美人だった印象が強い。


「そうそう。そんな若い子がマスターで大丈夫かしらねぇ」


 なんて言いながら、マイクさんがコーヒーを一気に流し込む。熱くないのかと思うが、これもいつもの事である。

 もう少し味わってもらいたいとも思うが、人にはそれぞれ味わい方というものがあるのだから仕方ない。


「今のマスターが認めてるんですし、きっと大丈夫ですよ」


 今のマスターだって立派な人だ。その人の娘で、その人が認めた人間。きっと大丈夫に決まっている。

 食器棚に寄り掛かりながらコーヒーカップを手に取ると、粉を溢しながらも何とか淹れたコーヒーの薫りが僕の鼻孔をくすぐった。


「それもそうね」


 そう言ったマイクさんが壁に掛けられた時計に目をやった。この喫茶店の古びた雰囲気に合わせた木製の古時計である。ネジ式なので毎朝僕がネジを巻いている。面倒臭い事この上ない。


「あら、もうこんな時間」


 現在午後五時。マイクさんのケーキ屋『スウィート・キャンディー』の一番の儲け時だ。


「じゃあ帰るわね。ごちそうさま」


「いつもありがとうございます」


「こちらこそ」


 いや、マイクさん。お願いだからウインクするのは止めて下さい。毎度毎度やられるんですが、それだけは慣れる事が出来ません。さっきも結構辛かったです。


 マイクさんがカウンターにコーヒーの代金を置いて立ち上がる。立ち上がったマイクさんからは物凄い威圧感を感じる。きっと本人には自覚はないだろう。


「今度はケーキ持ってきてあげるわね」


「はい。ありがとうございます」


 扉を開きながら振り返り投げキッスを飛ばすマイクさん。背筋が粟立つのを感じる。そしてマイクさんは静かに扉を閉めて出ていった。


「はぁ」


 思わず溜め息を吐いてしまう。マイクさんはいい人なのだが、なぜか緊張してしまう。何とかせねば。

 とりあえず、さっき僕の顔は引き吊っていなかったか。それだけが心配である。

 コーヒーを口に運べば、芳ばしい薫りと苦味が僕の口の中に広がった。


 うん、美味しい。やっぱりコーヒーを飲むと安心する。


 そう言えばマスターはいつになったら帰ってくるのだろうか。もうそろそろ帰って来ないと、色々とまずい様な気がしますよ、マスター。




 新西暦五百三年、十一月八日。今日も喫茶店『風見鶏』は暇です。

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