表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ガールズ!ナイトデューティー  作者: 高城 蓉理
如何なるときも全力で!
102/111

小暮と吉岡の昔の話

■■■



 フリーランスなんて世知辛いだけだ。

 なんの保証もないし、生活だって不安定。

 それでも大手出版社という安泰を蹴ってこの道を選んだのには、自分を試してみたい、ヤツを超えたい、その好奇心だけのハズだった。


 小暮美和子は今日も 都内の一等地に建つマンションを張り込んで、三日目に突入していた。

 もうここまで来ると自分でも何がしたいのか良くわからなくなってくる。そこにあるのはただの根比べ、そして無謀な意地の張り合いだけだ。


「小暮さん、飯を買ってきましたよ 」


「ありがとう 」


 小暮はコンビニ袋に入ったサンドイッチと缶のコーンスープを受けとると、その相手に礼を言った。トータルで三百円にも満たないランチだが、食事の内容に興味を持つ余裕はない。

 今回の長期戦の助っ人に選んだのは、山根というフリーの写真家で、まだ小暮と仕事をし始めてからはそれほど歴は長くはなかった。


「小暮さん。運転席に座りっぱなしで、体が痛くなりません? エコノミークラスなんちゃらにならないか、ちょっと心配ですよ 」


 山根はそう言いながら車のドアを閉めると、助手席を目一杯後方まで下げて 足元のスペースを確保した。


「これくらいの窮屈は私は慣れてるから、定期的に体を動かせばいくらでも防げるわよ 」


「さすがっすね。自分は普段スチールがメインだから、こういう体力勝負みたいなのマジでシンドいんですけど 」


「そんな弱音ばっかり言ってるなら、私は引き留めないわよ。撮れ高がなければギャラは出ないし、私にはあなたを引き留める権利も義理もない 」


「それは…… 」


 山根は小暮のあっさりとした物言いに、一瞬言葉を失った。仕事があるだけ有り難いのだが、少しの弱音だけでここまで一蹴されるとなれば、業界の厳しさを感じざるを得ない。


「もし生活かかってんなら、多少キツくても黙って耐えるしかないわね。山根くんはギャンブル? 女? まあ、別に何でもいいけど…… 」


「……自分はただの生活苦ですよ。奨学金の返済もあるし、写真は機材揃えるにも金が掛かるんで 」


「じゃあ、やるしかないじゃない 」


「……はい、その通りです 」


 山根は小暮に無理やり言いくるめられるように同意する。言われていることはすべて正論が故に、適当に聞き流す訳にもいかないのが何とも悩ましかった。


「山根くんさ、いま私のことを ドライな人間だなと思ったでしょ? 」


「いや、そんなことはっッ…… 思ってませんけど…… 」


「よく言われるから、それくらいじゃ私は傷つかないわ。それに自分でもそう思ってるし。分かってはいるんだけど、変に空気読むのにも疲れちゃってね。だいたい忖度をしてたら、スクープなんて一生上がらないし 」


 小暮はそう呟きながらコーンスープの缶を手に抱くと、フロントガラスから目の前のマンションを覗き込むように見上げた。アイドリングはさすがに出来ないから、室内は外気と同じ状態で とにかく寒い。少しでも暖を取るには足を組んで、貼るカイロを駆使して じっとする。とにかくそれに限るのだ。


「小暮さんは凄いですね。信念のためなら 何でもできる。覚悟が違います。僕は金のために張り込みしてるだけですから 」


「別に 私だって信念なんかないわよ。いま張ってるのだって、ただの不倫だよ? ただの不倫に三日間。しかもクラブのママに動きはない。やっぱり会期中にママと例の議員が接触するのをパクるのは厳しいかもね 」


「そうですね。ママは三日間、犬の散歩と仕事でしか外に出てないですし、議員は店にも顔を出してないですしね 」


「二期目の政治家の情事を暴いたところで、儲かるのは政敵だけ。選挙区の住民は別として、一般庶民には大した影響なんてない。そうなると 私の中にあるのは、ただ世の中に衝撃をもたらしたいっていう 下らない意地だけね。そのためなら他人の芝生だって平気で荒らすし、自分でも性格悪いって自覚はあるから 」


 小暮はそう言うとサンドイッチを一口噛り、また目の前のマンションを見上げる。相変わらず例の部屋の動きは、一向に見えてこなかった。


「小暮さんをそこまで突き動かす原動力って、何なんですか? 」


「原動力? 」


「あっ、すみません、出過ぎたことを聞いてしまいました。忘れてください。ちょっと興味が沸いてしまって…… 」


「そうね…… 同期の天才に勝ちたかった。ただそれだけのために、記者を続けてるんだと思う。私は…… 」


「同期? 」


「同期と言っても、元同期ね。私は脱サラして、今はフリーだし。その同期も記者は辞めて、今は漫画の編集者してる 」


「はあ…… 」


「まあ、いま記者をやってない人間に勝負挑んでも、仕方はないんだけどね。簡単に言ったら悔しかったのよ。最初の頃は私の方が優秀だったし、ヤツがメンタルヤられたときに頼られたりもして。優越感があったんだよね。そんな狭い世界で大成しても仕方ないのに 」


「何でそんな駄目人間に、勝ちたいと思うんですか? 」


 小暮は山根の何か引っ掛かりがあるような物言いに、妙な違和感を覚えた。確かに今の話だけを聞いたら、自分の行動は不思議に感じられるかもしれない。

 仕事仲間ではあるが、明日のライバルでもある相手に弱味を見せるようなマネはしたくはない。しかし今回はかなりの長期戦が予測される。山根と交代で張り込みをしている現状と、これからの関係性を考慮すると、このまま中途半端に疑問を抱かせたままにしておくのも良くないような気がした。


「ヤツが駄目男だったのは、ほんの一瞬のことだったから…… その時はお互いに捌け口がなくて、持ちつ持たれつやってた。でも向こうは入社半年過ぎた辺りから、まずは芸能からスクープし始めてね。書道家の杉瀬早雲と女優の松田直美のデキ婚、一番最初に同期がスクープした 」


「ああ、あの記事! 覚えてますよ、ビックリしましたもん! 」


「二十三歳そこらの若造がスクープしたんだよね。そう考えると驚くでしょ? たまたま新宿のカフェで一緒にいるところを仕事中に見かけて、そのまま尾行したんだって。そしたらビンゴだったみたいで。しばらく張ってたら世田谷の一等地を内見し始めたりして、即スクープだったみたい。たまたま街で芸能人に出くわす運も凄いけど、何よりそれに気付く洞察力が備わってたってことなんだろうけど 」


「まだ自分はあの頃は学生でしたけど…… 噂も何もないところからの報道だったから、とても衝撃的だったのは覚えてます 」


「火も煙も立たないところからのスクープだったからね。それからヤツは覚醒した。世の中にインパクトを与える快感に目覚めたんだろうね 」


「人生は何がきっかけになるか、分からないもんですね 」


「とにかくヤツは人脈を作るの上手かった。情報網のためには、タクシーの運転者からバーの店員まで顔が広かったね。しかも全員自分の味方に引き込む。どんな技を使ってたかは、今でも謎なんだけど。で、二年目に入ったら汚職とか政治絡みのネタも上げるようになって。かなり溝を開けられたわ。本当に悔しかった 」


「でも小暮さんも、いろんなネタ上げてますよね? 」


「私は社会を動かすまでのネタは、まだ上げたことない。ヤツはその後も政治家の不正献金事件とかヤミ賭博とか、バンバン上げて世の中にインパクトを放ってたから。悪を裁く、まるで殿様のようにね。刑事事件にまで発展したりして、それはもう凄かった 」


「二十代前半で、そんな…… 凄い才能ですね、その人。それなのに辞めちゃったなんて勿体ないですね 」


「そうね。普通そう思うよね 」


 小暮は山根の疑問に同意すると、また目の前のマンションを見上げる。そしてまだ何の動きもないことを確認すると、一言こう呟いた。


「公設秘書が自殺未遂したの 」


「えっ? 」


「ヤツが上げた不正献金疑惑の記事で、国会が停滞して。審議も全然進まないし、あのときは衆参でねじれてたから、与党も埒が明かなくなってたの。そんなとき証人喚問に その渦中の議員の公設秘書が呼ばれてね。 証人喚問は参考人招致と違って、正当な理由が無しに出頭や証言を拒んだり、嘘の証言をしたら偽証罪で問われることもある。追い詰められたんだろうけどね、その秘書が出頭前日に国会のトイレで未遂事件を起こしてね。幸いにもすぐに発見されて一命は取り止めたんだけど、それがヤツには堪えたみたい。もちろんその記事をきっかけに特捜が動いて議員も秘書も逮捕されたし、記事は正確なところではあったんだけど…… 」


「ああ、何年か前に与党議員がそんなような事件を起こしてましたね。思い出しましたよ。 あれもメディア発信だったんですね。しかも小暮さんの同期だなんて…… 」


「ヤツが暴いたことは犯罪だったわけで、スクープを上げたこと自体は別に問題はないハズなんだけどね。でも自分が人一人の命を危険な状態まで追いやったことには違いないって、責任取って会社を辞めるって言い出したの 」


「何か、想像していた以上にハードな話ですね 」


「そうね。でもこの界隈では、それほど珍しい話じゃないわ。アイツは優しかったのよ、馬鹿みたいにね。能力的にヤツは記者は向いてたけど、性格的には全く向いてなかった。だけど会社としてはアイツを手放したくなかった。確実に紙面の発行部数は右肩上がりだったし、功労者であることには限りない。それに心変わりして、後々 他に移籍されたら脅威にしかならないからね 」


「それで、その方は漫画の編集者になったんですか? 」


「そうよ。本人が希望したのか会社が提示したかは知らないけど部署異動ってやつでね。まあ、何でも一生懸命にやるから、今メインで担当してる作家は売れに売れてるみたいだけど 」


「その方、波乱万丈な人生なんですね 」


「そうね。アイツが記者を辞めたせいで、私は過去の一番輝いているときのピーク時のヤツと戦わなくちゃならなくなった。だから会社は辞めたの。企業に属してたら、どうしても周りからリミッターが掛かるから。でもそんな環境じゃ、ヤツを超えるネタは上げられないから 」


「…… 」


 山根は小暮の気迫に、それ以上声が掛けられなかった。週刊誌の記者というのは、他人の人生を大きく揺るがしかねない仕事だ。今の自分の生半可な状態では務まらない、そんなような気持ちになっていた。


「あの、小暮さん。俺ちょっと…… ション便してきます 」


「……行ってらっしゃい 」


 山根は慌てるようにゴミをまとめると、また再びドアを開けて出て行った。

 ふと空になった助手席に目をやると、カメラも引っ括めて荷物が一式なくなっていた。山根はもしかしたらこのままバックレてしまうかもしれない。でもわざわざ彼を引き留めたいとも思わない。それならそれで仕方ないことだとも思う。


 山根には取り繕った話をしてしまった。

 でも、本音は少し違う。

 別に今さら越えられないモノに固執するほど、自分も社会の荒波を知らないわけではない。


 自分は吉岡の才能に惚れて嫉妬して憧れて、また単純に一緒に仕事がしたいと思っていた。そのためにはまず自分の環境を変えて、アイツを追い込んで、こちらの世界に戻らざるを得ないように仕向けるしかないとさえ思った。

 自分は吉岡の才能が別のものに奪われて、しかもその新しい世界がヤツに光を見せている現実が許せなかっただけだ。


 御堂茜を狙ったのだって、そうだ。

 最初は神宮寺アケミを張っていて、そこから交遊関係に御堂茜が浮上した。だからとにかく御堂茜を尾行して尾行して尾行しまくって、無理やり泥酔事件と黒い噂が絶えないスパンキー須藤を抱き合わせて 神宮寺アケミを巻き込むように記事を作った。


 でも結局は、自分の実力不足を思い知らされた。

 アイツの方が何枚も上手で、トラップはあっさり弾き返された。ゴシップが 吉岡の弱味にならなかったのだ。バックが大手出版社があるということだけが理由ではない。おそらくヤツが社内で築き上げた人脈も信頼も、それは揺るぎがない確固たるものがあって、ちょっとやそっとでは壊れない。ヤツを取り囲んでいる環境が、十分に備わっているのだ。

 結局、神宮寺アケミにも御堂茜にも風穴を開けてやることは出来なかった。

 そしてヤツが自分と組んで再び仕事をするという浅はかな夢は、結局叶うことはなかった。

 去るものを追わないなんて、そんな言葉は嘘だ。 形振り構わず足掻いた結果がこれだ。惨めとしか言いようがないだろう。


 小暮は溜め息をつくと、ちらりと時刻を確認した。今頃ママは夜に備えて仮眠中だろうが油断はできない。今回も長期戦になる。もしかしたら今日はここから単騎で勝負しなくてはならない。


「まあ、不倫するのが駄目なわけで、そもそも私は何も悪くないし 」


 小暮は開き直るようなことを呟くと、また大きくため息をついた。

 いろんなものを切り捨てて無我夢中で走り抜けてきたけれど、肝心なものには手が届かなかった。


 この空虚な喪失感の正体は 失恋だ。

 私が執着していたのは吉岡夏樹という個人に対しての感情だった。自分にも人の心があったのかと思うと、何だか少し笑えてくるではないか。


「でも、まあ…… 私は去るものはもう追わないって決めたしね 」


 小暮は誰もいない車内でそう呟くと、再び目の前のマンションをじっくりと見上げるのだった。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ