君のモーニングコール
プルルルル プルルルル……
呼び出し音が無情にもリフレインする。
里岡さん、さすがに起きないか。
八時のフライトには、絶対に間に合わない。というか、その時間にOAが始まるのだから、もう絶望的な状態だ。BS番組は予算にはかなりの制約がある。せめて飛行機の時間だけでも変更できれば 費用的な面でもダメージは減るのだが、あいにくチケットは里岡が持っているし、茜は飛行機の便を変える術を持っていない。
ええい、こうなったら一か八か……
茜はメールを立ち上げると、とある人物に初めてメッセージを送ることにした。
【飛行機の時間に間に合わなくなりました。詳しくは里岡さんまでお願いします】
今は細かい事情を打ち込む余裕はないので 簡潔に要点をまとめると、茜はスマホの送信ボタンをタップした。正直 連絡を入れたところで現地は三時だから 向こうは眠りについているだろう。でも取り敢えず連絡をいれておけば、彼が里岡と連絡を取り合って助けてくれる。里岡への連絡は、綾瀬に責任を持ってやってもらえばいい……
ブーブーブー
「えっ? 」
メッセージを送ってからは十秒くらい。茜のスマホが振動を始めたのだ。
まさか……ね……
茜は恐る恐るスマホのディスプレイを確認する。そこには、あのビジネス優しい彼の名前が表示されていた。
「もし……もし……? 」
「もしもしっッ? 」
電話の相手は、物凄く不機嫌な口調だった。電話口の向こうからはガサゴソと布団が動く音がする。
「リンリン!? ちょっ、なっ、何で……起きているの……? 」
「何でもクソもないわ。起きてんじゃなくて、起こされたの! あんたが真夜中に俺を起こしたんだろっッ 」
「それは…… 」
そんなつもりはなかった、と言いかけて 茜はギュッと口をつぐんだ。自分でも矛盾していることをしているのは十分にわかっている。
「ったく、俺みたいな職種は 電話鳴ったら 寝てても起きるんだよ。そういうふうに 体が出来あがってんの。旅行会社に勤めてると 二十四時間関係なく連絡がくるから 」
「そう……なんだ…… 」
まさかこんなにすぐに折り返しがあるとは思わなかったので、茜は思わず圧倒される。電話の向こうの彼の口調は怒っているはずなのに、同時に何だか凄く心配されているような気もした。
「で、何があったの? 寝坊? 遅刻? って、あんた 今 起きてるか 」
「……朝の番組に ピンチヒッターで出ることになった 」
「朝? 番組? 」
「うん、ちょっと出演者に……トラブルがあって。それが朝の十時までの生番組だから、九時の飛行機間に合わない 」
「そう 」
林はあっさりと事態を受け入れると、何やら電話の先でカチャカチャと音を立て始めた。まず電気のスイッチ、次に足音、そして最後にはパソコンを立ち上げるような電子音が鳴って、その一連の動作は手慣れているように感じた。
「私…… いま物凄く 無茶苦茶なこと言ってるのに、怒らないの? 」
「別に、そんなことじゃ怒んないよ 」
「えっ、そうなの? 」
「仕事だろ? じゃあ仕方ないだろ。ところで御堂さんとこの会社って、赤坂だっけ? 」
「えっ、あっ、うん…… 」
「じゃあ羽田までは一時間あれば行けるよね。あっ、でもその時間は車は混んでるか。じゃあ余裕もって十二時までに羽田に着けそう? 」
「十二時……? えっ、まあ、うん…… 多分 」
「じゃあ御堂さんだけ 十四時発のフライトに振り替えておくから。メールアドレスは変わってない? 」
「えっ、あっ、うん 」
「そう。後でeチケットを、メール宛に送っておくから 」
「あっ、ありがとう。リンリン、仕事が素早いね 」
「まあ。一応日本発着便は 頭の中に時間帯が入っているから 」
林はあっさりとそう言うと、電話の向こうでカタカタとキーボードを響かせている。
彼は突然クライアントから叩き起こされて、いきなり無茶なことを言われたにも関わらず、こんなにも冷静に仕事をこなしている。茜は思わず数分前の自分の感情的な態度を恥じていた。
「あっ、でも里岡さんたちは、急に私がいなかったら驚くよね? 」
「里岡さんには、俺も連絡取り合うようにするよ。どうせ電話繋がらなかったんだろ? 」
「うん…… こっちは四時だし…… 里岡さん空港のカプセルホテルに前泊だから、まだ寝てるのだと思う 」
「まあ、そりゃそうだよな。里岡さんは責められないだろ 」
電話の向こう側では、プリンターの起動音やらが世話しなく響いている。
日本と台湾の時差は約一時間。いま台湾は深夜三時、大半の人は眠っている時間帯だ。
「うん、ありがとう。あの、落ち着いたら十時以降になっちゃうと思うけど、また連絡してもいい? 」
「ああ、それはもちろん 」
「それなら、良かった。ありがとう。ロケもリスケしなきゃだし、迷惑沢山掛けちゃうと思うんだけど 」
「ああ、別に気にしないでいい。それはなんとでもなる 」
「うん。ありがとう。本当夜中にごめんなさい。じゃあまた…… 」
茜は林の寝起きとは思えない態度には 若干拍子抜けした部分もあったが、取り敢えずは絶大な安心感を得ることができた。
これで、ちゃんと心置きなく集中できる。
茜が電話を切ろうとゆっくりとスマホから耳を話そうとしたとき、向こう側からさっきよりも少し大きな音で林の声が聞こえてきた。
「ちょい、まっッて! 」
「……へっ? 」
茜は思わず 林の声を聞き返す。
たった一言のハズなのに、いつもよりも彼の声色をより強く感じた。
「で、あんたは大丈夫なの? 」
「えっ? 」
林の言葉は 実に意外なものだった。
私は今 もしかしてリンリンに心配されている?
何を、なんで?
「今晩 何時入りだったかは知らないけど、あんた今日は当直だったんだろ? 朝の十時まで、体力は持つの? 」
想定外の声かけに、ずっと張り詰めていたいた何か大きなものが心のどこかでパンと弾ける。それはまるで空砲が高鳴るような感覚で、胸がギュッと締め付けられた。
「うん、たぶん大丈夫。いまはアドレナリン出ているし 」
茜は途切れ途切れに林に言葉を返したが、次の瞬間嗚咽にも似た変な空咳が止まらなくなった。
あれ、もしかして私はいま声が震えてる?
だから 声をかけてくれただろうか……
これから挑むのは 数年ぶりの生放送。
テレビは完璧に出来て当たり前の世界で、急な登板だろうと何であろうと 観ている人には関係ないことだし、誰も自社の演者の精神状態なんて気にしない。
自分でちゃんと頑張らなきゃならないし、心配なんてされたことない。
不安や自信のなさを口に出すと、言霊の力でそれが自分の身に返ってくる。
だから声には出さない、ハズだった……
なのに……
なんでいま私は泣いているのだろうか。
誰にもにバレたくない、弱いところは見せたくない、なのにこの涙が止まらないのは、これから数時間後の未来の自分を恐れているからだろうか。
「つーか、その番組って古巣だろ? 」
「えっ? 」
「関東放送の朝八時からって、モーニングコール? だっけ? 今は番組名違うのかもしれないけど。俺も日本にいるとき見てたよ。つーか、御堂さんお天気コーナーやっててメインに昇格してなかったっけ? 」
「うん、まあ…… でもだいぶ昔の話の話だし 」
林が昔の自分のことを知っているだなんて、茜にはとても意外だった。そして林は間髪いれないタイミングでハッキリとした口調でこう続けた。
「……昔、出来たことは簡単には出来なくならないよ 」
「えっ? 」
リンリンは冷たい。あまり話さない。
何を考えているかも、よくわからない。
今もハッタリで励ましてくれているのかもしれないし、クライアントに対してだから優しいのだとも思う。
だけど急にそんな言葉を向けられたら、やっぱり勘違いをしてしまいそうだ。
「リンリン、ちょっと、いきなり何を言い出すの? 」
「何だよ? 」
「だって、根拠無さ過ぎ。笑っちゃうんだけど…… 」
茜はプフっと吹き出すと、声を殺して笑いを堪える。なんでこんなに面白く感じたのかはわからないけれど、応援してくれる気持ちが単純に嬉しかった。
「……なんだ。笑えてんじゃん 」
「えっ? 」
「いつも通りでいいんじゃないの? そんなに構えなくてもさ。俺、御堂さんの普段の感じ好きだよ 」
「えっ? ちょっ…… リンリン急になにっッ言ってんのっッ……! 」
「俺を叩き起こした駄賃 」
「なっ…… 」
「まあ、ちょっとからかった位じゃまだ元は取れないけどね。じゃあ、また半日後に 」
「ちょっ、リンリンっッ!? 」
林はそう告げると一方的に電話切ってしまった。そしてプープーと無機質な音が鳴り響く。
茜は本番前で緊張している人間に普通そんなこと言うか? と思ったが、いつの間にか目に溜まっていた涙は乾いていた。
ったく、緊張の糸が切れてしまったじゃないか。数時間後に再会したら、思いっきりお礼と文句を言ってやらないと……
茜はそう心に強く誓うと、スマホをギュッと握りしめてAスタジオへと駆け足で向かって行った。




