とある夜行性漫画家の場合
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有り難いことに朱美が漫画の連載を持つようになったのは6年程前からだった。
短大入学時からから今の出版社にしつこく投稿をし始め、20歳の頃に描いた美少女宇宙戦記物でやっとの思いでデビューをした。その後、たまにSF系の読み切りを掲載してもらえるチャンスに数回恵まれたが全く売れず、結局卒業と同時に総菜販売会社に就職して仕事をしながら細々と短編を描くような生活が続いていた。
私は漫画家には向いていない……
一時は引退も考えた。
次が駄目だったら漫画は止めよう……
朱美はそれまでの背伸びをした作風を一新して、読者層に見合った恋愛漫画を描くことにした。
芸能界を逞しく生きる双子のアイドルの、ちょっとぶっ飛んだ設定のドタバタラブコメ。
タイトルは【恋するリセエンヌ】
……まさかの好評判だった。
そして単発で続きを掲載してもらえるようになり、いつの間にか連載となった。何より主人公を取り巻く設定が斬新で読者の心を惹き付けた。その込み入った設定と相反する朱美の作風の柔らかいタッチが、特に主人公の恋する青年のイケメン具合によくマッチしたらして自然と読者に受けたらしい。
それからは、トントン拍子だった。
【恋リセ】は特に20代女子から熱烈に支持され、常に読者アンケート上位の人気作となり、ドラマCD化舞台化とメディア展開もされている。そしてファンのなかでは近いうちにアニメ化するのでないかと専ら噂され続け、とうとう冬からはアニメ化することが決定している。【恋するリセエンヌ】は朱美の手から作品が離れて、どんどん大きくなっていた。
いま朱美の生活は連載の締め切りをひたすら消化するために、毎日をもくもくと書き続ける、そう言ってしまっても過言でない日々の繰り返しになっていた。
そしてたまに完徹同盟と呼んでいる夜勤女子たちと早朝に集まるのが最近の唯一の息抜きで、ここ数年は一日の殆どを架空の世界に身を置き、ひたすら自宅に籠って仕事に励む日々だった。
一見いい加減そうにみえる朱美だが、完全に筆を置くのはいつも締め切り明けの1日だけだった。つまり朱美の休日は昨日の朝方に飲みに行って茜の介抱をする羽目になったあの日だけで、締め切りの翌日には直ぐに次号の打ち合わせが始まるのだ。
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「お邪魔します…… 」
「いらっしゃい、上がって…… 」
その晩さっそく次号の展開を話し合うために、担当の吉岡が朱美の自宅を訪れた。
今日は先日とは打って変わって、玄関にスリッパが用意してあり、それを見た吉岡は思わず苦笑する。
吉岡はまだ編集者になって4年の若手だが、朱美の他にももう二人担当していて、なかなか忙しそうな毎日を送っていた。
一昨日までと打って変わり、今日の吉岡は普通のテンションで参上した。顔立ちは決してイケメンではないが概ね整っているし、まあまあの高身長で一流出版社勤めだし、とゆうことは、そこそこの大学を出ているだろうし、時折みせるヒステリーさえ止めれば、女性大半に好かれるような好青年だった。
吉岡と朱美は昨日の朝も締め切りの原稿回収で会って、今夜も打ち合わせで会って、ネームチェックで会って、ペン入れを監視される(←!?)ために会って、この一年…… 親兄弟よりも恋人よりも(いないけど)圧倒的に会話しているのは間違いない事実だった。
吉岡じゃなくて白馬の王子様が毎日訪ねて着てくれたらいいのにと何回考えたか、朱美にはもはや良く分からない。
「神宮寺先生…… これお土産です…… 」
吉岡は持ってきたケーキの箱を朱美に手渡しすると、慣れた様子で応接間のソファーに腰かけた。そして自分のカバンからノートやらミニPCを取り出し自分の膝の上に小さく広げた。担当になったばかりの頃は『失礼します』とか声をかけていたものだが、いつの間にかそんなやり取りはなくなっていた。
朱美が受け取った箱には適度な重みがあり、期待は自然にが膨らんだ。
「えっ…… これ百回堂のクリームプリンじゃん。ちょっ、これどうしたの? 」
「編集部からの差し入れです。うちの社から百回堂を舞台にした小説を出したら当たったもので。今度映画化する縁で大量に頂いたんです。生ものだから打ち合わせで編集がお宅にお邪魔する先生たちにお配りしてるんです…… 」
「うゎー、嬉しい!ありがとー。これ食べてみたかったんだよね…… 」
朱美は箱の中身をちらりと目視すると、満面の笑みを浮かべて冷蔵庫に直行する。そしてその足で作り置きしているノンカフェインのアイスティーを二人分グラスに注ぎ始めた。
いま二人が話込んでいる神宮寺邸唯一の生活空間のリビングには、朱美が初めての漫画のギャラで奮発して購入したそれなりの応接ソファーがあり、サイドテーブルには漫画の舞台になっているテレビ局の設定資料だの主人公が通う学校の参考写真だの、あらゆる紙が散乱していた。後は若干のお菓子がカゴに入っているが、如何せんあまり生活感はない。
朱美はプリンを箱から取り出すと、その場でさっそく一口運んだ。
「……おいしい! うーん、とろける舌触りだわ 」
『締め切りさえ守れたら、普通にいい人なんだけどなぁ…… 』
朱美が台所で呟く光景を、吉岡がつい暖かい眼差しで見つめていた……
だが吉岡はハッとした表情を見せると、首を軽く左右に振り直ぐにパソコンに目を戻した。そうだ、この先生の場合は、この甘えや油断が、のちのち自分の足元を脅かすのだ。
「これで糖分補給して、今週こそは余裕もって早く上げて下さいねっ 」
「へっ、まさか…… プリンだけで、そうゆう展開になるの? 」
吉岡がスキを見せたのは一瞬だった。
だが朱美は彼のその様子に気づくこともなく、目をパチクリとさせ吉岡を見つめた。
「もちろんです。っつーか、今週マジでヤバかったんすよ。僕も裏工作炸裂だし、カラー原稿も規定とサイズ違ったからリサイズしたりとかっッ。編集長に締め切りの改竄バレないようにもみ消すの、超絶大変だったんですよっッ。大体、カラーの入稿だって本当はもっと早くなきゃ駄目なんですからね 」
朱美の脳天気さは、時にとてつもない罪だった。
吉岡の本音としては、今日だって一昨日被った【締め切りを当然の如く無視事件】に対しての苛立ちをプリンの箱に押し込めて、神宮寺邸を訪れていた。
大体、なんで悪魔みたいな女神に自分がプリンを差し入れて、しかも彼女の嬉しそうな顔をみて一瞬気を許す自分もいる……
それは吉岡にも、もはや良く分からないでいた。
「だってさー、話思いつかないんだもんー。吉岡、私に恋愛体験教えてよ。ほぼすべて参考にして、描くからさぁ…… 」
朱美は吉岡の気を知るよしもなくこう言うと、パタとソファーに雪崩れ込みクッションにダイブした。
「はぁ…… 僕の恋愛なんて、どうでもよくないっすか? 大体、神宮寺先生の漫画は少女漫画なんだから、男の僕の体験なんてあんまり意味ないと思いますけど…… 」
吉岡はネクタイを少し緩めると、いただきますと小さく呟き、朱美に出されたキンキンに冷えたアイスティを口に運んだ。
「私さ高校も短大も女子校だったし、ろくな恋愛経験がないんだよね…… あとは漫画一筋で、付き合っても長続きした試しがないし…… 」
「俺も…… 似たようなもんなんでっすよ。とても物語の主人公になれるようなエピソードはないっすよ。工学部だし、落研だったし…… 」
「工学部っ!?落研っ!? 」
朱美は驚いてゴロゴロした体制のまま、目玉を丸々させて吉岡を見上げた。割りと長い時間一緒に仕事をして来たつもりではあったが、想定外の初耳情報だった。
「えぇ。女子とは縁遠そうな青春でしょ。男まみれです。だから僕から引き出すのは諦めて下さい 」
吉岡はパソコンのACを取り出すと、慣れた手つきで壁の電源に接続し始めた。
「っつーか、なんで工学部出て、編集者なんかやってんの? 」
朱美は興味のまま、吉岡に尋ねた。吉岡は一瞬作業を止めてキョトンと朱美を見返した。
「そりゃ、理由は一つです。就活でうちの会社しか受かんなかったんです。他は一次面接で玉砕でしたから 」
「じゃあ、本音じゃエンジニアとか、そっち系だったの? 」
「いぇ、そんなこともありません。出版社志望でした 」
「へぇ……。じゃあ、何でまた? 」
神宮寺先生って、誘導上手なんだよな…… と吉岡は感じていた。
そうゆうところは、やっぱり作家だ。
「……創作活動に従事したいと思って、出版社を受けてました。幸い弊社は学部にとらわれず、新卒採用をする社風だったんで 」
「へぇ…… 一年も一緒に仕事してんのに、知らなかったわー 」
朱美は起き上がると、事前に考えておいた相変わらず殴り書きのト書きのプロットを吉岡に渡した。吉岡は目線を一瞬紙に移したが、あまり気にすることなく話を続けた。
「…… 学生時代に僕は工業工学が専門で、ゼミの仲間と短編CGアニメとか作るのに夢中でした。ネットにアップして、再生回数も万単位だったりして…… 今でも、いい思い出です…… 」
「吉岡は、それを仕事にしようとは、思わなかったの……? 」
「そうゆう道に進んだ同期はいますけど……。CGクリエーターとか、アニメーターとか。僕はコンテ作ったり、調整役みたいな部分が多かったんで…… 編集を志望した感じです 」
「CGクリエーター、アニメーターって、そうゆう友達いるってこと? 」
「えぇ。ゼミの半分は、そっち系に進んでんで、8人くらいは…… 」
吉岡の発言を聞き、朱美は不適な笑みを浮かべた。
「そっか…… じゃあ、答えは簡単じゃん 」
「へっ、神宮寺先生、なんか言いました? 」
吉岡は、もう既に半分上の空でパソコンに何かを打ち込み始めている。
「あのさ…… 合コンしない? 」
朱美はそういいつつソファーを立つと、吉岡が膝に置いていたプロットを、さっと奪った。
「へっ…… ? どうゆうことっすか? っつーか、何で取り上げるんすか、プロット…… 」
吉岡は目を丸くして、ボーゼンと朱美をみていた。
「そりゃ、次週のプロットを物質にすることを、たった今思いついたからよ。返して欲しけりゃ、クリエーターたちと合コンさせて 」
「はぁ……? 神宮寺先生、なに言ってるんですか? 」
「だって、話思いつかなかったら、自分で体感するしかないじゃん。吉岡はあたしの右腕なんだから、私の創作環境をサポートするのは自然な流れでしょ 」
「っつーか、俺の友達ってオタクばっかだし、そもそも社畜だし、先生の望むようなリア充的な男子は、多分一人もいませんよ…… 」
「社畜って…… 吉岡だって、そんなもんじゃん 」
それはっ殆ど全部、あんたのせいだよっッ、と言いたかったが、吉岡は寸前で言葉を飲み込んだ。
「とりあえずっッ、まず出会って恋をする。そうしないと、海蘊(漫画のキャラの名前)はイキイキしない。そうゆうことだ…… 」
「海蘊にオタク彼氏が出来ても、読者ドン引きですけどね…… 」
吉岡は軽くため息をつきながらスマホを取り出すと、徐にいじり始めた。
「何、もう連絡し始めてくれたの? 」
朱美が、ワクワクした口調で吉岡に尋ねた。
すると吉岡は、
「言っときますけど違いますよ。大体、今日プロット通らないと困るの、神宮寺先生の方ですからね 」
とピシリと答え、再びスマホに目を移した。
「いいアイデアと思ったんだけどなぁー。この際、なんでもいいからーさぁー 」
朱美は、またソファにパタンとなると、ふっとため息をついた。
「……神宮寺先生、僕は今週の展開には賛成です 」
朱美はその吉岡の言葉に、思わず耳を疑った。
無意識にソファーから、吉岡を振り向く。その顔は明らかに動揺した顔だった。
「海蘊が雨の中、豊のアパートの前で泣く…… もう男の俺でも、ズッキューンと来ますね 」
「へっ……? あの、もう、プロットに目通してたの? 私と話してたのに? 」
「えぇ…… 僕、自分で言うのもあれですが、割と速読なんです…… 」
朱美は驚いていた。
原稿に目を通したのは一瞬で、あんな殴り書きみたいな字を、しかも別の話をしてるのに、あの分量を一見しただけでしっかり中身を理解してるなんて……
無性に悔しくなってきた…… この感情は断じて気のせいではない。
「じゃあ…… 最初っから、私の物質作戦は…… 意味なかったってこと!? 」
「そうなります。けど俺もたまには、友達孝行したくなりました…… 」
吉岡はそう切り出すと、またスマホをいじりだした。
「神宮寺先生…… 来週の土曜日なら、二人くらい集められるかもしれません…… 」
「へっ!まさか、吉岡~! 」
「僕も、たまにはリア充みたいなことしたくなりました…… 元々その日は、仲間内で飲む約束をしていたので。友人はマジでオタクだし、しかも先生のペン入れは、佳境だとは思いますが…… 」
「いい、何でもいい!それまでに、私描くからっ 」
「分かりました。じゃあ…… 三人位に声かけてみます。先生もお友達に、声掛けといて下さい 」
「わかったー! 」
朱美はルンルン気分でスマホを取り出すと、片っ端に心当たりの友人を探し始めた。
とりあえず…… 息吹は決定、茜は有名人だから却下、桜ねぇは…… 年下は眼中になさそうだし、そもそも恋愛の話をろくにしたことがない。そうなると高校の友達あたりが妥当なラインか……
朱美はブツブツいいながら、物質だったプロットを吉岡に返却した。無意識にスキップを踏んでいたのは、これはご愛嬌だ。
吉岡はプロットを受け取りつつ、目を再び紙に通しながらまたアイスティを一口味わった。
「だだ…… この話、一つ条件つけていいですか……? 」
「えっ、何? 」
朱美は吉岡を振り返りもせず、相変わらずスマホをいじっていた。
「先生、合コンまでには…… 絶対原稿終わらせて下さい。じゃなきゃ、この話はなかったことでお願いします 」
「えっ、はっ、ちょっッ……、エッー! 」
さすがに朱美もこの発言には言葉が出なかった。来週の土曜日だなんて、いまから十日後ではないか。いつもほぼ二週間MAXに使って原稿を描き上げる朱美には拷問のような設定だった。
朱美は慌てて吉岡からプロットを取り返そうと、下の階の住人に迷惑をかけない最大速度で駆け寄り右手を伸ばしたが、あっさりと交わされた。
「何ソレ、それズルくない!? こっちは、まだネームに取りかかってすらいないんだけどっッ…… 」
朱美はちょっとムッとした表情で、吉岡を睨むように直視した。吉岡とは格闘技のような、年頃の男女にしては些か接近したやり取りになってはいたが、二人はその状況を気にする素振りは微塵もない。
「先生が何を言っても、聞く耳持ちません。僕も昨日みたいに、ジメジメの屋外で夜を明かすのはごめん被りたいんで…… 」
「ずっるっッ、いつも十日でできることなんて、よくても原稿に取りかかるとこ位までじゃんっッ…… 」
朱美はムッと顔を膨らますと、ぷいと吉岡の背中をど突いた。
「っッ痛ッ…… 別にいいんですよ、僕は。先生抜きでコンパしても…… 」
吉岡は背中をさすりながら、朱美を振り返った。
朱美の作画ペースなら、下書きと原稿だけでも最低五日は必要だ。となるとあと五日以内にネームを完成させないと、物理的に間に合わない。一番キライなネームに割ける時間がこれっぽっちとは…… ただの拷問だ。
「もう…… わかったわよ…… やればいいんでしょ、やればっッねっッ 」
朱美は向かいのソファに落ち着くと、頭をかき乱しながら深いため息をついた。
「ってゆうか、吉岡って、絶対Sでしょ…… 」
朱美は、うつ向きながらそう呟いた。
すると吉岡は悪い笑みを浮かべながら、こう切り返した。
「その言葉、そっくりそのまま、先生にお返ししますよ…… 」