センターオブザトウキョーにて
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「……年の瀬ですね 」
「そうだねぇ…… 」
遠藤桜は作業台に肘をつきながら、相変わらず全く似合わない制服姿で、バイトの織原の呟きに相づちを打った。
織原は一応暇を持て余さないようにシンクやら作業台の掃除をしてはいたが、桜は今日はここにいるだけで感謝してくれ的なオーラを醸し出している。今夜はいつもにも増して客は少ないので、必然的にホールには出ずにキッチンに入り浸っていた。
日本一の金融街にあたるこの界隈は、平日こそはビジネスマンやビジネスウーマンで賑わっているものの、土日になると一気にゴーストタウン化する。それは年末年始も例外ではない。
こんな大晦日の、しかも間もなく年越しとゆう時間帯に、店を開けている意味が果たしてあるのか疑問は絶えない。だが実際、いま自分はこうしてここにいる。客入りはともかく、少なくとも会社はそれを望んでいるから、この定めは仕方ないと割りきる他ないのだろう。
「織原は年末年始も、毎年普通にバイトしてるよね 」
「えぇ…… まぁ…… 」
「大晦日も働いてくれると、こちらとしては大助かりだけどさぁー。年末年始は帰らなくていいの? 」
「……実家帰ってもすることもないですし。それに足代が高いじゃないですか。遠藤さんこそ年始は帰るんですか? 」
「……そうだね。年始は3日から連休はもらったけど…… 多分、帰らないかなぁ…… 」
「そうですか。房総ならすぐ行けるのかなーとか思ってたんですけどね 」
「実家は正月はお客さんばっかり来て、実家はゆっくりもできないしね。それにまぁ……いろいろあるし 」
桜は苦笑いを浮かべながら、織原の問いかけに返事をした。いつも房総に足を運ぶ理由を帰省と偽ったりしてはいるが、本当のところは実家には顔を出しずらい状況にある。母はそれでもたまに段ボールにいろいろ詰めて送ってくれるが、自分がヤンチャしたせいで家族にはさんざん迷惑をかけたし、公務員の兄家族も同居しているので勝手に気まずさを感じている節はあった。
「まぁ、シフトだと年末年始といっても、いつものターンで休みが回ってくるだけですからね。落ち着いたタイミングで帰省するのもアリですよね 」
「うん……まぁ、そうゆうとこだね 」
桜は言いつつ、改めてカウンターの磨りガラス越しに、ガラリとした店内を見渡した。
いつもは終電を逃した人や、何故夜中に起きているのかよくわからない人で、店内は半分近くは埋まっている。
しかし大晦日ともなれば話は別だ。
大晦日は電車も終日運行しているし、特に年越しの瞬間はわざわざファミレスで明かすという人はごく少数だ。
この会社ではバイト時代を含めて数年は働いているが、紅白を自宅で観たのは2回しかない。それに自宅で一人で居ても無性に虚しくなるし、しかも元旦から仕事だから年越しは一人寂しく寝るしかなかった。それを思えば自分は帰省出来る場所もないし、友達だって家族と過ごして一緒にはいられないのだから、逆に会社で過ごした方が寂しい思いもしないのかもしれない。
「もし年末年始、普通に9連休あったら遠藤さんは何をしますか? 」
「9連休……ねぇ…… 上京してから、そんな長い休みを貰ったことないからなぁ 」
桜は少し考えて、うーんと考え始めた。
あくまでも仮の話であるはずなのに、桜はつい真剣な表情を浮かべていた。
「……うーん、やっぱ海外行きたいかなぁ。私、海外って韓国しか行ったことないなら 」
「海外かぁ…… いいですねー。やっぱ暖かいところですかねぇ 」
「そうだね。ハワイとかパラオとか。ダイビングとかして、珊瑚とか魚が見られたら最高だよね 」
桜は少し物思いに更けながら、遠いい目を浮かべながら話を続けた。数少ない客たちはどうやらコーヒー一杯で、静かに瞳を閉じて朝を待つ作戦らしく、すっかり織原との雑談に花が咲いていた。
そういえば完徹同盟4人で行った韓国は冬場だったから、とても寒かった。あのときは茜が簡単な韓国語を勉強してくれて、いろいろ連れていってくれて楽しかった。あんな感じで異国に行けば、何だか気分転換できるような気もしなくはない。
「さてとー、たまにはホールにでるかなぁ。まぁ、お客さんみんな寝てるんだろうけどさぁ 」
桜は少しだけエプロンを整え、身なりを整える。
すると織原が、
「遠藤さん、そろそろ0時ですよ 」
と時計を見ながら声を掛けた。
「あっ、そうだね。あと一分くらい? その時計があってるかは、ちょっとよくわからないけど 」
「まぁ、大体でいいんじゃないですか? 」
織原は店の壁時計と自分の手元の時計の時間を確認した。織原は電波時計を装着しているが、特に時間が違うとも言わないから、大体いい線をついているのだろう。
「織原、今年もお世話になりました。また今年も宜しくね 」
「こちらこそ、今年も宜しくお願いします 」
二人は軽く頭を下げ合い挨拶を交わした。そういえば今年とゆうか去年も、こんな感じで織原と夜勤をしていたような気がする。
毎年毎年、懲りることなく織原と年を越している。それどころかほぼ毎日、特別じゃない日の方がよっぽど一緒に仕事をしている。自主的に音信不通状態にしてしまっている家族より、この数年はよっぽど変化のない時間を毎日一緒に過ごしているのではないだろうか。
変化のない日々はツマラナイ。
毎日刺激が欲しいと言う人もいるけれど、これはこれでいいのだとアラサーの今なら心の底から言える気がする。
「織原、あのさ、今日は明けで浅草寺行って一杯やらない?ついでに初日の出も見てさ 」
「おっ、いいですね。でも混まないですかね 」
「上がりは5時半だから、平気っしょ。でも寒いかなぁ…… 」
「どうですかねぇ…… 」
桜は難しい顔を浮かべる織原を他所に、コーヒーポットを片手にホールへと出ていった。
綺麗な朝焼けしかも初日の出を楽しみに働けるのは、夜勤の数少ない特権だ。
今夜、空には雲ひとつない漆黒の闇が広がっている。
きっと誰かと一緒に拝む初日の出は、とても美しく見える。だから頑張れる。
桜はそんなことを思いつつ、タプタプのコーヒーポットを持ちながら、静かに店を歩き始めた。