ほろ酔い おやすみ
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「ったく、マジで須藤、いつかぶっ飛ばすっッ! 」
「ちょっ、ちょいッッ…… 茜、声がデカイからっッ 」
妙齢の女性が発したとは思えない茜の暴言を聞くなり、隣に座っていた息吹が慌てて彼女の口元をおしぼりで塞いだ。桜の事前情報通り、今日の茜はいつもにも増して荒れていた。注文した中生の半分はあっと言う間に空いているし、多分ここにくるまでに既に幾らか飲んでいる、そんな雰囲気だった。
「参ったよー、改札で会ってから、ずっとこの調子でさー。ちょっと…… 困ったちゃんだねー 」
桜は慌てるような様子を見せることもなく、ため息混じりにハイボールで喉を潤すと静かにタバコに火をつけた。同性から見ても、ちょっとした所作が様になる。無造作に纏められたブロンドヘアーは、店の間接照明も相まって今日も艶やかだ。
朱美と息吹は全く事情が見えてこなかったが、須藤とゆう単語を聞いて、とりあえず早朝の生放送に問題があったらしいことは察しがついた。
「須藤って、スパーキン須藤のこと?あんたの番組の? 」
息吹が茜に尋ねながら、半個室の障子をずらした。茜は一応有名人なので他人の悪口を連呼したり顔が周囲に見えるのは、いろいろと都合が悪い。しかも始末が悪いことに喋り手であるから、声もよく通るのだ。
「もうね…… 毎日まーいにち、まぁあーーいにち、あいつのセクハラ・パワハラ言動に反吐がでそう……っつツ、ヒクッっ…… 」
茜が話しながらも勢いよく中生をグイッと煽った。ボブヘアーがさらりと舞い、髪が前髪まで乱れる。身なりはいかにもキャリアウーマン風の幾何学柄のワンピースで決まっているのに、その仕草はまるで新橋のサラリーマンにしかみえない。そんな様子を見かねたのか、桜がすかさずツッコミをいれた。
「茜さぁ…… 一応日本中の女子憧れの関東放送のアナウンサーなんだからさぁ…… ちょっとは周り気にしなよ 」
「私は、あんな存在がイヤミな、オジサン小舅の小言を聞かされるために、アナウンサーになった訳じゃないからね。我慢にも限界ってがあんの 」
茜は少し頬を高揚させながら呟くと、ジョッキを手で少し覆いながら少しだけ俯いた。
「今日なんか、急に差し交わった原稿で私がちょーっとトチリかけて…… でも根性で、ギリ噛まずに読んだのよ。そしたらんまぁー、CM入った途端、私が普段は安定エースで…… 滅多に噛まないもんだからぁー、ここぞとばかりにプロ意識ないだのー 前任者の吉原は完璧だったのー、もう集中攻撃っッッ。今日なんか本気で泣いてキレそうだったからねッ!あの、クソ中年他局出禁野郎っッ 」
茜は勢いでジョッキの中身をすべて飲み切ると、すぐさま呼び出しボタンを連打し始めた。桜が軽く手をかけ茜を制止するが、三人の若干のドン引きは否めなかった。
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茜が一年前から早朝ラジオでタッグを組むスパーキン須藤は、遠慮のない物言いとブッコミ爆弾発言で遅咲きのブレイクを果たし、一時期は団塊の世代を中心に潜在視聴【聴取?】率トップ10入りするくらい人気がある妙齢なレントであった。
だが齢を重ねたことと世間の人気が比例して、態度がだんだん横柄になっていったのだろう。数々の不適切発言、あまつはて勢いで出馬した参院選の落選と重なり、今や彼の級友が編成局長をやっている茜のラジオ局の早朝番組で、なんとか食いつないでるようなヤツだった。
そもそも何故こんなに須藤のことが詳しくここに書かれているかとゆうと、まぁ、いつも茜の愚痴で何十回と聞かされているからに他ならない。
「まぁまぁ、落ち着いて。それはホントーに酷いヤツだった 」
息吹が朱美のジョッキを自然に取り上げつつ、その手の先に彼女の好物の梅水晶をまわした。
だが茜の酔いは深みを増していた。既に目は据わっているように見えるし、まだブツクサと「あのカタカナ野郎」とか「さっさと、酒よこせ」だの訳のわからないことを呟いている。
すると桜が隣にいた朱美に、静かに耳打ちした。
「決めた…… 」
「へっ? 」
「今日は、特に酷い…… サッサと潰そ。その方がみんな平和だ…… 」
朱美は思わず、桜を振り返った 。
桜ねぇ、今さらっと、スゴいこといいました?
しかし桜はそんな朱美の視線に構うことなく、メニューの焼酎のページをめくりだした。
「わかった、茜、今日は飲も。私も今日は飲むわ。焼酎なら何でもいい? 」
「もちろん、桜ねぇありがとーっ。やっぱり、飲ま【れ?】なきゃなんないこともあるよねっッ 」
茜は一瞬笑顔になると息吹のレモンサワーを奪い、また怒涛の如く飲み始めた。
息吹は悲鳴を上げかけたが、桜は一睨みで一蹴した。
息吹は一瞬、桜の本性を見たような錯覚に陥り、背筋が凍る思いがした。 桜は店員に強めの焼酎をロックで2つ頼むと、優しい笑顔で茜に微笑む。その様子をみた朱美は、思わず桜を再び振り返った。
「ちょっ、桜ねぇっ、それじゃ茜、寝ちゃうじゃん 」
「いいよ。だいたい、我を忘れて、公衆の面前でギャーギャー騒いで。その方がよっぽどヤバいっしょ。いくらラジアナとはいえ、誰に見られてるかもわかんないし…… 黙らせないと後から、後悔すんじゃない? うちらと茜は、立場違うんだから…… 」
「そりゃ…… そうだけど…… 」
朱美と息吹は同時に顔を見合わせると、二人同士間に『はぁ』とため息をついた。いつ頃からか、いや、もしかしたら完徹同盟結成当初からかもしれないが、桜はいつもこのチームの答えだった。
桜がイエスと言えばそれは正義だし、ノーと言えばいつもそれは悪なのだ。
「桜ねぇ?」
息吹は恐る恐る、桜に声をかけた。
「なに?」
若干ぶっきらぼうな返事に息吹は一瞬寒気がしたが、言い出した手前、話を続けることにした。
「桜ねぇ…… やっぱまだ現役っしょ? 」
息吹が恐る恐る、そのカリスマ性の権化を模索する。
これはただの興味の域の詮索だ。
だが直ぐに桜の鋭い視線が息吹に返ってきて、息吹の表情は思わず引きつった。
「はぁ……? 何言ってんのよ。こんなの、私の前職以前の話だわ。昔のあたしなら、そんな廻りクドいことしないで、外に捨てて他人のフリか、ボコッて黙らすか、どっちか…… 」
桜様っっッ!?
ボコるって、ナンデスカっッ…!?
朱美と息吹の酔いは、一瞬にして飛ぶしかなかった……
そもそも一般人である我々が、桜と友達なことさえ奇跡に感じられる。
そんな二人の気を知ってか知らずか、桜は届いた焼酎を半分寝ぼけ眼の茜の前に置くと、さっそく自分の分の酒を飲み始めた。
「茜…… 気持ちは、解らなくもないよ…… 私も店長とやり合うしさ。私も店長には勝てないし…… 」
「うん…… 」
茜は目を閉じながらグラスに手をかけ、静かに桜の話す内容に耳を傾けていた。
「けどさ……いちいち真に受けてたら、やってらんないよ。そうゆうヤツは、どこの現場でも嫌われてる…… それでイイじゃん。あんたがキレることに使う時間こそ、勿体無いとは思わない? 」
「うん…… わかってる。私も本人に面と向かって抗議もせずに、影でギャーギャー言っててさ…… 」
茜は俯きながら焼酎に口をつけると、ゴクリといい音をたてて飲み始めた。
「まぁ私も仕事の休憩中に、たまに茜の番組聞くけどさ。私はあのオジサンも、持ってあと1年ちょっととかだと思うよ。大体、あの人が言ってることってツマンないんだよね。世の中の毒舌ブームは、もう終わっちゃってるしね 」
「そうだよね、やっぱ桜ねぇも、そぉ思うよね!? 」
茜は一瞬テーブルに身を乗り出すと、またパタンと席に腰かけた。
「茜……? 」
心配そうに息吹が茜の肩を優しく小突く。すると茜はあっさりと壁に持たれてそのまま目を閉じていた。
道中の一人酒の効果が現れ始めたのだろう。そのままズルズルと、体を倒して、寝息を立て始めた。
その様子を見ていた桜はやれやれとばかりに、次のタバコに火を付けた。
「ったく、世話のかかる妹持った気分よ…… 」
「でも、流石だね。茜、堕ちたよ…… 」
息吹もタバコを手に取りながら、呆れた顔で茜を見下ろした。
「案外、あっさりだったね。こりゃ、ここに来るまでに、相当飲んでるわ 」
桜は息吹にも火を勧めた。息吹もそれをもらって煙草を口に含むと、二人同時にフーっと煙を天井に吹いた。
「ってゆうか、道中で人様に迷惑かけてないとイイケド 」
息吹はスマホで時刻を確認した。
赤坂から八重洲までタクシーで来たならともかく、恐らく電車、しかもラッシュアワーに乗って参上したとなると、茜は些か目立っていたかもしれない。しかも一般人であっても朝の酔っぱらいは目立つのに、こともあろうか茜は芸能人のようなものだ。二人は、鈍感で世俗離れした朱美を他所に「はぁ…… 」とため息をついた。
するとその様子をみていた朱美が、桜にこんな問いかけをした。
「あの……さぁ…… さっきのって本当なの? 」
「さっきのって? 」
「えっと…、店長とやりあった、云々かんぬんのくだり…… 」
「あんなの嘘に決まってんじゃん。そもそも私、店長と喧嘩なんかしたことないし 」
……!?
それは、二人が良好な関係だから?
それとも、桜ねぇが、ねじ伏せてるってことっッ?
聞きたくても聞けない空気がその場に流れるのは、今日に始まったことじゃない。
朱美は温くなったグラスを手にするとグイッっと煽った。もはや酒の味などどうでもいいくらい、徹夜明けの体にはアルコールは廻っていた。
「じゃ、桜様酔っぱらい介抱所は、店じまいしたからね。あとは朱美、あんたが茜送りなよ 」
「えっ、なんであたしっ!? 」
朱美は驚いた表情で、桜を二度見した。
だいたい茜の家の正確な場所なんて、よく知らないしっッ。
「だって明日も平日だから、息吹は仕事でしょ。あたしは、ちゃんと寝かし【つ?】けるとこまではしたし。朱美が居るってことは締め切り明けってことだから今日はあんたの番。場所はあとで地図送ってあげる 」
「えーっっッ?!マジでーっ。面倒っっッ!」
「朱美は諦めな。そろそろ静かに飲むよ… 」
桜は呟くと、茜の分の焼酎もチビリチビリと飲み始めた。
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遠藤桜。現職某有名ファミリーレストラン店副店長。
一応、この四人組の中では、一歳年上のお姉さんになる。
本人曰わく桜の前職とは、昔少しばかりヤンチャや悪さを働いていたときのことを指しているらしい。だがそうゆう類の自己申告は、往々にして過小評価だったりする。
桜のチームは、地元千葉では全域を支配するようなヤンキーグループで、しかも幹部クラスの存在だったらしい…… とゆうのは本人談でなく、朱美がネタに困ってネットサーフィンをしていたとき、偶然見つけたものだった。
逮捕は免れていたようだが事情聴取や補導なんかは当たり前の世界だったったとゆうから、いまの職業や夜勤をバリバリこなす真面目さからは想像がつかない。
桜には姉御肌とか、そうゆう言葉だけでは表しきれない人を惹きつける魅力がある気がする。そりゃ数百人とかを束ねていた人間だ。それなりの人徳はないと、人はついて来ない。それはここ2年で知り合った完徹同盟のメンバーも、若干感じている部分だった。
「そういえば、桜ねぇ、明日は仕事? 」
朱美が話題を変えようと桜に話しかた。
「明日は、休み 」
「なっっッ、じゃあ、桜ねぇも一緒に茜んち、行けないかなぁ……? 」
朱美はすかさず休みとゆう単語に反応するが、その思いは桜にあっさり一蹴された。
「地元に野暮用があってね。今日は、夕方のバスで、帰りたいんだよね。じゃなきゃ私もこんなピッチじゃ飲まないよ。若くないし 」
「えっ、何っ?桜ねぇ、これから実家帰るの!?じゃあさぁ、落花生買ってきてよ。やっぱり房総ものは、味が違うからね 」
朱美は目を丸々とさせて、桜を上目遣いで見つめる。
「はぁ、落花生? 」
「うん、お金はちゃーんと払うから! 」
桜は一瞬遠くを見つめたような顔をすると、また煙草を口に含んだ。
「ってゆーか、正確には実家じゃなくて…… 子守しにダチんち、行くだけだからね…… 」
桜は灰を落としながらスマホを取り出すと、メモ欄に【落花生】と打ち込む。
「えー、ありがとー!じゃあ、仕方ない。今日は茜は適当にやっとくわ 」
「ってゆうか、朱美はホント単純でいいよね 」
すると二人の一連のやりとりを聞いていた息吹が苦笑しながら割って入った。
「桜ねぇ、お腹は空いてない……? 料理はこれ以上頼んでないけど 」
「そうだね…… 店のまかない食べてきたから、あんま空いてないけど…… 」
そう言いながら桜はメニューの甘味ページを物色し始めた。
「ってゆうか、焼酎と甘いのって、合うの?」
そう質問したのは、息吹だった。
「合うよ。一番ってくらいに。特に生クリームとのマリアージュは、最高だと思うけど 」
桜の口から 生クリームとゆう単語がさらり出たことに二人は若干の違和感を覚えたが、桜は構わずにマイペースに酒を楽しんだ。
現在時刻は、午前11時。
夜勤女子の彼女たちにとっては、終電間近の23時の光景だった。




