番外編② 11月11日 至福の一時
都内某所 東京都水道局 某管理センター
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息吹は数時間振りに事務所に戻ると、作業着姿のままデスクに突っ伏した。予算が下りたこの時期は公共工事が集中する。普段の漏水対応だけでなく、劣化した幹線道路の水道管の交換工事も参入してくるものだから、ほぼ毎日夜の工事現場の見回り業務が続いていた。
そういえば…… 今は何曜日だっただろうか……
息吹はデスクにある卓上カレンダーを確認した。息吹にとっての今日は、水道新聞の発行日であることを思い出した。
水道新聞を読むのにはやっぱり夜勤、それも帰宅間際の朝6時くらいが調度いい。
息吹の所属する水道局では、それほど部数をとっていないので日中は局員で奪い合いになるし、若手の分際では何かと遠慮も多い。
息吹は新聞を手にすると内容に目を通し始めた。定時まではまだ数十分あるし、今日は休憩の取得も不十分だ。いま新聞を手にしたところで咎めるものはいないだろう。
息吹はデスクの引き出しの下段から、いつもストックしているポッキーを取り出すと徐に口に運び始めた。一本づつ、ポキッっと音をたてながら食べ進める。例のゲームの推しの一人が作中でしょっちゅうポッキーを口にする描写があり、息吹はすっかりポッキーにハマっていた。ゲームとは思えないクオリティで、彼はポキッっといい音を立てて、子リスのように満面の笑みでそれをむしゃむしゃ食べている。そんな彼を夜な夜な見ていたら(正確には朝寝る前に)、自分まで無性にポッキーを食べたくなってしまうのだ。
日勤をしていたらポッキーを食べながら事務所で水道新聞を読むのは、少し目立つのかもしれない。
しかし今、事務所には誰もいない。
静かに誰に気を使うこともなく、ポッキーを片手に水道新聞を読むことができる。
まさに至福の一時だった。
正直に言うと息吹は夜勤自体は好きではない。
だが意外かもしれないが、息吹は仕事が好きだった。
夜勤同盟のメンバーを含め、このロマンを理解してくれる人はほぼいない。だから息吹は普段、声を大にして仕事の中身は語ることはあまりないが、工事の立ち会いといいつつ、水道が敷かれていく様子を見るとドキドキするし、お役を果たした古い水道管が地上に引き上げられるのをみると思わず感極まることもある。自分が設計した配管で工事が行われたときは、本当に嬉しくて仕方なかった。
自分たちの歩く地面の下を縫うように、上下水とガス、そして電線までも緻密に計算され、共存するように埋まっている。私たちの生活を当たり前のように支えてくれているこの軌跡は、とても貴重なもので、だからこそワクワクが止まらないのだ。
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気づくと箱の中身は空になっていて、時刻は定時を迎える頃合いになっていた。
そろそろ退散しないと、息吹にとっての明日を迎えた時短組のママさんたちと顔を会わせることになる。
年頃の息吹にとって、それは避けたいのが乙女心の本心なのだ。
さて日報を記入してそろそろ着替えるか。
ふと息吹は窓に目をやった。
ブラインドの隙間からはちらちらと日の光が漏れて、放射線状に床を照らしていた。
今晩もきっと絶好の公共工事日和になるに違いない。
息吹はそんなことを思いながら、帰り支度を始めたのだった。